ラフィーナの写真
収穫祭から数日後の昼下がり、二人は執務室で押し問答を繰り返していた。
「頼む」
「嫌です」
「頼む」
「い、嫌です」
「あれだけ私の写真を撮っておいて、君は嫌だと言うのか」
「言いますとも。私は撮るのは好きですが、撮られるのは好きじゃないんです」
「十日近くも妻に会えない哀れな夫がこれだけ頼んでいるのに?」
「ううう……」
明後日から砂漠へ遠征に行くベリオンが、その間会えない妻の顔写真を持っていきたいと言った。
自分の写真を撮られるのが好きではないラフィーナがその願いを却下した。
押し問答の発端は、そんな些細なものである。
「何がそんなに嫌なんだ」
「だってなんだか恥ずかしいじゃないですか」
「恥ずかしくない。頼む」
「何度もお断りしてます」
「どうにか、この通り」
「ううう!」
ビクターは既に姿を消している。
その代わり、休憩用のテーブルの上に冷めても美味しい紅茶と茶菓子が残されていた。
できる家令である。
「せめて二人で写るとか……」
「うっかりずれたらどうする」
「うっかりずれる……とは……?」
「自分にキスをする趣味はない、という意味だ」
「避けてくださいっ!」
とはいえ、これ以上問答していては仕事が進まず、そのうち苦情も来るだろう。
ベリオンはラフィーナに対する甘さを隠さなくなった。
赤面を隠せなくなるような言葉をかけられる前に引き下がるのが賢明。
収穫祭の日以来、そのような学びを得ている。
「……一枚だけですよ」
「ああ、大事にする」
出会った頃とすっかり印象が変わってしまったベリオンから視線を外し、宙を見上げた。
「キャシー! 写真をお願いしまーす!」
「イイわヨ〜」
声に応えてぽん、と出てきたのはくせ毛の精霊だ。
もはやカメラの付喪神と化しており、ラフィーナによってキャシーと名付けられた。
「何度見ても不思議だな……」
「私から見てもなかなか不思議な光景です」
キャシーは自分より大きなカメラを軽々抱えて浮かんでいる。
精霊の姿を目にできないベリオンからすると、カメラが急に現れて宙を漂っているように見えるのだそうだ。
ラフィーナは執務室の日当たりのいいところに立ち、カメラを見た。
「アラ。今日ハ、カッカ、ジャないノ?」
「うん、私」
「フーン」
「顔がよく映るように頼む」
「えーと、キャシー、胸から上でお願いします」
「ワカッタ。ジャ撮ル、ワヨー」
ぎこちなく微笑んだ瞬間に「撮レタ、ワヨー」の声が上がる。
シャッターも何もないカメラなので、シャッター音がない。
異世界文化なので「はい、チーズ」もない。
あっという間にラフィーナの写真撮影は終わった。
キャシーから出来上がった写真を受け取る。
歴史の教科書に載っていそうな胸上写真が見事に撮れていた。
「どうぞ」
「……うん、よく写っているな」
ベリオンは机の引き出しからいそいそと革張りのケースを取り出した。
金具がついた二つ折りタイプで、中のクッションは黒のベロアで覆われている。
写真サイズの溝に受け取ったガラス板を埋め込んだ。
(ずいぶん用意がいいわね……)
ラフィーナは呆れるべきか照れるべきか判断できず、無表情で突っ立っている。
「ありがとう、これで遠征に行……」
「い? どうかされましたか?」
写真から視線を外しラフィーナを見たベリオンは、何度かまばたきをした。
手元の写真を見て、またラフィーナに視線を戻す。
なんとなくその反応に既視感を覚えた。
「あの、ベリオン?」
初めてベリオンの写真を撮り、姿が変わっていて驚いた時の自分そのものではないか。
「……まさか……え……?」
顔をぺたぺたと触っても、鱗も角もない。
しかし。
「……君も顔、変わったな」
「えええーっ!」
冗談のような悲鳴が、執務室にこだました。
*
鏡を見ると、確かにラフィーナの顔ではなくなっていた。
金に近い亜麻色の髪は、けぶるような金髪に。
海の色だった瞳は、空の青に。
きゅっと跳ね上がった目尻は、柔らかなたれ目に。
