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バケモノから見た毒花③

「静かに」


 同じ言葉が繰り返される。


 やがて遠目に妻の姿を見つけた時――彼女の足元には十人ほどの子どもたちが座っていた。


(子ども? 一体何を……)


 誰かに会っているのだろうとは思っていた。

 しかしそれは、成人男性との密会だと信じて疑わなかった。


「ではまず昨日の復習をしましょう。この間に入る言葉は何でしたか? みんな手元に書いてみて」


 ラフィーナが小枝でむき出しの地面に文字を書く。

 子どもたちも不慣れな様子で、懸命に土を引っ掻いた。


「みんな正解です! しっかり理解できていますね」


 ひとりひとりの足元を見て回ったラフィーナは、手を叩いて子どもたちを褒めた。


「……読み書きを教えているのか」

「そのように見受けられますな」


 辺境伯夫人が領地の子どもに読み書きを教える。

 問題ないどころか、褒められるべき行為だ。


 しかし彼女は『王都の毒花』ではなかったのか。

 夜毎に違う男と過ごし、社交界を荒らしたことで辺境へ厄介払いされたのではなかったか。


「さて、約束通り、今日はおやつを持ってきましたよ。トニの家でもらったレモンで作ったものです。トニ、とても美味しいから売りに出せるんじゃないかしらって、お母様に伝えておいてね。レシピも教えますから」

「本当!? 母ちゃん毎日仕事で、ひどいヤトイヌシってやつにこき使われててさ……」

「レモン商品が売れるようになれば、きっとお母様が人を雇う立場になるわ。辛さを知っている分、優しい雇い主になるでしょう」

「うん! オレも手伝うよ!」

「偉いわ。でも、子どもは勉強も仕事のうちですからね」


 洗濯場のメイドに混じっていたことも。

 本来捨てるはずのレモンの皮を加工していたことも。

 子どもへの教育も。


 ラフィーナに抱いていた印象の全てが間違っていたのだろうか。


「あれのどこが毒花なのか……」

「ええ。我々は少々、反省しねばなりますまい」

「そうだな」


 遠い王都での噂などあてになるものではなかった。

 くだらない情報に惑わされて、見たこともない相手に勝手な印象を抱いていたのだ。

 少々どころか、大いに反省するべきだった。


「一度妻とゆっくり話をしてみたい」

「すぐに調整いたしましょう」

「頼む」


 領内の教育について意見が聞きたい。

 この辺りでよく勝手に生っているレモンも、他に使い道があるのか教えてほしい。

 城内の人手不足解消に向けても相談してみたい。


 それよりも。


(ラフィーナ、か……)


