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記録塔、制御不能

今回は、「香りの否定」と「構造の正しさ」が衝突する中で、

リディアとノアが“戻される前の記憶”をどう守ろうとするかを描きました。

記録塔の再起動とは、文明そのものの自己修正――その無情さにパンがどう届くか、第一歩のエピソードです。

風が止まった。


村の中央、塔のようにそびえる記録装置――その頂点が、ひときわ白く光った。

音はない。振動もない。ただ、空間そのものが一瞬、沈黙した。


「……リディア様、あれ、なんか変だよ」

ぷるるが空中でふるふると震える。


リディアは答えず、塔の天辺をじっと見つめていた。

塔の表面には、光の粒が細かく流れ始めていた。まるで、記憶そのものが塔の外皮を這っているかのように。


カコン、とどこかで金属音が鳴った。

直後、村人たちの身体がわずかに揺れる。

そして、彼らの瞳から――焦点が消えた。


「これは……」


リディアが息を呑んだ。

無表情のまま、村人たちが空を見上げる。

その頭上で、記録塔が白光の輪を描いて回転していた。


「再起動……?」


ぷるるが、まるで答え合わせをするように口を開く。


「うん……“構造ログの巻き戻し”。

焼かれる前、香りが入る前、感情が入る前の状態に……世界を戻すつもりだよ、あれ」


塔から放たれる白光は、記録された過去を強制的に上書きする光だった。


対象は村の全記憶。

そしてその中には、ノアも、リディアも、香りの残響も――含まれていた。


ノアがよろめきながらリディアに近づく。


「……リディア、あれは……なに?」


「“香りを無かったことにする”構造更新ですわ」


リディアの声は、異様なまでに冷静だった。

その言葉が静かに、塔の白光よりも鋭く場を切り裂く。


「記録塔が……香りを受け入れられなかったということ。

だから、なかったことにする。焼かれる前に、戻すつもりですの」


ノアがぎゅっと胸元を握った。

ほんの数時間前まで彼女の中に灯っていた、あのパンの香り。

それが――何もなかったかのように、塔によって塗り潰されようとしていた。


「だめ……」


その声は、まだ誰にも届かなかった。


白光は、村の空を覆い尽くそうとしていた。


塔の頂から放たれた白光は、街の全域へ静かに広がっていった。

空気が湿っているのでも、重いのでもない。

――ただ、空間そのものの“履歴”が巻き戻されていくような圧。


「再起動工程、実行中」

「対象:感情波形異常値含有記録」

「整合処理:焼成痕データ、初期状態に復元」


空中に、記録塔自身の自動音声が響く。

けれどその音には、感情も訛りもなかった。

まるで誰にも届けるつもりのない、冷たい独白のように。


「……上書きされる……」

ノアが足元を見つめながら呟く。


彼女の靴の先を、柔らかな白い光がすり抜けていく。

だが、その光がノアの身体に触れた瞬間――塔の処理音が一瞬だけ途切れた。


「対象“ノア”……記録参照不可」

「照合失敗……再送信……記録対象外エラー」


リディアが瞳を細める。


「ふふ……記録できないって、いいこともあるのですわね」


塔の光がノアを避けるようにして流れていく。

彼女だけが、白光に染まらない。


ぷるるが小さくホバリングしながら言う。


「塔、ノアちゃんの構造コードを読めてない。

リディア様が焼いたパンの香り、記録されなかった代わりに、塔にとって“認識できない存在”になってるんだ!」


「ふふ、それはきっと――焼かれたことの、特権ですわ」


リディアの視線は塔の奥へ。

そこには、何層もの記録の渦が光のラインとして重なっている。


「でも……他の人たちは……」


ノアが震える声で問いかけた。

すでに、何人もの村人の視線が戻っていない。

目は虚ろ、感情の温度が消え失せ、“元の型”に戻っていく。


塔が宣言する。


「記録更新。焼成差分削除中。構造汚染因子、除去予定」


そして、その音声は初めて、ひとりの存在に焦点を当てた。


「対象:リディア=レオンティーナ。存在基準:未定義香気源」

「指令:構造排除処理を開始します」


ぷるるの身体が跳ねた。


「リディア様、記録塔が“あなたを焼かれる前に戻そうとしてる”!!」


リディアは静かに、焼炉へと一歩近づく。


「――では、焼きなおして差し上げますわ」


記録塔の最上部から、空間を貫くように一本の光柱が伸びた。

それはもはや照明ではなく、定義の確定宣告だった。


「存在定義:リディア=レオンティーナ。未登録香気源。文明記録構造に含まれず」

「結論:構造外干渉者。排除対象と見なす」


空中に表示された記録塔の演算結果。

その中で、「焼き手」は“定義不能”の文字列とともに、文明構造の外へと分類されていた。


ぷるるが低く呻いたように言った。


「ダメだ、構造神の塔は、“焼いた”って概念をデータとして取り込めてない……

だから、“焼いたことがある存在”=リディア様ごと、排除するつもりだ……!」


ノアが両腕でリディアの前に立つ。


「だめ……それって、パンを焼いたことまで、なかったことにするってこと?」


リディアはそっと彼女の肩に手を置く。


「ノア、落ち着いて。まだ排除されたわけではありませんわ」


「でも……!」


塔の外壁がゆっくりと展開し、防衛シェルと呼ばれる神的抑制装置が露出する。

