猫の恩返しー紫の雨に乗ってー
悲しい系のお話です、ごめんなさい
「あれ?早瀬さんじゃないっすか!出勤したんですか?」
素っ頓狂な声がフロアに響き、俺はゆっくりと振り返った。
コイツは俺と同じ課の後輩の陽平だ。
3週間ぶりに出社した俺に、社内の皆は顔を俯いて足早に通り過ぎるだけだったんだが
コイツの良く言うと図太さ、悪く言うと無神経さに、今は救われた気持ちになった。
「ああ、俺が家にいると、おちおち寝てもいられないんだってさ」
「そういうもんなんすか」
俺は陽平に説明するテイを取りながら、フロア全員に聞こえるように、大きな声で話す。
きっとみんな聞き耳を立てている筈なんだ。
「4か月間程休職するように部長から言われてたんだけどさ、ノー残業、緊急時にはいつでも帰宅することを条件に、今日から復帰することにしたんだよ」
「俺、奥さんのデミオムライス大好物だったんすよね、もう食べられないと思うと残念だなぁ…イテッ…」
通りすがりに事務のお姉さんが陽平の脇腹を小突いたようだ。
確かにそれは失言だぞ、陽平。
それは『既に亡くなった人を偲んで』使う言葉だ。
私の妻は『まだ』亡くなってはいないのだから…。
ーーーーー
定時に俺は会社を後にした。
今日はなんというか、とても疲れた。
久しぶりの仕事に疲れたんじゃない。
皆の心配するような、憐れむような…
そんな視線を浴び続けることに疲れたのだった。
だけど3か月後、この視線は更に強烈なものとなるのだろう。
慣れていくしかない。
小さなため息を吐き、音がしないようにそっと鍵を回し、玄関に滑り込んだ。
片手でネクタイを緩めながらそっと寝室を覗いてみると…
寝ている。
妻と猫が。
妻の余命宣告を受けたのは、3週間前のことだった。
俺が帰宅したら妻が倒れていて、そばで猫がにゃーにゃーと激しく鳴いていて
救急車で病院に連れて行ったら、その場で「手遅れです」と言われ
今後の治療方針について話し合う時に妻が「猫がいるので自宅で過ごしたいです」と希望し
帰ったら猫が妻から離れなくなって…
ああ、俺はなんで妻のことを話そうとしているのに
なぜ合間合間に猫がどうたったこうだったなどという余計なことを挟んでしまうのだろう。
診断書を持って会社に説明に行ったところ、部長から
「4か月休職するように。退職金の前借をしてもいいので、どこか旅行にでも連れて行ってあげなさい。悔いがないように、楽しい思い出をたくさん作ってあげなさい」と言われたのだった。
妻にどこか行きたいところがあるかと尋ねたところ
「猫がいるんだから旅行なんて嫌!」
ときっぱりと断られてしまった。
この猫はしぐれくんという、サバ白のオス猫だ。
雨の日の夕暮れに妻が2匹の子猫を拾って帰り
動物病院に連れて行ったのだが、メスのほうは助からなかったのだ。
名付け親も妻である。
「ここが白、ここがグレー。しろ…グレー…しろグレー…しぐれ!」
しぐれくんは妻にとてもよく懐いていた。
自分の命がもう長くないことを知った妻は
「ごめんね、しぐれくんにまた悲しい別れを経験させてしまうけど、ごめんね…」
とまず猫の心配をして
「早瀬君が1人になっちゃうね…しぐれくん、早瀬君のことをよろしくね!」
と、猫の次に俺の心配をしたものだった。
しかしよく寝ているな…
きっと痛み止めが効いているのだろう…
そう思って、痩せてしまった妻の顔を覗き込もうとしたとき
妻と猫の間に、青白い光がチカチカと瞬いているように思えた。
(なんだこれ…)
きっと偏頭痛の兆候なんだろう。
頭を軽く振りながら後ずさりをしたところ
妻の耳が、ピクピクと動いた…ように見えた。
うっすらと目を開けた妻が、徐々に目を覚ます。
猫はまだ寝ている。
「あ…おかえり~」
「あ、うん、ただいま。起こしちゃってごめんね?」
「平気だよ、会社どうだった?」
「疲れた!なんかさぁ、腫れ物に触るようにってやつ?気まずくてさ」
「ふふっ、多分私が会社の人だったとしても、そういう反応しちゃうよね」
俺はなぜ妻にこんな弱音を吐いてるんだろう?
一番弱音を吐きたいのは妻のほうなのに。
「よっこいせっと」
「どうした?飲み物欲しいなら取ってくるよ」
「ううん、トイレー。大丈夫だよ!」
妻が起き上がった気配で、猫も目を覚ました。
いつもなら、どんなに小さな物音でも目が覚めていたのに?
