ササミとお昼寝
細かく針を進めながら、頭の中は呪いのことばかりだった。
ラフィーナがベリオンと結婚したのは、『バケモノ辺境伯』を泣いて嫌がるカトリーナに押し付けられたからだ。
だがこれが『バケモノ辺境伯』ではなかったら?
ベリオンは元の婚約者と結婚していたかもしれない。
同じように王命が下ったとしても、婚約者のいないカトリーナが受けていただろう。
(カトリーナじゃなくても、立候補するご令嬢はたくさんいたはず)
砂漠の主に脅かされてはいたものの、アルガルドは豊かだ。
居住区域は緑も水も豊富で、少々乾燥してはいるが温暖な気候で過ごしやすい。
白亜の城と青い空は美しく、夫となるベリオンは優しい。
結婚相手として悪い条件ではない。
本当は、『王都の毒花』などと結婚するような人ではなかったのだ。
(つまり呪いさえなければ、私と離婚して別の方と再婚も可能ということ。そして私はまだ見ぬ誰かと恋をするのよ)
けれど、呪いを解くことはできないらしい。
呪いが解けなければ次の結婚は難しい。
つまり、いくらベリオンが望んだとしても、ラフィーナとの離婚は国王が認めないかもしれない。
それでは離婚ができない。
ラフィーナも浮気や不倫といったものをするつもりはない。
今世こそ恋をするという目標は、すでにどん詰まりである。
言い表せぬ感情を込めて、大量の綿をぎゅっと詰め込んだ。
キャラメル包みにして縫い目を閉じ、ぎゅむぎゅむと押して出来栄えを確かめる。
「閣下、でき――……」
新しい方の寝心地も確かめてもらおうとベリオンに声をかけようとして、口をつぐんだ。
目の前のベッドに横たわったベリオンが、目を閉じたまま穏やかな寝息を立てていたからだ。
しかも。
(かっ、かわっ……、かわいいっ……!)
いつの間にやら、腹の上にササミが乗っていた。
ベリオンが呼吸する度に、ヘソ天状態のササミも若干上下している。
あまりの光景にラフィーナは顔を両手で覆った。
指の隙間からちらりと見ては、ため息を吐く。
「はぁ。なぜ今この瞬間、手元にカメラがないんだろう……」
猫とうたた寝しているリザードマンの、なんと素晴らしいこと。
ラフィーナには絵心がない。
この光景を後から見返せる形に残せないことが悔やまれて仕方なかった。
(デジカメ的なものは無理だけど、昔のカメラだったら……)
写真を撮ると魂を抜かれる、などと言われていた頃のようなカメラを思い描く。
「レンズと蛇腹みたいな箱、黒い布、あとは……ガラス板?」
ぶつぶつと呟いていたラフィーナがうるさかったらしい。
目を覚ましたササミが「んなっ」と小さな声で文句を言った。
「うるさくして、ごめんね」
ベリオンの腹の上で背中を丸めるように背伸びをしてから、再びうずくまる。
二度寝を決め込むようだ。
せっかく横になって眠れているのだから、ベリオンもそっとしておいた方がいいだろう。
ビクターに伝えて、程よいところで起こしてもらえばいい。
ササミの柔らかな毛並みを撫でてから部屋を出ようとしたラフィーナだったが、伸ばした腕を何かに取られ、息を飲んだ。
「へ?」
ベリオンだ。
ラフィーナの手首を掴んだベリオンは、そのまま自分の方へと手を引き寄せている。
(え? え? 寝ぼけてる?)
鋭い爪でラフィーナの肌が傷つかないような、しかし抵抗を許さない程度の力加減だった。
されるがままにとなっているラフィーナの目の前で、自分の手がベリオンの口元へと近づけられていく。
一連の様子がスローモーションのように見える。
気づいた時には、手のひらが鼻先に押し付けられていた。
「……ラフィーナ……」
「っ!?」
前世と合わせても聞いたことのないような甘い声が耳に響いて、淡く全身が震えた。
一緒に脳まで痺れたようで、何が起こっているのか理解できない。
ベリオンの力が緩む。
この瞬間を見逃さず、何かを考える前にするりと手を抜き取った。
座っていたベッドの縁からそっと立ち上がり、極力足音を立てないようにして部屋を出た。
(……寝ぼけて、て、てのひら、くっついただけ。しかも鼻だし……)
だからラフィーナは、先程の声を聞かなかったことにした。
(わ、私は、今世では恋をするんだからっ)
どん詰まりとはいえ、まだ諦めきれたわけではない。
ただその相手がベリオンではないというのが問題なだけで。
ラフィーナとベリオンは間違いなく夫婦ではあるが、白い結婚だ。
そういう関係にはならないと、初夜の日にきっぱり言われている。
恋をするにも公序良俗に反したくないラフィーナとしては、離婚するなら早くしたいのだった。
(とにもかくにも、呪いさえなければ、こんなことには……!)
足早に廊下を歩き、ベリオンの執務室に向かった。
そこにいたビクターに「閣下が寝室で休んでいるから、適当なところで起こして差しあげてください」と伝えておく。
それから着替えもしないで洗濯場に走り、折よくその場にいたアルマの洗濯物を奪った。
「フィっ……じゃなくて、奥様!?」
洗濯機は使わず、溜め池の冷たい水に素手を突っ込む。
「な、なにやってるの!? すごく顔赤いよ!? 熱あるならそんなことしちゃダメだよ!」
「いいの! 熱を冷ますためにやってるの!」
見たこともない砂漠の主に恨みを込めて、洗濯物を擦った。