魂の記憶 前編
これは、一人の少女に自らの志を託した男の軌跡を描く物語である。
聖アルフ歴 1860年
12歳ほどの少年が、中央大陸東端の軍事国家シンの人里離れた道を歩いている。周りの人はほとんど歩いていない中で、国を飛び出した少年は、限界に近い体をひきずっている。
(俺は何でこんな所に居るんだろう……この国の人たちは誰も俺の相手をしてくれない……)
親を魔物に殺され、貧しく、親しい親戚もいなかった少年は、一年ほど自らの国を彷徨い続けた、そして国を捨て、海の向こう側の大陸へと渡ったが、そこでは、少年は全く歓迎されることはなかった。
(術式も使えなくなったし……俺、ここで死ぬのかな……)
少年が国から出て以降、何故か両親から教わっていた術式が使用できなくなっていた。そんな状態のまま、少年は誰も自らを助けてくれない国を時にゴミを漁りながらも生きながらえ続けた。
しかし、そんな少年も、一週間近く、飲まず食わずの状態で生活し続けたことにより、限界が訪れていた。ここ数週間、少年が彷徨い続けていた海沿いの街を、よそ者として追い出される事になった。
(街以外だとロクな食べ物がない。これからどうすればいいんだろう)
少年が、限界に近づいている体を引きずっていると、獣の唸り声がした。そこに、一人の鎧をまとったヒゲが特徴的な男が少年を庇った。
「全く。魔物共は、飢えた坊主の相手しかできないってか」
髭の男は、背中に背負った手斧を抜いて、木の陰に隠れている植えた狼のような魔物を睨みつける。すると、魔物は逃げ去っていった。
「おい坊主。ひどく痩せこけとるが立てるか? お前、この国の人間じゃないのか?」
少年は、髭の男の質問に頷く。それを聞いた髭の男は、腰のポーチから干したポテトと、水が入っていると思われる小さな壺を取り出す。
「とりあえずは飯じゃ。水もあるから、早く食え」
少年は一瞬驚きながらも、髭の男に与えられ食料を急かされるかのように食べる。
「おい、そんなに急かして食ったら逆に吹き込むぞ。ゆっくり食え」
髭の男の言葉を受けた少年は、かき込むように食べることを止め、少しずつ食べ始める。すると、男は少年に話しかける。
「お前、この国の人間じゃないと言ってたが、大和の人間か? 国に知り合いはいないのか? 無理に何があったかまでは話さなくても大丈夫じゃからな」
少年は、髭の男の問いかけに対しては、首を振ることでそれぞれ答えた。それを確認した男は、さらに話し始める。
「それなら、これを食ったら、ワシについて来い。近くにある街に馬車を止めてあるから、行くところもなさそうじゃし、ワシの国にお前を連れて行くが問題はないか?」
少年は髭の男の言葉に頷いた。
「そうか。少しだけ歩かないといけないが、大丈夫か? 歩けないようなら、ワシが背中にお前を背負って歩くぐらいは出来るぞ。少し揺れるがの」
髭の男の言葉を受けた少年は、干したポテトを飲み込みつつ少し考え込むと、拙い言語で答えた。
「せおってください?」
少年が、たどたどしい言語でそう言うと、髭の男は、中央大陸西部で主に使われている言語を、少年が僅かながらも話せる事に驚きながらも、豪快に笑いながら答えた。
「ガハハハ。そんなに固くなるな。ほれ」
そう言うと、男は屈んで、少年が自らの背に乗れるように体制を取った。少年は、そのまま男の背中に乗った。
「よし、行くぞ。何、魔物なんぞはワシがまとめて吹っ飛ばしてやるわい」
大男はそう言うと、少年を背負ったまま立ち上がり走り始める。
大男が、少年を背負ったまま走ること10分近く経過した頃、二人は街の入り口に着いた。