 彼女のことをもっと知りたい。

 ベリオンはこの日初めて、妻に興味を抱いた。



 それからすぐに予定を調整した。


 この日の午後は、ラフィーナと腰を据えて過ごすために丸ごと空けている。

 少々緊張しながら午前中の執務をこなしていると、執務室の扉が叩かれた。


「入れ」


 所用で出ていた家令が戻ってきたのだろう。

 書類に目を落としながら、ぞんざいな返事をした。


「……失礼します」

「あぁ……、え?」

「お忙しいところ申し訳ありません、閣下」


 扉を開けたのは家令ではなく、ラフィーナだった。

 両手に抱えるほどの大きな籠を持ち、遠慮がちな様子で入ってくる。


 ちなみに、例の微妙な変装はしていない。

 そばかすのない顔を見るのは結婚式以来だ。


「どうした?」


 今日の午後、一緒に昼食を食べながら話がしたいということは、侍女を通して伝えてあった。

 それに対して了承の返事もあったのだが、まだ時間には早い。予定外の訪問だ。


 一体どうしたというのか、まさか中止を告げに来たのか、などと考えた瞬間。


「あっ、こら!」


 ラフィーナが抱えていた籠の蓋が、内側からそっと開かれた。

 にょろんと出てきたものに身構えたのは一瞬で、緊張はすぐに解けて消える。


「勝手に出たらダメでしょ。戻りなさい」


 それは茶色い縞模様の毛玉だった。


「猫?」

「はい。この子をお城で飼う許可を頂きたくて」


 ラフィーナは籠を置いて猫を抱いた。

 そのままベリオンに視線を向け、経緯を説明し始める。


 この茶トラは近ごろ城の厨房近くをうろつくようになった野良猫らしい。

 今でこそ綺麗な毛並みだが、最初はずいぶん薄汚れて痩せていたようだ。


 哀れんだ厨房の人間が、いけないと思いながらも時々餌を与えるようになった。

 するとだんだん毛艶が良くなり、厨房の人間にも懐いたものだから、可愛がられるようになる。

 しかし場所は厨房、生き物の出入りが許されるものではない。

 どこか別のところへ行くように言っても当然言葉は通じないし、自宅で猫を飼う余裕のある者もいなかった。


 そんな折に厨房に出入りしていたのが、レモンを持ったラフィーナだ。

「うちで飼えないか聞いてみます」と言って、「うち」に猫を連れてきたと、そういうことだった。


「私が責任を持ってお世話しますので、どうかお願いします」


 ラフィーナは最後にそう言って締めくくる。


 結婚後、初めての願いだった。

 強請られるのがドレスでもなく、宝石でもなく、猫だとは。


「……ダメでしょうか……?」


 ちらりと猫を見る。

 猫はベリオンの視線など知らぬ存ぜぬといった様子で、ラフィーナの腕の中でくつろいでいた。


「いや、いい」

「ほんとですか!」

「武器庫など危ない部屋には入れないよう注意してくれ」

「はいっ」


 ベリオンを恐れないのならば城で飼うことくらい構わない。

 ネズミの一匹でも捕ってくれたらなおよしだ。


「よかったわね、ササミ!」

「ササミ?」

「この子の名前です。ササミが一番好きなんだそうです」

「そうか」


 変な名前だと思ったことは口にしないでおく。


「じゃあササミ、お部屋に行きましょうか」

「んなーう!」


 ササミはラフィーナの腕の中からするりと抜け落ちた。

 籠から抜け出た時といい、まるで液体のような動きだ。


 感心しているベリオンの足元までやって来たかと思えば、腹を見せてゴロンと寝転がった。


「な……」

「あら」


 ばんざいをするように身体を伸ばした後、今度はなぜかベリオンの足を噛みながら後ろ足で蹴り始める。

 硬い鱗に覆われているので痛くも痒くもないが、経験のない事態に大いに戸惑った。


「あ、危ないだろ」


 ベリオンの異形の足は生木も軽く蹴り倒せる。

 間違えて踏みつけでもしたら、このように小さな猫などひとたまりもないはずだ。


 下手に身動きが取れない。

 助けを求めてラフィーナを見ると、彼女は笑って見ているだけだった。


「元々人懐こい子ですけど、閣下が優しい方だって、ササミにも分かるんですね」

「……」


 何を言われたのか、理解するのに時間がかかった。

 そして、ほぼ無意識のうちに口が動いていた。


「……君は、猫じゃないのに?」

「へ?」


 一人で執務室にいたベリオンはすっかり油断していた。

 いつもの布を被り忘れ、この手で殺した砂漠の主とよく似た異形の姿をさらけ出している。


 しかしラフィーナは怖がる素振りを見せない。

 今この時はもちろん、初めて会った結婚式の時ですら。

 鼻で頬に触れただけとはいえ、婚姻の誓いも嫌がらなかった。


 あまりの恐怖に身動きができなかっただけだと考えたこともある。

 だが。


 ――閣下が優しい方だって


 優しいと。そう思っていたのか。

 ベリオンはラフィーナをずっと『王都の毒花』だと思っていたのに。


「あっ、ええ、まぁ、私は人間です、ね、はい」


 じわじわと自分が何を言ったのか理解し始めた頃、ラフィーナも何を言われたのか理解したようだった。

 そばかすのない白い肌が赤く染まっている。


「ササミ、邪魔したらダメよ」

「なぁんっ!」


 床に置いていた籠をラフィーナが持つと、ササミは器用にその中へ飛び込んだ。


「ササミのこと、ありがとうございました。それではまた後で」

「……あぁ」


 妻と猫が去る。

 一人になった執務室で、ベリオンは妙な高揚を感じていた。


(結婚とはこういうものなのか?)


 結婚に政略的な価値以外を感じたことはない。

 呪いを得て姿が変わってからは特に、その考えが顕著になっていた。


 しかし実際に結婚してみると、意外に悪くない。


 ベリオンは中断していた執務を再開させた。

 少しでも早く仕事を終わらせて、午後を妻と共に過ごすために。

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