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夫婦と恋人

 ペンにインクを浸しながら考えるのは、たった一つのこと。


(パソコンが……パソコンが恋しい!)


 アルガルド領ではもうすぐ収穫祭が始まる。

 人手不足ゆえにラフィーナも祭りの企画運営を手伝っているのだが、手書きの書類を一枚ずつ作成する度にパソコンが恋しくなるのだった。


(液晶とか半導体とかさっぱり分からないからパソコンは無理だけど、タイプライターなら作れるのでは?)


 カメラ同様、現実逃避である。

 ラフィーナはきちんと現実を見据えることにした。


 目の前には食材名や個数が羅列された紙の束がある。

 収穫祭の日、城下の飲食店には領主から食材の差し入れがあり、その日だけは信じられないような激安価格、または無料で飲食が楽しめるようになっているらしい。


 どの食材がどのくらいほしいのかは、地区ごとに希望数を申告する形となっている。

 それを最終的にまとめ、発注するという仕事がラフィーナに任されていた。


「ベリオン」


 執務机のベリオン、もとい上司に声をかける。

 ラフィーナはベリオンの執務室の一角にデスクを頂戴していた。


「どうした?」

「定規ってありますか?」

「定規?」


 パソコン、書類作成ときたら、表だろう。


(日本人は特に表を好むって聞いたことがあったような)


 各地区からの申告書は雛形もなく、書式はてんでばらばらだ。

 文字をぎゅうぎゅうに詰め込んだ一枚の紙を見て、表、改行、箇条書きなどの文化を持ち出さずにはいられなくなったのである。


「ビクター、定規はあったか?」

「執務室にはございませんね。測量か設計の者なら持っているはずなので、借りてきましょう。少々お待ちを」

「ああ、頼む。少し待っていてくれ、ラフィーナ」

「はい……」


 執務室を出るビクターの背中を見送る。

 定規一本で少々大げさなことになってしまった。

 今さらフリーハンドでいいとは言い出せない。


 しばらくしてビクターが持ってきた定規は、金属でできたL字型の定規だった。

 細かい目盛りがびっしり刻まれている。

 日本では建設現場などで使われていそうな、明らかに事務用品ではない定規である。


 持ってきてくれたビクターに礼を言って机に戻ったラフィーナは、二対の視線を感じながら表を書き始めた。


 まずは定規を裏返しにする。

 こうすることで斜めになっている目盛り面と紙の間に隙間ができて、インクがにじまない。


 横列はひとまず、通し番号、品目、個数集計欄、合計欄の四列作る。

 各地区からの申告書を見ながら「にんじん 正正一」「たまねぎ 正正正」というように、正の字で数えていく。

 全ての地区分、同様に転記したら、正の字を数えて合計欄に記入する。


「できました」

「なんと面妖な」

「面妖って」


 ビクターが思わずといった様子で呟いた。

 ベリオンも感心したように言う。


「食材の集計で何を設計するのかと思った。面白いな」

「表、と言います。私はこれが見やすいんですが……分かりにくいでしょうか?」

「慣れたらそうでもない」


 全くもって表というものが存在しない世界だったのだろうか。

 王都にいた頃のラフィーナは領地運営の勉強をしていたが、グラフはともかく表に関しての記憶がない。


「君の発想はいつもすごいな。なんというか……考え方が根本的に違う気がする」


 ぎくりと肩を震わせた。

 違う世界で生きていた頃の記憶があるのだから、根本的に違うのは気のせいなどではない。

 実に鋭い指摘だ。


「褒めてるんだ。他意はない」

「あ、ありがとうございます」

「どこでこういうのを覚えたんだ? ここに来るまではずっと王都だったんだろう」

「ええと……ひらめいたんです、突然」


 ベリオンが黙り込む。


 前にも似たような言い訳をしたことを思い出した。

 何から何まで「ひらめき」では、さすがに苦しいだろうか。


「……噂とは本当にあてにならないものだな。改めてそう思う」

「私もここに来てそう思いました」


 ベリオンは王都で聞く通りの『バケモノ辺境伯』ではあったが、中身は優しかった。

 父や婚約者については噂に尾びれだ。

 噂に惑わされ馬車の中で終始震えていたことが大昔のように感じられ、どこか懐かしい。


「ラフィーナ、君は素晴らしい女性だ」


 急に空気が変わった気がして、顔を上げた。

 深緑の目に射抜かれ、視線を逸らすことができなくなる。


「妻になってくれたのが君でよかった」

「あ、あ、ああの……」


 口もまともに回らない。

 そんなラフィーナを見つめる深緑に、熱がこもり始める。


「……ラフィーナ……」


 机を挟んだ向こうから手が伸びてきて、指先が触れ合う。

 びくりと跳ねたラフィーナの手がぎゅっと握り込まれた。


 顔が近づいてくる。

 キスをされそうになっているのではなかろうか。


 そう気づいた瞬間、さっと身体を反らした。

 握られた手を抜き取り、空いていた方の手で覆うように胸に寄せる。

 心臓が痛いほど跳ねていた。


「……私たちは夫婦だろ」


 眉を寄せたベリオンが不満げに呟く。


「初夜で寝室を別にしたのは悪かった。でももう、人の姿にも戻れるようになったから……」

(ま、まずい! この雰囲気はまずい!)


 執務室を見渡すが、なぜかビクターの姿がない。

 この雰囲気を察知してか、いつの間にか出ていってしまったらしい。


 精霊もいない。ササミもいない。こういう時に限って二人きり。

 白い結婚からの円満離婚および就職の危機だった。


「確かに! 私たちは法に認められた夫婦ではありますがっ! ここっ、恋人でもないのに、昼からこういうのは……っ!」


 恋人なら昼からでも甘くていいとか、そういうことではないのだが、とにかくこの雰囲気はよくない。

 とっさに叫んだラフィーナだったが――


「……」


 すぐに後悔した。

 ベリオンが分かりやすくショックを受けていたからだ。


「あ、あの……ベリオン……」


 泣いているわけではない。怒っているわけでもない。

 ただ表情の抜けた顔でラフィーナを見ているだけ。


 そんなベリオンの様子にいたたまれず、ラフィーナはぽつりと言った。


「……あなたはこんな余り物と結婚するような方ではなかったんです。もっといい方がいらっしゃいます。それに」


 口が勝手に動いていた。


「私は、いつか消えるかもしれないので」

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