鳥籠の妃
その離宮にはひとりの妃がいる。彼女は亡国の姫で王のたったひとりの妃だ。
王は彼女を偏愛していて、ある時から彼女のそばには喋れない信頼できる侍女しか置かなかった。王は実務を終えれば真っ直ぐに王妃のもとへ向かう。彼女と一緒に食事を摂り、彼女と抱き合って眠る。愛しい自分の妃を彼はとても大切にした。彼の作った離宮の中で。
離宮にいる妃はとても美しいと言われている。だが、彼女の姿を見られるものはあまりいない。病的に心配性の王は彼女と誰かの交流を嫌った。それが女であっても。まして男なんて一生関わらなくて良いと王は思っている。
王がどうしてそんなに王妃に執着するのかといえば、彼女は彼の命の恩人なのだ。王がまだ第六王子だった頃、当時はまだ存在していた国に人質として滞在していた。そこで彼は食事を抜かれたり、無視されたりしていた。
そんな彼に当時末姫だった王妃は情けをかけた。食事を与え、彼への待遇を良くするように父へ懇願したのだ。
彼に優しく笑いかけ、世話をする末姫に対する好意が異性に対する恋情に変わるのは当然のことだった。末姫にはそんな気持ちはなくとも第六王子には末姫に対して仄暗い気持ちを抱いていた。この国の王家やそれに従うものは憎い、でも末姫のことを愛している。まだ幼かった彼はその事で葛藤を抱いていた。
しかし、そんな日々は唐突に終わってしまう。帝国が侵略して来て王国はたった一晩で滅んでしまったのだ。他国の人質の第六王子も敵兵の手に渡るところだった。それを末姫は逃した。王家にしか教えられない通路を使って。
末姫は帝国の捕虜になり、彼とは二年間離れることになった。帝国では末姫が十八歳を迎えた時に王家の傍系の配偶者にするべく準備を進めていた。高貴な血筋の美しい亡国の姫を自分の妻として迎えたいと望むものも多く、誰に嫁がせるかで男たちは揉めていた。
しかし、彼らが姫を娶る事はなかった。ここ二年で台頭して来た隣国の王が彼女を自分の正妃へと望んだのだ。元は第六王子だったが、前王と自分以外の王位継承者を全て殺して彼は血塗れの玉座についたのだ。
最初はその経緯もあり狂王と呼ばれたが彼の治世になってから国は腐敗を排除し豊かになった。一部の貴族を除き国民は王を尊敬し感謝し、彼を賢王と称えた。彼は政治だけではなく武力にも優れ騎士団長と戦っても一歩も引かない実力の持ち主だった。夜を溶かし込んだような漆黒の髪に月のような黄金の瞳は鋭く、美しかった。鍛え抜かれた身体と精悍な美貌を持つ王に憧れる令嬢は数えきれないほどいた。
彼は帝国の属国になりかけていた隣国の国力を増し、対等な立場まで持っていたのだった。そんな王が捕虜となっていた姫を強く望み、彼の妻にした。国内の有力貴族からは反発もあったが王は全てを撥ねつけた。政治や軍事、国民の生活に関わることであれば彼は臣下の意見も良く聞く賢王だった。しかし、妃のことに関してだけはどうしようもなく頑なな愚王になってしまうのだった。
そうして帝国から迎えられた姫はその日のうちに王妃となった。彼女のためだけに作られた離宮は一見贅沢には見えないが品の良い特級品ばかりに囲まれていた。これは派手や豪奢なものが得意ではない妃に対しての王からの気遣いだった。真っ白な美しい離宮には可愛らしい噴水と色とりどりの花が咲き乱れている。
王が他の人間と王妃を関わらせたく無いため王宮に住まわせなかったことを都合良く解釈した侯爵が自分の娘を新たな妃にしようと企み、彼女に毒を盛った。離宮に隔離していることで王は王妃を軽んじている。自分の娘の方が血筋も教養も美しさもあるから正妃に相応しいと考えたのだ。
王妃はその日に出されたお茶の匂いが普段とは違うと思いながらもそれを飲んだ。この国に来てからは亡国の末姫だった時よりも贅沢な暮らしをしていて、彼女はそれを不相応だと思っていた。だから、紅茶が普段よりも渋いくらいで侍女に淹れ直して貰うことに遠慮したのだ。しかし、この判断は間違っていた。指先が痺れ視界がぼやけてから彼女はことの重大さに気付いたのだ。だが、時すでに遅く王妃は意識を失った。
