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3 試合の朝、買い物の約束をする

「お前がDDに最初に会ったのもその時じゃないか」

「そうだったかなあ」


 ノブルはひょい、と兄の言葉をかわす。

 基本的にこの双子の兄に嘘は通用しないことは知っているから、言葉的には曖昧にしておく。


「兄貴がコモドにスカウトされた年、やっぱり入ったのが、まだずいぶん若かったDDでよ。タイド兄は断ったけれど、コモドのそん時の上役はずいぶんいい人でよ、俺達にも何回か試合を見に行けるって回数券をくれたじゃないか」

「ああ、それは覚えてるよ」


 そしてその時に、ひどく楽しそうに練習場に走っていった青年の姿も。


「結局ノブル、お前俺の倍、通いやがってよ」

「お前がじゃんけんに弱いのが悪いだろ、兄貴」


 るせえ、とジャスティスはテーブルを叩いた。その弾みでコーヒーカップが倒れた。すいません~とノブルはウェイターを呼び、お代わりを頼んだ。


「それであれからずっとお前は彼のファンだったよな。だからあのチームにも入った」

「まあね」


 それは正しい。ノブル・ストンウェルにとって、プロに入るということは、そういうことだった。

 この双子の兄は、シニア・ハイの時に、自分と一緒にハイスクール・カップでいい線まで行ったのに、スカウトを断って、タイド兄と同じく、堅実な企業の方へと走った。

 だが自分は―――


「だが、彼が失踪した時に、即座に辞めるかと思ったらそうでもない」


 それも、そうだった。

 DDは、彼が一緒のチームでプレイするようになって、まもなくと言っていいくらいの時に、いきなり失踪した。

 少なくとも、当時のノブルにとっては、そう見えたのだ。誰が、遠征先で政治犯と間違われた、なんて考えるだろう?

 だから彼はしばらく、信じられなかった。失踪。

 でかでかと報じるマスコミに、思わず暴行を働いたこともある。いい加減にしろ、と顔に青筋を立てて。


「待ってたのか?」

「まあそれもあるけど。でも俺だってベースボールそのものが好きだったからさ。ねえ」



 嘘だ。


 と、その時ふとマーティは思った。



「その割には、コモドがあーなっちまった時には、さっさとお前、捨てたな」


 かつてナンバー1リーグにまで上がったチームは、ヒーローの消滅を機に、どんどん人気と成績が落ちて行った。

 やがてそれは、興行成績にも響き、経営不振―――身売りへとつながっていったのは、ベースボール好きには有名な話だった。


「ま、そもそもその頃にゃー、向こうも俺を切りたがってたからな。ビリシガージャ監督も交代させられたし。あのおっさんは俺結構好きだったけどよ、後がまがなー」

「そこだ」


 ぴ、とジャスティスは太い指を突き付けた。


「何でそのタイミングなんだ? お前」

「何でって」

「そんな時期に出たところで、何の得がお前にあった?」

「別に。得も損も。俺はただ、その時は何かもう居るのは何だしなあ、と思っただけだよ」


 さらり、とノブルは答えた。


「本当か?」

「本当だよ。嘘に感じるか?」


 ジャスティスはくわえた葉巻を噛みつぶす勢いでじっと弟を見た。


「嘘はついてないようだな」

「当然だろ」


 嘘ではない。確かに。


 ノブルは思う。

 内容はともかく、嘘をついているかとどうか、はこの兄には隠せないのだ。それは自分も同様だったが。兄は自分に嘘はつけない。隠せない。

 それまで長い期間居た所を辞めることを決意するのは、結構すこん、とした一瞬である。ある一瞬を越えてしまうと、考えはもう「続けるためにどうすればいいのか」ではなく「次はどうしよう」に向かうのだ。


「それでお前、その後どうしてたんだよ」

「何も。適当に仕事見つけて、食える程度にはやってたさ」

「本当か?」

「だからこーやって生きてるんだろ。お前程じゃあないが、兄貴、俺だって食ってくためになら、着たくもねえ服だって着たし、肉体労働もしたし、営業で飛び回ったりもしたさ」

「ふん」


 ふっ、と勢い良くジャスティスは煙を吐き出した。



「営業ですか…似合いませんねえ」

「何なに、ストンウェルさん、営業やってたことあるんですか?」


 ミュリエルのつぶやきに、ダイスが聞きつけて飛びつく。


「みたいだね」

「あーでも、あのひとなら結構イケるかもなあ」


 テディベァルは相変わらず手放しでちゅ、とジュースを吸いながら天井を向く。


「俺は無理だなあ」

「マーティさんが無理? そんなことないでしょ」

「や、マーティは駄目ですね」

「何だよ、先生、その根拠は?」

「いや、勘ですよ」


 ははは、とミュリエルは静かに笑った。


 勘ねえ。


 マーティはその大きな肩をすくめた。確かに自分にはできそうにない、と思う。それはそれでいい。結局野球馬鹿だった訳で。それだからこそ、こうやってグラウンドに戻ってこれた訳で。