「ここじゃ。ここにワシの仲間が居る馬車が止まっている」
髭の男がそう言うと、街の入り口に止まっている馬車を指差した。
「おじさん。ついていってもいいの?」
少年は、たどたどしい言語で髭の男に質ねる。男は今までの親しみやすい笑みを抑えて答えた。
「おう坊主。お前は行くところもないし、故郷の国にも、この国にも知り合いはいないのじゃろ? 言っておくが、この国に居続ければそのうち飢え死ぬぞ」
髭の男の言葉を受けた少年は、そのまま口を閉ざした。少年にも、男の言っていることが正しいと分かるからである。
「まったく。大和の人間は変なところ遠慮するのう。」
髭の男は、先程までの親しみやすい態度でそう言うと、馬車に乗っている軽鎧を着た若い女に声をかける。
「おいドリス。坊主を拾ったが、こいつもドルイドまで連れて帰るぞ」
男の言葉を受けたドリスと言う名前の女は、ぶっきらぼうな態度で答える。
「ハァ!? 何でガキが増えていんだよ。大体どこから攫ってきたってのよ!?」
ドリスは、髭の男を人攫いのように罵る。男は、顔を怒りで引きつらせながらも、冷静に答える。
「攫ってはおらんわい。ワシは、魔物に食い殺されかけた、行く宛のない異国の坊主を助けただけじゃわい。大体この坊主も了承しておるわい」
髭の男の言葉を受けたドリスは、呆気に取られたような顔をすると、少年に話しかける。
「お前行く宛が無いのかよ!? それに、異国ってことは、お前は今まで一人だったってことかい!?」
ドリスの言葉に少年は頷く。ドリスは呆れた様子で口を開く。
「異国ってことは、国を飛び出したってことかい……まあ、立ち話もアレだし、あんたも馬車に乗りな。フーゴも早く」
ドリスは、髭の男を名前で呼び、馬車に早く乗ることを促した。
「応。早く国に帰って浴びるほど酒が飲みたいわい。それと坊主、この指輪をやる。これを付けておけばワシらとも言語の違いを無視して話せるぞ。今までじゃと、大まかな意味しか通じてなかったじゃろう?」
馬車に乗り込んだフーゴは、ガハハと笑いながら腰のポーチから翻訳用の指輪を取り出し少年に渡した。少年が指輪を受け取ったことを確認すると。男は口を開いた。
「そういえば、ワシとそこのモンスターはさっき名前が出たと思うが、坊主の名前を聞くのを忘れておったわい。お前の名前はなんていうのだ?」
フーゴに名前を聞かれた少年は、一瞬固まったあとに、口を開いた。
「俺は、家族を魔物に殺された。神様にいっぱいお願いしたのに父さんを助けてくれなかった。その後も、近くの村に住んでいる人たちは同情するだけで、それ以上のことはしてくれなかった」
「俺は、国を飛び出したんだ。他の国ならそんな理不尽なことは無いと思ったから。だから、俺に名前はない。国を出た時に名前を捨てたのも当然だから……」
少年の言葉を聴き続けていた二人は、複雑そうな顔をしながら聞き続けた。少年の言葉を一通り聞いたフーゴは複雑そうな様子で口を開いた。
「つまりお前は【名無しと」でも言うのか?」
フーゴの問いに少年は頷いた。
「つまりお前は、国への思い入れは無いということじゃな?」
フーゴの二つ目の問いに少年は一瞬固まったが、答える。
「うん。魔物からも家族を助けてくれなかった国になんて、もう未練はない」
少年の答えを聞いたフーゴは口を開いた。
「ならワシがお前に名前をつけてやる。そうじゃのう……お前の黒い髪から取って【シュヴァルツ】というのはどうじゃ? ワシらの国の古い言語で【黒】を意味しておるんじゃ」
フーゴに名前を与えられた少年は、少し嬉しそうに口を開いた。
