第2話 本物の人食い鬼の子が、その本性を現した日 1
季節は六月、大雨の夕方だった。
チャイムの音が聞こえた気がして、一羽は、キッチンから飛び出した。
その日は休日で、新しく雇った使用妖怪たちは、執事から下働きまで皆いなかったからだ。
「もうっ!夕飯の支度で忙しい時間に、一体誰⁉」
急いで玄関の戸を開けて、一羽は吃驚した。
「傘はどうしたの⁉ずぶ濡れじゃない!何があったの、七羽!」
言い掛けて止めたのは、弟の腕の中で、のそりと何かが動いたからだ。
「人間の男の子じゃない!!!」
炎の宮家の長女の大絶叫に、いちはやく反応したのは、三羽と四羽だ。
双子は、興味津々で部屋から飛び出て来た。
「なになに、人間?」
三羽が、うきうきした調子で問うと、四羽が、眉をひそめた。
「下界で拾って来たのか?」
「なあに~?騒々しい~」
双子に続いて、間延びした声を出しながら、次女の二羽が、階段をゆっくりと降りてきた。
「お夕飯、もう出来た~?」
「あ、二姉、七羽が、人間、連れて来たよ」
三羽が、呑気に答えると、四羽は、肩をすくめて言った。
「男の子らしい」
「え~、道端に落っこちてたの~?」
「三羽!笑うのは止めなさい!」
一羽は、面白がる弟を叱り飛ばして、七羽に向き直った。
「話は後で聞きます!とにもかくにも、バスルームに運びなさい」
七羽は、男の子を抱き抱えたまま、水滴をボタボタ廊下に落としながら直行した。
「はあ……頭が痛いわ」
溜息をつく一羽の後ろで、双子が、ひそひそ喋った。
「ねえ、四羽、いいのかな。男の子なのに」
「??何がだよ」
「最近、下界に多いよね、チャイルドハンター。男の子も狙うらしいよ」
「あんなのと一緒にしてやるな。気がしれない連中だ。頭が沸いてる」
「抵抗できない子供を慰みにするんだって!ちょうど、バスルームだよ。大丈夫かな?」
「だ・か・ら!あんな捕食者どもと一緒にしてやるな!狂った奴らだ。味噌と糞の分別もつかなくらいクソなんだよ!」
弟たちの遣やり取りを聞くうちに、一羽は心配になった。
(七羽に限って、それはないわ。ええ、ないわ、きっと、絶対)
一羽は、血相を変えてバスルームまで飛んで行った。
「あーあ、お姉さまったら、休日も苦労が絶えないわね~お腹すいた~」
二羽は、ふわああと欠伸をして、キッチンへ向かった。
夕飯の支度は、これからで、まだ何も用意されていなかった。
「何の騒ぎ?二羽ちゃん」
六羽が、顔だけ姉に向けた。
四男坊は、朝からずっとシンクの汚れと戦っている。
騒ぎをスルーしたのも、その為だ。
「あー、なんか、七羽がね、捨て子を持ち帰ったの~って、うん?それ何?また実験してたの?」
二羽が、呆れ顔で、パウンドケーキを一切れ手に持った。
炎の宮家のオープンキッチン、その真ん中に大理石で作られた長い台がある。
その上には、必ず《開発スイーツ》が並んでいた。
「お父さまにバレたら、どうするの?ただじゃ済まないわよ」
六羽が手を止め、二羽に向き直った。
「あたしは、平気。背徳行為って、わくわくするでしょう?」
「むっちゃん……」
いつの間に、こんなに背が伸びたのだろう、ガタイも見違えるほど良くなった。
二羽が、綺麗な二重瞼を細めて、赤い菓子に手を伸ばした。
「ほんと、本物の記憶タルトそっくり。苺の匂いまでする」
「でしょう?売り付けるには、もってこいよ。私欲を愛する人間どもにね」
真っ白い歯を見せて、六羽が、無邪気に笑う。
「むっちゃん、屋敷を出るの?」
二羽は、うすうす感づいていた。
六羽が、誰と繋がっているのか。けれど、見過ごしてきた、これまでは。
「あいつに付くつもりなら、私は、あなたを捕まえる。下界の裏切り者として」
