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【現代IF】ウイッシュリスト(コミックス①発売記念)

※注意※

このお話は現代IFであり、異世界ではありません!

お好みでない方はこの先ご注意ください!

(……ナ)


 誰かに呼ばれた気がして、意識がぐっと浮上した。


(ラ……ナ!)

「んー……?」


 重いまぶたをなんとか開き、癖でスマホを手に取る。

 液晶に表示された時刻は午前一時三十分過ぎ。布団に入ってからまだ二時間程度だ。


「ハッピーバースデー、わたし……」


 日付が変わった今日は待ちに待った誕生日だ。

 とはいえまだまだ寝足りない。スマホを置いて再び目を閉じようとしたその時、妙な臭いに気がついた。

 焦げ臭い。料理に失敗した時の比ではない。それに、煙りっぽいような気も――


「うそっ! えっ!?」


 本能的に火事だと悟って飛び起きた。

 辺りを見ても火は見えない。しかしスマホの灯りに照らされる煙を見て、サッと血の気が引いた。


「スマっ、スマホ! だけあれば、大丈夫、だよね」


 玄関に走ろうとして、すぐにきびすを返した。明らかに玄関側の方が煙が多かったからだ。


「あっ! まだ人がいた!」

「おい、火事だぞ! 早く逃げなさい!」


 ベッド脇の部屋の窓を開けると、面した通りにはすでにたくさんの人が集まっていた。

 遠くにサイレンの音も聞こえてくる。


「飛び降りろ!」


 部屋はアパートの二階。

 飛び降りて死ぬことはないだろうが、さすがに下を見ると足がすくんでしまう。


「急げ、受け止めるから!」


 下にいた男性が両手を広げて叫んでいる。

 風に揺れる髪が赤いのは、近くで火が燃えているせいだろうか。


「絶対に大丈夫だから、早く――!」


 熱風に背を押され、杉山らんなは声の方へと飛び降りた。



「はー……、とんでもなく疲れた……」


 すっかり日が暮れた頃、らんなは歩き慣れた通りを、家とは反対方向に向かって歩いていた。

 

 夜中に火事から逃げ出した後は、気がつけば病院に運ばれていた。

 幸いにも入院するほどのことはなかったが、家なしになったらんなは好意で病室に泊めてもらった。

 他の住人もみんな無事で、同じ病院に身を寄せているらしい。


 朝早く起きてからは会社に電話をして、役所や弁護士事務所に保険会社などを回り、あるいは電話をかけ、近所の安ホテルを押さえた後は燃えてしまった衣類や日用品を最低限買い集めた。

 一日中動き回ってまともに休憩もしていないのに、もう十八時をすぎているだなんて。


(もうこうなったら、絶対にケーキを食べるっ!)


