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ポイント還元のための遠回り

ポイント還元のための遠回り


 地図に色がつく前、道は一本だった。

 今は違う。スマホの画面で、街は**赤(高還元)と青(低還元)に染まる。交差点に差しかかるたび、数値がわずかに変わる。

 ぼく——真中は、赤を縫い、青を避ける。通勤は最短ではない。+1%**の店が並ぶ通りへ、二駅先で降り、ひとつ手前の路地を曲がる。


 朝のルーティンは決まっている。出勤の途中、還元1.2%のベーカリーでパンを一つ。支払いはアプリ「PointPath」。表示される花火は小さく、音は鳴らない。

「賢い選択!」のバナーが跳ねる。+6pt。

 ついでに、角のドラッグストアで**¥9,999**に端数を合わせる。ティッシュ一箱が余計だが、端数ボーナス+0.3%が付く。

 駅に戻る途中、週初ボーナスのポスターが目に入る。“午前九時まで+0.5%”。時計は8:54。足が速くなる。改札を抜けると、8:59のスタンプが画面に残った。

 達成の火花が二度、散った。財布は少し厚く、時間は薄くなった。


PointPath/達成ログ(抜粋)

08:41 Morning Bread(還元1.2%)……+6pt

08:52 Dr.Log(端数一致)……+0.3%

08:59 週初ボーナス駆け込み成功……+5pt

09:28 Officeコーヒー(青0.5%)回避……+0pt(賢明!)

本日の推定純益:+¥93/移動余分時間:+17分


 会社の席に着くと、隣の席が空いている。木田は最短経路で来る。出社時間はいつも定刻の十分前。

「おはよう」

「おはよう」

 彼は弁当箱を鞄から出し、机に置く。銀色の蓋はきれいだ。

「また遠回りか」

「ついでだ」

「ついでにしては、歩数が多いみたいだ」

「健康にいい」

 彼は頷かない。頷くと議論が先に進むから、頷かないのだろう。

 昼、部署の掲示板に通知が貼られた。


総務部からのお知らせ

件名:最短経路手当の導入について

■背景

・従業員の移動コスト増加および労働時間の分散傾向が観測されました。

■手当概要

・通勤ルートが最短経路(アプリ認定)の場合、月額¥1,000を支給。

・寄り道・途中下車・遠回り最適化の利用は対象外です。

■適用

・翌月分より自動判定。提出不要。


 昼休み、スマホを伏せて弁当を開く。大葉の上に唐揚げが三つ。唐揚げはポイントに換えられない。換えられないものは、皿の上で静かだ。

 午後、統計局の速報が社内チャンネルに流れた。


統計局リリース 速報

件名:ポイント追随行動の家計影響(中間報告)

・移動費:+23%

・余暇時間:−11%

・睡眠:−6%

・平均純差益:負(差額<付帯コスト)

