8.一人でも
アズールが廊下に出ると、すでに笑い声はしなくなっていた。
「ど、どこに行ったんだ?」
廊下を見渡すが、気配はない。
アズールは慎重に廊下を歩き、先ほどの男子トイレに向かった。
ゆっくりとドアを開けて中の様子を伺うが、誰もいなかった。
ふと視線を感じてアズールが顔を上げると、天井に人形が張り付いていた。
「ミツケタ」
人形が飛びかかってきて、アズールは押し倒された。
「シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ」
「うわああああっ!!」
無機質に包丁が振り下ろされ、アズールはかろうじてスパナで受け止めていた。
「こっ、この――」
アズールは包丁を押し返すと、スパナで人形を殴った。
人形は横に吹っ飛んでいき、だがすぐに立ち上がった。
口元が裂け、笑みを浮かべてアズールを見ている。
「ち、ちっとも効いてない……!」
アズールはスパナを握りしめる。
「そうか、あの人形は”バース”だ。どこかに人形を操っている人間がいるはずなんだ!」
「ヒャヒヒヒヒヒヒ!!!」
人形が甲高い声で笑いながら迫ってくる。
アズールは慌てて距離を取った。
「あ、相手は人形だ! 足はこっちの方が速い! 一旦離れて――」
後ろを向いたアズールの前には、別の人形が立っていた。
制服を着た少年の見た目をしており、手にはハンドガンを持っていた。
「オレ、ジャック。テメェを殺スゼ!!」
「そ、そんな!? 人形は一体だけじゃないの!?」
銃声が鳴り、銃弾がアズールの足を掠める。
「ぎゃあっ!! ま、まずいっ、このままじゃやられる!」
アズールは迫り来る二体の人形から逃げるようにして基地内を走り、『倉庫』と書かれた部屋に飛び込んだ。
鍵をかけて倉庫の奥でうずくまる。
すぐに人形たちが近づいてくる音が聞こえた。
「ニゲルんじゃネェ!!」「シネシネシネシネ!!」
銃弾がドアに穴を開け、包丁がドアを貫く。
アズールは涙を流した。
「無理だ! やっぱりボクには無理なんだ! ボクには倒せないッ!!」
その瞬間、アズールの脳裏に少女の声が蘇った。
『――アンタってほんと、わたしがいないとダメよねェ。それでも男なの?』
アズールには双子の姉がいた。
名をロゼといい、気の強い活発な少女だった。
アズールは物心がつく前からずっとロゼの後をついて歩いていた。
十歳のある日、ロゼは飲酒運転の車に轢かれそうになったアズールを庇って死んだ。
アズールにとって、ロゼは姉であると同時に憧れであり、それは今も変わらなかった。
「こんな時、お姉ちゃんなら……!」
アズールは倉庫を見渡した。
壁際に置かれた銀色のタンクに目が止まる。
その時、とうとうドアが破られた。
「「ヒャヒヒヒヒヒヒヒヒ!!」」
二体の人形が部屋に入ってくる。
人形たちの足元には液体が広がっていた。
アズールは指をさした。
「ガソリン。昔に使われていた燃料で、可燃性だ。人形なら当然”布”製だよね」
アズールは先ほど食堂で手に入れたマッチに火をつけた。
二体の人形が慌てたようにのけぞった。
「「ヤ、ヤメ――」」
アズールが投げたマッチが液体に触れた瞬間、液体は燃え盛り、人形たちはあっという間に火だるまになった。
「「ギャアアアアアアア!!!」」
少しして、二体の人形は糸が切れたように倒れた。
「ハァハァ……や、やった……!」
完全に動かなくなったのを確認してから、アズールは倉庫にあった消火器で鎮火した。
「これでよし。あとは本体を探さないと」
アズールは廊下に出る。
「――嘘」
廊下の奥に、十体ほどの制服を着た人形が立っていた。
「「「「「「「「「「ヨクモ人形を燃やシヤガッタナ!! オマエもナカマもぶち殺しテ、内臓をぶっこ抜イテヤル!!!」」」」」」」」」」
人形が迫る。
その時、アズールの頭に広がったのは絶望ではなく、一つの疑念だった。
(――どうやってボクを見つけてるんだ?)
最初は偶然かと思っていた。
だが、人形が目視だけで探しているにしては、トイレや部屋に隠れているアズールを見つけるのが早すぎる。
(考えろ、考えろ!! 考えなきゃ死ぬぞ!!!)
