シャブさんヘロさんのタイムリープ~何回やり直しても二人がヤクのやり過ぎで死んじまう!!~
シャブさんは、血走った眼で水戸周平を睨んだ。
「水戸。俺のことを兄貴分やと思っとるんなら、一息に吸え」
「いや、シャブは怖いっすよ」
「怖いことあるかい。いいから吸え。吸えへんのやったら縁切るで」
目が据わっている。シャブさんは本気だ、と水戸は生唾を飲み込んだ。
もうこうなったら仕方ない、吸う振りをして誤魔化すか、と水戸はガラスパイプを受け取った。シャブさんがライターでそれを加熱する。水戸は煙草を肺に入れずに吸うのと同じ要領で、吸った振りをした。
「ようやった。それでええんや」とシャブさんはにこにこ笑った。シャブさんは身長一六〇センチほどの小柄な人で、笑うととてもかわいい顔をしている。山形徹矢という名前があるのだが、いつもシャブをやっているため、水戸はシャブさんと呼んでいた。
「いやあ、効きますねえ」と水戸は表情を作って嘘を言った。
そのとき、寮の玄関が開く音がして、水戸の心臓がびくんと跳ね上がる。警察が踏み込んできた、と勘繰ったのだ。
しかし、それは同じ寮に住むヘロさんであった。
なんだヘロさんか、と水戸は安堵した。
ヘロさんは身長一六五センチほどで、やはり背が低い。が、シュッとした顔をしており、目鼻立ちが整っている美男である。ヘロさんにも馬場園雄介という立派な名前があるのだが、ヘロインの話を繰り返しするので、水戸はヘロさんと呼んでいる。
「おー、また吸ってんのか」とヘロさんは笑った。
「ただ吸ってんねやないで。こいつに人生を教えたってんねん」
なんつうろくでもない先輩だ、と水戸は心の中で突っ込んだ。
「俺にもくれ」
ヘロさんはガラスパイプで煙をくゆらせ、ゆっくりと吸った。
「せや。水戸、ちょっと頼みがあんねん」
「なんすか? またろくでもないことでしょう」
「まあそんなとこや。ちょっと向かいのクリーニング店に行って、ジャケットを取ってきてくれへんか」
「自分で行けばいいでしょう」
「ちゃうねん。ジャケットの内ポケットにシャブのパケを入れたまんま出してもうてな。取りに行くの怖いねん」
「はあ!?」と水戸は大声を出した。「ちょっとシャブさん、そんなら余計に自分で取りに行ってくださいよ!!!!」
「捕まったらあかんやんか。な? 俺が捕まるとこ見たないやろ?」
「俺は捕まってもいいんですかい!!!!」
「兄貴を助けると思って、な? ええやろ?」
ちっともよくはない。だが、水戸はお人好しな面がある。頭の回転は抜群に速いのだが、人情にもろいのだ。
「シャブさん、もうシャブはやめてくださいよ。健康によくないですって」
「なに言うてんねん。ちゃんと健康にも気ぃ遣っとるわい」
シャブさんは朝一でシャブを吸う。しかしシャブを吸うと食欲がなくなるため、大麻を吸ってマンチー状態でご飯を食べていた。また、夜は眠れないので、睡眠薬を飲んで寝ている。そのため、シャブ中とは思えぬほど脂肪が身体についていて、小太りなのだった。
「シャブはいいよ。大麻とコカインも大丈夫だ。ちゃんと仕事に行けるからな。でもヘロイン、あれだけはだめだ」とヘロさんが遠い目をして言った。
水戸はまたその話か、と頬をかく。
「ヘロインを吸ったら、もう何も出来なくなる。人間として終わるんだよ。俺は渋谷でそいつを買って、多摩の山奥に吸いに行った。そしたら、吸った瞬間、その場でぶっ倒れたよ。気付いたら地面に這いつくばってた。でよ、なんで地面にいるんだ? と不思議に思って周りを見回してたら、落ち葉の一枚一枚が光り出した。葉っぱの際が、輝いてるんだよ。見たこともないくらい綺麗だった。そして、落ち葉が立ち上がってダンスをし始めた……。俺はそこで何時間もそのダンスを夢中で見てた」
「はいはい、俺はシャブもコカインもヘロインもやりませんよ。安心してください」
水戸は依存性の強いものには警戒心をしっかり持っていた。煙草も吸わないのだ。
「で、水戸ォ。俺のジャケット取りに行ってくれるんか?」
「大麻くれたら行きますよ」
「ぎゃはははは、水戸は大麻はやんねんな」
水戸はクリーニング店のカウンターにいるおばちゃんに、引換証を渡した。内心、警察に通報されているのではないかと焦り、心臓がドクドクと激しく脈打つ。
おばちゃんは引換証を受け取ると、店内の奥に入った。
いま、逃げるべきだろうか?
