呪いについて
翌日、ラフィーナは城の書庫に来ていた。
魔法関連の棚の前で腕を組み、タイトルを眺める。
(箱枕はあくまで応急処置のようなもの。根本的にどうにかしないと)
この先ベリオンが慣れたとしても、箱枕では限度があるはずだ。
いつも頭から爪先まで覆うほどの布を被っているのだって煩わしいことだろう。
(アルマ曰く、お城の慢性的な人手不足も、皆が閣下の姿を本能的に怖がってしまうせいだってことだけど……こればかりは転生チートも無力……)
リザードマンに似たベリオンの姿は、砂漠の魔物を殺した際に受けた呪いによるものらしい。
魔法と同じく呪いが存在するこの世界とは違い、地球には魔法も呪いも物語の中にしか存在していなかった。
転生の恩恵には預かれない分野なので、新しい知識として吸収するしかない。
ラフィーナは適当な本を取って、その場で開いてみた。
(これは精霊術の本ね)
この世界の魔法は大きく二種類に分類される。
一つは、自分の持つ魔力を魔法陣に流して事象を発生させるもの。
もう一つは、精霊の力を借りて事象を発生させるものだ。
が、ベリオンの呪いとは関係ないような気がして、すぐ本棚に戻した。
(呪いの本、呪いの本……そんなのあるのかしら)
あったとしても、文字が血で書かれているとか、表紙に口があってしゃべったり噛まれたりするとか、恐ろしいもののような気がしてしまう。
「あ。あった」
ラフィーナが見つけたのは『世界の呪い大全』。タイトルだけなら比較的健全そうだ。
本は一番上の棚に収まっている。
つま先立ちをして腕を伸ばしたが、背表紙に指がかするだけで本を取れなかった。
「もう、すこ、しっ!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねる。
もう少しで取れそうな勢いがついてきた時、背後から伸びてきた他の手が『世界の呪い大全』を取った。
着地したラフィーナに、分厚い本が恭しく差し出される。
「どうぞ、奥様」
「ビクター」
ラフィーナの代わりに『世界の呪い大全』を取ってくれたのは、この城の家令、ビクターだった。
ビクターは、先々代の頃からこの城と領地の運営に携わっている、アルガルド領の生き字引らしい。
バケモノ姿となったベリオンを見ても恐れない人間の一人で、呪いを受ける前からずいぶん頼りにしていたのだそうだ。
「ありがとう、ビクター」
「他にも必要な本がございましたら、何なりとお命じください」
「じゃあ……他にも呪いに関する本があれば、教えていただけますか?」
ビクターはしばらく考えるような素振りを見せてから、言った。
「旦那様の呪いのことですかな?」
「ええ。何か少しでもお力になれないかと思って、まずは勉強でもしてみようかと」
ラフィーナの言葉に、ビクターは鼻の付け根をぎゅっと摘んだ。
何かと思っているうちに鼻をすすり始め、ラフィーナも焦り出す。
「ど、どうされたんですか?」
「いえ。歳を取ると、どうにもいけませんな……」
ベリオンとビクターは主従を超えた、孫と祖父のような親しさを感じることがある。
主の受けた呪いについては、もしかしたら本人以上に思うところがあったのかもしれない。
ラフィーナはそっと、ハンカチを差し出した。
「旦那様を差し置いてわたくしめが奥様のハンカチをお借りするなど、恐れ多い。お気持ちだけありがたく受け取らせていただきます」
柔らかく遠慮されたハンカチをポケットにしまったラフィーナに向けて、ビクターは続けた。
「旦那様の呪いについてはもちろん、アルガルドの魔法士、精霊術士、学者や神官などが力を尽くして参りました。しかし、解呪は不可能であると結論が出ているのです」
「不可能、ですか? 絶対に?」
「ええ、絶対です」
ビクターは棚から一冊の本を取り出した。
『世界の呪い大全』の近くにあったもので、『祝福と呪い』というタイトルだ。
その本を開き、ラフィーナに向けて一文を指差す。
「ここに書かれている通り、呪いというものは術者本人でも解けないものの方が多いのです。解呪まで自由に行える者は呪術士などと呼ばれていますが、それも他人のかけた呪いを解くには至りません」