「俺に名前までくれるの?」
シュヴァルツと名付けられた少年の問いに、フーゴに満面の笑みで答える。それを見ていたドリスは、フーゴに話しかける。
「おいフーゴ。この坊主の扱い、それで良いって言うのかい!?」
ドリスは、フーゴを問い詰めるが、ほとんど気にする様子もなく一言だけ口を開いた。
「今は良い。仮にこれで何かしらの問題にぶつかっても、それはシュヴァルツの問題じゃ。何、いざという時には助言ぐらいはしてやるわい」
フーゴはそう言うと、動き始めた馬車に横たわった。それを見たドリスは、ため息を吐きながら、少年に話しかけた。
「おい坊主。最初に言っておくけど、アンタはこれから、自分の努力には見合わない結果しか手に入らないかもしれないし、何も報われないかもしれない、そんな生活を送ることになることだけは覚悟してな。アタシに言えることはそれだけだ」
シュヴァルツは、ドリスの言葉に込められた意味が分からない様子で首をかしげた。
「まあ、今は分からないだろうが、時期に分かる時が来るだろうさ。今は飯を食って寝ろ」
そう言ったドリスは、自らの食料の一部を少年に差し出した。シュヴァルツは一言「ありがとう」と言ってそのまま食料を受け取った。
シュヴァルツはフーゴに引き取られて最初の2ヶ月程に療養を行った後に、二人から冒険者になるための訓練を受けることになった。
「流石にワシらも無償でお前を世話出来るだけの余裕がなくてのう。悪いがワシらの仕事を手伝うか、孤児院に入るかの二つに一つじゃが、どうする?」
そう尋ねられたシュヴァルツは、悩むことなく頷いた。少年は、幼少期から親から教わっていたことに自身を持っていた。
(これなら俺も役に立てる)
シュヴァルツは、そんな思いでフーゴの提案を受けた。そんな少年が最初に受けることになった仕事は獣型の魔物を討伐する仕事だった。
シュヴァルツは、自らの体術の技量を見せつけようとしたが、肝心の魔物相手にはほとんど効力を示すことができなかった。
シュヴァルツにとっての理由はい簡単なことであった。
(電撃と身体強化の術式が使えない)
しかし、それがフーゴやドリスにとって関係があることではないことは直ぐに分かった。
「お前、体術の型を知っているだけで、実戦経験も武器を使った訓練も受けた事がないじゃろう?」
シュヴァルツには答えようながなかった。このまま見切りをつけられれば、誰ともしれない人間しかいない孤児院に行かされる。少年にとっては、それが堪らなく恐ろしいことであった。
「まあまあ待ちなよ。フーゴ。今まで武器を使った経験や、実戦経験がないって言うなら、アタシが教えるってのじゃダメかい? 幸い私の短剣術ぐらいなら教えられそうだしね」
ドリスがそう言うと、鞘に収めた短剣を手に持った状態でシュヴァルツに話しかける。
「お前、一年かけて死ぬ気でアタシの技術と生き残るための術の基本を体に叩き込むことになるけど、我慢出来るかい?」
シュヴァルツは戸惑うことなく頷いた。此処で自らの力を尽くさないと自分はダメになるような気がしたからだった。
「良い返事だね。おいフーゴ。あんたにも生き残る術を叩き込む方に関してはある程度は手伝ってもらうわよ」
それからのシュヴァルツも一年と数ヶ月は地獄そのものであった。朝起きれば、戦闘訓練から始まり、夜には寝る前の時間まで戦術や魔物の生体を頭に叩き込むだけの日々が続いた。この時、少年にとって食事と睡眠以外に心が休まる日はなかった。
「いいかいシュヴァルツ。戦場にあるものは、道端の石ころでも工夫次第で武器になる。ソレをよく頭に叩き込んで打ち込みな!」
