結婚式
昼を少し過ぎた頃、目的地に到着した。
アルガルド辺境伯の住まう、アルガルド城だ。
「お待ちしておりました。奥様」
「出迎えをありがとうございます」
出迎えた使用人たちの後ろには、どこまでも続くような青い空と大きな城がある。
国の最南端、砂漠との境目。
砂より生まれる魔物から人を守る白亜の城。
美しく壮大な光景だ。
スマホがあれば写真を撮りたいと思うほどなのに、ラフィーナは死に体だった。
数週間に及ぶ馬車の旅で身体は疲労困憊。
車のようにクッション性の高い座席もない。
座面に申し訳程度の綿が詰めてあるだけで、背面は板が剥き出しのままだった。
道路がアスファルト舗装されているはずもなく、車輪もむき出しの木で、ゴムタイヤのように衝撃を吸収してくれない。
馬車はずっと揺れていて、頭も身体もあちこちにぶつけた。
文明レベルによるものなのか、両親が馬車をケチっただけなのか。
シートベルトもなく命の危険すら感じる中、ラフィーナを追い詰めたのは乗り物酔いだった。
(きもちわるい……)
長旅のラストスパート、御者が少々急いで無茶をしたらしい。
王都を出てから食欲を失い、今日も朝から何も食べていなかったラフィーナは、吐くこともできずに苦しんだ。
「どうぞこちらへ。奥様のお部屋でございます」
吐き気を抱えたまま城の使用人たちに迎えられ、部屋に入った途端に身ぐるみをはがされた。
なんと、結婚式の会場などはほとんど整っていて、あとは婚礼衣装に身を包んだ花嫁を待つのみなのだとか。
「到着したばかりで申し訳ございませんが、お急ぎくださいませ」
「はい」
限られた時間で花嫁を仕上げるべく集まる女性使用人たち。
ラフィーナは人形に徹するほかない。
準備期間が与えられなかったため、用意してきた婚礼衣装は既製品だ。
最初から若干サイズが合っていなかったが、辛い旅でラフィーナの身体はすっかりやせ細っている。
ブカブカとなった衣装には女性使用人たちを困らせた。
詰め物で補正しながらなんとか仕上げ、急かされるように聖堂へ案内される。
ゆっくりと開かれた重そうな扉の先には、数少ない見届人たちと、何故かベールで全身を覆った辺境伯が待っていた。
(新郎がベールで顔を隠しているとは新しい。ベールというか、透けてないから……ただの布?)
考えた直後、そういえばバケモノなのだったと思い出す。
顔を隠しているということは概念系ではなく、見た目がバケモノと呼ばれる所以になっているのだろう。
ちなみに、この世界の花嫁はベールを被らないし、ドレスも白に限らない。
式は粛々と、そして早々と進められた。
神官が神の言葉を述べ、夫婦となる男女に誓いを問う。
「ベリオン・アルガルド。あなたはラフィーナ・オーレンを妻とし、共に歩み、命ある限り愛することを誓いますか?」
「神聖なる契約と神の元に誓う」
声は普通だ。
「よろしい。では、ラフィーナ・オーレン。あなたはベリオン・アルガルドを夫とし、共に歩み、命ある限り愛することを誓いますか?」
「神聖なる契約と神の元に誓います」
事前に教えられていた通りの口上を述べる。
頷いた神官は続けた。
「女神デルフィーヌの御前で、誓いを」
これは誓いのキスをする場面だ。
横並びで正面を向いていた辺境伯と向かい合う。
改めて面と向かうと、辺境伯ことベリオンが相当大きいことに驚かされた。
それに、ベールを被った頭の形がどうにもおかしい。
帽子を被った上にベールを被っているのか、そうでなければ角や耳が生えているに違いない。
帽子もしくは角か耳を含めた状態で、おそらく二メートル以上はある。
「……」
「……」
首が痛くなるほど見上げているのだが、ベリオンは動かなかった。
「……領主様、お顔を」
じれた神官が声をかける。
それでようやく、ベリオンはベールを脱いだ。
「……!」
ある程度の覚悟をしていたラフィーナも、さすがに息を飲む。
見上げる先には大きく捻れた角が左右に二本ずつ、計四本も生えている。
艶を消したような黒のそれらは金の鎖で飾り立てられていた。
顔や首は鱗に覆われ、顔立ちも人間のものとは違う。
ラフィーナの知っている言葉で表現するなら、恐竜に近い。
布をふんだんに使い、宝飾品をいくつも重ね付けした豪奢な衣服の向こう側には、トカゲのような尻尾が揺れている。
顔だけではなく尻尾も隠すために、超大判の布が必要だったらしい。
さらに、足はダチョウのそれに似ていた。
人ならざる関節に、爪先には頑強そうな爪が付いている。
これでは靴も履けまいと、ラフィーナは変なところで感心した。
視線を戻して見上げれば、鮮やかな寒色系のまだら鱗に、背中に届くほど長い真っ赤な髪。
頬から耳にかけては一線の古傷がある。
硬く尖った耳も例外なく、青にも紫にも見える鱗に覆われていた。
それでいて深緑の目だけは人のものと同じだ。
知性を感じさせる瞳とそれ以外の奇妙なちぐはぐさが、異形感を増している。
(これは……失礼ながら、バケモノと呼ばれる訳だわ……)
純粋培養のお嬢様には確かに恐ろしい姿だろう。
しかし、前世でそこそこのサブカルに触れていたラフィーナにはそれほどでもなかった。
驚きはしたが、色彩の派手なリザードマンといった印象で、常識の範囲内だ。
生理的な嫌悪感もない。
悲鳴を上げるでもなく、逃げるでもなく、気を失うでもなく、ラフィーナは誓いを待っている。
ベリオンは黒光りする鋭い爪の生えた手を伸ばした。
ゆっくりとした動きには、決してラフィーナを傷つけないようにとする慎重さが感じられる。
下手に動いて怪我をしないようじっとして、頬にベリオンからのキスを受けた。
唇ではなく、おそらく鼻先を押し付けただけなのだろう。
ひんやりした鱗はすぐに離れて、神官を促すように身体の向きを変えた。
神官の用意した結婚証明書にそれぞれ名前を書く。
ベリオンは長い爪の生えた手で器用にペンを操っていた。
「主よ。今ここに一組の夫婦が誕生しました。夫婦の永き旅路に多くの祝福を授けたまえ」
城にたどり着いて約二時間。初めて顔を合わせて約十分。
乗り物酔いを引きずったまま、ラフィーナはベリオンの妻となった。
――そして、初夜を迎える。