収穫祭
無事に祭りを迎えたその日の昼前、ベリオンは久々のバケモノ姿で現れた。
「予定通り写真を割ったが、後でまた撮ってもらえそうか?」
「大丈夫そうです」
いつもと違う浮足立ったような城の雰囲気に包まれて、精霊の二人も楽しそうに宙を舞っている。
写真一枚くらい、ご機嫌で撮ってくれるだろう。
「では行こうか」
「はい」
大きな布で顔を隠したベリオンと広場に向かう。
ここに置かれた舞台で行われる領主の挨拶が収穫祭の始まる合図となるそうだ。
ベリオンが人の姿に戻れるようになったことは、まだ一部の者にしか知らせていない。
今日のところはいつも通りの姿で現れて混乱を防ぎ、祭りを楽しんでもらうのだ。
広場に集まった人はまばらだった。
しかしよく見ると、顔も確認できないほど遠くだったり、建物の向こう側からちらほらと人影が見えている。
布を被っていても恐ろしいバケモノ辺境伯の側に寄りたくないが、領主様の挨拶は聞きに来た、ということらしい。
こう見えてベリオンは領民に慕われている。
「では、領主様からのご挨拶をいただきます!」
ベリオンの姿を恐れない貴重な文官が司会を努め、ラフィーナは奥様としてにこにこと微笑んでいる。
その隣でベリオンは布の間から出した手を掲げた。
鋭い爪の光る寒色系のまだら鱗の手だ。
歓声と悲鳴の入り交じる声が広場に響き渡ると、ベリオンは手を引っ込めた。
なんとこれで挨拶終了である。
同時に、青い空に万雷が鳴る。
万雷というのは祭りの開始を知らせる昼花火で、ドドドッと大きな音と共に白い煙が舞うものだ。
火薬に火を付ける花火ではなく、魔法士が魔法で打ち上げているものなので、色とりどりの紙吹雪も仕込まれていた。
紙吹雪を浴びながら城に戻り、写真を撮ると、二人は別れた。
人型に戻ったベリオンはこの後も仕事があるらしい。
ラフィーナはもうやることがないので、部屋に戻り衣装部屋の窓を開けた。
この窓から顔を出して左側を見ると、少しだけ城下の様子が見えるのだ。
たくさんの人が歩いている。
にぎやかな音楽と、どことなく食欲を誘う香ばしい匂いがここまで漂っていた。
祭りの本番は夜らしい。
夜はもっとすごい、とはベリオンを始めイスティやアルマなど複数人から聞かされた話である。
「いいなぁ」
ここからでも分かる楽しそうな雰囲気にそわそわしてしまう。
前世のラフィーナはお祭りや縁日の独特な雰囲気が好きだった。
住んでいたアパートの近所でも毎年お祭りがあったが、ああいうのは割高なので、雰囲気だけ少し楽しんで家に帰るのが恒例となっている。
今年はどうしようか。
結婚当初は勝手に城を出ることもあった。
そこで出会った少年にレモンをもらったり、教会の片隅で読み書きを教えたりしていたのだが、それらはベリオンに全てバレており、今やきちんとした事業としての取り組みが始まっている。
ラフィーナもメンバーの一人として携わらせてもらっているので、好き勝手に外へ出る機会はなくなってしまった。
(いつぞや、勝手に抜け出しませんと言ってしまったわね)
衣装部屋を出て、居室に戻る。
イスティは単身赴任中の夫が戻ってくるということで三日ほどの休みを取っており不在。代理の侍女も今は席を外している。
「……」
ふと悪巧みが頭をかすめた時、部屋の扉が叩かれた。
「っ」
タイミングが悪い。
嫌に跳ねた心臓を抑えながら深呼吸して、つとめて冷静に「どうぞ」と声を出す。
そっと扉を開けて顔を出したのは、ベリオンだった。
「ラフィーナ。今いいか?」
「え、ええ。もちろんです、どうぞ」
間の悪さと先日の暴露話のせいで、二人きりになると動悸が激しくなってしまう。
息も絶え絶えとなって返事をした。
部屋に入ってきたベリオンは簡素な服を着ていた。
いつもは南の領地らしくゆったりした、仕立てのいい刺繍入りの服などをまとっているのだが、今日は無駄な布がなく、布地は粗目で仕立ても段違いだ。
目立つ赤髪も後ろで一本の三編みにまとめられている。
「わっ。どうしたんですか、その格好」
「君の分も持ってきた」
差し出された服も似たような作りだったが、素朴でかわいいデザインだった。
(こうして見ると私のやってた変装って、仕立てのいい地味な服、ってだけだったのね)
目ざとい者はごまかせまい。
