完成したカメラ
(私って確か、精霊術士だったわ……)
よくよく思い出してみれば、幼い頃は精霊とおしゃべりをしていたし、その力を借りることもあった。
しかし次第に、精霊に話しかけられても答えないようになった。
彼らの言葉を聞かないようになった。
いつの頃からか両親が、精霊術士であるラフィーナを戦地に送り込もうとするようになったからだ。
「あの……今まで無視しててごめんね。本当はずっと、話したかったんだけど……」
「ワカッテル。ヤサシイ、カら」
短いくせ毛の精霊が続けた。
「魔物、殺シタクナカッタ、殺サセタク、ナカッタ。デショ?」
ラフィーナは頷いた。
魔物が死ぬと身体は朽ちて灰となり、中から『魔核』と呼ばれる宝石のようなものが出てくる。
魔核は魔力を内包するエネルギー源として人間たちに使われていた。
人間は魔核を求めて魔物を殺した。
魔物を殺し魔核を得ることが社会貢献であり、名誉なことだとされている。
しかし魔物と同じくらい、魔物との戦いに駆り出された人間も死に、残された子どもが路頭に迷うことが多くなった。
そうやって親を亡くした子どもを引き取り育てることも、一種の社会的ステータスになっていた。
(本末転倒もいいところだけどね)
カトリーナがオーレン侯爵家に養子として迎え入れられたのは、彼女が魔物との戦いで親を亡くした孤児だったからだ。
さらに精霊術士のラフィーナを戦場に送り込むことで、両親はより大きな称賛を得たかったのだろう。
「魔核が便利なのは分かるけど、あそこまでして求めるのはおかしいって思ってたの。そんなふうにして得る名誉も何が偉いのか分からなかったし、精霊術を使って魔物を殺してこいと言う両親も怖かった」
「ラフィーナ、小サカッタ。シカタナイよ」
「デモ、モウへーき?」
名誉を求めてラフィーナに迫る両親はここにいない。嫁いで以来、手紙の一つも来ない。
ラフィーナは笑って頷いた。
「うん、大丈夫。また前みたいに私とお話してくれる?」
「イイヨ!」
「嬉シイね!」
三編みの精霊が小さな手でラフィーナの服を引っ張るようにして言った。
「ソレデ、アレ、ナニ」
指差す方向にあるのはカメラもどきだ。
くせ毛の精霊が観察するようにカメラの周りを回っている。
「カメラっていうの」
ベッドの上から降りて、カメラの側に寄った。
机の上の花瓶にレンズを向け、ピントを合わせる。
ガラス板に反転した像が映ると、暗幕に潜り込んだ精霊たちが手を叩いて喜んだ。
「デモこれダケジャナイ。ドウナル? ドウシタイの?」
どうやらイスティとの会話を聞いていたらしい。
くせ毛の精霊が短い指を顎に添えながら、ラフィーナを見上げた。
「今このガラス板に映っているものを、うーん、焼き付ける……というか。ガラス板に描いた絵みたいにしたいというか。本当はね、いろいろな薬を混ぜた液をガラス板に塗ると、光と反応して、ガラス板に映っているものがそのまま固定されるんだけど。その薬について、何も分からないのよね」
「……」
「……」
精霊たちは「ちんぷんかんぷんです」といった顔をしている。
ラフィーナもちんぷんかんぷんだ。
ここで手詰まりになると分かっていながら作った。
像を定着させる薬品については、この世界の未来人に託したい。
「薬シラナイ……」
「ズット、ガラスニ、描イテオキタイノ?」
「そうそう。そうなの」
「デキルカモ」
「精霊ってすごい……え? できるの?」
何気なく流しそうになったラフィーナだったが、勢いよくくせ毛の精霊を振り返った。
「ちょ、ちょっとやってみてもらってもいい?」
「イイヨ」
くせ毛の精霊は、反転した花瓶の映るガラス板に小さな手のひらをかざした。
くるりとガラス板を一周するように腕を回す。
たったそれだけだったが、精霊は「終ワッタよ」と言った。
「ド? デキテル?」
今のところ、ガラス板に変化は見られない。
先程までと同じように花瓶が映っている。
そのガラス板をカメラからそっと取り外すと、反転した花瓶も一緒に動いた。
向こう側の花瓶はそのままだ。
「こ……これは!」
取り外したガラス板をひっくり返し、裏返す。
すると目の前の花瓶とそっくり同じものが映ったガラス板が出来上がっていた。
しかもフルカラーである。
「しゃ、写真だ……!」
世界でおそらく初めてのカラー写真が誕生した瞬間だ。
手の中のガラス板――写真が落ちないよう、ラフィーナは身体の震えを必死で抑えた。
「ラフィーナ、ウレシ?」
「嬉しい……すごく嬉しい……! ありがとう、本当にありがとう!」
「モットヤリターイ!」
「僕モヤッテミターイ!」
「うん! 他の写真も撮ろう! せっかくだから、外に!」
ラフィーナは興奮のままカメラと、ありったけのガラス板を持ち部屋を出た。
庭に向かい、ちょうど見頃を迎えている花や、白亜の城と青い空、通りすがりのササミを撮っていく。
三編みの精霊は一枚試してすぐに飽きたようだ。
くせ毛の精霊はこなれてきたのか、撮影に数秒かかっていたものが、今では「ハッ」とか「テヤッ」など気合の一声のみで撮れるようになっていた。
「よーし、次は……」
「ラフィーナ?」
被写体を探すラフィーナの背中に、低い声がかけられた。
振り向かなくても分かる。ベリオンだ。
「ごきげんよう、閣下」
「アルガルド辺境伯夫人が一人で妙なことをしていると聞いてきたんだが」
精霊の姿は精霊術士でなければ見ることができないし、声も聞こえない。
はたから見ればラフィーナは一人で楽しそうに喋っていた、ということだろう。
精霊術士であることを早めに明かしておいた方がいいかもしれないが、それよりも今は。
「閣下。これは洗濯機よりすごいものですよ!」
「最近部屋にこもって作っていたものだろう? 私も妻の姿を見るのはずいぶん久々な気がするな」
ベリオンの声には少しばかり棘が含まれていたのだが、カメラ完成の興奮が消えていないラフィーナは全く気づいていない。
「この辺りに立ってください」
「一体何なんだ?」
「まぁまぁ。このレンズを見て、じっとしていてくださいね」
見栄えのいい場所にベリオンを移動させる。
全身を覆う布を肩や腕に流して整えてから、脚立に乗せたカメラのレンズを指差し、視線を誘導した。
「精霊さん、お願いします」
「リョーカイ。ホイ!」
カメラから取り外したガラス板には、四本の角から長い尻尾まで、見事にベリオンの姿が写っていた。
言われた通りにレンズを見てはいるが、不可解そうな雰囲気が隠しきれていない。
ガラス板のままでも透明感があって綺麗なのだが、下に白い布を当てると見やすくなる。
ポケットのハンカチを取り出し、撮れた写真をベリオンにも見てもらおうとしたラフィーナだったが、写真から顔を上げた瞬間、動きを止めた。
「……か……っか?」
ベリオンが立っていたはずの場所にいるのが、ベリオンではなくなっている。
代わりにいたのは、恐ろしい美貌を持った男だった。
真っ赤な髪に深緑の瞳。日焼けのない肌には、左の頬から耳に向かう古い傷跡が一筋。
ベリオンと同じ髪と目、同じ傷。
「閣下……」
「ラフィーナ? どうした?」
ラフィーナを呼ぶ声も、ベリオンと同じ。
「……呪いが、解けた?」
そこにいたのは――人の姿に戻った、ベリオンだった。