鍵を開けたら玄関先にいつもしぐれくんがいたのに?
小さな違和感を覚えつつも
(妻の隣だとこんなにもしぐれくんは安心して眠れるんだな)
とその時は感じたんだ。
ーーーーー
眠れない夜、俺は妻の葬儀を想像してしまう。
お義母さんは泣くんだろうな。
誰と誰に連絡をしたらいいんだろう?
会社の連中は駆け付けてくれるだろうな。
皆の前で喪主挨拶をするのはキツイな…。
火葬場の赤いボタン…
アレを俺は押せるのだろうか…
ーーーーー
自宅療養の条件として、2週間に1度の通院が義務付けられていた。
妻の状態を問診し、入院したいかどうかの希望を再確認するためと
大量の鎮痛剤を1度に処方できないからだそうだ。
今日はその通院の日だ。
「あれ?少し顔色がいいようですが、何かいいことがありましたか?」
「いえ特に変わらない日常生活を送っています。多少食欲が戻ったような…」
「吐いていませんか?必要なら吐き気止めを処方出来ますが」
「今のところ吐き気がないので大丈夫です。」
「痛みは?変化ありますか?」
「えーと、痛み止めを飲み忘れちゃうこともあって…」
担当医が何度も首をかしげながらPCに入力する。
「では2週間分のお薬を処方しておきますので。お大事に」
そして薬局に寄り、帰宅した。
猫のお出迎えは無かった。
猫は寝ていた。
眠ったように、冷たくなっていた…
ーーーーー
冷たくなったしぐれくんを抱きしめて、妻は半狂乱になって泣き叫んだ。
「なんで?なんで?どうして?なにも気付いてあげられなかったよ!せめてそばにいてあげたかったのに!なんでよ!私のバカ!」
その言葉は、妻が自分自身を責めている言葉だった。
だけどその言葉のナイフは俺自身にも鋭く突き刺さった。
妻がこうなる前に、なぜなにも気付いてあげられなかったのか。
それは俺が自問自答し続けていることに他ならなかったのだ。
俺は混乱する頭で、必死に言葉を紡いでいく。
「飼い主に先立たれるほど、ペットにとって辛いことはないって言うよ。しぐれくんはキミとどうしても一緒にいたかったから、先に行っちゃったんだね。今日はキミも疲れたんだから、横になって。後は僕に任せて欲しい」
ーーーーーー
それから3日間、妻はベッドで泣き腫らしていた。
「少しでも胃に入れないと鎮痛剤飲めないよ?」
おかゆを持って行っても、見向きもしない。
「今日こそはおかゆ食べてね。じゃないと鎮痛剤飲めないからさ」
「飲んでない…」
「鎮痛剤を?」
「うん…痛いとか感じてる余裕が無くて…」
おかしい、妻は耐えがたい激痛に見舞われている筈なんだ。
「ねえ、変なことを聞いてごめん。本当に鎮痛剤飲んでないの?今は痛くないの?」
「あれ?そういえば…おかしい…痛…くはない…」
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次の通院の日
「あの…かわいがっていた猫が死んじゃったんです…」
「それはお辛いですね…気分が落ち着くお薬を処方したほうがいいですか?」
「あの…それが…何か体が…変わったような…うまく言えないのですが…何かおかしいんです!」
検査のために入院になった。
セカンドオピニオンも受けた。
妻は
治らないはずの妻の病気が治っていたのだ。
その後も月1の通院で検査を受け続けたのだが、妻の体は健康そのもので、悪いところはどこにも認められなかったのだ。
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それから2年…
ハイハイする我が子に目を細める妻がいる。
早瀬 紫雨と名付けた愛しい我が子だ。
紫雨は妻の膝に頬をこすりつけるのが好きなようである。
俺は紫雨と妻の間で青い光が瞬くのを見た気がする。
ーーーーー
それから2年半
紫雨の3歳の誕生日だ。
お祝いのケーキのろうそくを吹き消した紫雨が、妻にこう言った。
「あのね、ボクのろうそくはもっとあったの」
「なぁに?しぐれくんは3つだから、ろうそくは3本だよ」
「違うの、ぼくはろうそくをママにあげたんだよ」
「何を言ってるのかわからないわ?ママはケーキ屋さんでろうそくを貰ったのよ?」
「違うんだって!ボクのろうそくをママにあげたの!」
「紫雨寝ちゃったか?」
「うん、なんだかわかんないけど得意げだったわよ」
「紫雨は結局何を言いたかったの?」
「あたしを助けたんだって!ふふっ、じゃあ紫雨くんは私のプリンスだよね!」
「パープルレインパープルレイン♪そうか、確かにプリンスだな」
何気ない他愛無い出来事…