ドリスはそう言いながら、身をよじる事によって敵の攻撃を回避したシュヴァルツの目に向けて足元に溜まっていた砂をかける。そして、目に入った砂を取ろうとした少年の顔面に拳を入れる。
「死にたくなかったら、敵から注意をそらすことなく、広い視野で素早く周りを観察しな。取り敢えず今日はここまでだよ」
ドリスはそう言うと、そのままフーゴが待っている家へと向かった。
しかし、鍛錬ばかりの生活も、決して無意味なものではなかった。最初に言われたとおりの投擲や敵の攻撃の捌き方等も含めた短剣術を始めとした、人間の手が及んでいない場所でどのようにして生き残るかについての方法、短剣術にも応用できる毒の使い方、それら生かすためのより高度な体術、及び格闘術を習得することが出来た。
そして現在では、少年はフーゴとドリスのサポートを行えるまでには成長することができた。
聖アルフ歴 1861年
「シュヴァルツ。右だ!」
森林にフーゴの怒声が響く。それに素早く反応した、黒塗りの軽鎧を纏ったシュヴァルツは、毒が塗られた短剣を、右に捕捉してある熊のような姿をした魔物に投げつける。
「グギャッ!!」
投擲した短剣は、元々全身に手傷を負っていた敵の喉元に刺さり、そのまま崩れ落ちた。
「おし、坊主! 遂に仕留めおったわ!」
フーゴは、自分のことのように喜びながら斧を天に掲げた。
「今日は良くやったぞ。だが気を抜くなよ」
フーゴは上機嫌な様子で森林に所々つけておいた傷を確認すると、街に帰るための支度を始めた。
「今回のお前はよくやったよ。私たちが教えていた、【この場にあるありとあらゆる物が武器になる】っている教えをよく守れてた」
ドリスは一言そう言うと、フーゴ後について行った。シュヴァルツも迷うことなくそのまま付いていった。
その日の夜、シュヴァルツは、自らの寝泊まりしている家の居間で酒を飲んでいるフーゴを見かけた。
「フーゴさん……またお酒ですか?」
シュヴァルツにそう尋ねられたフーゴは、上機嫌な様子で答える。
「応さ。今まで鍛えてた坊主が、やっと一端の戦士になんたんじゃからな。祝い酒を飲まずにはいられんわい」
その言葉を聞いたシュヴァルツは、心の中で(ほとんど毎日飲んでるじゃないか)と呆れながらも、ちょうどいい機会だと考え、今まで抱いていた疑問を訪ねる。
「そういえば、フーゴさんはどうして、あの時俺に名前をくれたんですか? 嫌なわけじゃないんですけど、どうしてもそこが気になって……」
シュヴァルツは、自らを引き取った髭の男を不快にさせまいと、咄嗟に言い訳がましい一言を付け加えてそう言った。それを聞いたフーゴは酒の飲むのを止め、口を開く。
「そうだな……まずワシは、ドワーフ族だってことは話してあったはずじゃろ?」
フーゴの言葉にシュヴァルツは頷く。それを確認した彼は髭を自慢げに撫でながら続ける。
「ワシは自分の種族と国に誇りもっておる。ワシは世界でも有数の武具を作る職人の国に、職人の種族として生まれたことが最大の喜びなんじゃ」
フーゴは、足元に置かれた斧を取り出してそう言った。その時の彼に様子は、少年から見ても何処か誇らしげなものであった。
「ワシは、ガキの時からずっと親にドワーフ族が様々な鉄や武器を鍛えて来たことを聞かされて育ってきた。だからワシは、ワシらの種族が鍛えてきた武器が、どこまで世界で通用するのかを知りたくて、何処にでも行けて、自由に戦える賞金稼ぎになったんじゃ」
誇らしげに語るフーゴの様子を見ていたシュヴァルツは、何処かズレを感じていた。しかし、それは彼の話がおかしいというようなことではなく、彼の話しているような先祖から伝わる誇りが自分には思い浮かばなかったことであった。