「そう、結局あのひとの場合、その期間が謎なんだよなあ…」


 テディベァルは指を鳴らす。


「その期間?」

「だからよダイス、あん人がコモド辞めて、その後にウチに来るまでって、ちょっとあるじゃんかよ。その間営業とかやってた、って言ったってさあ」

「まあストンウェルがひと所そういう職で長続きするとは… 私も思えないですねえ」

「俺もそれには同感だよ」


 マーティはうなづく。


「ヒノデ夫人に聞けばまあ、それなりに判るかもしれないですがね」


 ひらひら、とマーティは手を振る。


「やめとけ。あのひとのことだから、そういうのは仲良くなってご自分でお聞きなさい、とやんわり言われてしまうがオチだぜ」


 それもそうだ、と皆でうなづく。

 そもそも、自分を呼び寄せた経路にしたところで、結構謎はまだ残っているのだ。

 アルクでのクーデターの成功で、協力者として彼はマーティ・ラビイとして籍を再取得した。

 その後、彼はしばらく、協力していた反政府組織の一つ「赤」の代表の元で「仕事」をしていた。

 相棒がその「赤」の代表ウトホフトの表に持っている店のウェイターをしていた、という関係もあったが、彼自身の仕事は相変わらず「裏」であったことには間違いない。

 ヒノデ夫人は、一体「表」と「裏」と、どちらの代表ウトホフト氏と話をつけて、自分を手に入れようとしたのだろう。

 まあ無論、どちらであっても、おかしくはないのだ。

 ヒノデ夫人率いる「サンライズ」はアルク指折りの大手食品産業である。「表」でも「裏」でもそれなりに「顔」であることは間違いないだろう。

 ただ「DD」はともかく、「マーティ・ラビイ」は「裏」でなければ探せなかったのではなかろうか。

 同じことがノブル・ストンウェルに関しても、全く言えなくはない。



「まあいい」


 ジャスティスはぐい、とまた葉巻を押しつける。


「ただ納得できねえことをするな」

「判ってるさ。人生は一度で、しかも長くはない」

「そうだ」


 にや、とジャスティスは笑った。


「しばらく、この惑星に居るのか? それともレーゲンボーゲンへ戻るのか?」

「や、今ロード中だから、明々後日ここを出発するんだ。明日でここのゲームは終わりだから」

「そうか」

「お前はどうなんだよ、兄貴」

「俺か? 俺は明日発つ。こっちの仕事は今日片づいた」

「へえ。首尾はどうだい」

「聞くか?」


 ノブルは黙って首を横に振った。


「成功、だろ?」

「間違いだ。大成功、だぜ」


 はははは、と二人は声を立てて笑った。


「俺今日先発だったから、明日は出る予定はねえんだ。何時だ? 宙港まで送ってくぜ」



 翌朝は良い天気だった。


「おおーっ。試合日和だぜ」

「…何だよマーティ… 今日は俺、登板は無いんだぜ…」


 ストンウェルはもぞもぞと毛布の中からつぶやく。開けた窓の光が目に入り、目を覚まされてしまった。


「確かにな」


 そう言いつつも、しゃっ、と窓際のベッドに陣取っていた彼はカーテンを一杯に開ける。

 大きな窓からは朝の日差しが強烈に降り注いだ。


「やっぱりなあ、いい天気でいい具合の気温の朝ってのは、気持ちいいもんだぜ」

「…へいへい」


 低血圧なのか、寝起きが悪い男は、のそのそとベッドから這い出す。う~、と頭を振ると、のっそりとシャワーを浴びに行った。

 今回この惑星「エディット」でも、選手は二人一組で部屋を割り振られている。事情によっては個室のこともあるが、遠征はそのパターンだった。

 そして大抵、この寝起きの悪い男を起こすのは、マーティの役割の様になっていた。

 マーティ自身は、寝起きも良ければ寝付きも良い。深酒もしないし喫煙もしない。健康に気を使うこと、選手のお手本の様だが、本人はそれをさほど苦ともせずにやっている。

 身に付いた習慣って怖いよな、と彼は時々思う。

 朝夜明けとともに起きる。すぐに身体を覚まさせる。食べ物の好き嫌いなんて言っていられない。栄養は摂れる時に摂れ。寝ても構わない時間になったらとっとと寝る。体力温存のために。

 自分のずっと昔、がどんな生活パターンを送っていたかは判らない。現在のそれは、結局、「冬の惑星」に居た頃の名残だった。

 それがいいかどうかは判らない。そしてどっちでもいい。既にそれは自分の中に染みついてしまったものであり、確かにその通り過ごしている限りは、自分はこの年齢にしてはまだまだ体力のある方なのだから。