しかし、結局は待った。そして、おばちゃんが透明なビニールをかぶせたジャケットを持って現れた。
「はい、これよね」
「そ、そうです」
「おイタしちゃだめよ」
おばちゃんはウインクした。ば、バレてる、と水戸は嫌な汗が全身から噴きだした。しかし、おばちゃんの顔つきからすると、これはセーフのようだった。
「はい、大丈夫です、あ、ありがとうございました!!」
水戸は逃げるようにして店内から出て行った。
「シャブさん、マジで勘弁してくださいよ。バレてましたよ」
「いや、すまんかったすまんかった。なんもなくてよかったわ」
シャブさんは水戸の肩を軽くバンバンと叩いて、誤魔化そうとした。この人を信用してはいけないな、と水戸は心の底から思った。
「じゃあ、これ」とシャブさんは大麻をくれた。水戸は機嫌を直した。「あと、これもやってみいひんか?」
シャブさんは合法ハーブをポケットから取り出した。この人はヴィトンの縦長のトートバッグにいつも数種類の薬物を潜ませていた。そして、トイレでいつも吸うので、消臭用のファブリーズもセットで入っている。
平成の時代には、まだTHCに近似した成分を含有したハーブが合法であった。
水戸も噂には聞いていたが、自分で買ったことはない。好奇心が、勝った。
「それもいってみますか」
「よっしゃ、ほんなら吸うてみよか」
シャブさんはハーブの封を切ると、コーンパイプに緑色の草を盛った。
「シャブさんヘロさん、やっておしまいなさい」
「水戸黄門みたいに言うなや!!」
そして、シャブさんがライターで火を点けて吸う。そして、少し咳き込んだ。
「ああ、結構効くでこれ」
「俺にも吸わしてくれ」とヘロさんも吸った。
水戸はヘロさんが吸ったあと、パイプを渡された。そして、ライターを擦った。
しかしそれは、強烈な効き目であった。普段何も吸わない水戸には、強過ぎた。水戸は酒も飲めない。すべての耐性が弱かった。
一瞬、世界が四次元に拡張していくような感覚があり、すべての音が立体となって聞こえてくる。
ぐるぐると視界が周り、視界は黒と黄色に明滅する。そしてその黒と黄色がぐるぐると回り出し、その中に吸い込まれていくように感じた。
そして、強烈な吐き気がした。
気持ち悪い。
「人生~ヤクやりゃ苦もあるさ~♪ 涙のあとにはゲロも出る~♪」
水戸はやけくそになって歌い出した。それくらい気持ちが悪かった。
「こいつほんま何言うてんねん」
「ブリってんなあ」
歌っても吐き気は止まらず、水戸は亀のように丸まって、ひたすら悪寒と吐き気に耐えるしかなかった。
バッドに入ったのだ。
それだけは収まらず、水戸は急に立ち上がると、マンションの窓を開けた。
そして、そこから飛び降りようとした。
「ドアホ!! 何してんねん!!」
シャブさんが水戸を羽交い締めにして、自殺しようとするのを止めた。
「はっはっは、元気があって大変よろしい」ヘロさんはもうひと吸い合法ハーブを肺に入れた。
「言うてる場合か!!」
シャブさんは信用できないが、ヘロさんはもっと信用できない、と暴れながら水戸は思った。
「これ飲んどけ!!」とシャブさんは錠剤を水戸に渡した。
「これ……なんすか……」
「眠剤や! こういうときは寝るんや!!」
「はい……」
気持ち悪くて水も飲みたくなかったが、この状態が続くよりはマシだ、と水戸はそれを飲んだ。そして、眠りに落ちた。
三人は、数年前にホストクラブで出会った。
水戸は実家が貧乏で、一家心中未遂を何度もするような家に生まれた。このまま家に居ては死んでしまう、と家出し、寮付きのホストクラブに流れ着いた。
そこで出会ったのが、シャブさんとヘロさんだった。ヘロさんはそこそこ売れているホストで、シャブさんはなんと、そのぽっちゃりとした容姿に反して、ナンバーワンにまで上り詰めた男だった。シャブさんとヘロさんは元々違う店で一緒にホストをやっていたそうで、水戸が入店したときにはもう仲がよかった。