「坊主。ワシは、それぞれが所属している何かに誇りを持つべきだと考えとる。お前はあの時国に思い入れはないと言ったのう? それは何故じゃ?」
フーゴの突然の問いかけに、シュヴァルツは驚きながらも答える。
「いや……神様にお願いしても、俺の両親を助けてはくれなかったし、村の人は同情するだけで助けてくれなかったし……」
「お前は、神に祈りを請うだけで誰かが救われると思っておるのか? 他人が無条件で誰かを助けるとでも思っておるのか?」
フーゴの言葉を受けたシュヴァルツは、愕然とした。少年にとってそのことは、確かに一年間で実感できたことでもあった。
「それに、この世界で魔物に親を食い殺された人間がお前だけだとでも思っておるのか? はっきり言っておく。【この世界で最初に用意されている幸福の椅子は、全体よりも少ない】これは絶対の法則じゃ」
フーゴの言葉を受けたシュヴァルツは、どうしても譲れない一線を確認するかのように質ねる。
「それじゃあ、自分が幸福になるためなら他人を蹴落としてもいいの?」
シュヴァルツの問いかけに対して、フーゴは平然と答えた。
「ああ。自分や仲間を守るためならそうするのが当たり前じゃろうな。例えるなら、お前は、可愛そうだからといって魔物を見逃したりするのか?」
フーゴの言葉に驚愕したシュヴァルツは、首を横に振った。今にも気絶しそうな顔をした少年に、髭の男は話しかける。
「まあ、今はとにかく自分のことや生まれた国のことを、正しく知るべきじゃろうな。いい機会じゃし、街の図書館にでも行ってみろ」
それだけ言うと、フーゴは、今日は話すことはないと酒を飲み始めた。それを見たシュヴァルツは、自らの中のモヤモヤを噛み砕くように抑えながら寝室へと向かった。
シュヴァルツが、初めて魔物を仕留め、そして、フーゴと夜に話をした日から一週間が経過した。あの日から少年は、鍛錬や、二人の依頼を手伝う合間に、街の図書館に通うようになった。
「おいフーゴ。シュヴァルツに何吹き込んだ?」
ドリスは昼食のサンドイッチを頬張ると、何処か不機嫌そうにフーゴに向かってそう言った。
「おいおい。ワシは知識を集めることも大事じゃぞ、と教えただけじゃ。何をそんなに起こっておる」
フーゴは、ドリスの顔を見ながら続ける。
「さてはお主。初めて出来た弟子が自分から独立したのが我慢出来のんか?」
茶化すようにフーゴはそう言うと、ドリスは顔を赤くして怒鳴った。
「別にそんなんじゃねえよ! アタシはただアンタがアイツに何か余計なことでも言ったのかとでも思っただけで……」
顔を怒りで赤くしながら、滑舌が回りきっていない様子でそう言った。その言葉を受けたフーゴは、ニヤニヤ笑いながら答える。
「安心せい。何もお前が昔親を魔物に食われたことも、そこから一人で賞金稼ぎになったことも、短剣術も独学だということも一切言ってはおらんわい。まさかそのことで、あの坊主がお前に悪意を持つとでも思ったのか?」
フーゴは酔っ払いのようにペラペラと話し始める。それを聞いたドリスは、一度目を見開いたかと思うと、落ち着きを取り戻した様子で口を開く。
「そうだね。それに関して言えばアイツは信用できるし、お前のその様子だと、本当に言ってもなさそうだしね。今回のことは大目に見てやるよ」
ドリスは、今まで散々自らをおちょくった小柄な男を睨みながらそう言った。
「応さ。ワシはこう見えて口は堅い」
フーゴは、誇らしげにそう答えた。
「そこは威張るところじゃねえから。それにしても、アイツは何を調べてんだい?」