彼女が目を覚ました時、王が隣にした。彼は憔悴しきった顔で彼女の手を握っていた。そんな彼に元気を出して欲しくて声を出そうとしたが喉が掠れて意味のある言葉にならなかった。だが、王妃が目覚めたことに気付いた王は歓喜の涙を流した。彼女の手にポタポタと溢れる熱い涙を拭ってやりたいと手を伸ばす。しかし、うまく力が入らず手は元の場所に戻ってしまう。
「ああ、貴女が二度と目覚めなかったらどうしようと、この一週間そればかり考えていました。貴女の呼吸が止まってしまうのじゃないかと思うと眠れませんでした。ああ、私の妃。良く、戻ってきてくれました。私は貴女がいなければ理性を失ってしまう。人として大切なものを失くしてしまう。貴女だけが私を世界に繋ぎ止めてくれるのです。愛しい王妃、二度とこんな目には遭わせません」
彼は王妃のために水差しを持ってきて彼女に水を飲ませた。少しずつ水分を摂ることで喉の痛みが薄れた王妃は今度こそ彼に話しかける。
「陛下、私は大丈夫ですよ。だから、もう泣かないで」
「ああ、涙が出ていたのか。気付かなかった。貴女が目覚めたことが嬉しくて。一週間も眠っていたのです。身体が回復するまでは私が貴女のお世話をします。まずは薬と食事を持ってきますね。身体が吃驚してしまうといけないからまずはスープだけ。栄養のあるものを摂ってください。ああ、こんなに痩せてしまって。可哀想に」
「貴方は心配性だわ。それに陛下にお世話なんてさせられないわ。ねぇ、私に一体何が起きたの?」
「それは、まずは食事をしてからにしましょう、ね? 貴女だって昔は私のお世話をしてくれたじゃないですか。手ずから果物を食べさせてくれたこと、ちゃんと覚えています。焦らないでください。貴女を煩わせるものはもうありません。怖いことなんてこれから何一つ起こりませんよ」
「わかったわ。じゃあ貴方を待っているわ」
「部屋の外には護衛騎士を二人立たせています。勿論女性ですよ? 貴女の傍に私以外の男なんて要りませんから」
王は美しく微笑みながら言う。彼は助けてくれた王妃のことをとても大事にしていて、心配している。だから、彼女に男が近寄ることを許さない。王妃は最初、それを子どものような独占欲だと思っていた。だがそれは思い違いだった。彼は本気で彼女の傍に男を置くことに耐えられないのだ。
少ししてから王が戻ってきた。彼は王妃のためにスープを匙で掬い彼女の口へと運んだ。王妃は恥ずかしいと思ったが彼のしたいようにさせた。
「ああ、本当に良かった。貴女が生きていてくれて。ゆっくり治していきましょうね。私がついていますから。医者も呼びましたから後で診て貰いましょう。でも、まずはこのスープを全て飲んでくださいね」
「ええ。ありがとう。でも、仕事はどうするの?」
「良いんです。いつも私に頼りすぎなんですからたまには自分達で手分けしてこなして貰います。それに貴方のお世話をするのは私の仕事ですから。どうか私の役目を奪わないでいただけませんか?」
「……わかったわ」
王妃がスープを飲み終えると王はハンカチで優しくその口を拭った。そして、薬を飲ませる。人心地ついた王妃は彼に尋ねた。
「それで、どうして私はこんな目に遭ったのかしら?」
「王への叛意を持つものが貴女を害そうとしたのです。貴女は何ひとつ悪く無いのに。大丈夫ですよ。もう全て処分しました」
王はなんでも無いことのように言った。まるで、天気の話でもしているかのような気軽さで。
「処分? どうして……」
「貴女を害した。それだけで充分では? 大丈夫ですよ。遠くに行っただけです。貴女と二度と会うことはありませんから。あと、貴女に使われた毒は致死量ではありませんでした。でも、後遺症が残るかもしれません」
「後遺症って、どんな?」
王妃は不安な表情をして王に訊く。王は王妃に近付くとゆっくりと彼女のお腹を撫でる。
「子を授かりにくくなるのです。とても、困りました。でも、後遺症が出ると決まったわけではありませんから。貴女が回復したら今まで通りに励みましょう」
閨事について触れられ王妃は顔を紅く染める。いつも優しい王が寝台の上では彼女にとても意地悪になるからだ。いつまでも初心な反応に王は口元を緩めた。
