【小話】美肌の秘密(コミカライズ開始記念)
3月9日から、漫画アプリ パルシィ様にてコミカライズがスタートしました。
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ラフィーナがアルガルドに嫁いでから何度目かの季節が巡った、ある日のことだった。
「ベリオンって、お肌綺麗ですよね」
「そうか?」
ベリオンのつるんとした頬を見て、ラフィーナは我慢の限界とばかりに言い募る。
「すっごく綺麗ですよ! 全身きめ細やかな卵肌だし、透明感があるし。年齢的にもまだ先なんでしょうけど、シミもシワも気配すらない!」
アルガルドは割と乾燥した土地なので、ラフィーナも肌の手入れにはそれなりに気を使っている。
しかし季節によってはどうしても乾燥するし、多少は日焼けもしてしまう。
対するベリオンはというと、自分の外見にもスキンケアにも関心はなさそうなのに、なぜか妙に肌が綺麗なのだ。
人の姿に戻った後のベリオンが砂漠遠征から戻った時には「ずいぶん日焼けしてきたなぁ」と思ったものだが、気がつけば美白に戻っている。
これだけなら日焼けしにくい体質なのだと納得するところだが、ベリオンの場合は少し違う。
「それに、頬の傷も薄くなってますよね?」
頬から耳にかけて走る、一筋の傷跡。
砂漠の主との戦いの中で負ったという傷は相当深かったようで、今もベリオンの顔に跡を残している。
しかし、どうにもその傷跡が薄くなっているような気がしてならない。
あんなにくっきりした傷跡だったのに、今ではこうして近づかなければ分からないほどだ。
「……そうか?」
先ほどから「そうか?」しか言わないベリオンを尻目に、ラフィーナはきゅっと唇を引き結んだ。
おそらく、ここアルガルドには美肌に効く独自の有効成分が存在するに違いない。
無頓着なベリオンはもちろん、アルガルドの誰もがまだその有用性に気付いていない可能性がある。
「ベリオン、もしかしたらアルガルドには凄いものが眠っているかもしれませんよ!」
「…………そうか?」
「絶対に見つけ出してみせる!」
両手を力強く握りしめたラフィーナから、ベリオンはそっと視線を外した。
*
「体調不良? ベリオンが?」
そんな会話から何ヵ月か過ぎた日の朝のこと。
城主夫妻の執務室で書類を捌くラフィーナの元に、困り切った様子のビクターがやってきて言った。
「はい。本日は私室で過ごされるとのことです」
「そんなに具合が悪いんですね」
「ええ……」
直近までのベリオンの様子を思い起こす。
昨晩はいつも通り元気だったはずだ。
今朝はラフィーナの目が覚めた時、隣のベリオンはまだ深く眠っていた。
大抵の場合はベリオンの方が早起きなので、今朝のことは珍しいといえば珍しい。
(まさか体調不良だったとは……)
結婚してから今まで風邪の一つも引いたところを見たことがないベリオンのことだ。
少しの体調不良も、不慣れゆえに辛いのではないだろうか。
「どんな様子ですか?」
「様子、ですか。そうでございますね、大変にだるそうと申しますか……」
「熱は?」
「熱は……ございません」
「では、吐き気や頭痛、喉の痛みや咳、くしゃみなどは? お腹が痛かったり」
「……奥様におかれましては心配は不要であると、旦那様より言付かっております。わたくしめといたしましても、明日には回復されるものかと見込んでおりますので」
ラフィーナの続けざまの質問に、ビクターが話を逸らした。
何かを隠そうとしているようようにしか思えない態度に、ラフィーナはペンを置き、すっと立ち上がった。
「奥様?」
「お見舞いに行きます」
「な、なりません! 奥様にうつっては事です!」
「うつるようなものなんですか?」
「……っ」
ベテラン家令であるはずのビクターが口ごもる。
「ビクター。私に言えないようなことがあるんですね?」
「……いえ、それが、その……」
しどろもどろのビクターを引き連れ、ラフィーナはベリオンの部屋に向かった。
ビクターに目配せをすると、優秀な家令はラフィーナの意を察し、諦めた様子で前に出る。
ノックの後に「ビクターでございます」と告げ、そっと扉を開けた。
「なんだビクター、今回も終わるまでこの部屋には入る、な、と……」
「ごきげんよう、閣下」
「……ラフィーナ!?」
ラフィーナが部屋に身体を滑り込ませると同時に、ガタッと派手な音がして角付き姿のベリオンが立ち上がった。
例の一人がけソファを尻尾でなぎ倒すほど力強く、素早い動きだった。
元気そうな様子でほっとすると同時に、やはり嘘をつかれていたのだと知る。
「閣下。体調不良だと聞きましたが、お元気そうで何よりです」
「いや、違うんだラフィーナ。こ、これは……」
久々の閣下呼びで絶望するベリオンが、何かを言いかけては口を閉じている。
「ビクターに下手な嘘をつかせてまで一体何をしているんですか、まったく……ん?」
ラフィーナは妙な違和感を覚え、目の前の夫をじっと見る。
そして違和感の正体に気がついた。
「ベリオン……何だか白っぽくなってませんか!?」
色鮮やかなベリオンの鱗が白っぽいパステル調になっている。
今までに見たことのない姿に、ラフィーナは動揺してベリオンにすがりついた。
「ど、どうしよう、どこか悪いんですか? 皮膚病? どうしよう、どうしよう! ベリオンが死んじゃう!」
「ち、違うラフィーナ、落ち着けこれは」
「いやだ、私を置いていかないで!」
「置いていかない! これはただの——ただの、脱皮だ!」
「脱皮!? 脱皮って……あの脱皮ですか?」
しがみついていた胸元から顔を上げてみると、目元の辺りの鱗はいつも通りの色だった。
周りにはくしゃくしゃとしたものがくっついていて、それが白っぽい鱗に繋がっている。
見たことはないが知識としては知っている。
まさに、は虫類の脱皮だ。
「心配させてすまなかった」
「ほ……本当ですよ! 言ってくれたらよかったのに」
「こんなみっともない姿を君に見せられないだろ」
「まさか、ベリオンの美肌の秘密って」
「時々脱皮しているせいだな。今まではなんとか隠せていたんだが……」
「なんだぁ」
安心したやら、ここ数ヵ月の調査が無駄になったやらで脱力するラフィーナの身体をベリオンの腕が支える。
そのまま腕の中に収まり、距離の近くなったベリオンの顔を改めて見つめた。
(いいなぁ)
ベリオンは脱皮しかけの顔を逸らし気まずそうにしているが、諸々すっきりしたラフィーナが感じるのは羨ましさだった。
脱皮することで日焼けも肌荒れもリセットし、深い傷跡ですらなかったことにしようとしているのだから。
「君、もしかして羨ましいとか思ってないだろうな?」
「えっ、なぜ分かったのですか?」
「君にかかればバケモノ辺境伯も形無しだ」
ベリオンはふわりと笑って、ラフィーナを抱える腕に力を込めた。
ラフィーナもベリオンの首に腕を回す。
心配なさそうで本当によかった、と身体の力を抜いたラフィーナだったが――気がつけばそのまま部屋から放り出されていた。
「なんで!? それ剥がしてみたいです!」
「悪いが、脱皮は一人で済ませたい」
「せ、せめて抜け殻をお守りに……!」
「……許せ、ラフィーナ」
「えええーっ!」
無情にも、部屋の扉は固く閉ざされる。
翌日、ベリオンはつるんとした顔で出てきたが、抜け殻は処分された後で見せてすらもらえず、ラフィーナは少しへそを曲げたのだった。