転生か、憑依か
お茶の用意をしたビクターが気を利かせて退室し、再び二人きりになった執務室。
少しぬるめのお茶で喉の乾きを癒したラフィーナから肩の力が抜ける。
ベリオンも同じようにくつろいだが、難しそうな顔はそのままだった。
「……前世?」
「たぶん、ですけど……」
カップを置いたラフィーナが頷く。
『私は、いつか消えるかもしれないので』
その言葉をベリオンは自殺予告と受け取ったようで、実に激しくラフィーナを問い詰めた。
ラフィーナはやってもいない罪を白状したくなるような気分になりながら、とつとつと白状する羽目になったのだった。
「前世の記憶を思い出したのは結婚した日、ここに向かう馬車の中でした。馬車が跳ねて頭をぶつけて、と思ったらこうなっていたんです」
洗濯機やカメラなど、今までのアイデアは全て前世にあったもの。
侯爵家の娘でありながら洗濯場や厨房に出入りしていたのは、前世では皆働くのが当たり前で抵抗感などなかったから。
バケモノ辺境伯のベリオンを見て悲鳴を上げなかったのも、前世の創作物には似たものが珍しくなかったからだ。
「よく、分からないんだが。君はラフィーナ・オーレン侯爵令嬢ではなかった、ということか?」
「ラフィーナとして生きてきた記憶はちゃんとありますし、この身体がラフィーナのものであることは間違いないかと。でも、意識は前世のものが強いです」
前世では苦労したが、次の日には相続放棄で楽になれるはずだった――火事さえなければ。
そんな思いが強いので、ラフィーナの記憶や感情が消えたわけではないが、火事の無念の次くらいに引っ込んでいる。
「どうやら前世は火事の煙に巻かれて死んでしまったらしくて。夜寝ていた時のことなので、気づいたら逃げ遅れていて……心残りだらけなんです。せっかく生きている今、自殺なんて絶対にしません。精一杯ここで生きます。でも、返すべき時が来るなら返さないと、とは思っています」
その時のために、ベリオンはラフィーナではなく、別の人を妻にしておくべきだ。
「実際そうなるかは分からないんだろう。ずっと今のままかもしれない」
「確かにその通りなんですけれど。でも、もし今の私が消えて、ラフィーナが戻ってきたとしたら……」
自然と言葉が途切れる。
この先を口にするのが躊躇われた。
(ラフィーナはバケモノ辺境伯が怖くてこうなった。だから……)
次に人格が入れ替わった時、ラフィーナはバケモノ辺境伯と結婚したショックでひっくり返るかもしれない。
部屋に閉じこもって泣き暮らしでもしたら、ベリオンは傷ついてしまうだろう。
(いやでも、私にラフィーナの記憶や感情があったみたいに、ラフィーナにも私の記憶や感情が残るとしたら……あれ?)
改めて今の自分が消えた後の二人を想像してみる。
記憶と感情を引き継ぐなら、何の問題もなく仲良くしている可能性が十分にあった。
ベリオンは人の姿に戻ることができる。
ラフィーナの王都での噂も時間とともに消えていくだろう。
客観的に見れば美男美女でお似合いの夫婦だ。
離婚する理由がない。
それなら今、ベリオンの気持ちを素直に受け入れてしまっても、いいのではないだろうか。
(でも……いやだな……)
その時ベリオンの隣にいるのは、自分であって自分ではないラフィーナだ。
(そんなのは耐えられな……って!)
「うぅ……」
「ど、どうした?」
中途半端なところで黙り込み、うなり始めたラフィーナに、ベリオンは慌てた様子で近づいた。
美貌が心配そうに歪められている――かと思えば、その顔は徐々に崩れていく。
ラフィーナはベリオンを睨んだ。
「なんで笑ってるんですか」
「いや、だって……そんな顔を見せられたら……」
「どんな顔」
ベリオンは嬉しくてたまらないといった様子で微笑んだ後、照れ隠しのつもりか手で口元を隠した。
「……期待したくなる顔」
「……」
ラフィーナは無言のまま、すっと立ち上がった。
呼び止めるベリオンの声は聞こえないふりをして、薄く開けた扉から素早く廊下へと出る。
そしてそのまま、全力で走った。
「フィオく様! またそんな洗濯なんて……うわ、濡れる!」
洗濯場に到着すると、冷たい溜め池に手を突っ込んだ。
十分に濡らした手のひらで両頬を叩き、服まで濡れるのも構わずに波打つ水面を見つめる。
顔が熱いのは、走ってきたから。
顔が赤いのは、思い切りひっぱたいたから。
(ラフィーナに嫉妬したわけではない! ベリオンにときめいたわけでもない! 断じて!)
声に出して叫びたくなるのを堪え、もう一度、冷たい手で頬を叩いた。
結構痛くて、ちょっとだけ涙が出た。
アルマの「フィオく様!」についてはわざととなっております。
「フィオナ」と「奥様」が混ざっちゃったアルマさんです。
ご了承下さい。