・ただしアプリ内達成感指数は過去最高

 (注)同所得層比較、n=12,000、偏りあり。


 木田がタブを回して見せる。

「な」

「サンプルに偏りがある」

「偏りがなくても、似たようなもんだ」

 彼は蓋を閉め、立ち上がる。

「夕方、最短で帰る。手当をもらう」

「おめでとう」

 ぼくは笑ったつもりで、口角が動かなかった。


 アプリは夕方に遠回り最適化の提案を出した。

「同時間で達成×1.2」

 図示されたループ経路は、駅のひとつ手前で降り、スーパーの1.5%を踏んでから戻るというものだった。

 ぼくは承認した。

 電車の中で、最短経路手当の条件が頭の中で数字に変わる。¥1,000の手当を逃す代わりに、今夜の遠回りで+¥74を拾う。差は**¥926**。

 差は大きい。けれど、画面の中には祝福の火花が散る。火花は差額を埋めないが、埋めたように見せる。


 帰宅すると、母からメッセージが届いていた。

「今度の土曜、父の薬を取りに行く。ドラッグストアのポイント5倍の日を教えて」

 ぼくは地図を開く。候補は三つ。駅から七分の店(1.0%)、駅前の店(0.5%だが倍デー)、離れた商店街の店(1.5%+クーポン)。

「商店街の店が一番」

「遠い?」

「少し」

「少し、ね」

 “少し”は、ぼくの辞書と母の辞書で厚みが違う。


 土曜、母は遠い店に行く気配を見せなかった。駅前の店で薬を受け取り、レシートの裏に**「次回以降の割引券」**が印刷されていると喜んだ。

「還元は?」

「よく分からない」

 分からなさは、生活の重みを軽くする。ぼくは分かっている。分かっていると、重くなる。


 翌週、アプリのUIが更新された。履歴カードが金色に縁取られ、過去の達成が立体化される。スクロールすると、バッジが音もなく回転する。

 画面が豊かになるほど、部屋は変わらない。冷蔵庫の野菜室は空に近い。

 冷蔵庫の前で、画面を閉じる。

 閉じた後にも、火花は残像で見える気がした。


 日曜の夜、統計局の続報が出た。


統計局リリース 追補

件名:ポイント追随行動の健康関連指標

・歩行距離:+32%(ただし夜間偏重)

・食事バランス:偏り傾向(端数合わせによる少額買い多発)

・交友時間:−9%

・総合主観満足:アプリ内>生活実感

結論:差額以上に失っている可能性。ただし、アプリ内体験が補償的に働く。


 社内チャットは静かだ。皆、見て見ぬふりを覚える。

 木田が画面を覗き込み、小さく笑った。

「アプリ内体験か。いい日本語だ」

「便利だ」

「便利だな」

 便利は、真実より強いことがある。


 ぼくは、それからさらに遠回りを重ねた。

 ある夜、遠回り最適化が次の提案を出す。

「同時間で達成×1.8(上級)」

 図は複雑だ。二駅先で降り、別の路線に乗り、駅ビルを縦断してから地上へ。“ループ内ループ”と名付けられている。

 承認すると、足の向きが自然に反転する。

 歩きながら、ぼくは、小さな違和感に気づく。

 目的地は、どこだったか。

 家か、バッジか。

 靴ひもが緩んでいた。結び直す間に、週末ブーストの時刻が過ぎる。

 アプリは別の火花を用意してくれる。「惜しい! 次は間に合う」

 惜しさを褒めるUIは、よく出来ている。


 翌朝、会社で新しい通知が出る。

“最短経路手当の増額(¥1,500)”。

 ぼくの画面は、同時に別の通知を重ねる。

“ループ内ループ・エキスパート解禁!”

 数字は互いに視線を合わせない。合わせると、片方が消える。


 夕方、母から電話があった。

「最近、帰りが遅いね」

「遠回りしている」

「危なくないの」

「危なくない」

「それならいい」

 母のそれならいいは、広い。ぼくのそれならいいは、狭い。

 通話が切れると、PointPathのバナーがまた跳ねた。「家族割引のご案内」。家族を招待すると、一時的に**+0.2%**されるという。

 招待すべきか。

 招待しないほうが、いいのかもしれない。

 考える前に、次の赤い道が目に入る。考えは後回しで、脚が先に進む。


 ある木曜、社食で木田と向かい合った。

「今夜、飲みに行かない?」

「遠回りが」

「最短で来れば、¥1,500だ」

「それより、達成が」

「達成を、飲み会に使えないのか」

「使えない」

 彼は箸を置き、溜息をひとつ落とした。

「得するために、なにかを捨てるのは分かる。だけど、得そのもののために捨ててないか?」

「履歴が増える」

「履歴は財布じゃない」

 言い切りは、たいてい正しい。正しいことは、耳に残りにくい。


 夜、眠りが浅い。枕元で、達成カードが回転する幻を見た。金色の縁取りは厚く、角は光り、中央には**“巡礼30日”の文字。

 目を開けると、天井の隅に影があり、時計は2:14を示していた。

 スマホに手を伸ばすと、画面が勝手に点いた。「深夜の遠回りは非推奨」**とやさしく言った。

 やさしさは、眠りを連れてこない。


 金曜の午後、統計局が最終報告を出すという噂が流れた。

 画面を注視しながら、ぼくは遠回り最適化の新しい提案を読んでいた。

「同時間で達成×2.0(期間限定)」

 大きすぎる。

 いいのか。

 考えている間に、画面の端に別の通知が滑り込む。


統計局リリース(確定版)

