「それでも鳥たちは飛び立つ」 についてなど
去る2025年11月27日、kindle本
一点一格にして生きるがごとくと映画「君の名は。」 まだ道半ば映画「君たちはどう生きるか」考
を、上梓いたしました。
2025年5月に記したこちらの投稿より、少しムーミン関連の考察が進み、その記述が増えたこと(夏子は○○○○?、Cパートの世界観と小説ムーミンシリーズの何点かの挿絵が重なることなど。また後日こちらに少し書きたいです)と、映画「君たちはどう生きるか」のラストシーンらへんについて掘り下げた
「それでも鳥たちは飛び立つ」
などが、目新しいところです。
ぜひお読みいただきたいのですが、
「それでも鳥たちは飛び立つ」について、上梓時よりさらに考察が進みましたので、少しこちらに記します。(まずは「それでも鳥たちは飛び立つ」をお読みいただけると幸いです)
鳥たちが一斉に飛び立つシーンが生成AIの跋扈を表現し、生成AIが「作品から著作性を奪う」(悪)者でも、それでも生成AIの隆盛は現実であり、全く新しい映像文化として受け入れよう。そんな宮崎駿監督の姿勢、まなざしを描いているのだとしたら、
多くの論客が論じ、物議をかもした漫画版「風の谷のナウシカ」のラストを彷彿させると思います。
『ナウシカは、地球の浄化・再生という一見非の打ちどころのない正しいことをしている(シュワの)墓所の主に対して「否!!」「そなたが光なら光など要らぬ」と叫び、巨神兵の力を使って墓所を完全に破壊してしまうのだ。』
『 』内は、太田啓裕さんの文春オンラインの記事
宮崎駿がマンガ版「ナウシカ」で描いた 最後の1コマ の真意とは?より
ふつう生成AIに対しては、すみやかに法規制の網を張り巡らせ「作品から著作性を奪う」状況を何としてでも防ぐ。というのが一見非の打ちどころのない正しいことをしているように思えます。
しかし、宮崎駿監督は、鳥たちが一斉に飛び立つシーンで「作品から著作性を奪う」生成AIを全く新しい映像文化として受け入れることを表現しているように思えます。
それは、生成AIに、すみやかに法規制の網を張り巡らせ「作品から著作性を奪う」状況を何としてでも防ぐといった、一見非の打ちどころのない正しいことを「否!!」と否定してでも。