シャブさんは、上京したてで右も左もわからぬ純粋な水戸のことを気に入り、まだ売れてない頃の水戸に飯を食わせてやったり、ホストとしての在り方について、いろいろと教えてやっていた。兄貴肌な一面もある男であった。
ただ、ギャンブル好きなのが珠に瑕であった。毎月二百万から稼いでいたのだが、歌舞伎町の雑居ビルにある裏スロットやインターネットカジノに入り浸り、それらをすべて溶かしていた。また競馬も好きで、よく賭けては負けていた。
「ええか。男は顔やないねん」というのはシャブさんの口癖だった。「女はな、顔よりも自信のある男が好きなんや。そら顔のええ男は看板に載るで? でもそれでええんや。顔のいい男を目当てに来た女も、結局は俺のもんや」
なるほどシャブさんは自信に満ち溢れた男で、しかも口が達者で面白かった。
十八歳の水戸は四歳年長のシャブさんに男のいろはを教わり、めきめきと売り上げを伸ばしていった。ついには、数十人在籍する大箱で、ナンバー入りするほど売れた。
シャブさんは水戸に生い立ちを語った。養護施設で育ち、中学生から夜の仕事を始めたという。ヘロさんも中学生のときに親父が借金を抱えて蒸発し、一家離散していた。
二人は、極貧で一家心中する家から飛び出してきた水戸を、他人事とは思えず、可愛がってくれたのだった。
しかしある日、営業終了後の店で、主任が全ホストを集めて、怒鳴った。
「誰や、店でバツ食ったんは!!!!」
どうやら、誰かが店で薬物を使用したらしい。その痕跡を見つけて、身長一八〇以上ある大男が、怒り心頭で吠えていた。
「バツ食うなとは言わん!! 俺かてやる!! けどな、店ですんなや!! お前ら店潰す気か!!!!」
そして、連帯責任だ、と言って全員をしばき回した。
水戸も腹に強烈な一撃を喰らい、その場でうずくまった。水戸はバツという隠語が何を指すかも知らない。なんでやってもない俺が殴られんだよ、と水戸こそ怒りがふつふつと湧いた。それで店を辞めることにした。
シャブさんとヘロさんは、水戸がホストを辞めると言うと、「俺らもそろそろ辞めよっかな」と言い、一緒に辞めた。そして、シャブさんが御徒町のセクキャバで主任に昇格すると、人手が足りないと言って、水戸とヘロさんを招集した。
三人がいるのは、そのセクキャバの寮である。
水戸はむくっと起き上がった。もう気持ち悪さはない。ハーブの効き目が抜けたようだった。
水戸は、出会った頃の夢を見たことで、やはりシャブさんには恩がある、と思い直した。水戸が歌舞伎町に出てきて、初めて優しくしてくれたのがシャブさんなのだ。
シャブを薦めてこようと、逮捕されるかもしれない場所に行かされようと、不思議と憎めない。そういう愛嬌のある男だった。
シャブさんの肩でも揉んでやるか、と水戸は陽が落ちて真っ暗になった部屋を見回した。明かりもつけてないとは、どこかに出かけたのか? と訝しがりつつ、ライトのスイッチを手探りで押した。
そのとき、水戸の心臓が凍り付いた。
シーリングライトが部屋を照らし出すと同時に、シャブさんとヘロさんが二人とも、白目を剥いて仰向けに倒れていたのを発見したからだ。
「シャブさん!! ヘロさん!!」
二人に駆け寄るが、すでに息はなかった。二人で何かしらの薬物を過剰摂取したのだろう、と水戸は状況から判断した。
なんでこんなことに、と水戸は絶望した。通報したいが、自分も共犯として捕まってしまうだろう。さらに、逃げたら逃げたで二度と日の当たる世界には戻れない。もうお先真っ暗だ、と頭を抱えた。若さとは視野の狭さのことを言う。二十一歳の水戸も、これで人生終了だ、もう何の希望もない、と簡単に思い詰めた。
「俺も死ぬか……クソッ!! なんでこうなったんだよ!!」
土気色の顔をした水戸は、シャブさんの鞄から複数の薬物を取り出すと、それを一気に飲み込んだ。
そして、意識が落ちる——
「おい水戸!! なにボーっとしてんねん!! 吸うのか吸わんのか、どっちやねん!!」
水戸は驚いた。陽が差し込む部屋に、シャブさんが生きていて、血走った眼をして怒鳴っている。なんだ? 薬物の幻覚か??
