婚姻命令
「すまない、ラフィーナ。僕はカトリーナと結婚することになったから」
「……え?」
婚約者アダムの言葉に、ラフィーナは目を瞬かせた。
彼の隣で義妹のカトリーナが涙目で寄り添っている。
さらに、カトリーナの隣に並べた椅子には、ラフィーナの両親であるオーレン侯爵夫妻が。
四人と向かい合うラフィーナは、ぽつんと一人、三人がけのソファに座っていた。
「どういうことでしょうか……?」
「ラフィーナ、お前、今の話を聞いていなかったのか? 我がオーレン家の娘とアルガルド辺境伯との婚姻命令が出たんだ」
「は、はい。聞いておりましたわ」
ため息まじりに言う父に、ラフィーナは頷く。
つい先日、オーレン侯爵家に王からの使者が来た。曰く、アルガルド辺境伯とオーレン侯爵の娘との婚姻を認める、というものだった。
貴族の結婚は両家連名の嘆願書を国王に送り、承認されることが要件の一つとなるが、そのような嘆願書は出していない。
嘆願していない婚姻を「認める」と一方的に通知が来るのは、すなわち国王からの婚姻命令だ。
国王にとって政略的に意味のある婚姻なのだろう。
はっきりとした命令ではないので、断ることも不可能ではないが、ラフィーナの父はこれを受け入れることに決めていた。
「でもそれは、カトリーナが……」
オーレン侯爵夫妻は、息子には恵まれなかった。
次女カトリーナも元は孤児だ。血の繋がる娘はラフィーナだけなので、ラフィーナの婿にオーレン侯爵を継がせることになっている。
だからアルガルド辺境伯との結婚は、カトリーナがするのだと思っていた。カトリーナは養女でありながら、実の娘と別け隔てなく育てられた立派な淑女だ。
「何を言っているの、ラフィーナ。心優しく清らかなカトリーナに辺境は無理でしょう。ましてや相手はアルガルドのバケモノ辺境伯よ」
母はカトリーナの背をさすりながら言った。
婚姻命令の下った相手はアルガルド辺境伯――通称『バケモノ辺境伯』。
砂漠の主と呼ばれた恐ろしい魔物を倒した英雄であると同時に、魔物から呪いを受けおぞましい姿となったバケモノとして有名な南の守護伯だ。
「その点お前は、田舎に引っ込めば大人しくせざるを得ないだろう。王都の毒花など……バケモノ辺境伯とはいっそ似合いじゃないか」
笑い混じりの父の声に、ラフィーナの手に力がこもる。
『王都の毒花』は、社交界に出るようになったラフィーナの二つ名だ。
舞踏会で、晩餐会で、あらゆる夜会で。オーレン侯爵の長女が男と二人で休憩室に入り、出てきた時には着衣が乱れていた、というのだ。
その一夜がきっかけで台無しになった縁談も少なくはない。いつの間にかラフィーナは『王都の毒花』と呼ばれ、社交界を乱す悪女となっていた。
ラフィーナは、一切そのようなことはしていない。確かにその夜会に出席していても、家族や婚約者以外の異性と二人きりになったことすらない。
だが、ラフィーナが出席していないはずの夜会でも事が起きたというのだ。
両親が実の娘を淫乱女と罵り、部屋に閉じ込めた夜でも、『王都の毒花』は花を咲かせたらしい。
そして「懲りずに部屋を抜け出したのか」とラフィーナが叱責を受けた。
誰かがラフィーナの名を騙っているのだと訴えても、両親は聞く耳を持たなかった。
「お前がバケモノ辺境伯と結婚するんだ、ラフィーナ」
「でもそれだと」
オーレン侯爵家の血統が途切れてしまう。そう言い切る前に、カトリーナが涙を溢れさせながら訴えた。
「わっ、私は嫌よ、絶対に嫌。アダム様と一緒にいたいの」
「カトリーナ、僕もだよ……!」
カトリーナはアダムにすがりつき、安心したように微笑んだ。
(……もしかして、二人は相思相愛だったの? だから私をこの家から追い出すために、私のふりをしていたの?)
義妹を疑いたくはない。
一人っ子だったラフィーナにとって、突然できた歳の近い義妹はそれは可愛いものだった。
仲がよく、血縁ではないのに容姿も似ていた。
事情を知らない者は実の姉妹だと信じて疑わなかったほどだ。
だから、ラフィーナにそっくりなカトリーナしか義姉の名を騙ることはできない。
「ラフィーナ……もう、あなたを信じることにも疲れたんだ。分かるだろう」
「お姉様。私が悪いの。ごめんなさい、でも……でも……」
「あなたは何も悪くないのよ。カトリーナはいつでも私たちの美しくて品行方正な娘でいてくれた。これからもここにいて、アダム卿と一緒になればいいわ」
「そもそもラフィーナ、お前はせっかくの精霊術士だったのに、魔法の一つも使えない役立たずじゃないか。嫁ぎ先で砂漠の魔物を殺し、魔核を一つでも多く献上してみたらどうだ? 貴族として生まれたんだ、いい機会を頂いたのだと思いなさい」
四人の言葉が頭の中で反響して混ざり合う。何を言われているのか、もう分からない。
義妹がラフィーナの名を騙った理由も。
婚約者と義妹がいつから想い合っていたのかも。
どうして両親が娘の言葉を信じてくれないのかも。
誰もラフィーナの言葉など聞かないうちに、アルガルド辺境伯への嫁入りと、義妹とアダムの婚約が整った。
カトリーナは本当に嬉しそうに、幸せそうに、笑っていた。
*
最小限の荷物だけ持ち、南への旅が始まる。
馬車の中で一人、ラフィーナはずっと震えていた。
件の辺境伯は、隣接する砂漠で主と呼ばれたほどの魔物を倒した英雄だ。
しかし同時に先の辺境伯――実の父を殺した狂人でもあると言われていた。幼い頃からの婚約者もその手にかけたのだとか。
自分も殺されない保証はない。
かと言って、何かあってもラフィーナに帰る場所はない。
ガタンッ
その時、音と同時に身体がふわりと浮いた。
車輪が石でも踏んだのだろう。
ゴッ
「うっ!」
浮いた身体が着地した瞬間、強かに後頭部をぶつけた。
痛みに上げた声が蹄と車輪の音にかき消えると同時に、ラフィーナは意識を手放した。