誰かの理想
王都での騒動から数ヵ月後。
アダムは婚約者カトリーナを殺した罪に問われ、現在は牢獄に入れられている。
『あの女は人間じゃない、魔物だった! 称賛されこそすれ殺人罪に問われるはずがない! 侯爵に聞いてもらえばすぐに分かるはずだろう!』などとうわ言ばかり口にするので、心神の喪失が疑われているそうだ。
実はあの騒ぎの時、ベリオンが衛兵を手伝って、騒ぎ立てるアダムを部屋から締め出していた。
だからアダムも衛兵もカトリーナが灰になるところを見ていない。
しかし、アダムに剣を奪われた衛兵は、彼がカトリーナを斬りつける瞬間を見ていた。
それを逆手に取ったオーレン侯爵は、アダムの言葉を全面的に否定していた。
虚構の名誉を重んじる男だ。養子が魔物だったことなど口にするはずがない。
気を失っていたオーレン侯爵夫人もアダムと一緒に部屋から出されている。
カトリーナが死んだことだけ、後になって聞かされていた。
義姉ラフィーナ、その夫ベリオンを含めて、アダムを擁護する者は誰もいないが、オーレン侯爵も無傷ではなかった。
実子のラフィーナは他家に嫁ぎ、養子のカトリーナは死亡。
跡継ぎがいなくなったため、ラフィーナとベリオンの離婚を願い出たが、そもそもが王命による結婚だったので、にべもなく却下された。
新しく養子を取ろうとしても、誰もが拒否して話がまとまらない。
身内でひどい醜聞があったばかりの家に行きたい人間はいなかった。
一度だけ、遠縁のほとんど平民と変わらない男児を養子に迎え入れようとしたものの、これもまた王宮により却下されていた。
実子のラフィーナを外に出した時点で、オーレン侯爵には次代へ爵位を継続していく意思がないものとみなされていたのである。
侯爵は酒に溺れ、議会には全て欠席。
夫人は部屋に閉じこもって出てこない。
夫婦どちらも国王からの招集命令にすら応じなかったため、オーレン侯爵位は奪爵されることとなった。
*
柔らかな風とともに、一人の男が執務室へ入ってきた。
「ラフィーナ、少しいいか?」
レモンの新メニュー開発書類に書き込みを加えていたラフィーナは、ベリオンの声に顔を上げた。
「はい。何でしょう」
「見てほしいものがある」
休憩用のテーブルに移動するなり、目の前に置かれたのは一冊の本。
「これは?」
ずいぶん古い本のようだ。
文字も達筆で、一見しただけでは何が書いてあるのか分からない。
首をかしげるラフィーナに、ベリオンが言った。
「君の妹のことなんだが……」
「……」
腕の中で消えていった妹。
大好きだと、これからもずっと姉妹だと言った気持ちに嘘はない。
しかしあの日からずっと、ラフィーナは後悔している。
写真を撮らなければよかった。
舞踏会を欠席すればよかった。
そもそもカメラなんて作らなければよかったと、元に戻った顔を鏡に映すたびに思う。
ラフィーナは妹の死と同時に元の顔に戻っていた。
つまり、数ヶ月前までカトリーナのものだった顔に。
元々似ていたせいか城の使用人たちは既に馴染んでいるようだが、ラフィーナだけはまだ違和感が拭えない。
ベリオンの姿が変わったのは、砂漠の主が死の間際に彼を呪ったから。
ラフィーナの顔が変わったのも、魔物であるカトリーナに呪われていたから。
最期にわだかまりが解けたから元の顔に戻ったのだろうが、呪われていたという事実は消えない。
カップの水面に映る顔からラフィーナは目を背けた。
「カトリーナ嬢が魔物であったことは間違いない。しかし人と同じ姿の魔物なんて聞いたことがないから、調べていたんだ」
ベリオンは紅茶を少し飲んでから、長い足を組み続けた。
「人型の魔物は珍しいが、いるにはいる。ただそういうのは、人型とは言っても明らかに人ではないと分かる。角つきの私に近い感じだろうな」
