バケモノから見た毒花②
しばらくしてビクターが連れてきたのは、二人のメイドだった。
てっきりラフィーナだけが出てくると思っていたので、急ぎ布を目深にかぶる。
一人は血の気のない顔で足元だけを見て歩く背の高いメイド。
そしてもう一人が、何故かメイドたちと同じ仕着を着た妻ラフィーナだった。
前に見た時と少し顔が違うように見えるものの、匂いは記憶にある通りだ。
妻はぺこりと頭を下げて言った。
「お疲れさまです!」
(お疲れさまです?)
上げた顔には、前はなかったはずのそばかすがある。
元々そばかすのある顔なのだろうか。それとも、あえて描き足したのだろうか。
(それで変装したつもりにでもなっているのか?)
隣に戻ったビクターに視線を向ける。
鼻が利かなくても分かりそうなものだが、家令はラフィーナに気づいていないらしい。
(嘘だろ)
妻が洗濯場に混じってメイドの格好をしている理由も分からなければ、夫に対して「お疲れさまです」と威勢よく告げる理由も分からない。
さすがに戸惑った。
「これは一体……」
「ちっ違うんです!」
ベリオンの言葉を遮ったのは、ラフィーナではない方のメイドだった。
何故か妻を庇うように前に出て、祈るように手を組んで続ける。
「どうかお許しください! 楽をしようと思ったんじゃないんです……あたしたちの手が荒れてるから、少しでも荒れにくくなるようにって、手が荒れていては仕事がはかどらないからって、この子が作ってくれて……でも、楽になったのは確かなんですけど……どうか、ばっ、ばっ、罰するなら……あたしも、作るのを手伝ったのでっ……!」
「……」
咎めるつもりはなかったのに、盛大な勘違いをされている。
しかしベリオンには慣れたことで、ため息も出なかった。
見た目が変わっても中身は人間だった頃と変わらない。
何も取って食ったりしないのに、ベリオンを前にした人間は大半が恐怖に震えて命乞いを始めるのだ。
ビクター曰く、相手も頭では理解しているらしい。しかし同時に、どうにもならないのだとも言った。
生後すぐの頃からベリオンを見ていたビクターですら、今の姿には恐怖を感じるのだと。
ベリオンと顔を合わせて平気な人間も少しはいるので政務は最低限なんとかなっている。
身体能力が向上したこの姿は、魔物との戦いが避けられない辺境の地では便利でもある。
(この姿も悪いことばかりではないんだがな)
「大丈夫だよ、アルマ」
ラフィーナが前に歩み出る。
泣きそうな顔をした同僚の肩に手を置いて続けた。
「楽をしようと思ったのも間違いではないので」
「えっ」
恐怖の抜け落ちた表情となった同僚を通り越したラフィーナは、躊躇うことなくベリオンの側に寄ってくる。
「質問にお答えするよう言われました。この洗濯機のことですよね」
「あ、あぁ」
「ではまず、構造をご説明いたします。気になることがあれば都度ご質問ください。ご覧の通り構造自体はそう難しくないものとなっておりまして、アルマのおかげで分解と組み立ても簡単になりました」
ラフィーナはたらい――洗濯木の横にしゃがみ、分解しながらあれこれと説明をし始める。
説明されて改めて感心する反面、ベリオンは少々呆れていた。
(もう夫を忘れたのか?)
泣く子も黙るバケモノを夫としながら、まるで初めて会う他人のような振る舞い。
ベリオンが気づかないふりをしていることに、気づいていないのだろうか。
そばかすの有無程度の変装に相当な自信を持っているらしくて、少し笑えてきた。
「試験導入を始めてから洗濯にかかる時間が削減されています。とはいえまだこれ一台のみなので、全体の割合としては微々たるものですが」
堂々としているラフィーナがおかしい。
声の震えで笑っていることが悟られないよう、あえて低い声を出す。
「では……どこかに外注して、同じものをいくつか作らせよう」
「ありがとうございます!」
「大きいものなら一度にたくさん洗えるのか?」
「いえ。大きすぎると私たちの腕力では回せなくなりますので」
ラフィーナは立ち上がり、洗濯用の溜め池に視線を向けた。
「馬に引いてもらって回すか、ここの水の汲み上げ動力を洗濯機の回転に利用して完全自動化させたいのですが、私程度の知識ではこれ以上が難しくて。材質も問題ですね。きちんと手入れしないと木が腐って大変……本当はアル……ステ……やっぱりプラ……ポリ……」
後半はもはや独り言となっている。声は聞こえているのだが、意味はさっぱり分からない。
しばらくして、もう一人のメイドがぽつりと呟いた。
「フィオナあんた……やっぱり只者じゃないよ……」
この場で唯一その声を拾ったベリオンは、布の奥で小さく頷いたのだった。
*
その後も妻の奇行は続く。
この日に出された茶菓子は、本来捨てる部分であるはずのレモンの皮だった。
「……」
領内に出る魔物への対処のために、味は二の次の携帯食で過ごす日々は多々あった。
それが尽きた時は、蛇でも蜘蛛でも獲って食べた。
そのベリオンですら、平時の執務室で生ゴミを出される日が来るとは思っていなかった。
思わず家令を睨んでしまう。
「ビクター」
「そちらはレモンの皮を甘く煮詰めて乾燥させたもので、レモンピールと言うのだそうです」
「全体的に白カビが生えているが」
「よくご覧ください。カビではなく、砂糖です」
「……」
視線に促されて、一つ口に運んでみる。
初めて食べるレモンの皮は少し甘くてほろ苦い。
こうまでしてレモンの皮を食べようという執念は何なのだろうか。
答えは一つしか見当たらなかった。
「……民をここまで飢えさせていたか。私は至らない領主だな」
「食に困ってのことではございません。奥様がお作りになられたものですよ」
「妻が?」
洗濯木を発明したかと思えば、今度はレモンの皮を食用に加工してみせたと言うのか。
「洗濯場やら厨房やらで、一体何をしているんだ。侯爵家の娘だったのだろう」
「最近は熱心に外へ出かけていらっしゃるそうで。侍女もずいぶん振り回されておりますね」
「…………馬車を出せ」
「かしこまりました」
王都の毒花と呼ばれたラフィーナのことだ。
いずれ何かやるだろうと覚悟していたが、白昼堂々とは予想外である。
(昼間から目立つようなことは困る)
貞淑な妻であれとは言わない。
しかし度を越えているようであれば、話し合いの一つでもしておかなければいけないだろう。
家紋の入っていない地味な馬車に、ため息とともに乗り込む。
執務室から馬車までの道中で羽織っていた布を取り去って、椅子に深く腰掛けた。
やがて馬車が止まる。たどり着いたのは宿か、劇場か、何らかの店か。あるいは誰かの屋敷なのか。
小窓から外を覗くと、そこには見慣れた建物があった。
「教会?」
「の、裏庭でございますな」
「理解に苦しむのだが」
まさか、教会の一角で毒の花を咲かせているのだろうか。
信心深い方ではないベリオンだったが、こればかりは神を哀れに思った。
再び頭から布を被り、極力気配を消して移動する。
ベリオンに気づいて息を引きつらせる教会関係者たちには、気づかないふりをした。
「――静かに」
異形の耳が妻の声を捉えた。
静かにしなければいけないのなら、教会の裏庭なんて選ばなければいいのに。
ベリオンは足を進めた。