王都へ
カトリーナからの手紙は、他愛のない内容だった。
婚約者とどこに遊びに行った、両親にドレスを買ってもらったと、嫌な結婚を押し付けた義姉に対していまいち配慮のないことが綴られている。
それと同じくらい、ラフィーナの近況を尋ねる文章も書かれていた。
そして最後は『久しぶりに会いたいです。今度の王宮の舞踏会にて』で締められていた。
(私が嫁いでから一度も手紙を寄越したことがないのに、このタイミングとはね)
疑惑が確信に変わった瞬間だった。
砂漠の主から受けたベリオンの呪いが写真に封じ込められ人の姿に戻ったように、ラフィーナも写真を撮ることでカトリーナと顔が入れ替わった――元の姿に戻ったのだ。
(でもやっぱり分からないわ。今まで魔物を殺したことはもちろん、会ったことすらないから、呪いを受ける機会なんてなかったはずだけど……どうしてカトリーナと顔が入れ替わったの?)
ベリオンの場合、相手は魔物だが、ラフィーナとカトリーナはどちらも人間だ。
姉妹に影響を与えた魔物がどこかにいるのだとしても、やはり全く身に覚えがない。
(……カトリーナは侯爵家の庭に迷い込んで来たのよね)
ラフィーナが十歳の冬。
当時は両親の愛情を受け、寒けれど温かい、そんな時間を過ごしていたこともあった。
一人の子どもが現れたのは、両親に挟まれて手を繋ぎながら、冬の庭にうっすら積もった新雪を踏み歩いていた時のことだった。
冬だというのにコートも着ずにむき出しの手や膝を真っ赤に染めていたその子は、一家の前に出てきて、しばらくぼうっと三人を眺めた。
かと思えばその場に倒れ込んでしまったので、ひとまず侯爵家で保護することになったのだ。
ラフィーナはその子どもが気になって、寝かせている使用人部屋に足繁く通った。
目を覚まし、少しずつ元気を取り戻した子どもによれば、実の両親は死んでしまったらしい。
最初に父親、次に母親と死に別れ、行く当てもなく歩いていたら、いつの間にか侯爵家の庭に迷い込んだのだそうだ。
子どもの処遇を話し合っている両親に、ラフィーナは「妹がほしい」と言った。
看病の名目で通い詰めているうちにすっかり仲良くなっていたからだ。兄弟姉妹に憧れもあった。
オーレン侯爵夫妻は娘の望み通り、その子どもを養子として引き取ることを決めた。
孤児を育てることが貴族のステータスの一種であったことと、当時からラフィーナと容姿が似通っていたことが決め手だったようだ。
子どもはカトリーナと名付けられ、実の娘とほとんど別け隔てなく育てられた。
一人っ子だったラフィーナは念願の妹ができたことが嬉しくて、それはそれは可愛がった。
カトリーナもラフィーナを姉と慕った。
社交界に出て『王都の毒花』の噂が立つようになるまでは、本当に仲のいい姉妹だったのだ。
(うーん……十歳当時の記憶とはいえ、どこにも魔物の影はないわね)
姉妹の容姿の入れ替わりに魔物は関係ないのかもしれない。
となると人為的なものということになるが、それでメリットを得るのはカトリーナくらいだろう。
(カトリーナにしても、そこまで言うほどのメリットにはならないと思うけど)
何が起きているのかは分かったが、原因も理由もまったく分からなかった。
(カトリーナに会えば何か分かるのかしら)
*
そんなことを考えた数週間後。
「つ、いた……」
ラフィーナはようやくたどり着いた王都ホテルのソファにぐったりと身体を沈めた。
(忙しかった上に、やっぱり酔った……酔い止めの薬ってどうやって作るんだろう……)
あの後、ベリオンが無事に砂漠から戻ると、城は忙しさを増した。
領主夫妻が王都へ行く間の留守に備え、仕事を前倒したり引き継いだりと調整が続いたからだ。
舞踏会用の衣装制作も並行して進められたのだが、この時、絵心などないのに地球の民族衣装などを落描きしたのも悪かった。
斬新な意匠を目にしたデザイナーが燃えてドレスは全修正、作り直し。
ラフィーナとベリオンは仮縫いされながら書類を書くなど、少しの時間も惜しむ日々が続いた。
なんとかアルガルドを出発してからは、途中まで魔法士の転移門で移動した。
その先は地道に馬車で進むこと、約一日。
嫁いで来た時よりずっといい内装で安全運行、しかも短距離かつ短時間だったが、ラフィーナはやはり、馬車の揺れに耐えられず馬車酔いしたのだった。
「ラフィーナ、水を飲むか?」
「ありがとうございます。飲みたいです」
ベリオン手ずから、水差しからグラスに水が注がれる。
受け取って口をつけると、まだよく冷えた美味しい水だった。
「ずっとまともに食べてないだろう。果物でも持ってこようか。やっぱり王都での社交なんて参加するべきじゃなかったな」
「少し休めばすぐに良くなりますから、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
ベリオンがあからさまに心配そうな顔をして目の前をウロウロしている。
ラフィーナは苦笑しながらも、申し訳なく眉を下げた。
「でも、ごめんなさい。これじゃ今日は外に出られないかも」
「そんなこと気にするな」
王宮で舞踏会が開かれるのは明日の夕方から。
今日の夜はまた変装でもして、少し王都を歩こうかと話していたのだが、その約束を果たせそうなほどの元気はなかった。
「侍女を呼んでくる。着替えてゆっくり休んでくれ」
ベリオンと入れ替わるようにイスティがやってくる。
締め付けのない服に着替え、化粧を落とし、柔らかいベッドに横たわった。
*
本のページをめくる音。
ペン先が紙をひっかく音。
そんな音が心地よく耳に届いて、ラフィーナは目を覚ました。
もうすっかり陽が落ちているのだろう。
視界は真っ暗だが、部屋の隅に柔らかな光が灯っている。
視線を向けると、部屋に備え付けの机で仕事をしているベリオンの姿が見えた。
「ラフィーナ」
気がついたベリオンが、水のグラスを片手に近づいてくる。
「……軽食を用意したんだが、食べられそうか?」
部屋全体に明かりを灯してから示されたテーブルには果物やサラダ、スープにサンドイッチなどが並んでいた。
ベリオンは夜着の上にガウンを羽織っている。
食事も入浴も全て済ませ、あとは寝るだけといった様子だ。
軽食とはいえ罪深い時間ではあるのだが――。
「いただきます」
道中ろくにものを食べていなかったので、さすがに小腹が減っていた。