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初夜

 夜の支度を整えている間、眠気を堪えるのに必死だった。

 広いお風呂でのマッサージは、長旅に疲れたラフィーナの身体に毒なほど極楽だったのだ。


 何度も声をかけられながら準備を整えて、主寝室に向かう。

 そこで一人になるとようやく、眠気より緊張が勝ってきたのだった。


(あああ……口から心臓が出てきそう)


『王都の毒花』は事実無根の噂であり、ラフィーナにそういった経験はない。

 前世でも仕事と日々の暮らしに精一杯で、恋愛経験を積まないまま死んだ。

 知識だけならあるのだが、いざとなると心臓が皮膚を突き破りそうなほど緊張した。


 しかも夫のベリオンはあの姿だ。


(ど、ど、どうするんだろう……)


 想像力を働かせかけたところで、緩く頭を振る。

 余計なことを考えてはいけない。


 心頭滅却のために部屋の中を見学することにした。


 さすが主寝室と言うべきか、ベッドは大きい。当然のように天蓋付きだ。

 シーツはおそらく絹で、ホテルのようにぴしっと整えられている。

 仲良く並んだ二つの枕からはさっと視線をそらした。


 飴色のサイドテーブルにはランプが置かれていた。

 ほんの少し魔力を通すだけで点灯と消灯ができる、この世界にありふれた魔法具の一つだ。

 魔力の有無にかかわらず使用できるよう、ツマミでの操作も可能となっている。


 何段階かあるうちの暗めの灯りとなっていたので、ツマミをひねって光量を最大に変えた。

 雰囲気作りのためなのかもしれないが、薄暗いのはよくない。


 その後もカーテンの柄を観察したり、真っ暗で何も見えない窓の外を眺めたりと、部屋をうろうろ歩き回った。


 廊下に通じる扉が開かれたのは、見るものが尽きたために大の字でベッドにダイブしたのと同時だった。


「……」

「わっ、あ、あの」


 大慌てで身体を起こし、夜着の裾を揃えてベッドの上に正座をする。

 ダイブの瞬間を目撃されたのは、普通に恥ずかしい。


「こ、こんばんは……」

「……ああ」


 部屋に入ったベリオンは式の時と同じように布を被っていたが、すぐに取り払われた。

 寒色の鱗と赤い髪が視界に現れる。


 重ね付けられた宝飾品や豪奢な衣装はもちろん、角に巻かれていた金の鎖もなくなっている。

 式の時より楽な格好であることは間違いないのだが、夜着でもない。


 寝るつもりで来たのではないことが分かった。


「ひとつ、いいか」

「はっ、はい」


 ベリオンの声に、無意識に姿勢を正す。

 爬虫類のような見た目なのに声は人間のものと変わりなくて、不思議な心地だった。


「結婚はしたが、寝室を共にはできない。今日はそれを伝えに来ただけだ」

「……」


 寝室を共にしない。


 意味を噛み砕いて理解した時、ラフィーナは大きく息を吐いてしまった。

 心配やら緊張やら、するだけ損だったらしい。


 要は、白い結婚ということだ。

 ネット小説にもよくある展開なので知っている。


 事務作業のような結婚式の様子では、ベリオンがラフィーナを歓迎しているようには見えなかった。

『王都の毒花』の噂も耳に届いているのかもしれない。

 血統を重視する貴族社会で托卵されるわけにもいかないと警戒してのことなのだろう。


(ま、普通そうよね)


 実の娘を嫁がせて、血の繋がらない養女を家に残した両親の方が特殊なのだ。


「承知いたしました」


 正座をしたまま三つ指をつき、了解の意を表す。

 それからベッドを降りて、ベリオンの横を通り主寝室を出た。


「おやすみなさい、閣下」


 扉を閉める際に就寝前の挨拶をすれば、深緑の目がラフィーナを見ていた。

『王都の毒花』が大人しく引っ込んだことに驚きでもしているのだろうか。


(もう何でもいい……)


 隣の自室へ戻り、主寝室のものよりは小さいベッドに潜り込む。

 柔らかな寝具に身体が沈み込むと、もう一生動けないような気がした。


(つかれた……ねる……)