どれも僅かな変化だが、顔の印象を大きく変えている。
「えっ? な、え? しゃ、写真、割……っ!」
ベリオンはラフィーナの写真を割ることをためらっている。
いつぞやの有識者たちを思い出す姿だ。
ラフィーナ本人による容赦ない膝蹴りでガラスを割ると、すっと元の顔に戻った。
「キャシー、キャシー」
「ハイハイ、ハーイ」
笑顔を浮かべる余裕もなく、もう一度写真を撮る。
ガラス板に写る顔はラフィーナのもの。
しかし鏡に映る顔は、ラフィーナとよく似ているが、明らかな別人だった。
「ど、どういうこと?」
「君も魔物の呪いにかかっていたのか?」
「まさか! 魔物を直接見たことはありませんし、呪われるようなことだって……」
言いながら、以前ふと覚えた違和感を思い出す。
(結婚した次の日だったっけ? 鏡に映る自分の顔が変だなって、もっとたれ目だったような気がする、って思ったのよね)
前世の顔がたれ目だったのかもしれない。
成長にともない髪色が濃く変わる話はよく聞く。
目だって光の加減で違う色に見えたのだろう。
そう思ったから、違和感はすぐに忘れていたのだが。
(でもこの顔……)
どう見ても見覚えがある。
アルガルドに来る前、オーレン侯爵家で。元婚約者のアダムに寄り添っていた――。
「この顔はたぶん、カトリーナのものです」
「君の義妹だったか」
「はい」
血の繋がりはないのに、実の姉妹と間違われるほどそっくりなカトリーナ。
よく似た容姿を利用して姉の名を騙り、ラフィーナに『王都の毒花』の汚名を着せたのではないかと思われる張本人だ。
「私は砂漠の主から呪いを受け、砂漠の主とよく似たあの姿に変わった。今のこの顔が元の私だ。同じように考えると、これが君の本当の姿なんだろうか」
「確かに、子どもの頃の私はこんな顔だった記憶があります。あのまま成長したらこうなるだろうな、という感じなんですが……違和感がすごい……」
ベリオンのように急な変化ではなかったはずだ。
だから成長によるものだろうと思って、本人も周囲も気が付かなかったのだろう。
「ということは、カトリーナも今、顔が変わっているんでしょうか」
「さて。砂漠の主はもう死んでいたから、私の場合は確かめようがなかったが……」
人型ベリオンそっくりになった魔物を想像した。色々とアウトだ。
ベリオンが執務室の引き出しから一通の手紙を取り出す。
厚手のしっかりした封筒に、金粉を混ぜた青の封蝋――王家からの招待状だ。
「不参加のつもりだったが、行ってみてもいいかもしれないな」
「王宮の舞踏会ですね」
辺境伯として長く領地を空けたくないベリオンと、わざわざ家族や元婚約者に会うと分かっていて参加したくなかったラフィーナ。
二人の意見が一致していたので、不参加を予定していた王宮での舞踏会だ。
参加すればカトリーナの顔を見ることができる。
もし義妹が不参加だったとしても、実家へ挨拶にでも行けばいい。
「でも、仕事は大丈夫ですか?」
「君のおかげでな」
バケモノ辺境伯が人の姿に戻ったことで、城の人手不足は徐々に解消され始めているのだ。
「私の件は国王にも報告しておかなければ後でうるさいだろうから、いい機会だ。色々と済ませてこよう」
「はい」
ラフィーナとベリオンの王都行きが決定した。
*
ひとまず写真を割って、ラフィーナは今までの顔に戻した。
若干とはいえ急に顔が変われば周りが困惑する。けれど事情を説明することも難しいからだ。
ベリオンはやや悩んだ様子だったが、遠征にラフィーナの写真を持っていくことは諦めたようだった。
どちらが妻の本当の姿か、まだ確定していないからだという。
「私は君の顔に惹かれたわけではないからな。どちらでも君は君だ」
そう言い残して砂漠へと向かった。
ラフィーナは前世と通算しても慣れない状況に赤面しつつ、遠ざかるベリオン一行を見送ったのだった。
遠征に向かったベリオンたちの無事を祈りつつ、少し静かになった城で過ごしていたラフィーナの元に、一通の手紙が届く。
義妹、カトリーナ・オーレンからだった。