最終話
夜の庭は月明かりに照らされていた。
灯りがなくてもよく見渡せるほどの庭を二人並んで歩く。
なんとなく奥へと進みながら、いつの間にかエスコートの腕を解き、手を繋いでいた。
ベリオンは何も言わない。
ラフィーナも、手を振りほどくことはしなかった。
ガゼボの前まで歩いた頃にベリオンは言った。
「私は浮気なんてしていない」
「はい」
「これからもしない。絶対に」
「はい。疑ってごめんなさい」
ベンチにラフィーナを座らせる。
ベリオンはその前に跪き、端正な顔に緊張を浮かべながら言った。
「私には君だけなんだ。これからも夫婦として、恋人として、私とともにこの地で生きてほしいと思っている」
ラフィーナはゆっくりと瞬きをした。
収穫祭の夜に、二人でゆっくり考えようと言われたこと。
曖昧に頷いただけで、保留にしていたけれど――もうとっくに、答えは出ている。
「……いつか終わってしまうかもしれないのに、って言ったの、覚えてますか?」
「あぁ」
「今の人格が何なのか、私が誰なのか、自信がなかったんです。生まれ変わりじゃなくて、全くの他人であるラフィーナの身体と人生を奪っているだけじゃないかって。ラフィーナの魂はずっとどこかで、身体を返してって言ってるのかもしれないと思っていて」
ベリオンは静かに頷いた。
「前の私は……ベリオンとの結婚を怖がっていました」
「それは、しかたない」
「本当のラフィーナが戻ってきた時、ベリオンを拒絶して傷つけてしまうんじゃないかと思うと怖かった。でも……」
今ではもう、そうはならないだろう、という気持ちの方が強い。
「私、なぜかラフィーナの直前までの記憶も感情もあったんです。両親やアダム様に対して失望した気持ちも、なんだかんだカトリーナがかわいくて嫌いになれない気持ちも、ずっと私の中にありました。あの感情は間違いなく私自身のものだったと思います」
夢で見た幼い姉妹。
最初は第三者として見ていたと思ったが、いつの間にかラフィーナはラフィーナとして、カトリーナを見送っていた。
お互いの記憶も感情も、最初からラフィーナのもの。
答えは憑依ではなく、きっと転生だ。
「だから私ももう、あなたを好きだと言ってもいいのかなって……」
「ラフィーナ、それは」
「……私も、ベリオンの恋人になりたいです」
「……っ」
感極まったようなベリオンに強く抱きしめられる。
ラフィーナもその背に手を回しながら、震えるほどの喜びに感じ入った。
幸せになることは簡単ではない。
受け入れることの怖さもある。
カトリーナも、自分自身のままでは幸せになれないと思ったから、ラフィーナになろうとしたのだろう。
次の生を歩むカトリーナの幸せを、心の底から祈った。
そして、温かな体温と、少し早い鼓動に、その身を委ねた。
*
そこからは怒涛の展開だった。
ようやく心が結ばれた――と思ったのに、部屋に戻ったラフィーナはまた一人で寝た。
結局ベリオンが客室で休む理由も分からないままに朝を迎えることとなる。
解せぬ顔で起床し、尋常ではないほど張り切った様子のイスティに身支度を施される。
そのうちに、何かがおかしいと気づき始めた。
着替えが普段着ではなく、明らかに気合の入ったドレスなのだ。
引きずるほど長い裾に、光り輝く宝石、ふんだんに折り重なるのは精巧を極めたレース。
どう見ても花嫁衣装なそれを着せられて向かった先は聖堂だった。
正装に身を包んだベリオンにうっとりと見つめられる。
「ラフィーナ、綺麗だ。ドレスもよく似合っている」
「あの、ベリオン、これは?」
「私たちの結婚式だ。今日を待っていた。もう一度、ここから始めよう」
今日、と言われてはたと気がついた。
ベリオンとラフィーナが結婚してから今日でちょうど一年だ。
いわゆる結婚一周年にあたる今日、二度目の結婚式をしようと言われている。
「いつのまに、こんな……」
せっかく泣き止んでまともになった顔がまた崩れそうになる。
聞けば、今年の収穫祭用のドレスの採寸や仮縫いの影で、今日のための婚礼衣装も作っていたらしい。
イスティを始めとして皆忙しそうに見えたのは、結婚式の準備もあったから。
知らずにいたのはラフィーナだけだ。
ベリオンが頬を撫でた。
「もう一度、私と結婚してくれるか?」
「……もちろんですっ!」
一度目の結婚式は散々だった。
馬車酔いに加え、長旅と心労で痩せた身体。
大急ぎで用意して持ってきた既製品の衣装が合わずに、布を詰めたり紐で縛ったりと、まるで突貫工事のような有様。
しかも、前世の記憶を思い出した当日のことで、今日以上に何もかもが急だった。
一年後のこの日にまとうのは、身体にぴったりの美しいドレス。
最低限の見届人しかいなかった聖堂には今、アルガルドの人々で溢れている。
ビクターやイスティ、アルマを始めとしたラフィーナと親しい使用人。研究熱心な有識者たち。青空学級の生徒やその保護者、レモン関係者のほか、たくさんの精霊が天井近くにまで漂っていた。
神官が言った。
「ベリオン・アルガルド。あなたはこれからもラフィーナ・アルガルドを妻とし、共に歩み、命ある限り愛することを誓いますか?」
「神聖なる契約と神の元に誓う」
あの日と同じ返事。
しかし全く違う気持ちが込められていると分かる。
「よろしい。では、ラフィーナ・アルガルド。あなたはこれからもベリオン・アルガルドを夫とし、共に歩み、命ある限り愛することを誓いますか?」
「神聖なる契約と神の元に誓います」
この言葉に込めたラフィーナの気持ちも、ベリオンに伝わるよう願った。
「女神デルフィーヌの御前で、誓いを」
ゆっくりと顔を近づけたベリオンが、耳元に口を寄せて言った。
「次に君と同じベッドで眠るならこの日だと思っていたんだ。我慢できなくなりそうで」
「えっ」
「かえって不安にさせていたようで悪かった。今夜は待っていてくれ」
「まっ」
唐突な告白にはくはくしているうちに、くすりと笑ったベリオンに口を塞がれる。
出会って一年。
この日ようやく、二人は初めてのキスを交わした。
*
国の最南端、砂漠との境目。
砂より現れる魔物から人を守る白亜の城と青い空の下に、色とりどりの花びらが舞った。
かつて『バケモノ辺境伯』と『王都の毒花』と呼ばれた二人――人の姿に戻った領主と、アルガルドに新しい文化と富をもたらす妻の姿をひと目見ようと、夫婦の乗った馬車が走る大通りは賑わっている。
そんな喧騒の届く城の一室では、大切に置かれた透明な魔核が七色の光彩を放っていた。
これにて完結となります。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
ブクマ、評価、感想、誤字報告についても本当に感謝しております!
思っていたよりたくさんの方に読んでいただけてとても嬉しかったです。
回収し忘れているネタとか説明不足なところがあれば、
回答となるような小話でも書けたらなと思ってます。
また、明日小話を2話投稿します。
もう一日だけお付き合いくださいー!