件名:ポイント追随行動の総合評価

・交通費・時間・睡眠・交友・健康指標の総合純損が確認されました。

・純差益が正の層も存在しますが、少数です。

・アプリ内達成感は、現実の損失を必ずしも補填しません。

・ただし、達成履歴による自己効力感は上昇傾向。

結語:差額以上に失っているのに、満足の指標だけは伸びる人がいます。


 木田からメッセージ。

「見た?」

「見た」

「どうする」

「遠回りする」

 彼はそれ以上、何も送ってこなかった。


 その夜、ループは予定どおり進み、バッジは約束どおり輝いた。

 途中、雨が降った。傘は持っていない。商店街のアーケードで雨宿りをしながら、ぼくは古いレコード店のシャッターを眺めた。閉まっている。

 店の前に置きっぱなしの立て看板には、薄く色が残っていた。

「ポイントは付きません。現金のみ」

 字はかすれている。

 かすれた字は、読みやすい。

 読みやすいが、動かない。


 翌日、スマホのPointPathに新着があった。「遠回り最適化・無期限化」。期間限定のはずが、お客さまの支持により、常設になった。

 常設は、安心を生む。

 安心は、選択を鈍らせる。

 鈍った選択も、画面の上では鮮やかだ。


 日曜の午後、母を駅まで迎えに行った。

「今日は最短で来たよ」

「手当は出る」

「手当?」

「会社の話だ」

「会社の話はいい。あんた、最近、家に早く来ない」

「得がある」

「得より、帰宅して」

 母の言葉は古い。古い言葉は、しばしば新しい。

 ぼくは頷いた。

 頷きは、良い返答に見える。内容は変わらない。


 月曜、終端の通知が来た。

「巡礼90日・マスター達成」

 画面に金の王冠が浮かび、粒子が飛んだ。

 その粒子は、机の上に落ちない。

 財布の中にも落ちない。

 落ちる場所は、スクリーンの内側だけだ。


 昼、木田がぼくの席に来た。

「うちの部署、来月から残業アラートが厳しくなる。遠回りは控えたほうがいい」

「控える」

「ほんとに?」

「ほんとに」

 ぼくはほんとにと言った。

 帰り道、ぼくはアプリを開き、**遠回り最適化(上級)**を承認した。

 承認ボタンの角は丸く、押し心地はよかった。


 夜風は冷たく、アスファルトは乾いていた。

 「遠回りは危険ではない」とアプリは言う。

 危険ではない。

 ただ、長い。

 長い時間は、短い言い訳で消える。

 ぼくは歩き続け、駅を一つ過ぎ、次の駅で降りた。

 黄色いスタンプが画面に増え、達成の文字が重なった。


 家に着くと、テーブルに郵便物があった。統計局のパンフレット。

「最短がもたらす余白」

 ページをめくる。写真が多い。人が笑い、家に灯りがともる。

 パンフレットの紙は分厚く、無料だった。

 紙の分厚さは、信頼の厚さに似ている。似ているだけだ。


 週の半ば、PointPathが履歴の新レイアウトを配信した。

 画面を開くと、金色のカードが束になって現れる。“巡礼90日”、“端数パーフェクト”、“遠回りマイスター”。

 指先で弾くと、カードがくるりと回転し、拍手の絵文字が飛ぶ。

 拍手は音がしない。

 静かな拍手は、静かなままだ。


 その晩、統計局の確定値がニュースに出た。


統計局・確定値(最終)

