4 ジャスティスを宙港に送り―――何か起こる。
サンライズのメンバーは大抵が独身である。ヒュ・ホイのように妻子が居るという例は滅多にない。
「だいたいマーティさんに浮いた話一つないってのが不思議なんですよね」
と言うのが、その当のホイの意見だったが。
「や、俺だって、ここに入る前には恋人ぐらい居たんだぜ?」
「でもサンライズ入ったからフラれたんだろ? それじゃあ駄目駄目」
ひらひら、とストンウェルはコーヒーを呑みながら手を振る。どういうつもりで言ってるのだか、とマーティもまたコーヒーに口をつける。
何せこの同僚ときたら、昔はDDが居たからコモドドラゴンズに入ったのだと言うし、今は今で、マーティが入ったからサンライズからの打診に即座にOKを出したのだと言う。
主体性が無い、という訳ではない。そういう性格ではない。ただもう単純に、かつてはDDという投手に。
そして現在は―――
そのあたりをあまり深く考えると何やら怖い考えになってしまいそうなので、マーティはあえて避けていた。
別にそういう感情であったとしても、驚くことは無い、と彼は思っていた。「冬の惑星」ではごくごくありふれたことであった。一過性の者も居たが、そのまま当時の相方とずっと続いている者も居る。
まあそれはそれでいい、と彼は思う。その時それが必要な者は確かに居たし、その後までそれが必要な者も居るのだから。
では自分は、と言えば。
マーティは自分自身の傾向はヘテロだと思っている。とりあえず同性に欲望を感じることは無い。
だがもし誰かから明け透けに感情をぶつけられたら? 果たして自分がそれに対して、強く断ることができるだろうか、と思うと、それはやや怪しいものだった。
確かかつての自分は、この同僚を「エッグ・ビーダー」…泡立て器、と呼んだのである。
何をこの男は、かきまぜたのだろう?
ぼんやりとした記憶しかそのあたりには無い。困ったことに。当時の自分が逃げ出したかった「何か」と関わってはいるのかもしれないが、…推測の域を出るものではない。
「一卵性なのか?」
「や、二卵性。髪の毛とか色違うじゃないか。そりゃあまあ、パーツは似てるけどさ。同じ親だし」
「ああ、だからストンウェルさんの方が背…」
無論その言葉を言いきる前に、ダイスの頭ははたかれるのだった。
「そう言えばさ」
ストンウェルはホテルの前の道路に立てられた停車装置に手を触れた。
他の惑星だったらパーキング・メーターと間違われそうな形をしたそれは、道路に30m間隔くらいで立っている。
す、と一番近くにやって来ていたエレカが彼等の前に止まる。小さな、黄色い車は無人だった。
「噂には聞いてたけどさ…」
へえ、とストンウェルは座席の他に何も無いその車内に驚く。
「何かおもちゃの様だな」
用事が済んだらすぐに球場入りできるように、ということで着ているユニフォームとスタジアム・ジャンパーが青だけに、そのおもちゃ度は倍増していたとも言える。
「何でもさ、ここの公共交通機関ってのは、結局『道』なんだとさ」
「道?」
「そ。道が勝手に車を動かしてくれる訳よ」
「はあん、それでさっきのパーキングメイターのような奴で、お前、呼んでた訳か」
止まったままの車は、行き先を彼等に要求していた。ストンウェルは兄の泊まっているというホテルの名を告げる。車は音も無く、滑り出した。
「そう言えばストンウェル、お前の兄さんって、何やってる人なんだ?」
「兄貴? 営業マン。って言うか、まあ、鉱山会社の方らしいからさ、営業って言っても、ずいぶんと現場に出てることの方が多かったらしいけど」
「鉱山」
「ミリオン星系に行ってた、って言ったけどな」
「へえ」
鉱物か、とマーティは目を細める。かつてはさんざん相手にしたものだった。
「だから昨日なんか、あーんなスーツ着込んでたけどさ、まあだいたい向こうとかでは、作業着とかジャンパーとか、そんなものばかりだったろうなあ…だいたい兄貴の場合、スーツなんかは、肩幅とかありすぎで、特注だとか言ってたからなあ」
「確かに、作業服の方が似合いそうだ」
全くだ、とストンウェルは笑った。
「でもスポーツとかはやってないのか? いい筋肉してそうだったが」
