慰霊祭
夜はすごいの意味が分かった。
これは確かにすごい。
「すごく綺麗ですね……どうして光ってるんですか? 魔法?」
「鉱山から発光する石が採れるんだ。それを粉にして塗料に混ぜて、魔法で定着させたもので線を引いたり、絵を描いたりしてる。城の壁は魔法士が画家を宙に浮かばせて描いている」
「高所恐怖症の画家には難しそうな仕事ですねぇ」
道は大通りから小道に至るまで、家や店舗はもちろん、街路樹まで光っている。
特にアルガルド城は圧巻で、面積が広いだけあって美しい模様が描かれていた。
日が落ちて祭りはますます盛り上がっているようだ。
広場では人が集まり、輪になって踊っているのが見えた。
にぎやかな音楽がここまで聞こえてくる。
「収穫祭と言ってはいるが、本当は慰霊祭なんだ」
「慰霊祭?」
「初代の頃、ここは本当に住みづらい土地だったらしい」
家畜は魔物に襲われ、食物も育つ前に荒らされる。
それでも初代はここを人の住む土地に変えなければならなかった。
他に住むところがなかったのか、当時の領土争いの一環なのか、その辺りの理由は分からないようだ。
「今は魔物の縄張りをある程度把握していて、人がそこを越えないように注意できている。でも当時は今ほどそれが分かっていなかったから、たくさん人が死んだ。人手が減って、家畜も畑もだめになって、飢えて死んだ領民もいた」
それでも土地を捨てずに粘っていると、十年も経つ頃には状況が少しずつ改善してきた。
初代は年に一度、麦の初穂を収穫する時期に、収穫祭を開催することにした。
この日ばかりは誰もが思う存分腹を満たせるようにと、城が買い取った食材を配った。
ほんのり光る以外に使い道のなかったくず石で街を飾り、楽器を鳴らし、それをこれまでの死者への弔いに変えた。
光る街並みは年々と広がっていく。
それを見るのが初代の楽しみで、死んでいった民を思いながら、毎年この場で酒を飲んでいたという。
「以来、ここは領主一家の特等席になっている」
一家、の言葉にラフィーナは赤面した。
確かにラフィーナは、法律上ではベリオンの家族なのだが、どうにも気持ちが追いつかない。
「毎年続けていたが、ここ五年ほどは祭りを開催できてなかった」
「砂漠の主のせいですね」
「そう」
オアシスを結ぶ街道を襲い、国王から直々に討伐命令が出るほど交易に影響を与えた魔物だ。
戦いは長引き、祭りを開催する余裕はなくなった。
「倒した後もみな疲弊していて、余裕がなくてな……父がいればよかったが」
薄暗闇にぼんやり照らされるだけのベリオンの表情は、普段と変わりないように見える。
声もいつも通りだ。
けれど、どこか寂しそうな空気をまとっている。
ベリオンはずっと遠く、砂漠の方角を見て続けた。
「今年ようやく、父を弔えた……って、なんで君が泣いているんだ」
「え? な、泣いてなんて」
言いながら瞬きした目尻から、ぽろりと雫が落ちる。
目の前は「暗いから」だけが理由にはならないほど霞んで見える――涙の膜ができているからだ。
「……泣いてます」
「うん、そうだな。どうしたんだ」
言える訳がない。
(ベリオンが寂しそうに見えたから、とか)
ベリオンは、バケモノ辺境伯の上に父殺しの狂人だなどと噂されている。
表面的な事実だけを言うならそれも間違いではないのかもしれない。
(砂漠の主を倒すために命をかけた父子だったのに……)
王都の人間は、どれほどの葛藤があったのか知りもせずに噂話と砂漠からの品だけを享受している。
かつてのラフィーナも、きっとそのうちの一人だった。
(噂を鵜呑みにしていた自分が情けないだけであって、泣きたいのに泣けない顔してる不器用な人のために泣いてるとかベタな感じではないので!)