・還元追随者の平均純損:−¥1,340/月

・うち時間換算損(最低賃金ベース):−¥3,980/月

・睡眠負債:平均36分/日

・アプリ内達成感指数:過去最高

コメント:「達成履歴が、現実の可処分資源に置き換わることはない」


 木田から短いメッセージが来た。

「飯。最短で来い」

 ぼくは最短を検索し、最短を眺め、遠回り最適化(上級)を承認した。

 店に着くと、彼はすでに座っていた。

「遅い」

「達成が」

「達成で腹はふくらまない」

 ぼくは水を飲んだ。冷たかった。

 彼は話を変え、野球の話をした。

 ぼくは相槌を打ち、画面の裏で達成ログが回転しているのを横目で見た。


 帰宅時、アプリの**「達成まとめ」**が届いた。


PointPath/本日のまとめ

・巡礼ルート成功……+22pt

・端数一致……+0.3%

・遠回り最適化(上級)……達成×2.0

・本日の純損:+¥0(推定)

・達成:+∞(演出)

いつもありがとうございます。あなたの選択は、履歴に残ります。


 画面の下で、数字が静かに並ぶ。**+∞(演出)**という表示は、見慣れても意味がない。

 意味がなくても、気持ちは動く。

 動いた気持ちは、次の承認を押す。

 指は軽く、ボタンは柔らかい。


 金曜日、母から短いメッセージ。

「体調どう?」

「普通」

「今度の土曜、うちに来ない?」

「遠回りが」

 送信前に、ひと呼吸置いた。

「行く」

 送信ボタンを押す。

 すぐに、PointPathが知らせを落とした。「家族訪問ルート:最短で+バッジ」

 最短にも、バッジが用意されたらしい。

 あるいは、ぼくらが用意させたのかもしれない。


 土曜、最短で向かう。

 足取りが軽い。

 電車は一本、見送らない。

 赤い駅を素通りするのは、不自然で、自然だった。

 玄関の扉が開き、母の顔が少し驚いた。

「早いね」

「最短で来た」

 彼女は笑った。

 その笑顔は、還元率で色が変わらない。

 昼の味噌汁はしょっぱく、米は少し硬かった。

 硬さは、画面に残らない。


 帰り道、PointPathが慎重に質問してくる。

「本日の最短移動、満足度はいかがでしたか」

 ぼくは指を止め、星を三つつけた。

 即座に、次の提案が来る。

「最短経路×小さな寄り道(+0.5%)はいかがでしょう」

 小さなは、アプリの辞書で自由な形容だ。

 ぼくは画面を閉じた。閉じると、火花は消える。

 消えた火花の残像が、目の奥に残る。


 夜、ベッドに横たわる。

 遠回りの地図が、瞼の裏に広がる。

 赤い点、青い線、金色のカード。

 金色が増えるほど、部屋は暗い。

 暗さの中で、画面のない時間がゆっくり流れる。

 流れの中に、得も達成も、浮かばない。


 翌日、日曜の夕方、統計局の読み物がアップされた。

「最短で余った三十分でできる十のこと」

 十の項目の中に、「家族に電話」「風呂を長く」「街をただ歩く」があった。

 歩く、は遠回りと似ている。似ているが、違う。

 遠回りは得のために曲がる。

 歩くは時間のために曲がる。


 月曜。

 PointPathは静かにしている。

 ぼくは会社へ向かう。

 駅で、木田に会う。

「きのう、何してた」

「最短」

「どうだった」

「早かった」

「それは良かった」

 会話は短く、駅の表示板は正確に遅延を示す。

 正確さは、誰の味方でもない。


 昼、画面に新しいバナーが現れた。

「あなたにおすすめの遠回り(控えめ)」

 控えめ、という言葉に笑ってしまう。

 笑いは、達成に換算されない。

 ぼくはバナーを押さず、ブラウザを開いた。

 統計局のサイトで、確定報告をもう一度読む。

「達成履歴が、現実の可処分資源に置き換わることはない」

 読み終えると、指先が少し重くなった。

 その重さも、履歴に残らない。


 夕方、PointPathがささやく。

「本日の達成が少ないようです」

 少ない、という言葉には、癖がある。