「昔はね。俺と一緒に、ジュニア・ハイやらシニア・ハイやらではベースボール・クラブに入ってた。俺がピッチャーで、奴は四番バッターって奴」
「打つ側か」
「昔っからあいつは力あったからなー」
だろうな、とマーティは黙ってうなづく。
「俺等の惑星は、レーゲンボーゲンと違って、割と帝国の統一後はずーっと平和だったからさ、大会もコンスタントにあったりして、強弱ピラミッドなんかもあったりした訳よ」
「ほー」
それは自分の故郷ところとは違う(らしい)な、とマーティは思う。
「だからウチの惑星の、シニア・ハイの大会なんかでいいとこ行くと、もうASLの各チームのスカウトが乗り込んできたりしてる訳よ。で、俺や兄貴もスカウトされて、まあ結局、入ったのは俺だけだったけど」
「その上の兄さんってのは?」
「何であんた知ってんの?」
え、とマーティは一瞬顔が引きつるのを覚える。そう言えば、昨日聞いたのは、ミュリエルが仕掛けた盗聴器ごしの会話だったのだ。
「…や、お前、前に言ってなかったっけ。上にもう一人兄貴が居るって」
「…言ったかなあ」
「きっと言ったのさ」
「…ま、いいか。うん、もう一人上に居るんだけどさ、…あーのーひーとーはなー…」
うううう、とストンウェルは詰まる。
「何、言いたくないような人なのか?」
「や… 凄すぎて言いたくないって言うか」
「凄すぎて?」
そう言えば、昨日の会話でも、何やらこの兄弟が頭が上がらないようなことを言っていた気がする。
「タイドって名前なんだけどよ、俺と兄貴の場合、俺が投げてジャスティスが打つ、って感じだったんだけどさ、あんひとはどっちもできたんだよなあ…」
「でもそれは良くあることだろ」
「や、だけどなあ… それであんひとは、一度コモドにスカウトされてんだよ。あんたが入団したのと同じ年、だったかな?」
「それは…」
「ま、あんたが覚えてる覚えてないはいいよ」
それは判っているから、とストンウェルは言外に含める。
「ただタイドは、その時スカウトは断ったんだ。プロで充分やってく実力はあったんだけど、堅実な方がいい、とかで企業に入って、ベースボールはそれっきりだったかなあ…」
「へえ…」
タイド・ストンウェルという名は確かに、昔スカウトされた選手の中にあった。
いきなり何なの今はこっちは真夜中だよ、という向こう側の懐かしい声に謝りつつ、データを頼んだら、確かにその中に。
「企業ではやらないんだ?」
「…いや、その企業ってのが…」
ストンウェルは口ごもった。そしてポケットから昨日買った「インビンシブル・アルマダ」を出すと、窓を開け、火をつけた。
「ここの煙草ってなあ… 何っか軽いんだよなあ」
「まあ仕方ないさ。禁煙惑星でないだけ、お前ましだろ」
ちぇ、とストンウェルは舌打ちをする。
何やらはぐらかされた様な気はするが、まあいい、とマーティは思った。仲間に頼んだデータは、もう少ししなくては続きが来ないのだ。
*
「や、おはようございます。狭苦しくなってすまんですね」
ホテルの前に着くと、ジャスティス・ストンウェルは大きなトランクの上に座って足を組んでいた。
昨日と違い、スーツではなく、ダークグレイの丈夫な素材のジャンパーを身につけている。履いているのも、動きやすい、ゆったりしたズボンに、がっしりとしたブーツだった。
トランクなのは、その中にスーツが入れてあるせいか。もしこれがリュックや他の不定形なバッグだったら、彼が営業でこの地に来ていたなど、誰も考えつかないだろう。
「荷物はそれだけですか? え… と」
「名前の方で呼んでくれるとありがたいね」
葉巻を口にしたまま、ジャスティスは不敵に笑った。
「OK、ジャスティスさん、結構身軽ですね。遠方からはるばるの割りには」
「こいつはいつもそうなんだよ、トランク一個であちこちを飛び回る」
「お前にそれが言えた義理かよ」
「何い?」
ははは、と後部座席に移ったマーティは乾いた笑いを立てた。血の気の多さは確かに似ていた。
「あ、それにしても、マーティさん、いつも弟が本当、世話になってますわ」
「あ、いやいやそれはこっちも…」
