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前世

「ただいまー」


 職場から戻り、誰もいない真っ暗な部屋に帰宅を告げる。


 鞄を置いて、手洗いとうがいをしてから冷蔵庫の中身をチェックした。

 ここ何日かで出た野菜のかけらに冷ご飯、お徳用ベーコンの切り落とし。卵にケチャップもある。

 夕食のメニューはオムライス一択だ。


「一週間もってよかった」


 いつも節制してはいるものの、この数週間はさらに節約に励んでいた。


 明日迎える二十五歳の誕生日は少し、いやかなり特別なものになる。

 仕事帰りにお祝いのケーキを二個買うため、食費を切り詰めていたのだった。


「……ここまで長かった。けど、明日で失踪宣告、夢のケーキ二個買いだっ!」


 包丁を握ったまま右手を突き上げた。


 高校を卒業する年の秋に母が病死した。

 最期に言い残した言葉は「幸せになって」だった。


 だというのに、それから数ヶ月もしないうちに、今度は父親失踪の知らせが届いた。


 幸か不幸か、父は消えただけで死亡してはいないらしい。

 失踪宣告と相続放棄ができるまでの七年間、戸籍上唯一の娘が、顔も覚えていない父親の借金を負うこととなった。


 高校を出てすぐに働いた。

 借金を返済しながら細々と暮らしていたが、それも明日で終わる。


 明日、相続放棄してからは、自分だけの人生が待っている。ここまで節制するのも、きっとこれで最後となるだろう。


 オムライスを食べて、風呂に入り、布団に潜る。

 明日は早めに出社して、早めに帰宅するのだ。


(ケーキ……絶対に二個……)


 一つはフルーツ系がいい。もう一つはチョコか、チーズか、ミルフィーユにモンブラン、ゼリーやプリン系も捨てがたい。

 幸せな悩みを抱えながら眠りに落ちる。


 生活は苦しかった。仕事も楽ではなかった。

 しかし、貧しい日々の中でも楽しみを見出すことはできた。

 母の遺言通り、幸せに生きてきた。






 はずだった。


(苦しい)


 夜中に目が覚めた。


 喉がひりつく。目がしみる。呼吸が苦しい。頭が痛くて、身体がうまく動かせない。

 おかしいと分かっても、どうにもできなかった。


(苦しい、苦しい、苦しい)


 外がうるさい。サイレンの音が頭に響く。扉が壊されそうなほど強く叩かれていた。

 何か、尋常ではないことに巻き込まれている。


(ごめん、お母さん。もうダメかも……)


 借金からの解放が一区切りになるはずだったのに。

 明日からはもっと楽しく、もっと幸せに生きるつもりだったのに。


 結局、何が起きたのか理解する間もなく、全ての思考を失った。



 ガタンッ


 音と同時に身体がふわりと浮いた。


 ゴッ


「うっ!」


 浮いた身体が着地した瞬間、後頭部をぶつけた。

 痛みに上げた声が蹄と車輪の音にかき消えると同時に、ラフィーナは意識を取り戻した。


(蹄? 車輪?)


 閉じていた目を開ける。


 視界に映るのは質素な部屋――長旅には適さない内装の、箱馬車の中だった。

 ガラス窓の向こうには見たことのない景色と、雲ひとつない青空がどこまでも広がっている。


 その平和的な風景を眺めているうちに、意識がはっきりしてきた。


(え、っと。たぶん、火事……よね?)


 状況から考えると、火事の煙に巻かれて一酸化炭素中毒で死んだ。

 そしてどうやら生まれ変わったらしい。


 ガラス窓に映るのは金に近い亜麻色の髪に、透き通る海の色の瞳。彫りが深く、人形みたいなすべすべ肌の小顔だ。

 黒髪黒目に平たい顔だった頃とは似ても似つかないが、見慣れた自分の顔だった。


 先程ぶつけた後頭部に手を添えれば、ガラスに映る姿も同じように動く。

 間違いなくこの身体は自分のものであるらしい。


(今の私はラフィーナ・オーレン。侯爵家の長女で、両親と義理の妹が一人、そして婚約破棄のような……うん、色々と思い出してきたわ)


 揺れる馬車の中でこれまでのこと――火事に巻き込まれて死んだ前世ではなく、生まれ変わってから今に至るまでのことを思い返す。


 ここは王侯貴族がいて、剣と魔法で魔物と戦う、西洋ファンタジーを具現化したような世界だ。

 ラフィーナはそんな世界で、侯爵家の一人娘として生を受けた。


『王都の毒花』なる不名誉な二つ名を付けられ、妹に婚約者を奪われ、両親に半ば追い出されるようにして『バケモノ辺境伯』の元へ嫁ぐところだ。


 恐怖と絶望でどうしようもなかったところに、車輪が跳ねて後頭部を強打した。

 その衝撃で前世の記憶を思い出してしまったのだろう。


(不思議な感じ。私だけど、私じゃないというか。でも記憶はどっちの分もあるし……)


 強気に言い返すこともできず家を出てしまったが、今は「死ぬこと以外かすり傷」が座右の銘だった頃の記憶がある。

 思い出すべくして思い出した記憶だったのだろう。


「大丈夫、大丈夫。こういう場合の呪いとかバケモノはだいたい比喩表現だから」


 節制に励む日々を無料のネット小説で癒やすこともあった。

 それらによれば婚約破棄や略奪はよくあることだ。


 呪いや人外も定番ネタである。

 その場合、相手は鍛え上げられた巨体に大きな傷跡があるだけの屈強猛者系だったり、人の心をなくしたなどの概念系だったりすることが多い。


(相手が誰であれ今度こそ幸せになるわ、お母さん。できたら恋もしてみたいなぁ)


 異世界から前世の母を思い、誓いを新たにした。



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