そのとき玄関の扉が開く音がして、ヘロさんが姿を現した。
「ヘロさん!! 生きていたんだね!! 会いたかった!!」と唐突に水戸は叫んだ。
「なんでだよ、俺なんかした?」ヘロさんはいきなり水戸の熱烈な喜びを受けて困惑している。
「ちっ。お前なんやねん。なんか変な薬でも食ったんちゃうやろな」
「いやシャブさんには言われたかねえすよ」
水戸は自分の身体中を触った。確かな現実感がそこにある。これは幻覚じゃない、と水戸は確信した。視界もクリアで、音の聞こえ方も平常であった。なにより、思考も明晰であり、混乱はない。
(じゃ、じゃあ、これはタイムリープしたってことか!?)
「まあええわ。それよりな、お前に頼みがあるんやが」
水戸はこの状況を信じてもらうために、シャブさんのセリフを先に言った。
「ジャケットを取りに行けって?」
「なっ……!? お前、予知能力でもあるんか?」
「シャブさん、落ち着いて聞いてください! 俺は、タイムリープしました!! 時間を遡ったんです!!」
水戸は、あらん限りの真剣さをもって、シャブさんに真実を伝えた。
その目は、シャブを強要するシャブさんと同じくらい据わっていた。
「あかんわ、こいつマジで変なもんやっとる」
「どんなクスリだ? 俺にもやらせてくれ」とヘロさんは相変わらずズレたことを言う。
「本当なんですって!! シャブさん、合法ハーブも買ったんじゃないですか?」
「お前、俺のことを監視しとったんか?」
シャブ中特有の勘繰りで、シャブさんは怒気を放った。
「違います!! 時間を逆行したんですよ!!」
「お前、ほんま性格悪いで。こんなドッキリみたいなんするために、尾行やらなんやらしてたんやろ」
「そう思うのも無理はないです、でも本当です、信じてください!!」
「ドアホ、お前はもう寝とけ!! おい、馬場っちょ!! 水戸を羽交い締めにしてくれや」
「へいへい」とヘロさんが水戸を後ろから組み付いた。
そして、シャブさんが眠剤を無理やり水戸に飲ませた。
水戸の意識は、そこで落ちる。
目を覚ますと、二人はやはり死んでいた。
「なんだよこれ!! 畜生!! なんでこうなるんだよッッ!!!!」
水戸は部屋の中で発狂し、地団太を踏んだ。あり得ない。なんで信じてくれないんだ。どうすればよかったんだ。
そして、水戸はまた思い詰めたのち、もう一度クスリを大量に飲むことを決めた。こんな状況になったらもう死ぬしかないと極論に至ったのはもちろんのこと、もしかするとまたぞろ時間を遡れる可能性がある。
ならば、やってみるしかない。
水戸はまたしても大量の薬を飲み込んだ。
そして、意識が覚醒する。またしても、シャブさんが水戸にシャブをやれと強要している場面で目覚めた。そしてヘロさんが帰ってくる。
水戸はシャブさんの話を聞き流しながら、どうすれば二人が死ぬのを回避できるか、あれこれと考えた。
二人がなまじ薬中なぶん、非現実的な話はむしろクスリでラリっていると捉えられてしまう。この話は避けた方が賢明だろう。水戸は今回はタイムリープの話をしないことを決断した。
「二人とも、お話があります」と水戸は神妙な顔で言った。
「なんやねん、急に」
いつもとは違う雰囲気をまとった水戸に、シャブさんヘロさんも戸惑った。
「今日で、薬物を卒業してください。このまま乱用してたら、二人とも死にます」
「かぁー!! 何を言い出すかと思ったら、お前はアホちゃうか!!」
「そもそも俺は死ぬ覚悟で遊んでるぞ。それに滅多なことじゃ死なねえって」
水戸は二人の無鉄砲さに頭痛がし、こめかみを手で抑えた。その滅多なことを起こすんだよ、あんたらは、と口から飛び出しかける。
「じゃあ、譲歩します。やってもいいですけど、用法用量に気を付けてくださいよ。死ななかったらそれでいいです」
「お前、なんか変なもんやってんちゃうやろな」
「なんもやってません。お二人の身体のことが心配なんです」
