昔話
この世にさようならをするにはあまりに早すぎる。そんなことを思うだろうくらいには、俺の体は貧弱であり瀕死の道を突き進んで行った。
産まれた頃の俺自身は、低体重でもなかった。むしろ、健康的な体重ではあったらしい。しかし、問題があったとすれば原因が一切分からないという点に終着する。
原因不明の発生不明。ウイルスによるものか。はたまた、俺の心臓が脆かったせいなのか。どちらにせよ、俺が産まれて数日後には、意識不明であった。
心臓も止まって、呼吸もしていない。
心臓マッサージも、呼吸器を付けていても生きる希望が宵闇を進むよりも難しいくらいには、無かったのが事実である。
悲しいかな。宿命かな。それとも運命かな。はた、因果かなとさえ思うような残酷な現実が、たった一人の赤ん坊に降り掛かったはず。そのはずだったが。
ある悪魔が、それをどうにかしたのは言うまでもない。
いや、どうにかしたかったが、それしかできなかった――というのが正しいことかもしれない。
俺は無事、悪魔の力によって一命を取り留めたものの、悪魔の力を受けなければ死んでしまうようになってしまった。いわゆる、屍か。寄生虫に操られる宿主か。生きているのか死んでいるのか分からない状況と、身体の不思議を加味すればゾンビと表現しても差し支えないほどに、俺の体は俺自身の意志で生きていない。
全ては悪魔の――遊のさじ加減によって決まる。
そんな生き方を強いられ、そんな運命を背負うことになってしまったとすれば、必死に生きたいという切迫性をもった未来希望よりも、いつ死んでもいいという死生観に繋がってしまっているのだ。
まぁ、もう既に死んだようなものだから何をしてもいいと穿った考え方ができなくもないが、そうしない辺りが無難な道を進むべき思想なのかもしれない。知らないが。
「お兄ちゃん、また難しいこと考えているでしょ」
「そうだな。俺は産まれてすぐに歩いて天上天下唯我独尊と呟くくらいには知性のある人間だからな」
「質問の回答になっていない辺り、誤魔化したいことでも考えてたのはアタシでもわかるよ」
ここら辺が、数年来の付き合いか。それとも、悪魔の勘とやらか。意外と人外にも人間の思考の単純さと複雑さには理解ができているようだ。
「ダメだよ。ちゃんと歩く時は集中しなきゃ」
「だからってさりげなく俺の手を握ろうとするな」
素早く妹の手を振り払い、外に出しておくのは危険だと判断し、ポケットにしまいこむ。
それを見ては、膨れっ面でこちらを睨んでくるが今どき兄妹であっても手を握って登校なぞしない。諦めろ。
「いいのかなお兄ちゃん。そんな態度で」
「なんだよ。脅しなら効かないぞ」
そもそも、ここにある命であっても借りているだけに過ぎない。何をされても大丈夫というわけではない。
何をされてもどうでもいい境地に至っているのだから、俺には脅しなんて無意味でしかない。
「平凡を生きたいお兄ちゃんの癖に、脅しには屈しないなんて平凡とは程遠いよ」
「目立ちたくないだけだよ」
「じゃあ、いやでも目立つようにすれば脅しになるわけだね」
「本当に勘弁してくれませんかね……?」
「うーんまだ何も言ってないんだけどね?」
ごめん。お兄ちゃん。意外と脅しに屈しやすいのかもしれない。
「そんな雨に濡れた段ボールみたいな顔しないで」
「雨に濡れた段ボールに顔があるのかよ。ちなみに、どんな顔なんだ」
「しわくちゃで、よぼよぼ」
「お前の顔面を涙で濡らしてやるぞ」
「嫌だよお兄ちゃん。妹の顔に涙押し付けないで」
そういう意味で言ったわけじゃないし、泣いているのは俺かよ。
いや、主導権というか。実権を握られているのだから、ある意味泣きたいくらいの立場なのかもしれない。
「まぁ、そこまで誤魔化したいのなら分かったけど。あまり抱え込まないでね?」
「どの口が言ってるんだが」
抱え込んでいるのはお前だろうが。
――そう、言ってやりたい気持ちは山々だが、そんなことなど言えるわけもない。
少なくとも、俺と一心同体どころか。一魂同体にしてまで、俺の命を繋ぎ止めているくせに。
ここで昔話の続きに戻るわけだが、遊の気まぐれで生きている俺にはある種の枷――いや、制約というべきか。生きていくために、絶対的必須の要素が加わった。
お察しの通り。いや、察しが良くなくとも問題ない。
少なくとも、俺の物語はなんの変哲もないし、怪しい組織が動くことなんてないし、魔王が現れて暴れ出すなんてないし、妖怪が襲ってくるなんてこともないし、他の悪魔が心臓を奪いにくることなんてのもない。
だから、言ってしまうのだが。心の内で秘めていても良かったことかもしれない。しかし、言っちゃうのだ。
俺は平凡を生きたい。妹は俺を生かしたい。
そのためには、毎朝のキスが条件だということを。