ドリスは、フーゴにシュヴァルツが図書館に通っている理由を尋ねる。
「何。今まであの大馬鹿者が自分だけが不幸だと思っておったのを、言葉で思い知らせてやった後で、自分で、自分の国のこととかを調べてみろと言っただけじゃ」
フーゴの言葉にドリスは少し驚いた顔をしながら答えた。
「アンタって、頭の中が筋肉だけじゃ無かったんだ」
ドリスはそう言うと、サンドイッチの最後の一口を食べた。
「失礼なやつじゃわい。ワシは粗悪な鉄を使っても、ワシらドワーフが鍛えた剣と切り結べる武器を作れるあの民族に興味があっただけじゃ。それがあんな風に自分の国や信仰、風土を愛せん腑抜けじゃとは思わんかったわい」
フーゴはやや不機嫌そうにそう言った。それを見たドリスは、淡々と答える。
「大和民族のことだね。確かにアイツ等が一度本気を出してやったことは大体物にしてるのは事実だけど、アイツもだろう?」
ドリスがそう言うと、フーゴは頷いた。
「確かにこの一年のあいつの技量の伸びは本物じゃし、筋もいい。だからこそ、ワシは最初に戦闘経験がないシュヴァルツがワシらを手助けするなんて自信満々じゃったことがどうしても疑問だったんじゃ。」
「それで調べてみれば、大和では、信仰心に基づいた独自の術式が発達しておるそうじゃ。何でも、術式ごとに彼の国の神々の名を冠しておるらしい」
フーゴの言葉を受けたドリスは、驚いた様子で口を開いた。
「あんたマジで脳味噌に筋肉以外のものも詰まってたのな」
フーゴは、ドリスの言葉を意に介してはいない様子で続ける。
「坊主に足りとらんのは、自らの故郷への思い入れじゃ。まあそれが強くなりすぎて、この国でそういう思想が暴走したりするのも問題じゃがの。実際にワシはあの国の信仰には賛同することは出来ないしな。多神教とやらは、ワシには合わん」
フーゴの言葉を聞いたドリスは、ここ数年組んでいた同業者の男が以外に博学であることに驚きながら口を開いた。
「アンタって本当は、とんでもない凝り性か何か? そりゃ前に賞金稼ぎやってなかったら鍛冶屋やるって言ってただけはあるか。そこまで一つのことに集中できるのはある意味才能だわ」
呆れるようにそう言うと、ドリスは一つの依頼書の写を取り出して話し始めた。
「本題に入るけど、アンタこの仕事にシュヴァルツを連れて行くわけ?」
依頼書の内容は、盗賊団の団員を確保、または全滅させることであった。
ドリスの言葉にフーゴは、「当然だ」と答えた。
「あんた正気!? あの子はまだ実戦経験が少なすぎるのが分かってないわけ!? そういう訳じゃ――」
「だったら何処でその実戦経験を付けるんじゃ? シュヴァルツは人間相手の模擬戦なら、むしろ経験は魔物相手の戦いよりは多いじゃろ」
フーゴの言葉を受けたドリスは、返す言葉もないのか、その場で黙り込んだ。
「幸い、この盗賊団は比較的小規模な連中じゃ。ワシら三人で何とかなる相手じゃわい。それにしてもドリス。お前は意外に心配性なのじゃな」
ドリスがフーゴの軽口に言い返そうとすると、家に本を抱えたシュヴァルツが帰ってきた。
「応。帰ってきたか」
フーゴは何時もの様子でそう言うと、シュヴァルツは口を開いた。
「ただいま二人共。フーゴさん。新しい仕事で、盗賊団を全滅させる話が入ってるって本当?」
シュヴァルツの問いかけに、ドリスは一瞬顔をしかめたが、すかさずフーゴが答えた。
「応さ。お前、最悪人殺しをやらなきゃならないが大丈夫か?」
フーゴは最後の確認をするかのようにそう訪ねた。それに対してシュヴァルツは首を縦に降った後に答えた。