保持妖怪は、人間の記憶を食する妖怪だ。偽記憶の製造は、禁じられている。
下界でいうところの、偽札厳禁だ。
「無理でしょう?二羽ちゃんには。だって、あたし達に、違法行為を伝授したのは、二羽ちゃんだもの」
六羽が、にこにこすると、二羽が声を荒げた。
「任務に役立つと考えたからよ!むっちゃんが、あっち側に回るなんて、思いも寄らなかったの!」
「思いも寄らなかった?そうだろうね。あんたは、偽スイーツより甘いんだよ!」
ハート形のエプロンが、六羽の肩から滑り落ちた瞬間、剣先が二羽の首筋を掠めていた。
正面からの斬り込みだった。
二羽の長く美しかった黒髪を、六羽は、バッサリ切り落としたのだ。
「俺はもう、あんたの可愛い義弟じゃない。あんたの、おままごとに付き合って、義妹役を演じるオカマじゃねえよ!」
二羽の顔から血の気が引いて、唇まで真っ白になった。
「本気で信じてたのかよ。俺が、女でいたいわけないだろ?俺は、本物の人食い鬼の子だ。この黒髪も、当の昔から、ヅラだよ!」
むしり取ったおさげの下には、切り揃えられた赤い短髪があった。
二羽が、それを見たのは、いつぶりだろう。
『あたし、ふたばちゃんと、おんなじがいい!』
何日もねだられて、根負けした二羽が、弟の髪を黒く染めた。
それ以来ずっと、二羽が、染め直していたのだ。
十四を過ぎると、二羽が、どんなに「お姉ちゃんが染めてあげる」と言っても、嫌がられた。当初と逆になったが、それでもずっと、六羽は黒髪だった。
「いつ、人食い鬼の子だって知ったの?」
二羽の瞳は、悲しみに溢れていた。
「十四の時だよ。あの方が、教えてくれた。あの方は、実妹が欲しい。でも、俺は、義姉が欲しい。一生、大事に飼ってやるよ。約束する」
二羽は、ぞっとした。六羽の鳶色の瞳から、狂気が迸っていた。
獲物を食い殺す獣の目だ。
「むっちゃん」
下界処理班・第二班の機敏な戦闘員である二羽が、金縛りにあったかのように動けなかった。
鋭い切っ先が、二羽の右足に触れた。
「俺が欲しいのは、その鋭利な頭脳だ。人食い鬼の子だと聞いて嬉しかったよ。あんたは、実姉じゃない」
二羽の両目から、大粒の涙が、とめどなく零れ落ちた。
「あれっ?泣くほど嬉しい?じゃあ、両手も奪ってあげるよ、いらないから」
薄く笑った六羽の顔が、狂気のほどを物語っている。
生粋の人食い鬼の血は、とっくの昔に覚醒していたのだ。
(私が、違法行為を伝授したせいで、血が目覚めたんだわ。私が、この子を………)
二羽が目を閉じた瞬間、肌に触れる切っ先が消えた。
そして、壁にぶち当たる金属音が、だだっ広いキッチンに響いた。
(え?)
二羽が目を開けると、涙でぼやけた視界に入ったのは、二つの光だった。
煌めく大太刀が、二羽を庇っていた。
「ったく、勘弁してくれ。姉弟もんのドラマより質が悪い」
「お兄ちゃん差し置いて口説くのは、よくないと思うよ?」
「欲するほど良い女なのは間違いないけどな」
「二姉は、ほんと最高に可愛いからね。でも」
三羽と四羽が、剣先を真っすぐ向けて、異口同音に怒りを飛ばした。
「大事な姉を泣かすなよ!!」
薙ぎ払われた打刀を、六羽は、無言で壁から引き抜いた。
本家の名刀、陣時雨咲、刃の長さは、自由自在だ。
かつて、浮雲二十一番地で目を馳せた刀匠、炎羽が打った最後の一本である。
それを父親から授かったのが、六羽だ。
菊の羽は、愛人の子、本物の人食い鬼の子に、そんな名刀を持たせたのである。
「ねえ、知ってる?お義兄ちゃんたち。下界には、こんな諺が、あるんだよ?能ある鷹は爪を隠す、ってね。弱い振りも楽じゃなかったよ、ねえ、お義姉ちゃん?」
六羽の口角が、ゆっくりと上がった。