 足りないと言われると、埋めたくなる。

 ぼくはポケットの中で拳を握り、**遠回り最適化(初級)**を選ぶ。

 初級は、優しい顔で迎えてくれる。

 優しい画面は、背中を押す。


 帰り着いた玄関で、電池の残量が**9%**になっているのに気づいた。

 残量の赤は、還元の赤と違う。

 充電器を差し、ソファに沈み、画面を上に向けたまま目を閉じる。

 昼間の唐揚げの匂いが、まだ指に残っている。

 指は、今日もたくさん承認した。


 翌朝、アプリは新しいモードを告げた。

「遠回りダイエット:歩数×達成」

 歩数が増えるほど達成が加算される。健康にも良い。

 健康、という言葉は強い。

 強い言葉は、弱い言葉を押しのける。

 ぼくは承認した。

 歩数は増え、達成は増え、睡眠は減る。

 睡眠が減っても、達成は金色だ。


 季節が一つ、変わった。

 PointPathの履歴は、厚くなった。

 財布は、薄くなった。

 統計は、確定した。

 会社の最短経路手当は、定着した。

 ぼくは、ときどき最短で帰り、ときどき遠回りをした。

 選択は混ざり、結果は混ざらなかった。


 ある雨の夜、駅のベンチで、スマホが震えた。

「巡礼180日・レジェンド達成」

 画面には王冠が二つ、粒子が倍。

 雨粒が、画面の上に丸い輪を作る。

 木田からメッセージが来た。

「今、どこ」

「駅」

「最短?」

「遠回り」

「わかった」

 その後、彼は何も言わなかった。

 雨は強くなり、遠回りは濡れ、達成は乾いていた。


 家に着くと、机の上にPointPathカードの更新案内があった。

「プレミアム(年会費¥3,000)」

 年会費で、達成の演出が豪華になる。

 豪華さは、重量ではない。

 ぼくは申込用紙を破り、捨てた。

 破ったことは、履歴に残らない。


 週末、母に会い、言われた。

「小さくてもいいから、現金で、何か買いな」

「何を」

「お前が好きなもの」

 好き、は還元率が低い言葉だ。

 低い言葉は、長く効く。

 帰り道、現金のみの小さな和菓子屋で、羊羹を一本買った。

 レシートは薄く、指に糖がついた。

 糖は二時間で消えた。

 レシートは翌朝、丸めて捨てた。


 月曜の朝、目覚ましが鳴る前に目が覚めた。

 PointPathは、静かだった。

 通知の白い帯が、一瞬だけ覗き、消えた。

 消えた後に、考えが残る。

 考えは、画面に保存できない。

 保存できないものは、すぐに薄くなる。


 通勤路、赤い道と青い道が交差する角で立ち止まる。

 最短の矢印が左、遠回りの矢印が右。

 ぼくは左を向き、右を見て、前を見て、下を見た。

 靴底のゴムが減っている。

 減りは、還元されない。

 左に足を出す。

 出した足は、まっすぐ進む。

 PointPathのアイコンが、小さく揺れた。


 会社で、木田がコーヒーを二つ置いた。

「今日は、最短?」

「最短」

「いいじゃないか」

 カップは紙で、温度は手に伝わる。

 手の温度も、履歴には残らない。


 夕方、PointPathが最後の通知を送ってきた。

 白地に黒字、装飾なし。

 ぼくは椅子の背に寄りかかり、深呼吸し、拡大した。

 通知は、簡潔だった。

 いつもどおり、親切だった。

 親切は、現実を変えない。


 通知を読み終え、ぼくはスマホを伏せた。

 外は晴れている。

 横断歩道の白は均等で、信号は予定どおりに変わる。

 歩き出す。

 歩きながら、ぼくは、今日の履歴を思い出す。

 火花は、静かだ。

 金色の縁取りは、厚い。

 厚いものは、重くない。


 統計は確定した。

 会社の手当は増えない。

 アプリの花火は、よく上がる。

 ぼくは、知っている。

 知っていて、歩く。


 差額は失った。履歴だけが、人生で一番リッチだった。

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