多少社交儀礼的に言葉を返すと、ジャスティスはぐい、と後ろに身体ごとむけて、指を立てる。
「いやあ、こいつ扱いづらいだろ」
「お前何言ってんだよ」
「扱い… まあ、確かに」
「あんたまで何だよ~ 兄貴お前、何時の便?」
「あ~共通時で10時半かな。まあそのあたりで出れば、明後日の午後の会議には間に合うだろうしよ」
「…って何処まで行くんだよ」
「コントラスト星系だ。何っか今あそこで、変わった鉱石が発見されたとか何とかでなあ、早いとこ行って、向こうのスタッフ召集して一気に攻め込まねえとな」
言いながら彼は、指無し手袋をはめた手をぐっ、と握りしめた。
「…まるで戦争のような言い方ですね」
マーティはははは、と乾いた笑いを立てながら言う。するとジャスティスはふっと笑った。
「戦争さ」
「兄貴」
「これは、俺等の戦争だ。や、俺の、というべきかね。お前もそうだろ、ノブル。グラウンドが、お前等の戦場だろ?」
それはそうだ、とマーティは思う。特に、スポーツの世界は、「代理戦争」の意味合いも強い。
ただ、この人の言っているのは、それだけではない、と彼は思った。
「覚悟を決めて、ここで生きてくんだ、と思ったところが、戦場だ。生き抜くための場所がよ。それが俺には、今の仕事だし、お前はお前で、ベースボール・グラウンドなんだろ?」
「ああそうだ」
ノブルは大きくうなづく。
「俺はそれを選んだ。それに関しては後悔してねえぜ」
「だろ?」
にやり、とジャスティスは笑った。
「ただなあ、ホント、ノブルお前、一度実家に言っておけ。じゃねえと、お袋はともかく、兄貴のとばっちりがこっちにも来そうで怖えんだ」
「…そんなに、あなた方のお兄さんってのは怖いんですか?」
マーティは改めて問いかけた。
「…」
「…」
双子の兄弟は、顔を見合わせて黙った。
「…何って言うか…」
「…なあ…」
そこまでこの兄弟を怖がらせる「兄」というのがどんな人物なのか、マーティは見たいような気がしてきた。
自分には「兄弟」は居ない。記憶にも存在しないし、「資料」にも無かった。
だから、だろうか。ついチームの年下の選手達が弟の様な感じがして、かまってしまうくせがある。
だが実際の「兄弟」を見ると、それとはやはり違うのだな、と感じさせられることもしばしばある。そんな時、自分はやはり天涯孤独だったのだな、と思わずにはいられない。
無論それを嘆く訳ではない。あくまで軽い、あっさりとした感情だった。
「…そういえば、ジャスティスさん、その『変わった鉱石』というのは、どういうものなのですか?」
「それは企業秘密だなあ」
がははは、とジャスティスは笑った。
「いいじゃないか。どーせ俺達はそんな、お前んとこの鉱物には関係無い立場なんだしさ」
「昔、ちょっと採掘現場に居たことがあるんで、興味があるんですよ」
ほお、という顔でジャスティスはマーティの方を向いた。
「採掘現場、ですかい」
「マーティ?」
間違いでは、ない。それが強制労働だとしても、作業そのものには変わりはない。
「なるほど、なあ」
「何がなるほど、だよ」
ふう、とジャスティスは煙を外に吐き出す。
「や、俺は、マーティさん、あんたと良く似てた人を知ってた様な気がするんですがね」
「まあ似た人はあちこちに居ますからねえ」
さらりとマーティは流す。
「そう、だからまあそうなんだろうさ。あんたの筋肉の付き方は、スポーツ選手よりは、俺が良く見てきたあっちの連中に近いんだよな」
「おい兄貴、失礼だぞ」
「何が失礼だよ。向こうの連中は連中で、その仕事を一生懸命やってるんだ。失礼って言うなら、お前の方がその人達に失礼というものだぜ、ノブル」
弟はそう言われて言葉を無くした。
「そうですか。やっぱり判るんでしょうかね」
「で、あんたは何の鉱石を採掘してたんですかね、マーティさん」
「パンコンガン鉱石、ってご存じですか?」
*
ゲートをくぐるとその先にやや長いエスカレーターが待っている。一度上に上がり、そこで簡単な出星審査を受けてから船に乗り込むのだ、という。
「行っちまったなあ、兄貴」
ふう、と腰に手を当て、ノブルはため息をつく。
「久しぶりのおにーちゃんが、恋しいかい?」
「や、そういう訳じゃあないんだけどさあ」