けれどカトリーナは、死んで灰になるまで魔物だとは思えなかった。
「それで見つけたのがこれだ。種としての名はなく、個体名がフランツィスカ・トリンソン。人と見分けのつかない唯一の魔物として大昔の記録があった」
「普通の女性の名前みたいですね」
「実際、人間社会で暮らしていたみたいだな。相手の理想とする人物の姿を奪うことができるらしくて、相手と……うん。そうやっていつも人の姿をしていたから、死んで灰になるまで人と見分けがつかなかったらしい」
「……相手と、うん。なるほど……」
本物の『王都の毒花』であったカトリーナは「精気を吸う」と言っていた。
やはり地球で言うところの夢魔に近い魔物なのかもしれない。
「でも、どうしてカトリーナは私の顔に? 相手の男性が理想とする女性じゃないと意味ないんじゃないですか? やっぱり何か、知らないうちにカトリーナに何かしてしまっていたのかも」
「いや、君が誰かの理想だったんだろう」
「私が誰かの理想?」
「カトリーナ嬢にとって意味のある人物……両親か、君の元婚約者か、他の誰かは分からないが」
言って、口をへの字に曲げる。
どことなく不機嫌そうな顔を見せるベリオンに、ラフィーナは思わずクスリと笑ってしまった。
「そんな人いるかしら」
「少なくとも、目の前に一人」
「……!」
一拍おいて意味を理解した瞬間、顔から火が出るかと思った。
ベリオンが咳払いをする。
「ともかく、呪ったんじゃないと思う、ということを伝えたかったんだ。魔物だって呪いたいほど憎い相手の顔がほしいとは考えないだろう」
「言われてみれば、そうかもしれない……?」
「それに、カトリーナ嬢が亡くなったのも早計なあの男が斬ったからだ。君のせいではない」
「……はい」
ラフィーナは立ち上がり、テーブルを挟んだ向かいのソファに腰掛けていたベリオンの隣に座り直した。
太ももがくっつくほど密着し、ほんの少しだけ、横に体重をかける。
驚いたように一瞬身を引いたベリオンだったが、すぐにラフィーナの身体を受け止めた。
「ラ、ラフィーナ?」
城の人手不足が徐々に解消されているとはいえ忙しいベリオンが、どこにあったのかも分からない古い文献を探し出し、ラフィーナの苦悩を取り除こうとしてくれた。
そのことが嬉しかった。
「となると、カメラは呪いを封じるものではなく本当の姿に戻すもの、といったところでしょうか」
「私とラフィーナくらいしか被検体がいないから、まだよく分からないな」
「取り扱いには注意が必要かもしれないですね。でも私、ベリオンとササミが一緒にお昼寝してるところが撮りたいです」
「何だそれ」
カメラを作るきっかけとなった出来事だが、ベリオンは覚えていないらしい。
「全然覚えてないんですか? 私にあんなことしたのに?」
「ま、待て。あんなことって何だ」
「とても私の口からは」
手のひらにキスされただけなのに結構恥ずかしかった。
真っ赤になったラフィーナに、ベリオンが慌てて言い募る。
「だからあの後、妙に避けられていたのか……? 頼む、私が何をしでかしたのか教えてくれ」
「無理ですよ」
「ラフィーナ、謝るから」
「謝られるのも嫌じゃないですか」
ラフィーナはひょいと立ち上がり、執務机に戻った。
「ラフィーナ」
「そろそろ仕事に戻らないと。新しい販路の件と、レモン以外の柑橘類についても相談したかったんです」
「悪いが今は仕事の話より夫婦の話を優先してくれ……!」
穏やかな午後が過ぎて。
執務室に入りづらいとビクターからの苦情を受け。
静かな夜を迎えたラフィーナだったが。
――新しい悩みが生まれたのだった。