実に甘い変装だったことを思い知らされたところで、はたと気がつく。
「この格好、ってことは外に出るんですか?」
「一緒に行こう」
ベリオンは肯定の代わりにラフィーナを誘った。
「えっ……と」
悪いことを考えそうになっていたにもかかわらず、少しばかりためらってしまう。
二人で変装してお祭りだなんて、デートみたいではないか。
「城の隠し通路から外に出られるから、点検ついでにそこを通って行こうと思うんだが」
「隠し通路」
冒険心をくすぐられる響きだった。
しかも「点検ついで」という、男女のあれこれとは無縁な単語まで出てきている。
まだ仕事があると言っていたし、ベリオンが祭に行くのは単なる視察みたいなものなのだろう。
「すぐに着替えてきますっ」
衣装部屋に駆け込んだラフィーナを、ベリオンがどんな顔で見つめていたのかなど、知るはずもない。
*
静謐な隠し通路は普通の民家に偽装した一軒家の地下に繋がっており、そこから外に出た瞬間の賑わいは、まるで別世界に来たかのようだった。
広場から伸びる大通りと、途中で十字に交差する通りが、出店で賑わう場所となる。
飲食物は領主からの差し入れにより非常に安いお値段で提供されており、どの出店も大繁盛だ。
二人も人通りの多い道をのんびりと歩きながら、途中で食べ物を買った。
座るところもないので食べながら歩く。
買い食いや食べ歩きはラフィーナにとって初めてのことで、前世から通算しても思い出せないほど久々だった。
「ん! 美味しいです!」
「ああ。久しぶりに食べたけど変わらないな」
購入したのは薄く伸ばして焼いたクレープのような皮に、野菜と肉を挟んでソースをかけてくるんだものだ。
もちもちだが香ばしい皮には全粒粉かそば粉が混ざっているのかもしれない。
やや小ぶりなサイズだったので、食べ終わってもお腹にはまだまだ余裕がある。
いい匂いに誘われるまま二人は歩いた。
すれ違う人は誰もベリオンに目を留めない。
「誰も気づきませんね」
「みな領主の顔など覚えてはいないさ」
数時間前にバケモノ姿で挨拶していた領主が、人間の姿で堂々と祭を楽しんでいるとは思いもしないのだろう。
ベリオンもこうして出歩くことを考えた上で、あえてあの姿で挨拶したのかもしれない。
その後も色々と購入したが、食べずに持ったまま、なぜか坂を登った。
石畳で舗装されていた坂道は次第にむき出しの土となり、周りには草木が目立ち始める。
もはや、想定外の登山である。
息が上がってくるが、ここまで来て立ち止まる訳にもいかず、ひたすらベリオンの背中を追いかけた。
しばらくして背の高い草を掻き分けると、緩やかな下り坂となった原っぱに出た。
眼下にはにぎやかな街の様子が一望できる、眺めのいい場所だ。
ベリオンは原っぱの真ん中にハンカチ――にしては大きな布を敷き、ラフィーナに座るよう促した。
「疲れただろう」
「さすがにちょっと。さっき買ったお酒、飲みましょう」
二人で手分けして持っていた食べ物を広げ、酒の封を開けた。
瓶ごと冷やされたエールで、ラフィーナは日本でよく見たような黄金色のもの、ベリオンは黒いものだ。
まだ十分に冷えているエールが登山で上がった体温を程よく鎮めてくれる。
一緒に買ったソーセージは皮がぱりっと弾け、肉汁が多い。
少し強い塩気に流し込むエール。合わないはずがなかった。
「おいしい〜!」
思わず叫んでしまうのも、仕方ないことである。
ほかに購入したのは、きのこのクリーム煮を包んだ一口パイ、店主自慢のソースをかけた白身魚のフライ、チーズとハムの盛り合わせに根菜の酢漬け、デザートにはカットフルーツ。ぬるくなっても美味しいお酒と、チェイサー代わりのお茶。
ちなみに、道中のラフィーナが持っていたのは一口パイと酢漬けだけで、あとは全てベリオンが持ってくれた。
昼食を食べる前に出て、思ったよりたくさん歩いたので、食が進む。
やがて空が暗くなってきた時、ベリオンに言われて街を見下ろしたラフィーナは目を見張った。
「わぁ……」
薄暗闇に浮かぶように街の家々が光っている。
電気による夜景とは少し違う、柔らかい光だ。
その光が城を越え、どこまでも広がっている。
「この景色を君に見てもらいたかった」
闇が深くなるごとに強くなる光にほんのり照らされながらベリオンが言った。
息を呑むほど、美しい光景だった。