「うん、大丈夫。俺は今まで甘え過ぎていたんだっていのも良く分かったし、それに……」
シュヴァルツは、二人がギリギリで聞き取れない速度で何かをつぶやくと、手から電撃は迸った。
「俺は、もう後悔したくない。ただ祈るだけじゃなくて自分の力で前に進みたいんだ」
少年が今までにないような力強さでそう言うと、フーゴは満足げに笑いながら口を開いた。
「ガハハハハ。まさかここまで成長するとは思わなかったわい。仕事には明後日には出掛けるから、それまでにきちんと支度しておけよ」
フーゴの言葉を受けた少年は、今までに無い程の自信が自らの内から湧き上がってくるのを感じていた。
「おいシュヴァルツ。本当にアンタそれでいいわけ!?」
ドリスは詰め寄るようにそう言った。シュヴァルツは今までのような、何処か切羽詰ったような様子ではなく、余裕のあるような様子で答える。
「ドリスさん、俺は大丈夫。それに此処で逃げたら本当に死んだ父さんと母さんに顔向けできないんだ」
決意が込められた少年の言葉を受けたドリスは、最早止めても無理であると理解したかのように、シュヴァルツに話しかける。
「だったら、死ぬなよ」
ドリスも、何かが吹っ切れた様子で簡潔にそう言った。それに少年は、頷くことによって答えた。
それから三日経過した敵の盗賊団のアジトでは、接戦が繰り広げられていた。
「っち。この男やりよるわい」
フーゴは手に持った斧を弾き返されながら呟く。盗賊団の頭領と思われる男は、湾曲した刀身を持つシミターを素早い身のこなしで使いながら、応戦する。
「シュヴァルツ。構成員は残り何人だい!?」
フーゴが戦っているやや後方では、ドリスが敵を麻痺毒が塗られた短剣で切り裂きながら、同じように似た戦術で戦う少年に問いかける。
「あと二人!」
少年は、両手に装備した新品の黒いダガーに雷を付加した状態で敵に応戦しながら答える。
「そうかい……だったら、アイツ今押されてるから、ここはアタシに任せてフーゴのサポートを頼む」
シュヴァルツは、ドリスのオーダーに頷くと、そのまま雷の身体活性の特性を生かした跳躍で素早くフーゴの元へと向かおうとした。
その時、盗賊の頭領が手に持っているシミターに炎が灯ったと思った次の瞬間フーゴを斧ごと溶かすように切り裂いた。
「やるじゃねえか、ドワーフのおっさん。俺に魔法剣まで使わせるなんてな」
その光景を見ていたシュヴァルツは、怒りにかられながら、ダガーを盗賊の頭領へと振り下ろした。
「っち。怒りに駆られた剣で俺とやり合おうってか?」
盗賊の頭領は、フーゴにやられた左手を庇いながらも応戦する。シュヴァルツも数合打ち合い続けるごとに、冷静さを取り戻し、頭領の左手が今にもちぎれそうなことになっていることに気づいたのか、左側に回り込みながら攻撃を行おうとする。
「ほう。少しは頭も回るわけか? だが坊主。お前に大義名分は有るのか?」
頭領はそう言うと、シミターを変則的な機動で振りかざす。今までシュヴァルツと斬り合っていた時とは違う、フーゴと戦った時の本気の剣筋である。
「何!?」
シュヴァルツは僅かに動揺しながらも答える。少年の同様に気がついた頭領は、平然とシミターを振りかざしながら答える。
「何。俺らはこのドベルドって国に嫌気がさしただけの話しさ。貧乏人を助けちゃくれねえしな」
頭領が話を続けようとしていると、盗賊団の団員を相手しているドリスがシュヴァルツに声を上げた。
「聞くなシュヴァルツ!! そいつの言ってるのは――」
ドリスが全て言い切る前に盗賊団の団員の一人がドリスの右肩を剣で切り裂いた。シュヴァルツがそれに気を取られた次の瞬間、頭領は、素早く少年の腹に蹴りを入れた。