彼はその後も甲斐甲斐しく王妃の世話を焼き、半月ほどで彼女は今まで通りとは言えずとも普通の生活を送れるようになったのだ。とは言え王妃の生活は離宮の中で完結する。庭で花を見たり、書斎で本を読んだりして過ごした。夜になれば王と食事をし、その後は広い寝台で彼と一緒に眠る。毒入りの紅茶を出した侍女はいなくなり、使用人たちの顔ぶれも変わった。どんな理由があろうとも王妃に毒を盛ったものを王は許さないだろう。だけど、自分のせいで侍女がいなくなってしまったことは悲しかった。明るく、優しい娘だった。王妃より二つ年下の侍女は親兄妹のために頑張っていると話していたから、その家族のことも気になった。でも、王に聞いたとしてもはぐらかされるだろう。
それから半年ほど経ったある日、王妃が気分を変えようといつもとは違う場所で本を読んでいると、メイド達の話し声が聞こえて来た。王妃付きの侍女は仕事中に王妃とは話しても、侍女同士でお喋りなどしないため珍しいなと思った。ちょうどメイド達からは死角になっているようで立ち聞きするような形になってしまう。
「ねぇ、聞いた? 元侯爵家の話。隠し子が見つかってその子も処刑されたそうよ」
「王様は容赦ないわよね。あんなに大事にしている王妃様を傷付けられたのだから仕方ないかもしれないけど全員処刑だなんて」
「そうよね。王妃様が目覚めてすぐに侯爵家一族郎党で殺し合わせて最後に残った一人には毒杯だもの。それで慈悲をかけたと言っていたそうよ。しかも、殺し合っているところを見て笑っていたんだって」
「怖い怖い。私たちも気をつけないとね」
「そうね。あんまり不敬なことを言うと処分されてしまうもの。そういえば、王妃様は王様のことが怖くないのかしら?」
「うーん、どうかしらね? あまりお目にかかりはしないけれど先輩達に聞く限りはとっても仲睦まじいみたいよ」
「美しい人だもんね。美男美女ですごくお似合いだわ。王妃様と男を会わせたくないっていうのもわかるわよ。だってあんなに綺麗なんだから」
メイド達が王妃のことを褒めていることよりも毒殺を企てた侯爵家の処刑についてのことが衝撃で彼女は自分の身体が震えていることに気づかなかった。遠くに行った、と王は言った。しかしそれは嘘だったのだ。いや、確かに二度と会わない遠くではある。でも、王妃は追放処分だと思っていたのだ。改めて王の執着を知り彼女は寒気がした。このことを彼に問い詰めればメイド達は処分されるだろう。だから王妃は気になりながらもそれを口にすることはなった。しかし、彼女の態度を見て勘の良い王は耳元で囁いた。
「使用人の質が下がっているようですね。もっと相応しい人材を呼びましょう。明日中には用意しますからね。おやすみなさい、私の愛する王妃」
そう言うと彼は王妃の顔中にキスをして、彼女に巻きつくようにぎゅうぎゅうと抱きしめて眠った。王妃は王のことがわからなくなっていた。小さく痩せた腕に汚れた顔をした人質の少年はいつしか強く逞しく優しい青年になり彼女の伴侶となった。しかし、彼が二年間で王家の大半を処刑するような苛烈な王になっていたことは知識としてはあったが目の前の王が、彼女を優しく愛してくれる彼の本質を読み違えていたのではないかと思い恐怖を覚えた。彼女の前で子どものように甘えたり拗ねたりする王が、残虐な処刑をして笑っていたなんて信じられなかった。
次の日、離宮の使用人は全て入れ替わった。流石に女性騎士はすぐには見つからなかったようでそのままだったが。侍女もメイドも料理人も全て口の利けない者になっていた。希望すれば筆談もできるがそれらは全て王の目に触れることになるという。あまりの対応に王妃は王に抗議した。
「どうして侍女を辞めさせたの? 彼女達は何も悪いことはしていないわ」
「いいえ、メイドの管理もできない侍女は要らないでしょう? 今度は静かな者を選んだので貴女の耳を煩わせることもないはずです。本当は貴女の美しい声だって私以外の人間に聞かせたくないくらいなんですよ。ねぇ、王妃、貴女はずっとここで私に守られて幸せに過ごして欲しいのです。貴女を愛しています。だからどうか私を見捨てないで下さい」