「おいストンウェル、寝てるなよー! お前今日確か、兄貴を送ってくんじゃなかったのか?」


 張り上げる声に、浴室からぴしゃ、と音がした。

 どうやら本当に寝ていたらしい。はあ、とマーティはため息をついた。

 それにしても。彼は昨日の彼等の会話を思い返す。

 どうやら、あのストンウェルの双子の兄は、かつての自分=DDに会ったことがあるらしい。無論マーティには覚えが無いのだが。

 だいたい自分が入った年の、他にスカウトされて来た奴の、更にその身内なんて、…記憶処理されていなくても、そうそう覚えていないものではないだろうか。かなり昔である。

 しかしそれは、その時の自分が多くのファンを相手にしているような立場だったからで、逆に立てば、それは貴重な体験だったのかもしれない。


「あ、そーいえば、あんた今日、出る予定ある?」


 ひょい、と頭にシャボンをつけたまま、ストンウェルは扉から顔を出した。黒い短い髪からぽとぽとと水滴がカーペットに落ちる。


「そりゃあ俺はお呼びがあれば、だろ。お前だって一応ベンチには登録されてなかったか?」

「登録はされてるさ。ただちょっと、今日宙港まで兄貴を送って行こうと思うからさ、あんたも来てくれないかな、と思って」

「俺が?」


 やや白々しくも思うが、マーティは問い返す。


「そ。何かあんたに興味あるらしいよ」


 くくく、とストンウェルは笑い、再びバスルームへ戻った。


 興味、ね。


 マーティはふと思い立って、携帯端末を取り出し、覚えのあるナンバーを押した。


「…あ、俺。久しぶり…」



「あーっほら、あそこあそこ!」


 ダイスの声が食堂に響いた。何だよ、とテディベァルとトマソンが一斉に振り向く。指さす方向には、大きなTVスクリーンがあった。


「…何だよ、朝っぱらからお前元気だよな」


 トマソンがのっそりとつぶやく。画面には、女性の下着のCFが流れていた。


「違うんですって、例の風船ガム!」

「まだ言ってるのお前~」


 頬杖をつきながら、テディベァルは目の前の太いソーセージをぷしゅ、と突いた。


「だって本当だったんですよ」

「おいおいダイちゃん、何また言ってるの」


 隣のテーブルに付きながら、マーティはダイスの肩をぽん、と叩いた。

 このルーキーが自分を結構敬愛しているのは知っているので、こういった朝のちょっとしたスキンシップはかかさないことにしていた。

 案の定、ダイスはいきなり顔一杯に笑顔を浮かべる。


「だから昨日俺言ってたCFが今流れたんですよ~」

「はいはい。何ってメーカーの奴なんだよ」

「何か、ここでは有名らしいですよ、スカーレット社の新製品だって」

「肝心の名前覚えてねーんだもんよー、こいつ」


 テディベァルは向かいに座るダイスのおでこをぴん、と弾く。


「痛いじゃないですか~」

「悔しかったらやってみろ」


 けけけ、とテディベァルは笑った。


「名前はいいから、何か箱とか特徴なかったか?」

「箱…ああ、赤いんですよ。で、細身で」

「スカーレット社の、赤の細身の、新製品、な。ふんふん」

「…ってあんた、何やってるんだよ」


 ぐい、とマーティの対面に座るストンウェルは驚いてのぞき込んだ。手の甲に彼はサインペンで書き込んでいたのだ。


「や、どーせ俺達今日はちょっと練習前に宙港まで行くんだろ? だったらついでにどっかで見つけたら買ってきてやろうかと思ってさ」

「…あんたほんっとうにこのガキに甘いんだから…」

「そうガキガキ言わないで下さいよ」


 ダイスが反論する。


「二十歳前なんだろ? まだガキガキ」


 全くもう、とダイスは食事を再開する。


「…あへ、りゃあんららち、今日練習は遅れへふるほ?」


 口の中をソーセージで一杯にさせながらテディベァルがもそもそと問いかける。


「まあちゃんと時間には戻る様にするさ」

「守って下さいよ! いくらあなた達が出番無かったとしても、登録してるメンバーがベンチに時間までに居ないと、没収試合なんですからね!」


 ホイは決して大きくはないが、鋭い声で言った。はいはい、とさすがにマーティもストンウェルも、この「女房役」には頭が上がらなかった。チームの常識、良識、良心と呼ばれているのが、彼なのだ。


「…やっぱり家庭持ちの意見は鋭いのよねえ」


 浮いた話に無縁な男達は、ため息半分、やっかみ半分でつぶやくものだった。

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