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ヒヤリハット

 ラフィーナは結局、その後も下手くそに時間を潰し、夜は一人でのんびり眠った。

 翌日も「ご予定はありません」と言われ、幻の二連休を得た。

 明日以降についても「ごゆっくりお過ごしください」とのことだった。


 結婚から三日目の夜、ラフィーナはベッドの中で指折り数える。


(ごはんは美味しい。温かいお風呂にはマッサージ付き。ふかふかのベッド。特に仕事も義務もなし。ここには私の名前を勝手に使う容疑者カトリーナがいないから変な噂は増えないし、私を信じてくれない両親もいない。都会の喧騒と離れた暖かい気候の土地。白い結婚で妊娠出産のプレッシャーやリスクもなし)


 この結婚は泣いて嫌がる妹の代わりに押し付けられたものだ。

 幸せな縁談ではなかったはずなのに、得たものといえばメリットばかり。


(……あれ? 幸せでは?)


 思っていたよりずいぶんと待遇が良い。

 バケモノと恐れられるベリオンも、角が四本生えたリザードマンなだけだった。


 ――背筋にヒヤリとしたものが流れた。


(こ、こわい)


 突然降って湧いた穏やかな生活。

 元貧乏社畜には底知れない恐怖を感じる。


(幸せ過ぎて怖い! 何か……何か、裏があるのでは――ハッ!?)


 前世では、平日は仕事。休日はバイト。夜は内職。


 四時間も寝られたら万々歳、という時期もあったほどだ。

 明日も明後日も何もしなくていいと言われるのは、食い扶持に直結する問題である。


 無言の退職勧告としか思えない。


(退職……つまり、離婚!)


 可能性は十分にある。

 なんと言ってもこれは白い結婚で、ラフィーナは『王都の毒花』。

 新婚だというのに、昨日も今日も食事すら一緒にしていない。


 むしろ、その可能性しか感じなかった。


(いずれ離婚するものだと思っておいたほうが良さそうね)


 とはいえオーレン侯爵家には絶対に戻りたくない。

 離婚後に平民として一人で生きていけるよう準備しておかなければ。


 幸いなことに、今のラフィーナは貧乏社畜だった頃の記憶がある。

 やろうと思えば何でもできる気概もあった。


(そうと決まれば、まずはこの世界についてもっと知らないと)


 物心ついた頃からの記憶はある。

 しかしラフィーナはあくまで貴族のお嬢様だった。


 知っているのは貴族社会と令嬢に必要な一般教養。

 そして領地経営に関する最低限の知識のみ。

 無駄な知識ではないが、平民になった時に活かしやすいスキルではなさそうだ。


 それに、平民の生活についても詳しくは知らなかった。

 識字率や就学率を耳にしたことがない。女性の労働がどれほど一般的なのかも分からない。


 要するに、ラフィーナは世間知らずだった。


(明日にでも離婚……はさすがにないだろうから、今のうちにいろいろ勉強しよう)


 部屋でのんびり過ごすのは今日で終わりだ。

 明日は部屋を出て、情報収集しようと決めた。


 今のラフィーナにできることはなくても、これからのラフィーナは何だってできるはずだ。

 恐怖に震える馬車の旅で体力を削られた以外、病気も怪我もない、若くて健康な人間なのだから。


 それに何より、借金がない。

 我が身一つの身軽さはかつて指折り数えて待ち望んでいたものだ。


 思ったより早く(?)自由が転がり込んできたのだと思えば、無敵な気分になろうというものである。


(恋だって諦めたわけじゃないし……)


 平民として働きながら暮らすより、恋をすることのほうが難しいかもしれない。

 そんなことを考えながら、恋愛未経験のラフィーナは眠りについた。



 翌日、ラフィーナは部屋を出て、城内を歩き回った。


 いずれ離婚するとしても、今は辺境伯の妻、アルガルド城の女主人だ。

 そこかしこで働く使用人たちを観察して咎める者はいない。


(でもなんだか申し訳なくなってきた)


 侍女を連れた女主人が通るだけで、使用人たちは仕事の手を止め、頭を下げてしまう。

 まずは身近なところから社会見学をしようと思ったのに、これでは全く参考にならない。


「うーん」

「何か気になることがございましたか?」


 先導するイスティが足を止めた。


「一旦、部屋に戻ってもいいですか?」

「かしこまりました」


 使用人たちは抜き打ち検査をされているような気分にでもなっていることだろう。

 仕事の邪魔をするのは本望ではないので、出直してこっそりと――と考えたところで、ふとひらめいた。


「やっぱり私の部屋じゃなくて、イスティの部屋にお邪魔してもいいでしょうか?」

「はい。…………はい?」


 ブルーグレーの瞳がぱちくりと見開かれた。






「へぇ、フィオナって言うの? イスティさんの親戚なんだってね。短期とは言えこの城で働こうなんて若いのに偉いじゃないの。人手はいくらあっても足りないからね、助かるよ。アルマ、アルマー! ちょっと来て! あんたはこのアルマと一緒に洗濯をしてちょうだい。分からないことがあればアルマに聞いて。じゃあ頼んだよ!」