誰ともなく言い訳をしながら、涙をごまかすようにすっと立ち上がった。
「私の母が生まれ育ったところでも、死者を弔って光を灯す風習がありました」
「母、というと」
「前世の方の母です」
腕を伸ばす。
近くを漂っていた光の精霊が、ラフィーナの指先に寄ってきた。
「私も弔いたいです。ベリオンのお父様を」
指先に乗せた精霊ごと手を上に上げた。
その緩やかな勢いのまま、精霊が上へ上へと登っていく。
「……!」
同時に、街からも光が粒のようになって立ち昇った。
賑やかだった街がしんと静まりかえる。
誰もが足を止めて、空を見上げている。
真下からの光景は圧巻だろう。
少し離れたこの場からも、なかなか迫力のある景色が見られた。
「君は、火事で死んだと言っていたな」
ゆっくり昇っていく光から目を離さないまま、ベリオンが言った。
「はい。たぶん、ですけど」
「……助けに行きたかった」
乾いたと思った涙が、またじわりと滲む。
「死にたくはなかっただろう」
「……はい」
立ち昇った光が、やがて吸い込まれるようにして消えていく。
空に灯っていた全ての光が消えた時の歓声がここまで届いた。
喜んでもらえたようで、ラフィーナも嬉しい。
なんだかしんみりしてしまったが、自然と頬が緩んだ。
「ラフィーナ」
「はい、そろそろ帰り……」
ますか?
そう続けようとしたラフィーナの額に、柔らかいものが触れる。
ちゅ、と小さな音を立てて離れたそれの先には、ベリオンの美貌があった。
何をされたか理解するより先に、ベリオンが言う。
「……君と恋人になりたい」
「……!」
「『夫婦だけど恋人ではない』は、悔しいけど納得したよ。私は結婚という契約に甘えていたな」
少し前、ラフィーナがベリオンに告げたことだ。
あの時の感情を失ったようなベリオンの表情が思い出されて、ラフィーナの胸がぎゅうと痛む。
「人の心は契約には縛られない。だからこそ、君の心を私に預けてもらえたら嬉しい」
「……前にも言いましたよね。あなたは呪いさえなければもっといい方と結婚していたはずで、私みたいな頭のおかしい人間と出会うこともなかったんです。写真でたまたま人の姿に戻れるようになったから、感謝と恋愛感情が混ざっているのかもしれないし……」
「言っておくが、私は人の姿に戻る前から君に惹かれていたからな。それと」
言葉を失うラフィーナに、ベリオンは続ける。
「出会うはずのなかった私たちが出会って、結婚した。こういうのを運命と呼ぶんじゃないのか?」
「……っ」
自分で言っておきながら照れているようで、ベリオンの目尻は赤く染まっている。
ラフィーナの顔にも湯気が出そうなほど熱が集まった。
泣き笑いのような声が漏れ出る。
「いつか終わってしまうかもしれないのに」
「いつか終わりが来るのは皆同じだろう。それよりも私は、ラフィーナと過ごす今を大切にしたい」
「その時に傷つくのはベリオンですよ」
「臆病では幸せになれないよ、ラフィーナ」
「……!」
母の最期の言葉を思い出す。
『幸せになって』
幸せになりたいと思っていた。
幸せにならなければいけないと思っていた。
だから堅実に生きてきた。
ずっと節制して、欲しいものもやりたいことも我慢して、危ない橋を渡らないようにして。
そうやって一人で生きて、一人で死んだ。
(不幸だとは思ってなかったけど……)
母が言っていた幸せは、あんな人生だったのだろうか?
「幸せになるって、難しい」
「難しいことは二人で考えよう。ゆっくりでもいいから」
ラフィーナは少ししてから、おずおずと頷いた。
手を繋いでのんびりと坂を下り、城に帰る。
もう一人ではない。
伝わる体温が、そう教えてくれた。