報道
その日の朝は非常に快晴であった。
そして、最悪だった。
「――んちゅ」
唇への違和感。その柔らかな感触によって目が覚める。ゆっくりと目を開くと、目をつぶりながら真剣に俺の唇を貪っている妹がそこにいた。
そして、意識が覚醒していけば実感するのが遊の重さ。
「どけろって」
「いやん」
いやん、てなんだよ。色気が無さすぎるだろ。
「お兄ちゃんてば、強引ね。そのままアタシを押し倒してくれればいいのに」
「嫌なこった。ほら、着替えるから早く出ていけ」
「……手伝おうか?」
ムカッときてしまい、思わず遊の首を絞めながら部屋から叩きだす。朝っぱらからダルい絡みをしてくるのが悪い。思わず本気で締めてしまったけど、大丈夫だろうか。
「もう、強引なお兄ちゃん……。でも……ちょっと良かったかも」
「…………」
心配しない方が良さそうだ。扉の外から聞こえてくる吐息混じりの言葉に、より一層の疲労が襲う。
なんで、ここまで疲れなきゃいけないのか。もっと、優雅な朝があってもいいと思う。
こんな騒々しい朝なんてごめんだ。
▽
着替えた俺がリビングへ入るなりに、出迎えたのは温かな香り。あまじょっぱい、それでいて落ち着くような匂いが脳を覚ませば、いつもの――それこそ数十年来の関わりを持つ、ちゃんとした血縁関係の二人がテーブルに向かい合うよう座っていた。
「おはよう戒。ちゃんと起きれたわね」
「おはよう。毎日しっかり起きてるて」
誰かさんの熱烈な起こし方で。
そんな誰かさんも俺がテーブルに着いた頃にようやく、身支度を済ませて降りてくる。
この間でも父親はだんまりと新聞を眺めている。
「おはようお母さん」
「おはよう遊。さ、みんな着いたし食べちゃいましょうか」
遊の着席に合わせて、母親が号令を唱えれば父親も顔を隠すように読み耽っていた新聞をこれまた丁寧に折りたたんで、箸を手に取る。
「「「いたただきます」」」
手を合わせ、目の前の米と目玉焼き、冷奴に味噌汁と贅沢とは程遠いような、それでいても昨今の食事事情を鑑みれば、そこそこ贅沢な朝食へ感謝を述べる。
朝早く、それも四人分を作るとなれば例え目玉焼きだろうと、味噌汁だろうと大変なことに変わりない。眠い目をこすりながら、それでもみんなのためを思ってやってくれていることに感謝しなければ、いつか失った時に気づいても遅い。感謝はできる時にしろ。そういう教えも含まれてはいるのだろう。
かといって、それを面と向かって伝えられるような度胸やら勇気やらはなく、年相応と容姿相応の気恥ずかしさが邪魔をする。
「――ところで遊。最近学校はどうなの?」
「んー……。楽しいかな。うん、楽しい。ちょっと皆からちやほやされちゃうけど」
「そりゃ、遊は美人さんだし勉強もできるってなったら放っておかないわよね」
「だから面倒ではあるんだけどね。それを抜きにしたら楽しいかな」
なんとも大人びた発言を聞き流しながら、味噌汁を啜る。時折流れ込んでくるワカメをある程度噛んでは、飲み込みながら、学校生活を送っている妹の姿を思い返す。
確かに面倒そうではあった。
美人で、勉強ができる。母親はそんなことを言っているから、呑気に考えているのだろうが、クラスの中でも群を抜いて容姿が整っているとなれば話は違う。
一クラス。されど、一クラスの中の平均値にはそぐわない人間がいるとなれば、周りが合わせるか。それとも、周りが遠ざかるか。その二択でしかない。
イジメの原因にもよく似ているが、クラスという中は小さな社会であり、クラスの平均値から外れた者がいればそれは除外対象となるのだ。個人であり、社会性をもった人間であればあるほど、そして、未だに社会に馴染むのに十数年しか経験していない未熟な俺達が勝手に形成しようとしているからこそ、遊はイジメられるか、遠巻きに眺められるか、どちらにせよ友達がいない道を進むしかなかった。
……しかし、だ。それはあくまで、他人の話であって。他者の思惑であって。遊個人の行動によって変化するといっても過言ではない。
彼女が面倒だと言ったのは、それが全てなのだから。
「聞いたわよ。皆テストの成績が良くなったて。遊が教えてくれたお陰だって、凄いわね。我が娘ながら誇らしいを通り越して尊敬に値するわ」
「ふっふっふ。なら今日の晩御飯はピザでもいいんですのよ?」
「あら残念。今日は筑前煮の予定よ」
「あら、それもいいかもしれないわ。ありがとうお母様」
いつの間にやら食卓に集うはエセ貴族。いや、令嬢か。そんな反応をできるくらいには、遊はなんとも思っていないのだろう。なんの成果として感じていないのだろう。
「ところで戒はどうなの?」
「どうって、なにが?」
「そりゃ勉強よ。成績はどうなのって聞いても教えてくれないじゃない」
「問題ないから教える必要がないってだけだよ」
「なら見せてもいいじゃない」
この妹にして兄はさぞ優秀なのだという意識でも働いているのだろうか。無関係な二つの物事を繋げているだけなのか。どちらにせよ、妹が優秀だとすれば兄は平均値を漂うべきである。その方が余計に目立たなくて済む。
「いいけど、妹に対しては面白みなんてないよ」
「いいのよ。好きな物の勉強を頑張ってくれるなら私はそれだけで充分だから」
「好きな物なんて特にはないけど」
自分を産んだ親だからだろうか。甘いものではない。ただ、同時にありがたくもあった。全てを平均値で過ごせるような才能はないし、いつしか崩れていくのは目に見えている。どれかが右肩下がりに落ちていき、どれかが右肩上がりに上がっていく。もしくは、全部が直角に落ちていくかのグラフを形成する。
だから、今はなくともいつかはできる好きな物に時間を費やしても問題ないという免罪符ができているのなら、甘んじて受け入れよう。甘んじて与えてくれたものを甘んじて食する。
「私はあんた達が元気でいてくれたらそれでいいのよ」
「お、お母さん。それは名言というやつですかな」
「そうよ。こう見えてお母さんは名言製造機なんだから」
それは黒歴史も一緒に生成しているんじゃないだろうか。
「本当、あんた達。特に戒は生きていてくれて感謝しているくらいなのよ。あの時はどうなることかと思ったけど……お医者さんの腕が良かったから、なんとかなったけど、お母さんの寿命は縮んじゃったわ」
「じゃあ、そのお医者さんに治してもらえば」
「いやよ。不倫になっちゃうじゃない。私はお父さん一筋なのよ」
何をどう考えたら不倫になるんだよ。
そんなツッコミをしたかったが、この話題を出せば遊の表情が固まってしまうのはいつものことであった。
だから、フォローしたんだが、やはり引き摺ってはいるようだ。いや、引き摺っているというよりかは後悔しているのだろう。
俺を助けられなかったことを。