それは都市一つを包むに足る半透明の幾何学的ドームであり、そこに焼き炉とリディアが含まれていた。


「構造浄化領域、展開中」

「排除対象の香気変数、物理隔離処理を実行します」


地面がわずかに軋み、空中に無数の光の線が張られていく。

それは“香り”という概念を封じ込める、記録世界の網だった。


リディアは、それでも焼き炉の前に立ったまま、髪にふれることすらせず、ただ微笑を浮かべていた。


「……世界の構造がパンの香りを理解できないなら、構造ごと焼きなおせばよろしいのですわ」


ぷるるが、呆れたように、でもどこか嬉しそうにふよふよと浮かびあがる。


「それ言っちゃった!? リディア様、それ神に喧嘩売ってるのと同じだよ!?」


その瞬間、塔の中心でわずかに光が弾けた。


塔の最深部――

ほんの一瞬だけ、そこに黒ずんだ“焼き痕”のような空白構造が見えた。

風の中に、誰のものともつかない焦げた匂いがかすめる。


ノアが目を見開いた。


「……ここ、誰かが……前にも“焼かれた”場所……?」


誰も答えなかった。

だがその“匂い”は、塔が隠そうとしているより先に、彼女たちに届いていた。


白光のドームが完成した。

リディアを中心とする十メートル四方の空間だけが、神的構造の中に閉じ込められている。

空間全体が、透明な網のように張り詰めていた。

まるで香りすら“漂わせてはならない”と、世界そのものが命じているかのように。


塔の音声が続く。


「香気変数排除フィールド、展開完了」

「該当領域内の感情波形、全て中立化予定」


リディアはそんな光の檻の中央で、パン焼き炉の前に立っていた。

その炉は、まるで何も気にしないように、カコン、と小さく音を立てて口を開けた。


ノアがフィールドの外から叫ぶ。


「リディア! そんな中でパンなんて焼けないよ! 香りが届かない……!」


けれど、リディアはふっと笑った。


「ノア。香りというのは、空気を渡るものだけではありませんの」


その言葉と同時に、彼女の指先が――

炉の火種を、ふわりと揺らすように触れた。


シュウ、と小さな音を立てて、火が灯る。


塔の演算処理がざわめいた。


「異常熱源検出。非構造定義燃焼反応……不許可……記録不可能……」


ぷるるが空中で固まりかけた演算ログを読み上げる。


「……構造側の定義に、“焼く理由”が存在しないから、塔がエラー出してる。

香りの動機が、記録の外にあるってことだよ!」


炎の上に、リディアの手がふわりとかざされた。

指先が揺れるたび、香りの気配が波のように内部を撫でていく。


その空間の中に、“何か”が満ちていく。


ノアは、それが何なのかを言葉にできなかった。

でも確かに、胸の奥で震える何かがあった。


それは――香りだった。


たとえ定義できなくても、記録されなくても、構造に届かなくても。

それはそこに、今、確かに存在していた。


リディアは囁くように言った。


「戻せる記録と、戻せない記憶がございますの。

香りとは、後者。――“焼かれた後”の証そのものですわ」


塔の最上部に一瞬、ヒビが入った。


記録塔の頂に走ったヒビは、瞬く間に拡がっていった。


それは破壊の前触れではなかった。

むしろ、塔自身が構造の隙間に何かを受け入れようとするかのような動きだった。


「香気遮断フィールド、異常。再構成中……」

塔の自動音声がかすかに歪みを帯びていた。


空中に漂いはじめたのは――焦げたパンのような香り。

けれど、それは今リディアが焼いたものではない。

もっと前に、もっと深い場所で、“何かが焼かれた”痕跡だった。


ノアがその香りに、息を止める。


「……これ、知ってる気がする」


白光の内側。

リディアの背後、塔の基部にあたる暗い空間で、何かがふっと揺れた。


光が収束し、その影から――ひとつの“焦げ痕”が浮かび上がる。


まるで誰かの身体がそこにうずくまり、

そしてそのまま焼ききれてしまったかのような、黒ずんだ人型の痕。


「……まさか」

ぷるるが低く囁いた。


「この塔、誰かを焼いたんだ。香りごと――」


その言葉に、塔が応じるようにわずかに明度を下げた。


そして表示された、古い、断片的なログ。


記録処理中断。原因:香気共鳴による感情干渉波

対象名:アラ=ルア

最終処理:記録不全。香気残存中。


「焼かれた……神?」


ノアの胸の奥が、ちりり、と痛んだ。

目に見えない涙がそこに溜まっていく感覚。

言葉にならない悲しみだけが、はっきりと浮かび上がる。


リディアが振り返り、小さく頷いた。


「ここには――“記録されなかった神”の、焼き痕が残っておりますわ」


塔が沈黙した。

光も風も、今だけは流れていなかった。


その静けさのなか、ノアの目に初めて――

ひとすじの“涙”が流れた。


「……私は、この香りを、消させたくない」

ぷぷっ、今の塔、あきらかに香りにびびってる顔してたよね! 顔ないけど!

焼かれた神の痕跡、あれ……ほんとに残ってたんだ。焼き痕ログって、えぐいよ。ぷるる的には泣きログです。


でもノアちゃん、はっきり言ったね。「消させたくない」って。

次の話、多分ぷるるじゃなくて世界そのものが泣くから、ハンカチ用意しといてー!

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