「じゃあ何だよ。俺はきょうだいってのが居ないから、良く判らないんだが」
「奴もDDのファンではあったんだよ」
「え?」
ノブルは固い髪をかき上げた。
「そらまあ、俺ほどじゃあ無いけれどさ、何せ当時のあんたときたら、とんでもなかった」
「…」
「俺達はちょうどジュニア・ハイとかシニア・ハイだ。そういう頃のベースボール好きのガキにとっちゃ、…なあ」
「言ったのか? 言いたくなったのか? 俺がそうだ、って」
マーティは苦笑する。
「いや」
ノブルは首を横に振った。
「今のあんたはマーティ・ラビイだ。それ以外の何もんでも無い。兄貴の言った様に、筋肉の付き方もがらっと違ってしまってる。だからこそ、今の使い方も良く合ってる訳だしさ」
まあな、とマーティはうなづいた。
確かにそうなのだ。良くも悪くも、あの「冬の惑星」に居た時間は、彼の中身だけでなく、身体もある程度変えてしまっている。
今の自分は果たして先発完投ができる体質かどうか、それすらも判らない。
過ぎてしまった時間は、決して戻ることは無いのだ。
「ま、戻るとするか」
二人は出口に向かって歩き出した。ゲート側から対角線に突っ切るのが一番速い…そうノブルが足を向けようとした時。
「お」
ふと気付いたように、マーティの足は反対側の売店へと向かっていた。
「何だよあんた、いきなり。早く行かないとここの車の遅さときたら」
「や、何かもしかして」
彼は売店のカウンターに並ぶガムの箱を一つ一つ確かめる。
「おねーさん、このガムって、スカーレット社の新製品?」
売り子の女性は、男前の営業スマイルに一瞬顔を赤らめる。そして彼等の着ているスタジアム・ジャンパーに更に目を丸くする。
「え、ええそうですわ… 新製品です。はい」
「じゃあそれ、二つ… や、三つね」
みっつ? とノブルは呆れた様に声を立てる。一つはまあ、後輩へのオミヤゲとしても。
「…何、あんたそんなに買い込んでるんだよ」
「や、そんなに膨らむんだったら、俺も一度試してみたいなーと…」
呆れた、とノブルはポケットをまさぐって、煙草を取り出す。
「あれ、お前、いつものプリンス・チャーミングじゃないのか?」
「何あんた、今気付いたのかよ」
「無敵艦隊か。何かまた物騒な名前だな。いつもの王子様の名前とは大違いじゃないか。しかも何か、…妙な色だなあ…」
「切らしたんだ。昨日言ってたろ」
そう言えばそうだった。その時にジャスティスが来たので、その騒ぎに取り紛れて忘れていたが…
「それに何か、この惑星の場合、煙草に使う用紙と色ってのが決まってるらしくてさ、下手に白い紙巻き吸ってると、何かドラッグと間違われるとか…」
「へえ」
「さすがに俺もそういう間違われかたはしたくないぜ。ただでさえ、何っかこの惑星、俺達に敵対心持ってそうでなー…」
「いやさっきの女の子はそうでもなかったようだけど」
「そりゃああんたは色男だから」
「…や、それはいいんだけど」
マーティの視線は、別の方向にあった。
「白い紙巻き、か…?」
「何?」
ほら、とマーティはあごをしゃくった。つられるようにノブルもそちらを向いた。ぴったりとした帽子を目深にかぶった男が、白い紙巻き煙草を吸っていた。横には、ゴルフだろうか、ヒットボールだろうか、そんなスポーツの道具を入れるバッグを持った女がついている。
「マーティ、何かおかしいぜ」
「何が」
「ああいう吸い方は、…煙草じゃないぜ」
彼は弾かれた様に男を見た。すると今度はその男は、女にも白い紙巻きを渡し、自分の火を渡してやっている。端からみれば、何ってことない、喫煙カップルではある。
火がついた途端、女はその煙を思い切り吸い込んだ。
「…」
マーティは視力が良い。女のその瞬間の、とろりとした表情も見逃さなかった。
「二人… だけか?」
ちら、と彼等は周囲を見渡す。ただの危惧であってほしい、と彼等は思う。何せ時計は十時を既に二十分は回っている。このままだらだらと居続けては、十三時の試合に間に合わない。
「…とっとと行くか」
「…おう」
顔を見合わせて、この際何があっても見過ごそう―――
そう、思った時だった。
ばん!
銃声が響いた。