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第32話 文月のいない教室

「ねーねー、ゆーせい! 昨日の東京オンエアの動画見た?」

「見た見た! てっちんとユウマリンの破局報告だろ?」

「そう! あり得なくない!? 交際してまだ二ヶ月も経ってないのに!」

「いや俺言ったじゃん! 根が真面目でめちゃくちゃ良い子のユウマリンが、チャラ男のてっちんと長続きするわけないって!」


 朝の教室。

 今日も今日とて、陽菜と悠生は流行りのyoutuberの話題で大盛り上がりだ。


(今日も来ない、か……)


 一方の奏太は、誰も座っていない文月の席を眺めていた。

 文月が学校に来なくなって、今日で一週間。


 実質、クラスメイトの一人が消えたようなものなのに、日常は変わらず続いている。

 文月の欠席について触れる者は誰もいない。


 教師も文月の欠席については『体調不良』の一点張りだった。

 唯一気にかけているのは、奏太だけ。


「元の状態、ね……」


 誰にも聞こえないボリュームで、呟く。

 今まさに、その言葉の意味通りになっていた。


 文月が学校に来なくなる事で、元の状態──奏太と文月が出会う前の状態に戻っていた。

 文月が自分の過去を明かしたあの日、薄々こうなるのではという嫌な予感はあった。


 だが一方で、次の日から何事も無かったかのように同じ日々が続くのではと楽観もしていた。

 いざ本当に文月が学校に来なくなってようやく、彼女の言葉が冗談でも嘘でもない、本気だったと思い知った。


(このまま、ずっと来ないつもりなのかな……)


 文月ならあり得る、と奏太は思った。

 ぼんやりとしたイメージが脳裏に浮かぶ。


『残念ですが、文月葵さんは諸事情により転校されました』と淡々とした口調で言う沖坂先生に、毛ほどの興味も浮かべないクラスメイトたち。


 想像していたら、腹の底が裏返るような不快感があった。

 文字通り、文月が『異物』として排除された日常に違和感を覚えていた。


「奏太もそう思うよね!?」

「…………え?」


 テンションの高い陽菜に話を振られて、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする奏太。


「あっ、ごめん、聞いてなかった、なんの話?」

「ぼーっとしてる場合じゃないよ! てっちんとユウマリンの破局動画! 昨日投稿されたっしょ! あれ、あり得なくない!?」

「あ、ああっー……」


 そういえば昨晩、そんなタイトルの動画の通知が来たような気がする。


「ごめん、実はまだ、昨日の動画は見てなくて……」

「ええー!?」


 頭を抱えてオーマイガーと言わんばかりのリアクションをする陽菜。


「そりゃないよそーちゃん! Youtuber界を揺るがす大事件だよ!」

「ほんとだぞ奏太! マジでやっべーから、秒で見た方がいい!」


 熱を帯びた顔が二つも迫ってきて思わずたじろぐ。


「うひゃー……ごめんごめん、昨日は何だか眠くて……」


 我ながらグダグダな言い訳だったが、不思議と取り繕う気になれなかった。


「まあーそろそろ期末テストだからねー。寝不足週間に突入しちゃうのはわかるけど、息抜きもしないとだよ!」

「テスト……」


 ──今度の期末テスト、現国の問題教えて!

 ──はい?

 ──おっと、ゴキブリを見る目ですね。


 文月とのいつかのやりとりを思い出す。

 テスト勉強なんかしちゃいない。


 昨晩はずっと、ぼんやりとしていた。


 昨晩どころか、文月が学校に来なくなってからボーッとする事が増えた。


 ちらちらと文月の事が頭に浮かんで、読書も勉強も手がつかない日々が続いていた。


(……なんて言ったら、二人はどんな反応をするだろう)

「そういえばそーちゃん、『ちぬぼく』の続き見た?」

「チヌボク?」

「もー、まだぼやっとしてるの? 『血濡れた廃墟で僕たちは』だよ! ほら、奏太も面白かったって言ってたじゃん」

「あー……」


 ──友達からお勧めされた漫画を探してるんだけどさ、いくら探しても見つからないんだ。

 ──なるほど、タイトルはなんでしょう?

 ──えっと……『血濡れた廃墟で僕たちは』だったかな。

 ──なるほど。


 また、文月とのやりとりを思い出す。


(だいぶ重症だ、これ……)


 事あるごとに文月の事を考えてしまう。文月に会いたいと思っている自分がいる。

 でも同時に、会うべきではないと理性が強く歯止めをかけていた。


 ──現代では、一人でいたいなら一人でいればいいという選択が取れるんです。

 ──私はずっと、一人がいい。

 

 言葉の通り、文月は誰とも関らず一人になる事を選んだ。

 その選択をするためには、並々ならぬ覚悟が必要だっただろう。

 

 しかしそれほどまでに、文月は苦しんでいたんだ。

 家族にも友人にも集団生活を営む性格にも恵まれて、ぬくぬくと育ってきた自分に文月の苦しみはわからない。

 

 人生は地獄よりも地獄だと言い放った文月の苦痛を計り知る事はできない。


 だからこそ、無責任な事は言えない。

 

 文月も悩んで悩んで悩み抜いた末にこの選択をしたのだろうから、彼女の意思を尊重するべきなんだと頭ではわかっていた。


 何度もその結論に行き着いた。


(けど……)


 感情の部分でどうしても納得する事ができなくて、悶々としているのも事実だった。


「おーい、そーちゃん、おーい」

「へっ?」


 顔の前で掌をフリフリされてハッとする。


「さっきからどうしちゃったの? いきなり固まっちゃって……」

「奏太、大丈夫か? お前なんかおかしくね?」

「もしかして具合悪い? 保健室一緒に行こっか?」

「ああ、いや、大丈夫だよ! たぶん普通に寝不足なだけで……」


 心配そうなふたりの表情を見て慌てて弁明する。


「ふーん、なら良いんだけど……今日はちゃんと寝ないとだよー?」

「わかってるって」


 はははと、奏太は乾いた笑みを浮かべた。


「それで、『ちぬぼく』の話だったよね?」

「そそ! 『ちぬぼく』! そーちゃんといつ、二巻について語り合えるのかなーと思って!」


 爛々と瞳を輝かせる陽菜を前にして、考える。

 今までの自分だったら、脳死で二巻の購入を約束しただろう。

 表情筋が攣りそうな笑顔を振りまいて「楽しみー!」とかなんとか言ってたに違いない。


(でも……)


 なんとなく、今はそうする気になれなかった。

 周りに合わせるために自分の好みに嘘をつきたくないと思った。


 以前の自分には見られなかった心境の変化だ。


 ──清水くんは一体、どこにいるんですか?


(俺は、ここにいる)


 また脳内に響く文月の声に、奏太は応える。

 場が白けるかもしれない、陽菜も不機嫌になってしまうかもしれない。

 そんな可能性が脳裏にチラつきつつも、奏太は言った。


「ごめん、多分二巻は買わないかな」

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