チーズバーガーセット
ベリオンの部屋は、ラフィーナの部屋とは主寝室を挟んだ隣にある。
入るのも見るのも初めてのベリオンの部屋は、思っていたより物が少なく質朴だった。
広さはラフィーナの部屋と変わらないくらいだと思うのだが、ずいぶんと広く見える。
(ベッド、置いてすらないのね)
その代わりにあるのが、柔らかそうな一人がけのソファだ。
ササミはそのソファを占領し丸くなっていた。
ラフィーナが覗き込むと薄目を開けるだけで、身動き一つしない。
「ササミ、あなたお腹空いてないの? 朝の分でよければ、ここに置いておくからね」
ここに来る前に自室から持ってきておいた餌と水を、ソファ正面の壁際に置く。
ササミはのっそり起き上がって大あくびをしながら歩き、「なんっ」と鳴いてから餌を食べた。
野良猫だったはずなのにすっかり怠惰なものだ。
そんなところも可愛くて、ラフィーナの頬は緩んでしまうのだった。
「私たちの分もすぐに運ばれてくる」
「はい。実は今日のお昼は、私が考えたメニューを料理長に作ってもらってるんです。気に入ってもらえるといいのですが」
「それは楽しみだな」
ベリオンに椅子を引いてもらい、席に着く。
「ありがとうございます」
ラフィーナが礼を言うと、ベリオンはわずかに微笑んだ。
実際のところは爬虫類顔のせいで表情の変化はないのだが、深緑の目は意外にも喜怒哀楽を映している。
(普段は布に隠れちゃってるから、この姿の閣下も笑ったりするんだって知ってる人は少ないのでしょうね。もったいない)
ベリオンはバケモノではなく、人間だ。
割と感情豊かで、領地と領民を思っている人なのだと、出会って数ヶ月のラフィーナですら知っている。
(もっとみんなに分かってもらえないかな。そしたら、きっと……)
「お待たせいたしました」
考え込むラフィーナの横に、いつの間にかビクターとイスティが現れていた。
ビクターは料理の皿をワゴンからテーブルへと手際よく移していく。
イスティが飲み物を用意し終えると二人は早々に退出し、部屋にはラフィーナとベリオンが残された。
ササミは一足先に食事を終え、またソファに戻ったようだ。
「おいしそうだな。サンドイッチか?」
「薄く焼いたハンバーグとチーズを挟んでいるので、『チーズバーガー』と呼んでいます」
「なるほど」
昼食のメニューはチーズバーガーだ。
付け合せはパリパリのポテトチップス。飲み物にはレモンスカッシュを用意した。
ジャンクなあの味を思い出してしまった時に、カッとなって開発したメニューである。
「ナイフとフォークを使ってもいいですが、ぜひ素手で、ぱくっと食べていただきたいです」
「素手で、ぱくっと」
複数部位を混ぜて食感よくジューシーに仕上げたパティに、野菜とチーズを丸パンに挟んだ。
ソースには、アルガルド地方の肉料理によく使われるものを活用している。
「いただきます」
一応並べられているカトラリーを無視してチーズバーガーを掴んだラフィーナは、遠慮なく口をあけてぱくりと食べた。
まだできたてで、蕩けたチーズと肉汁が舌に広がる。
記憶にあるジャンクな味わいとは程遠いものの、これはこれでとても美味しかった。
バーガーを片手で持ったまま、もう片方の手でうすしお味のポテトチップスをつまむ。
この世界にもフライドポテトまでは存在していたが、薄くスライスしてカリカリになるまで揚げる、というのは画期的だったらしく、レシピを渡した直後は「何たる暴挙!」と驚かれたものだ。
フライドポテトではなくあえてポテトチップスを添えることで、ハンバーガーに再現しきれないジャンクさを補うねらいがある。
そして、冷たいレモンスカッシュを喉に流した。
レモンスカッシュは、この地方に昔からある『香草入りレモンシロップ』を使ったものだ。