 怒涛の勢いでラフィーナの世話を焼いたベテランメイドは、顔色を失うイスティとともに去った。

 残されたのは、アルマと呼ばれた若いメイドと、フィオナの二人だ。


 フィオナとはもちろん、ラフィーナの偽名である。

 平民情報収集のため、揃いのお仕着せを着て使用人たちに混ざってしまおうという、単純な作戦だった。


 いつもと化粧を変え、そばかすも描き加えたので、まさか辺境伯の妻だとは思われまい。


「じゃ、行こうか。まずは用具室に案内するね。洗濯に必要な道具は全部そこに置いてあるの」

「はい。お願いします」


 アルマは新人の正体に気付いた様子もなく、ラフィーナの横に並んだ。


「フィオナだっけ? あたしのことはアルマって呼んでくれていいからね。どこかのお屋敷とかで働いたことあるの?」

「いえ、こういうお仕事は初めてです」


 清掃や家事代行、クリーニングなどの仕事をしたことはない。

 もちろんメイド業も初めてとなる。


「敬語もいらないって。これから一緒に仕事するのに、言葉まで気にしてたら面倒でしょ?」

「じゃあ、遠慮なく。アルマはここで働いてどのくらい?」


 使用人専用通路から城の外に出る。

 洗濯用の水場や用具室は、城の外に専用の場所があるそうだ。


「もうすぐ半年ってとこかな」

「そうなんだ。他にもどこかで仕事してたことがあるの?」


 少し歩くと、屋根付きの溜め池が見えてきた。

 噴水のない人工池のようなものだ。


 既に何人かしゃがんで泡だらけの手元を動かしている。

 その隣には洗濯前後の布類を山のように盛ったカゴがあった。


「ここの前は街の家具屋で下働きをしてたよ。掃除とか洗濯とか、やることはあんまり変わらないけど、お城のほうがたくさんお金がもらえるから」


 アルマの口ぶりからは、女性が外で働くことが珍しいものではないような印象を受ける。

 さっそく一歩前進したのではないだろうか。


「そういえばフィオナは短期なんだったっけ? もう次の仕事のこと考えてるの?」

「そんな感じ」

「ずっとここで働けばいいのに。人手不足だから、きっとすぐに本採用してもらえると思うよ」

「う、うん。でも」


 さすがにずっと働くことはできない。

 これでも一応、ここの主の妻なので。


 歯切れ悪いラフィーナに、アルマは合点がいったように頷いた。


「まぁ分かるよ。怖いもんね」

「怖い?」

「あれ、違った? 領主様が……」


 溜め池の横を通り過ぎて、小さな一軒家ほどの小屋に入る。

 洗濯道具や洗濯物を一時取り置くための場所で、ここが二人の目的地だった。


 アルマは周囲に人がいないことを確認すると、小声で続ける。


「何年か前に領主様があのお姿になったでしょ。怖いって言って、お城の使用人がたくさん辞めちゃったんだよ、その時」

「ああ、なるほど……」


 ベテランメイドが言っていた「短期とは言えこの城で働こうなんて偉い」「人手はいくらあっても足りない」の言葉を思い出す。

 大量退職の後の雇用が追いついていないようだ。


「あたしたちなんかは下っ端すぎてお姿を見ることもないから良いんだけど、中のメイドたちは大変みたい。頭では領主様だって分かっていても、身体が動かなくなっちゃうんだって」

「え、そんなに怖い?」

「理屈じゃないらしいんだよ。だから、領主様をお見かけしても怯まない人は重用されるんだって」


 昇格基準が独特すぎる。


 しかし仕事が滞れば領民の暮らしにも影響が出る。

 非常に重要なことなのだろう。


「うちは貧乏だから、お城の仕事辞めたくないの。洗濯メイドなら領主様とお会いする機会なんてないし、安全なんだよね。そう考えれば、このあかぎれも仕事のうちかなって」


 アルマは荒れた手を見ながら、朗らかに笑った。



 その数日後。


 隣には、叩頭もできず立ち尽くすアルマ。

 目の前には、洗濯場に似合わないリザードマン。


 否。夫であるベリオンが、家令と共に立っていた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] >角が四本生えたリザードマンなだけだった。 笑う。 彼女がそうだとは明記してないが、爬虫類やらドラゴニュート好きにはゴホウビだったのか。
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