「よそ見は禁物だぜ、坊主」
シュヴァルツは、頭領の蹴りによって壁まで弾き飛ばされた。壁に激突した衝撃の影響からか、壁に寄りかかったまま立ち上がる事ができなかった。
「俺が言ったことは、俺の主観からすれば、本当のことの訳だが……まあ、運が悪かったと思ってくれ」
そう言った頭領は、シュヴァルツにシミターをふり下ろそうとした。
(ダガーは、アイツの後ろに落ちている。だったら……)
頭領がシミターをふり下ろそうとしたその時、突然棟梁の後ろに落ちていた筈のダガーが、シュヴァルツの方へ、敵の足首を切り裂きながら向かった。
「何!?」
足の筋を切られ頭領が怯んだ次の瞬間、シュヴァルツは自らの手に戻って来たダガーを敵の左胸に突き立てた。その一撃は、軽量な鎧を簡単に貫いた。
「ゴフ。小僧、貴様……」
立ち上がったシュヴァルツは、そのまま物を言わない死体となった相手を見下ろしながら一言だけつぶやいた。
「さっきまでダガーに付与していた雷を磁力として利用して引き寄せただけだよ」
少年は特別な感慨は無いとでも言いたげ様子で、ドリスと戦っていた最後の一人にダガーを投げつけた。
盗賊団との戦いから、一週間が経過した。
「ドリスさん。フーゴさんは……」
シュヴァルツは、暗い顔で右手を吊ったドリスに尋ねた。
「やっぱりダメだったよ……傷が深すぎたらしい」
ドリスは淡々とそう述べたあとに、少年に尋ねる。
「アンタはこれからも冒険者を続けるのかい? 戦いで死ぬかもしれないんだよ?」
明らかに心配していることを隠せていない様子で、ドリスはそう言った。少年は苦笑いしながら答える。
「はい。俺が此処でやめてもただ逃げるだけのことになるだけだと思いますから。それに、今まで調べてきた事を活かすには、冒険者を続けるしかないんです」
シュヴァルツがそう言うと、図書館借りてきたであろう本を取り出しドリスに見せる。
「これ全部、大和皇国の歴史書や、術式の記録が書かれた本ばかりじゃないか? あんたこの本だけで独学で磁力変化の魔術まで使えるようになったてのかい?」
ドリスの問いに少年は頷いた。
「俺はこれからも、今まで自分の先祖が培ってきた技術を活かしていきたいと思うんです。フーゴさんがやって来たみたいに」
シュヴァルツの言葉を受けたドリスは、口を開く
「もう私には教えられることが無いってことだね……アタシも右手がもう使えないとなると、賞金稼ぎを続けられないってことだしね」
ドリスは、自らの包帯で吊るされた右手を見ながらそう言った。彼女の右手を注視した少年は口を開く。
「右手はもう使えないの?」
シュヴァルツの言葉を受けたドリスは、何処か寂しげに答える。
「ああ。リハビリすれば、日常生活には問題ないそうだが、戦闘は無理らしい」
ドリスの言葉受けたシュヴァルツは、自らの無力感を噛み締めるような顔をした。
「そう怖い顔すんな。フーゴも言ってたけど、自分が後悔しないようにやって行きな。アタシにとっては不本意だけど、アンタはこれから一人でやっていかなきゃ行けないんだからな」
ドリスの言葉を受けたシュヴァルツは、覚悟を決めたかのように無言で頷いた。
少年にとってもこれからが本当の覚悟が必要な時であることは明確であり、そして、二人の恩師から巣立った今こそが少年自身の新たな物語の始まりであった。
続く
どうもドルジです。
この作品は、一年近く前に書いた、Ephemeral Illusion内にある受け継がれし魂の前日譚に相当します。
後編の方は、9月中に書きかあげたいと考えています。