アルガルドではそこかしこに天然の炭酸水が湧き出ており、シロップと割ってよく飲まれている。
(コーラは流石に難しいわよね。クラフトコーラって都市伝説なんだっけ? スパイス? カラメル? ライム……あ)
気がついた時には、ベリオンの視線がラフィーナに注がれていた。
日本人としては当たり前の手づかみも、貴族女性としてははしたなかったかもしれない。
二口目を迷い始めるラフィーナの正面で、ベリオンもチーズバーガーを手に大口を開けた。
パティ一枚のラフィーナに対して、ベリオンはパティ五枚と、大変わんぱくな一品になっている。
必然的に大きくあけられた口からは、鋭い牙と赤い舌が覗いた。
手づかみでありながら隠しきれない上品さとの対比が凄まじい。
一口で三分の一ほど食べてからポテチを数枚かじったベリオンは、長い咀嚼の後にしみじみと呟いた。
「……美味いな……」
やはりどの世界でも、糖と脂質は強いようだ。
食べすぎないよう注意喚起しておこうと決意しながら、ラフィーナも二口目を食べた。
「君の考えるものは何でも面白い。食べ物も枕も、元々王都にあったものなのか?」
「いえ、大抵のことは、本……」
前世の記憶だと言うわけにもいかない。
本に書いてあったと言おうとしたラフィーナだったが、ハンバーガーにかぶりつくことで強制的に口を止めた。
(どの本にも書かれてないってバレた時、生まれ変わりを説明しないといけなくなるわ……)
「もぐ……本、を読んでいるうちに、なんとなくひらめいたような感じでして」
「君には才能があるんだろうな」
天才のように言われるのは本意ではない。
しかし、前世の記憶があると言うよりはましな気がして、曖昧に笑ってしまったのだった。
*
子どもたちの教育について話し合いながら食事を終え、箱枕に話題が移る。
「ところで、昨夜はいかがでしたか?」
「ああ、うん。熟睡とはいかなかったが……ゆっくり休めたよ」
「よかったです。首が痛くなったりとかは?」
「そういえば、朝方頃から少し、土台の網目が当たる感じがした」
四本の立派な角はそれなりに重量もありそうだ。
思っているよりすぐに綿がへたってしまうのかもしれない。
「綿を詰め直しましょうか。それと、クッション部分の替えをいくつか作っておきます。綿がへたって気になってきたら、すぐに取り替えていただければ気にならなくなると思いますので」
「世話をかけるな」
「このくらい、何でもありませんよ」
一度ラフィーナの部屋に裁縫道具を取りに戻ってから、箱枕のある主寝室へと移動する。
あちらこちらを歩く間、ベリオンの尻尾にじゃれつきながらついてきたササミも、広い寝台に飛び乗った。
「確かに綿が偏ってしまってますね」
一晩使った箱枕を見てみると、クッション部分の真ん中より右側が明らかに凹んでいた。
角の重量に加えて、綿の詰め方が甘かったのかもしれない。
クッションを固定していた紐を解く。籐編みの土台は問題なさそうだ。
続けてクッションの縫い目をほどき、一度すべての綿を取り出してから、追加の綿を馴染ませてぎゅうぎゅうに詰め直した。
「少し寝てみて、網目が当たる感じが直ってるか確認いただけますか?」
「……うん、大丈夫そうだ」
「よかった。もう一つ予備のクッションを作りますね。まっすぐ縫うだけですから、すぐですよ」
「ありがとう」
断ち切りバサミで布を切り端の始末をしてから、筒状にチクチクと縫っていく。
糸を刺す小さな音を聞きながら、ラフィーナは考えていた。
(呪いさえなければなぁ)
呪いさえなければ、箱枕なんて使わなくてもベッドで眠ることができた。
呪いさえなければ、頭から大きな布を被って角を隠さなくてもよかった。
もうずっと、同じことばかり思っている。
呪いさえなければ――ベリオンはラフィーナと結婚することもなかったのだ、と。