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バケモノから見た毒花①

 ベリオンが執務室に入ると、歩く度に重く硬質な音が響いた。


 行動範囲にある床の絨毯は全て取り払われている。

 硬く鋭い爪に引っかかってしまうためだ。


 むき出しとなった床の石材からかつての光沢はすっかり失われ、よく歩く部分が傷つきくすんでいる。

 頭から被っていた暑苦しい布を脱ぎ去ると、控えていた家令のビクターが受け取った。


「妻は?」


 床に届くほど長い尻尾を横に流し、椅子に座る。


「本日も私室でおくつろぎとのことです」

「そうか」


 この結婚は、王家への忠誠を見せるために受け入れたものだった。


 バケモノ辺境伯にある程度の耐性があれば誰でもよかった。

 すると、よりにもよって『王都の毒花』などと呼ばれる女を寄越された。


 王都の社交界を引っ掻き回す女を厄介払いでもしたかったのか。

 バケモノと毒花、ろくでもない者同士ちょうどいいとでも思われたのか。


「昨晩も早いうちにご就寝、朝食の前にはご起床されたようで」

「健康的だな。これがいつまで続くか」


 調べによると『王都の毒花』は、夜の社交界に頻繁に現れていたようだ。

 相手に妻がいようが、婚約者や恋人がいようが関係ない。

 その美貌と甘い香りで男を惑わし、夜も深まった頃にどこかへ消えてしまうと聞く。


「そのうち田舎での遊び方も覚えるだろうな」


 そう口にはしたものの、アルガルドは田舎ではない。


 領内には海があれば港もある。

 交差する街道を有し、オアシスを辿って砂漠の向こうとも交易している。

 南方貴族や有権者が集まる場があれば、遅くまで営業している店もある。


 王都とは違った賑わいを持つ地方都市だ。

『アルガルドの毒花』が生まれる未来も遠くないかもしれない。


「しかし気丈なお方です。もったいないですなぁ」


 初めて顔を合わせた結婚式で、悲鳴の一つも上げずにバケモノからの誓いを受けた。

 その夜、主寝室に現れたバケモノに「こんばんは」などとのんきな挨拶をした。

 寝室を共にしないことを伝えた時には、さすがに安堵した様子を見せたが、気丈なことには違いない。


「もったいないとか言うな。いくら王都の毒花でも、このバケモノが相手ではどうにもならないだろ」


 自嘲気味に言って、ベリオンは書類仕事を始めた。


「そういえば、旦那様。一つ面白い話を小耳に挟みまして」

「なんだ」


 長く鋭い爪と指で器用にペンを持ち、家令の話に耳を傾ける。


「洗濯場のメイドが奇妙なものを作ったそうです」

「奇妙なもの?」


 初めのうちは、切ってもすぐに伸びる爪が邪魔でペンが上手く持てなかった。

 書類仕事が大いに滞った末に尖った爪の先をインクに浸してやろうかと思ったほどだ。

 インク垂れがひどかったので、すぐに止めたが。


「何でも、半自動で洗濯ができる道具だとか」

「魔法具か? メイドがどうしてそんなものを」


 魔法具を作れるほどの人間がメイドなどしているはずがない。

 思わず書類から顔を上げたベリオンに、ビクターは首を振ってみせた。


「魔法具ではありません。ただの道具です」

「それはまた器用な」

「ええ。洗濯が楽になったそうですよ」

「そうか……」


 確かに面白い話だった。


「見に行ってみよう」

「今からですか?」

「早いほうがいい。メイドたちには悪いが、私を見たくないならどこかへ逃げるよう伝えてくれ」


 ベリオンが呪いを受け今の姿に変わってから、城の使用人が一気に減った。

 以来、この城は慢性的な人手不足に陥っている。


 もし重労働である洗濯が少しでも楽になるのなら、他の場所に人員を補填できる可能性も出てくるだろう。


「かしこまりました。せっかくの機会ですので、奥様もお誘いになられてみては?」

「不要だ」


 そういったことを考えるのは本来、女主人の仕事となる。しかしベリオンはラフィーナにそこまで求めていなかった。


 厄介だった砂漠の主を討伐し安全をもたらした辺境伯へ、褒賞という名目で世話された結婚だ。

 その実、安定した交易を手に入れた辺境伯への忠義心を図るため送り込まれた重しでもある。


 本来は王家が担う役目なのだろうが、今の王家に未婚で適齢期の姫はいない。

 近い血筋の令嬢は軒並み、バケモノの妻になることを泣いて拒否したと聞く。


 巡り巡ってベリオンの妻となったのがラフィーナ。

 数代前の王族の遠縁にあたる侯爵家の娘だ。


 王都の社交界の平和のためにも一石二鳥と押し付けられたような妻だが、何かあれば王家に敵意を向けたと都合よく解釈されるだろう。

 王家とも妻とも面倒事は起こしたくない。


 部屋でのんびりしているのなら、好きなだけそうしていればいいと思う。

 バケモノ姿を見ても平然としているだけで、ベリオンにとっては十分だった。



 洗濯場に近づくにつれて、水と洗剤の匂いが濃くなっていく。

 その中に覚えのある匂いがわずかに混じっていて、ベリオンは顔を上げた。


 ベリオンの身体能力が人間のそれを遥かに上回ったのは、砂漠の主とよく似た今の姿となってからだ。

 単に筋力だけではなく、聴覚や嗅覚も向上している。


 何の匂いだったか思い出そうとしているうちに、先を歩くビクターが足を止めた。


「旦那様、こちらです」


 角ごと顔を覆った布を脱ぐ。

 開けた視界には、蓋の付いた取っ手付きのたらいがあった。


「これが。取っ手を回すと……なるほど、中身が回転するのか」


 ありものをかき集めたような雑な作りだが、よくできている。


「これを作った者はなかなか賢いな」


 先程気になった匂いと同じものが、たらいからも漂ってくる。


 おそらく作成者の匂いなのだろう。

 どこかですれ違ったことでもあるのかもしれない。


「ビクター、あとでこれを作ったメイドと話をしておいてくれないか」

「かしこまりました」


 城下の職人に命じて同じものをいくつか作らせてみようか。

 大きいたらいを使えば、大物の洗濯も楽になるだろう。


「図面も書けるといいんだが……」


 言いながら、ベリオンはふと視線を後ろに向けた。


「……」


 辺りを見回す。

 おそらく洗濯場のメイドたちが隠れているのだろう小屋に視線を定めて、近づこうと足を進めた。


「旦那様、なりません。城中の洗濯が滞ります」

「……ではビクター、これの製作者を呼んできてくれ」

「ですから」

「大丈夫だ」


 その人物はベリオンを恐れない。


(一体何を企んでいるんだ?)


 覚えのあるこの匂いは、結婚初日にしか顔を合わせていない、妻のものだった。

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