幸せな夜を過ごした。
ーーーーー
それから9年経った。
小学6年生の紫雨が、珍しく俺に話があるという。
「なんだ?テストの点が悪かったのか?ママに叱られたのか?」
「ううん、違うんだ。パパに僕の話を聞いて欲しい。」
紫雨の話を要約して書いておく。
紫雨は確かに猫だったそうだ。
私の妻に拾われ、母親のように慕っていたんだそうだ。
ところが妻が苦痛に呻いていることに気がついた。
そこで紫雨は、いやしぐれくんは
妻の持つ苦痛の種を自分が全て引き受け
自分の本来の寿命を示す『ろうそくのようなもの』を16本、妻に託したんだそうだ。
「ママにはその話をしたのかい?」
「うん、完全に信じてくれた」
パパは?と探るように俺の目を見つめてくる。
「そういう夢を見たってことか?」
「そういう夢『も』見た。だけど違うんだ。覚えてるんだ」
「えーっと、キミは何者?猫のしぐれくん…?なわけないか…」
「ぼくは元猫のしぐれくん、人間の命を助けたことで、人間として生まれ変わったんだよ」
「俄かには信じがたいな、でもママが大病を患っていて、奇跡的に回復したのを目の当たりにしてきた俺としても、完全なウソとも言い難く…」
「それでね!パパに相談があるんだ!」
「ん?」
「ママは今度こそ…死んじゃう…もう僕が何かをしてあげられる方法もないみたい…」
「もし仮にそんな方法があったとしても、ママは喜ばんわな」
「ママの残りのろうそくはあと1本しかないんだ…」
「それは1年後っていう意味か?」
「うん…」
「もうどうしようもないんだな?」
「うん…」
「わかった!」
「え?」
「パパ会社辞めてくる!3人で旅行しまくろう!」
ーーーーー
その後病院にも行った。
何も異常は見つけられなかった。
だけど俺も妻も、紫雨の言うことだけを信じた。
そして本当に1年後、妻は静かに息を引き取った。
しぐれくんのくれた16年を、彼女らしく生ききったのだ。
こんな大切な宝物を授かることも出来たのだ。
妻の目に後悔は微塵もなかった。
甘えん坊で泣き虫だった紫雨だが、葬儀では涙ひとつ見せなかった。
中1のガキなわけだが、ママの代わりにパパを守るんだ!という決意が籠った瞳をしていて
コイツいつの間にこんなに立派になったんだ?って驚いたものだった。
ーーーーー
大人になった紫雨は、料理人として働いている。
「俺もいつまでも元気でいられるわけじゃないので、早く孫の顔を見せろ!」と言っても
浮いた話ひとつ無いようだった。
なのに…
「父さん。今度会って欲しい人がいるんだ」
なんとまぁ…
紫雨より15歳も年下のお嬢さんを連れてくるとは思ってもみなかった。
しかも陽平の娘さんだぜ?
世の中は狭いっつーかなんていうか…
おい、妻よ、どうなっちゃってるんだろうね?
「俺さ、早くに母さん亡くしちゃったからさ、しっかりしなくちゃって思ってさ、だけど彼女にだけは不思議と甘えられるんだ」
「私も…すっごい年下なので!生意気かもしれないんだけど!この人ほっとけないっていうか、大事に守ってあげないとって思うんです。変…でしょうか?」
変じゃないよ、と。
俺は心の中で呟く。
だって2人の間で青白い光が瞬くのが見えちゃったから。
「またどうやって知り合ったの?ひょっとして陽平の紹介とか?」
「あたしがね、パパに美味しいデミオムライスを作ってあげたくて、食べ歩きをして研究してたんです。それで彼のお店に行って」
「そうそう、本格的に作るとなると大変だから、家庭で手軽に作れる方法として、お好み焼きソースを使えばいいよって教えたんだよ。」
「そしたらパパが!あっ…と…父が!この味だー!懐かしいー!って泣いちゃって!」
「お礼を言いに来てくれたんだよね、んで律儀な子だなーって思ってさ」
あー、なんだろう。
軽い嫉妬?
いや、厳密には嫉妬じゃないんだけどさ。
広ーい分類上は嫉妬?
妻がしぐれくんを拾ってきた日のことを思い出す。
「なぁ、そろそろハラ減ったんだけど」
「今それどころじゃないのよ!この子が死んじゃう!あなたはカップ麺でも食べてて!」
って突き放された時と、これは同じか。
「嫉妬…ジャナイヨ…」
紫雨夫妻は、なんと我が家に同居することを希望しているという。
彼女さんが、俺の老後の面倒を見る気満々で、フンガーしているそうだ。
だって私が先立っちゃったからね…
ふと妻の声が聞こえた気がした。
命は巡る、こうやって
時を越えて種族も超えて…
魂は紫の雨に乗って…
投稿の仕方もよくわからんまま、書き殴ったりました!
読んでくださってどうもありがとうございました♪