 清潔な寝具の匂いに包まれる。

 ゆっくりと意識を手放しながら、もしかしたら、と考えた。


 火事で死ぬ前の長い夢を見ているだけなのかもしれない。

 だから、眠ったらもう目が覚めないかもしれない、と。



 結果を言えば、ラフィーナはぐっすり眠り、きちんと目が覚めた。


「奥様。お目覚めになりますか?」

「……おはようございます、おきます……」


 声の主は、昨夜入念な寝支度を施してくれた侍女のイスティだ。


 天蓋のカーテンがそっと開かれる。

 ベッドの中に明るい陽の光が差し込んで、ラフィーナは眩しさに目を瞬かせた。


「よくお眠りになれましたでしょうか」

「おかげさまで。いま何時ですか?」

「もう間もなく昼食の時間となります」

「……ねすぎました……」


 寝る前に天蓋のカーテンを閉めた覚えはない。

 朝、この部屋に入ったイスティが閉めてくれたのだろう。


 おかげで太陽の眩しさに起こされることもなく、昼前までぐっすり眠ることができた。


「長旅でお疲れだったのです。ゆっくり休まれるのが奥様のお仕事ですわ」

「そう言っていただけると救われます」


 ついでに、主寝室に行ったはずなのに自室で一人寝していたことについて触れてこないのも、ありがたい。


 イスティが用意した洗面器で顔を洗う。

 着替えを手伝ってもらった後は、部屋でブランチを食べた。


「今日はお部屋でゆっくり身体を休めるようにと、旦那様が仰せです」


 旦那様というのはベリオンのことだ。

 旦那様、領主様、辺境伯、南方伯と、いろいろな呼び名がある。


 ちなみにラフィーナは昨晩、ベリオンを閣下と呼んだ。

 夫とはいえ初対面の高位貴族かつ白い結婚なので、その辺りが妥当だろうと思ってのことだ。


「お気遣いに感謝します。お言葉に甘えて、今日はゆっくりさせていただきますね」

「何かあればベルでお呼びくださいませ」

「はい。ありがとうございます」


 イスティはベッド脇に置かれたテーブルのベルを示してから部屋を出た。


 静かな室内に、南らしい暖かな風がカーテンを揺らしながら吹き込んでくる。

 窓の向こうには青い空。

 流れる雲を座りながら眺めていると、時間がゆったり進んでいるような気がした。


(こんなにのんびりできるのって、いつぶりだろう?)


 前世では借金を返すために昼も夜も働き詰めの毎日を送っていた。

 今世で部屋に閉じ込められて何もできなかった時間は、ゆっくり過ごしていたとは言い難い。


(困った。休日の過ごし方を忘れてしまった)


 ソファから腰を上げたラフィーナは、性懲りもなくまた部屋を探索することにした。

 ここはラフィーナの私室として用意された部屋だ。

 引き出しの中に至るまで遠慮なく見てみる。


 すると、普段着やドレスのみならず靴や帽子に宝飾品、下着類に至るまで、たくさん用意されていることを知った。

 当たり前のように新品の化粧品が並ぶドレッサーに腰掛ける。


 侯爵家の娘でありながら持ってきた荷物は、サイズの合わない婚礼衣装に多少の着替えのみ。

 侍女の一人も連れず、着の身着のまま嫁いだと同義のラフィーナは、アルガルド辺境伯家の気遣いに恐縮した。


「仮にも侯爵家とあろうものが、どうしてこう……」


 ドレッサーの鏡越しの自分が、ふうとため息をついた。


 緩くまとめた髪は金に近い亜麻色。情けないやら呆れるやらで半目の瞳は透き通る海の色。

 鼻筋は真っ直ぐで、眉の形もいい。薔薇色の唇は控えめで小ぶり。

 アーモンド型の目を縁取る睫毛は、まばたきの度にぱちぱちと音がしそうなほど長い。


 目尻がきゅっと跳ね上がっている、少々きつめの美人といった顔立ちだ。

 大した化粧もしていないのに、この世界の基準でも間違いなく美形な部類に入る。


「昔はもっとタレ目だった気がするのよねぇ」


 記憶の中では見慣れた自分の顔だが、日本人だった頃はどちらかと言えばたぬき顔だった。

 いわゆるキャットラインな目元に慣れないのは、前世の感覚が強すぎるせいだろうか。


 なんとなく感じた違和感は、すぐにかき消えた。



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