「おい馬場っちょ、こいつを抑えといてくれ」
あっ、と水戸はこれから起こることを予期し、逃げ出そうとするが、水戸は脚がとにかく遅かった。小学校の頃からいつも徒競走は最下位であった。
そして、ヘロさんに取り押さえられ、睡眠薬を飲まされると、またしても意識を失った。
そして目が覚めると、二人は死んでいる。
「この馬鹿ども、なんで死ぬまでやるんだよ!! 加減してやれよ!!」と水戸は死体に向かって怒鳴った。
そしてもう一度大量の薬物を摂取した。
またしてもシャブさんヘロさんの生きている時間に戻り、水戸はシャブさんの剣幕を受け流しながら、沈思黙考した。
そして水戸はリスクを承知で、今回は「捨て回」とすることにした。何が起きたか、一部始終を見ておき、それで対策を打とうと考えたのだ。水戸は、死に戻りに慣れてきて、もはや死ぬのは前提で考えられるようになっていた。
水戸は合法ハーブを吸った振りをし、狸寝入りをしながら、二人の行動を観察した。
すると、とろんとした目のヘロさんが、ポケットから白い粉の入ったパケを取り出した。
「山ちゃん、ちょっといいもんが手に入ったんだよ。試してみる?」
「なんなん、それは」
「ロシアで流行ってるクスリらしいよ。めっちゃ飛ぶらしい」
「いってみよか」
これだ、と水戸は直感した。がばっと飛び起き、そのパケを決まりきったヘロさんから取り上げた。
「これはダメです!! これだけはやっちゃいけません!!」
「おい、返せ!!」
ヘロさんが取り返そうとするが、クスリで朦朧としているので、機敏な動きができない。
「二人に生きてて欲しいんです!! これやったら死にますよ!!」
「死ぬことあるかい!!」
水戸は後頭部に激しい一撃を喰らい、地面に倒れた。薬で錯乱したシャブさんが、ガラスの灰皿で水戸を強打したのだ。温かい血が首筋を伝っていくのを感じながら、水戸は意識を失った。
そして目が覚めると、二人は死んでいた。
「こいつら!! そんなに死にたいんかよ!! ふざけんな!! 俺のことも考えてくれよ!!」
そして何度かそんなことを繰り返した。そのたびに二人は死んでいた。
「ダメだ、何回やり直してもシャブさんヘロさんがヤクで死んじまう!!」
これが運命なのか、と水戸は無力感に打ちひしがれた。しかし、そうではないはずだ、と水戸の心が言った。もしこれが変えられない運命なら、こんなにこの時間に戻ってくるはずがない、と。これは、三人で乗り越えなければならない試練なのかもしれない、と水戸は新たな視点に気が付いた。
「俺だけが変わっても意味がないんだ」
水戸は、これまでのやり方に効果がないと気付き、抜本的にやり方を変えるしかないと考えた。
そして、また薬を大量に呷った。
意識が覚醒する。見慣れた光景、シャブさんがシャブを勧めている。そしてヘロさんが帰ってくる。水戸は深呼吸をした。今回は違う。今回は必ず成功させる。
「二人とも、ちょっと話があるんだけど」
水戸は落ち着いた口調で言った。いつものふざけた調子とは違う水戸に、シャブさんとヘロさんは訝しげな表情を浮かべた。
「なんや、改まって」
「あのさ、二人とも、このままじゃ本当に危ないよ。クスリのことだよ」
水戸は単刀直入に切り出した。
「なんや急に。ええやんけ。俺ら大の大人やで? 好きにやらせてくれや」
シャブさんはうんざりしたように言った。ヘロさんは相変わらず遠い目をしている。
「ちゃんと話を聞いてほしい。俺、この前、夢を見たんだ。すごくリアルな夢で……」
水戸は言葉を選びながら、二人が薬物の過剰摂取で死んでしまう夢の内容を話した。できるだけ具体的に、そして感情を込めて。
ヘロさんがロシアの薬を持っているという話をしたときに、ようやくヘロさんの目つきが変わった。
「……それで、俺はすごく怖くなった。二人を失うのが、本当に怖くなったんだ」