 仕事を掛け持ちした日より疲れた身体にむち打って近所の洋菓子店に向かう。

 散々な一日になってしまったが、本当なら今日は特別な誕生日になるはずだった。

 記念すべき今日、ケーキ二個買いの夢を叶えるために節制も続けてきたのだ。


 けれど、現実はらんなに厳しかった。


「申し訳ございません。たった今、売り切れてしまいまして……」

「うそ……」


 小洒落た外観の、ちょっとよさそうな洋菓子店。

 近くを通る度に憧れていた店のスタッフが申し訳なさそうな声で告げた言葉に、らんなは肩を落とした。


「せっかく足をお運びいただきましたのに、本当に申し訳ございません。クッキーなどの焼き菓子ならまだございますので、よろしければ」

「あ、はい……」


 閉店時間間際なのだから、売り切れていても当然だろう。それを予想して行動しなかったらんなが悪い。

 そもそも火事で家なしになったのだから、ケーキなんか食べている場合ではない。


「あの」


 なんとか自分を納得させようとするらんなに、背後から控えめな声がかかる。

 のろのろと振り向いた先には背の高い男性がいた。

 らんなと入れ替わるようにして店を出ていた客がいたが、おそらくその人だろう。


 スーツを着た男性はらんなの視線が自分の方へ向いたことを知ると、ケーキの箱を差し出して続けた。


「このケーキを差し上げます」

「…………え?」

「残っていたケーキを買い占めてしまったものですから。俺はただ食べたくて買っただけですが、あなたは何か大事な日だったのでは?」

「はい……。あ、いえ! それほどでも!」

「大事な日だったんですね。誕生日とか?」

「う……は、はい……」


 突然の申し出に驚いて正直に答えてしまったらんなに、男性は柔らかく笑う。


「やっぱり。誕生日プレゼントだと思って受け取ってください」

「いえ! 誕生日とは言っても、一人でケーキを食べるだけなので、全然本当に」

「一人で? ……じゃあ、このケーキ、一緒に食べませんか?」

「はいっ!?」


 男性は店内の奥を指し示した。

 釣られて同じ方向を見ると、「イートインスペースは十九時までご利用いただけます」の案内が見える。

 あと三十分は時間があった。


「どれがいいですか? ショートケーキと、チーズケーキ、フルーツタルトの三つです。せっかくの誕生日ですから、お二つどうぞ」

「あの……ええと……」


 今日は人生で初めての事態が立て続けに起きている。

 ものすごく疲れたし、お腹が空いたし、ケーキは食べたかったし。


「ありがとう、ございます……」


 そんな時に出会った思わぬ優しさに、らんなは気がつけば頷いていたのだった。



「美味しい!」

「それはよかった」


 短い話し合いの末にケーキの振り分けが決まった。

 男性にチーズケーキ、らんなにショートケーキとフルーツタルトだ。


 みずみずしいイチゴになめらかで甘いクリーム、しっとりふわふわのスポンジは、らんなの疲れ切った心身に染みた。


「本当にありがとうございます。ちゃんとお代はお支払いしますので」

「いえ、お気になさらず」

「そういうわけにはいきません」

「いいじゃないですか。せっかくの誕生日なんだから、初対面の相手にケーキをおごられたって」

「いやいや、そんな……」


 二口目のショートケーキを頬張って視線を上げると、男性の赤く透ける髪が目に入る。


「火事の時に助けてくださった方ですか?」


 この髪を見たことがある。ふいにそう思って、気がつけば口にしていた。

 一拍の後、正面の相手は柔らかく微笑んだ。


「気付かれてしまいましたか」

「髪が印象に残っていたので」

「目立ちますよね、この髪。地毛でこれだから、中学の時に校長室に呼び出されたことがあります」

「染めてるんじゃないかって?」

「そう。最終的には母親まで呼び出されて、生まれた時よりは黒くなりました、って証言させられてたな」

「す、すごい……」


 火事の炎のせいで赤く映って見えたのだと思ったが、そうではなかったらしい。

 男性は上品にチーズケーキを食べながら、思い出すように言った。


「夜、たまたまあの通りを歩いていたんです。そうしたら火事で人が集まっていて、しかも窓から人が顔を出したから……」


 らんなはあの時、「絶対に大丈夫だから」と言う彼の声を信じて二階の窓から飛び降りた。

 勢い余って二人でアスファルトの上を転がったが、らんなにはかすり傷一つ付かなかった。


「……君を助けられてよかった。本当に」


 心の底から思ってくれていることが伝わってくる。そんな吐息混じりの声に、らんなの胸がむず痒くうずいた。


「助けてくれてありがとうございました。ケーキも嬉しいです。実は、今日は特別な誕生日だったので」

「特別?」


 死に直面した反動からか、気がつけばらんなはぽつりぽつりと生い立ちを語り始めていた。

 男性は時折頷きながら静かに話を聞いている。

 二つもあったケーキの最後の一口を食べようとする頃には、ケーキ二個買いの夢まで話していた。


「今日を迎えたらやろうと思っていたことがたくさんあって、やりたいことを手帳に書きためてたんです。その一つが、二十五才の誕生日にケーキを二つ買うことで、だから……」


 フルーツタルトの最後のひとかけらを口に含むと同時に、じわりと目尻に涙がにじむ。

 我が身に起きたことを改めて考えると、こうしてケーキを食べているありがたさに込み上げるものがある。

 らんなは頭を下げて、赤くなっているだろう目元を隠した。


「だから、本当に、ありがとうございました」

「……やっぱり君は泣くんだな」


 初対面の相手の前でみっともない姿を見せてしまったと慌てているらんなには、男性のつぶやきは聞こえていなかった。




「もう閉店時間ですね。行きましょうか」

「はい。ごちそうさまでした。せめてお茶代は私に払わせてください」

「誕生日なんだし、いろいろ大変だったんだから、このくらいは俺に出させてください」

「でも」


 ケーキ代のみならず、席で注文した紅茶代まで、男性はらんなに払わせようとしなかった。

 確かに借金のせいで余裕のない生活をしてきたが、だからと言って、奢ってもらって当然とは思わない。


「…………」

「分かった。それじゃあ来週、一緒に水族館に行きませんか?」

「水族館?」

「そこの入場料を出してもらえばちょうど良いくらいかな」


『水族館に行く』は、ケーキを食べながら話した、らんなのやりたいことの一つだ。


「でも、それ、私のリストの……」

「うん。話を聞いていたら俺も行きたくなったので」


 くもりなき眼で言われたら、らんなも頷くしかない。


「分かりました。では、そこは私に出させてください」

「来週の土曜日、十一時に駅で待ち合わせでどう?」

「大丈夫です」

「それと、今さらですが俺は南雲響一です。あなたは?」

「あ、そうでしたね。申し遅れました。杉山らんな、と言います」

「らんな……」


 響一はもう一度、「らんな」と大切そうにその名を呼ぶ。

 たったそれだけなのに、なぜか、らんなの顔が熱くなった。



 結局、水族館の費用もらんなの分まで響一が払ってしまった。

 そのことに怒ったらんなだったが、「じゃあ来週、ごちそうしてください」とリスト四つ目の行きたかったカフェを提示され、渋々頷いた。

 結局そこのカフェも響一におごられて、また次の約束をして……ということを繰り返されたらんなのリストには、たくさんのチェックマークが付くことになる。


 そのうちの一つ、『素敵な恋人をつくる』にチェックが付くのは、もう少し先のこと。

コミカライズ1巻、発売中です!

本当にありがとうございます!


なおこの現代IFは(あまりに不評でなければ…)不定期にアップしていきます。

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― 新着の感想 ―
現代版のハッピーエンドありがとうございます!
[良い点] 現代版、また続き書いて欲しいです!
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