アズールはハッとした。
「そうか、そういうことか――ッ!」
アズールは迫り来る人形たちの前で、突然上着を脱ぎ捨て、シャツを脱いで上半身裸になった。
そしてシャツを裏返す。
そこには、握り拳ほどのサイズの人形がくっついていた。
「やっぱり!! こいつでボクの居場所を探知していたんだ!!」
アズールは人形を引き剥がすと、地面に叩きつけて踏み潰した。
人形の首が取れ、身体がバラバラになる。
「「「「「「「「「「テ、テメェ!!!」」」」」」」」
「こ、これで居場所がバレることはない! あとは――」
アズールは人形たちから離れ、”とある部屋”に入った。
ややあって、アズールは廊下を徘徊する人形たちの前に現れた。
「ボクはここだ! ――これを見ろ!」
アズールの手には先ほど燃やして黒焦げになった二体の人形があった。
「今からこいつらを踏み潰してバラバラにしてやる! 止めてみろ!!」
すると人形たちは無機質な顔に怒りのこもった表情を浮かべた。
「「「「「「「「「「殺ス!!!」」」」」」」」
人形たちが一斉にアズールに向かってくる。
「こっちだ、ノロマ!」
アズールは逃走し、突然足を止めて振り返った。
「うん、そこがいい」
そう言って、アズールは右手に持ったスイッチを押した。
次の瞬間、人形たちの頭上にある天井に設置された四角い箱が爆発した。
天井が崩落し、人形たちを全員押し潰す。
アズールはホッと息を吐いた。
「少しだけ肩が軽くなった気がするよ。そして――」
天井を睨む。
崩落した天井から小柄な女が覗いていた。
女はアズールと目が合うと「ヒィッ!!」と悲鳴をあげて逃亡した。
「逃すか!」
アズールは手に持った人形を壁際にそっと寝かせた。
「手荒に扱ってごめんよ」
それからアズールは急いで階段を駆け上がり、二階に向かった。
「待て!!」
女を追って奥の『作戦室』に入る。
黒い頭巾を被った、雪のように白い肌に黒い口紅の女が壁際で震え上がっていた。
レース等をあしらって改造してはいるが、再生士の制服を身につけている。
指に嵌めた水色の指輪がアルクギアだろう、とアズールは分析した。
「追い詰めたぞ!」
「ヒ、ヒイィィィ! こ、殺さないで!」
頭を抱える女に、アズールは若干拍子抜けした様子で言った。
「こ、殺しはしないさ。ただ色々聞かせてもらう。拘束もさせてもらうよ」
そう言ってアズールが近づいた瞬間、女がバッと顔を上げた。
「――エマちゃん! そ、そいつを殺せッ!!」
「はっ!」
アズールが振り返ると、そこには人の大きさほどもある人形が立っており、手には錆びたナタを持っていた。
女が嬉々とした様子で叫んだ。
「ヒャヒヒヒ!! か、かかったな! アタシの人形を壊した罰だ! 死ねェッ! 死んじまえッ!!」
「うわあああっ!!」
アズールは目を閉じた。
次の瞬間、鈍い音が響き、次いで派手な音が鳴り響いた。
アズールが目を開けると、人形は壁にめり込んでおり、黒髪の少年が立っていた。
「騒がしいと思ったら、追手がきてやがったか」
「リューゴ!!」
黒髪の少年――リューゴにアズールは駆け寄る。
「もう動いて大丈夫なの!?」
「ああ、アズの処置のお陰だ。さて――」
リューゴがぎろりと女を睨む。
「ヒッ!」
「テメェ、どうやってオレたちがここにいるってわかった」
「ヒ、ヒャヒヒ。お、教えるわけがない。そ、それに、ア、アタシの人形がもうないと思ったら大間違いだ」
女の指輪が光る。
直後、机の陰や廊下から数十体の人形が出てきた。
「え、遠隔じゃなければこの数でも制御は可能! な、内臓を引きずりだしてやる!! ヒャヒヒヒッ!!」
「リ、リューゴ!」
「チッ」
リューゴは人形が動くよりも早く女に近づくと、女の首に当身をした。
「がッ――」
女は気を失って倒れ、同時に人形たちも糸が切れたように全員倒れた。
「や……やったんだね」
アズールは尻餅をついた。
リューゴが笑いかけてくる。
「アズ、よくやったな」
「はは……何度も死ぬかと思ったけどね」
その後、リューゴが女の荷物を調べ、身分証を手に取った。
「タニア・ボレアリス、”九等星”。……再生士のランクか何かか。他には――ん?」
リューゴが何かに気づいたように女の上着ポケットから小さな鍵を取り出した。
「乗り物のキーだ。アズール、わかるか?」
「たぶん”小型飛行バイク”のだ。たぶんこの再生士が乗ってきたんだろうね。基地にある設備を使って改造すれば、国境まで飛んでいけるかもしれないよ」
「そりゃあいい」
女を縛り上げた後、リューゴはアズールに言った。
「天井を爆破するとはずいぶん派手にやったな。ロゼみてェだ」
その言葉に、アズールは嬉しそうに笑った。
「これでアズもオレと一緒に戦えるっつーことがわかったわけだ」
「……一緒になんて無理さ」
アズールは目を伏せて立ち上がった。
「急いでバイクを探そう。なんとか夜のうちに出発したいからね」
「アズ――」
リューゴから逃げるようにして、アズールは部屋を出た。
夜。
二人は基地の倉庫にあった雨具を身につけ、大雨が降りしきる旧基地の滑走路にいた。
雲が月明かりを遮っているため世界は闇に包まれている。
明かりは緊急用の懐中電灯とバイクのヘッドライトだけが頼りだった。
アズールは、バイクの雨避けシールドの取り付けの強化、エンジンの出力上昇、立体飛行装置の修正による安定性向上といった改造を主に施した。
本来、小型飛行バイクは高度十〜二十メートルしか飛行できないが、改造の結果、理論上は高度五百メートルでの飛行も可能となっている。
アズールがハンドルを握り、リューゴが後ろにまたがる。
エンジンが駆動し、バイクが浮き上がる。
「よし――いこう!!」
アズールがギアを入れると、バイクはうなりを上げながら闇の中へと飛び立った。