水戸はそう言って、二人の顔を見つめた。シャブさんは眉をひそめ、ヘロさんは困惑している顔をしていた。
「だから、二人とも、自分のことを大事にしてほしい。俺は、二人のことを友達以上、いや、家族以上だと思ってる。俺の家族のことは二人とも知ってるだろ? 俺は二人がいたからこの街で生きてこれたと、本当に感謝しているんだ。二人は、自分だけのことを考えているけど、俺のことも少しは考えてくれないか。二人がいなくなったら、俺は……」
水戸は涙をこぼした。シャブさんは水戸の肩をさすった。
「二人は無価値な人間なんかじゃない。二人は、俺にとって、大事な人なんだ。俺たちは、誰にも愛されずに育ったかもしれない。みんな、それぞれ、いろんな寂しさや葛藤を抱えて生きていたと思う。でも、それがずっと続くわけじゃない。俺は、二人を、変な意味じゃなく、愛してるんだ」
「なんや気色悪いのう」とシャブさんは言ったが、まんざらでもない顔をしていた。ヘロさんも、心に響いた顔をしている。
「二人は俺のことをどう思ってる?」
「そら弟やと思っとるよ」
「同じく」
「だったら、俺のために、長生きしてくれないか」
シャブさんとヘロさんは顔を見合わせた。
「シャブやれへんのやったら兄弟の縁を切るっちゅうたのに、お前が逆にシャブやめへんのやったら兄弟の縁切るっちゅうとはなあ」シャブさんは破顔した。「どうせまともな生き方なんて出来ひんと思うとったから、むちゃくちゃな生き方をしとったけど、ここらが潮時なんかもなあ」
「人は、いつからだって変われますよ。遅すぎることなんてないです。三人で、力を合わせて、真っ当に生きていきましょうよ。そんで、みんな結婚して、子供も作って、三家族で遊んだりしましょうよ」
「そらええなあ」
ヘロさんは、ポケットに入っていたロシアの薬を取り出すと、便器にその中身を捨てた。
「俺もやり直せると思うか?」
「もちろんですよ、ヘロさん。いや、馬場園さん」
「その『ヘロさん』とも、もうおさらばだな」
馬場園はにやっと笑った。それは、じつに男前な顔だった。
「山ちゃん。金貯めて、三人で新しい会社でも作ろうぜ」
「おお、ええなあ。何する?」
「それは水戸に考えてもらおう。俺らより頭の出来がいい」
「せやな。お前が責任もって考えるんや」
水戸は、二人のやり取りを聞き、涙を流した。
二人が変わるという意志を持ち、それを表明してくれたことが、信じられなかった。
「ありがとう、二人とも。本当にありがとう……」
「礼を言うのはこっちだ。お前の見たっていう夢、マジでリアルだったから、信じたよ。でも、これがいいきっかけになった」と馬場園が笑った。
そのあと、二人は覚醒剤の離脱症状に苦しんだ。とてもじゃないが仕事なんてしていられず、三人は揃って仕事を辞めた。寮を出て、新しい家に引っ越すと、ひたすら大麻を吸って、禁断症状を抑え込んだ。それは地獄の苦しみだった。しかし、その先には希望が見えていた。二人は二週間苦しんだすえ、ついに身体から薬物を抜き終わった。
それから三人は、歌舞伎町にバーを出店した。そこが軌道に乗ると、今度は歌舞伎町の雑居ビルに、居酒屋を出店した。その後も順調であった。
そして、みなそれぞれ結婚し、子供も作った。夏は三家族で旅行に行き、バーベキューなどをした。
三人はいまでもあの日のことを語ることがある。
水戸は、キャンプ場で、焚火を囲みながら、タイムリープの一部始終を、十年経ってようやく二人に話した。
「だから俺は叫んだんですよ。クソッ、何回やり直してもシャブさんヘロさんが死んじまう!! って」
「お前なあ、今やから笑って聞けるけど、ほんまになんのクスリやってたんや」
「二人と一緒にしないでくださいよ!! なんもやってませんて!!」
「ええ夢見たんやなあ」
「いまも、その『ええ夢』の続きを見てますよ」
焚火の炎が揺れ、三人の影が揺れた。虫の鳴き声がいつまでも森に響き渡っていた。
(おわり)