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「い、いいえ、良いんです。私は、その、本当に良いんです……」


 必死に取り繕いながら、一葉は一歩後ろへ下がった。未春は一葉の気も知らず、酷く残念そうなしょんぼりした表情を浮かべている。


「ということだからさ。未春が相手役になってくれないと、私が困るんだけど」


 伊吹歩のからかうような眼差しが未春に注がれる。

 未春は一葉と伊吹歩をどちらも困ったような顔で交互に見つめ返した。

 できることなら今すぐこの場から逃げ出してしまいたい。一葉はそんな気持ちで視線を逸らした。


「えっと、ですね……」


「OKしてくれるまで離さないよ」


 未春はますます眉毛をハの字に下げて、おろおろしながら、視線を彷徨わせた。そんな未春の優柔不断な態度が一葉には全く理解できなかった。ふつふつと苛立ちが湧き上がる。何故、あれほど素敵な歩お姉様から誘われて、すぐに首を縦に振らないのだろうか。自分にはない才能がある癖に、何故それを行使しようとしないのか。未春に対する一葉の怒りは静かに燃えていった。


「お願い、未春さん。今回だけで良いから、うんと言って。お願いよ」


 塩見部長が懇願するように未春に言葉をかける。

 未春は眉間に深い皺を刻んだ末に、渋々といったように決断を下した。


「う……。じゃあ、本当に今回だけ、なら」


 塩見部長が手を叩いて喜び、伊吹歩が未春をぎゅっと抱き締める。


「よしよし。よく言った、未春」


 未春が役を受けると決めても、一葉の怒りは収まるどころか増すばかりだった。結局、役を受けるのなら、勿体ぶらずに最初から承諾すればいいのに。何故、わざわざ一葉の名前を出したりして、辱めるような真似をしたのか。どうして、一体、何故。そんな行き場のない怒りと悲しみがぐるぐると一葉の胸の中で渦巻き、一葉を苦しめた。



「一葉ちゃん」


 一葉が気付くと、未春が言いにくそうな様子で目の前に立っていた。

 集まりはとっくに終わったみたいだった。


「一葉ちゃん、あの、あのね。役のことなんだけど、あれは」


 一葉は未春の言葉を待たずに、ぱっと背を向けると、そのまま部室を飛び出した。後ろで未春が一葉の名前を叫んでいる。その声が捨てられた子猫みたいに切なくて、一葉は一瞬、後ろを振り返りたくなった。だが堪えるようにぐっと奥歯を噛み締める。未春の声なんて、これ以上聴きたくない。そんな拒絶を胸に、一葉は無我夢中で、駅までの道を駆け抜けた。


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