「そうなんですね……それに、術者本人というと」
「砂漠の主です。旦那様がとどめを刺し、絶命しています」
「砂漠の主……」
砂漠の主とは、砂漠の中心近くに住まうトカゲ型の魔物のことだ。
長期に渡って同じ個体と思われる目撃情報があることと、他の魔物たちを従える様子もあったことから、主と呼ばれるようになった。
「オアシスを繋ぐ街道を襲い始め、交易に影響が生じるようになり、国王陛下から討伐命令が出されたのは十年以上も前となります。砂漠の主は強く、討ち損じ続け……そして、二年前。先代――ベリオン様の父君が砂漠の主を追い詰めたのです。ご自身も致命傷を負いながら」
言葉を失うラフィーナに、ビクターは続けた。
「ベリオン様は……先代ごと……砂漠の主を、討たれました。もちろんベリオン様は父君を助けたかった。ですがそう言っていられるほど甘い相手ではなかったのです」
「……そんな」
「砂漠の主は死にましたが、絶命する瞬間、ベリオン様に呪いをかけました。それであの姿になったのです」
王都で聞いていた話とは、全く違う。
ベリオンは砂漠の主を討伐し、国王直々に結婚を世話されるほどの英雄となったが、同時に父を殺した狂人であるとも思われていた。
そのような狂人だからこそ、砂漠の主も殺すことができたのだろうと。
「幼い頃からの婚約者もいらっしゃいましたが、旦那様の変わってしまったお姿を見てすぐ、婚約の解消を申し出られました。旦那様はこれをすぐにお認めになりました」
「……そうでしたか」
人の噂があてにならないものだということは、ラフィーナも身を以て知っている。
しかし『王都の毒花』以上に、『バケモノ辺境伯』の話は捻じ曲げられているようだった。
アルガルドと王都が遠く離れている分、事実が改変されやすいのだろう。
「教えていただいて、ありがとうございます」
「いえ。本当はもっと早くお伝えすべきことでございました」
しんみりしてしまった空気を払拭するように、ビクターは明るい声で続けた。
「術者本人でも解けない上、術者である砂漠の主は既に死にました。よって旦那様の呪いは解けないのですが、あれはあれで便利なのだそうですよ」
「便利?」
「人間だった頃より身体能力が向上しているようで。砂漠の主が消えても、魔物の討伐は続きますから、腕っぷしは強い方が良いのです」
「まぁ。そういうものですか」
「ご本人がそうおっしゃいますので、そういうものなのでしょうな」
ビクターが茶目っ気を含ませて笑うので、釣られてラフィーナも笑った。
*
ベリオンの呪いは解けない。
そう聞かされたが、ラフィーナは『世界の呪い大全』と『祝福と呪い』の二冊を借りた。
呪いについては全く知識がないに等しいので、読むだけ読んでみようと思ってのことだ。
部屋に戻って机に本を置いてふと部屋見渡すと、部屋の一角に設置したササミの餌が、朝から全く減っていないことに気がついた。
よくよく見れば水も減っていない。
「もうすぐお昼なのに」
すっかり家猫となったササミは、自分で餌を捕ってこなくなった。
しかし厨房は立ち入り禁止なので、近づいても餌はもらえないことになっている。
ラフィーナの部屋で餌を食べなければお腹を空かせてしまうはずなのだが、朝ごはんも食べずにどこへ行ってしまったのだろう。
「ササミ? どこなの?」
ベッドの下やクローゼットの中まで見てみるが、ササミの姿はない。
部屋を出て廊下で猫を探すラフィーナを、ベリオンが呼び止めた。
「ササミなら私の部屋で寝ていたよ」
「閣下! はぁ、良かった。迷子にでもなったかと思いました」
「そんなに心配だったなら見に来るか?」
ラフィーナが返事をする前に、ベリオンは続けた。
「ついでに私の部屋で一緒に昼食でもどうだろう。教育計画のことで意見をもらいたかったんだ。君さえよければ、だけど……」
「ありがとうございます。喜んでご一緒させていただきます」
「じゃあ、行こうか」
ササミが餌も食べずにベリオンの部屋で。
それほど猫に懐かれているベリオンは、やはり優しい人だ。
(呪いさえなければ……)
そう思わずには、いられなかった。