王妃は王の作った離宮の中で今日も過ごす。王以外とは話すことも出来ず彼女はどんどん心を病んでいった。見るたびに痩せ細っていく王妃を見て王は医者を呼び、料理人に栄養のあるものを作らせ彼女に食べさせようとした。しかし、神経症を患った王妃は殆どの食べ物を受け付けなくなっていた。
果実水か柔らかい果物しか食べられなくなってしまった王妃はそのうち眠ってばかりいるようになった。王は王宮で仕事をすることをやめて彼女のそばで執務をするようになった。家臣たちはとうとう王の気が狂ったと口さがなく言っていたが、王が出す指示は的確でそのうち彼らも何も口に出さなくなっていった。
この国の王は社交をしない、と他国から言われようと彼は気にしなかった。愛する王妃さえそばにいるのなら彼は何も要らないのだ。彼女を娶るために親兄弟を殺し、反対派の貴族も殺した。血に塗れた手で彼女を自分のものにした。たまに、王と王妃が何者にも縛られない自由な身分だったらと夢想する時がある。平民のように夫婦だけで柵なく過ごすことに憧れた。でも、自分の中に流れる血も彼女の中に受け継がれた血もそれを許さない。結局王にはこのやり方しかできないのだ。
衰弱した王妃の傍で彼は彼女の手を握り神に祈る。彼女を連れて行かないでくださいと。たまに目を覚ます彼女はガラス玉のような瞳でこちらをじっと見つめてくる。夜中に静かに涙を流している時もある。彼女がそうなってから王は不眠になった。眠っている間に彼女が天国へと連れていかれることを恐怖したのだ。
「ああ、眠るのが怖い。目が覚めたら貴女がいなくなりそうで怖い。貴女が天国へ行ってしまったら私はどうすれば良いのですか? 私はきっと地獄行きだ。だから、貴女と二度と会えなくなってしまう。でも、貴女のいない世界で私は生きていくことなんて出来ないのです。だから、王妃、どうか元気になって下さい。貴女を愛して、いるんです」
王の悲痛な声を聞いて王妃は彼の髪を撫でた。小さな頃のように優しく。そして、掠れた声で囁く。
「貴方を助けたのは私の自己満足だったのよ。だから、そんな風に私のために全てを捨てようとしないで欲しいの。こんなことが続けば貴方の立場だってもっと悪くなってしまうわ」
「嫌だ。誰がなんと言おうが貴女が私の全てなんです。貴女だけが私の家族なんだ。お願いだから、私を置いていかないで下さい。貴女を、愛しているんだ」
「……もう、疲れてしまったわ。眠るから、少し静かにして」
王妃はそう言うと目を瞑りすぐに静かな寝息を立て始めた。王は王妃の隣で眠るための努力をしたが今日もそれは叶わなかった。
明くる日、医師の診察を受けた後、王妃は王の元へ向かった。別室で執務をしていた王は王妃が訪れたことに驚く。
「どうしたのですか? 急に歩いて大丈夫ですか?」
「貴方に言いたいことがあって来ました。ねぇ、陛下。私も貴方も他者ともっと関わっていかないといけないのよ。二人きりの世界は健全じゃない。私も、貴方を愛してるけど、それだけじゃ駄目なの」
久しぶりに王妃の瞳に光が戻る。痩せ細った身体に力を入れて両手で王の顔に触れる。王は驚きつつも彼女の目を真っ直ぐに見つめる。
「私には貴女さえいれば、他に大切なものなんて」
「もう、二人きりじゃないのよ。ここに、貴方の子がいるの。私のような情けない母親の元に生まれるなんて、この子にとって不幸なんじゃないかと一瞬考えてしまったわ。それでも、私はこの子に対して責任があるのよ。この子の未来は、明るいだけとは言えないと思う。でも、貴方との子だから私はこの子を幸せにしたい。そのためには他者と関わっていかないといけないのよ。今までのように二人だけの世界ではいられないの」
「私たちの子が出来たのですか? 本当に? この薄い胎に? では、貴女は精神の病気ではなかったのですか?」
「精神的に追い詰められていたのは本当よ。でも、体調不良は妊娠によるものだったみたい。お医者様もまだ安定していない時期だから無理をしないようにと言っていたわ。だから、私が今出来ることは頑張って食事をしてこの子に栄養をあげることなのよ。ねぇ、貴方。冷たいものなら食べられそうだから持ってきてくれる?」
「ああ、勿論です。すぐに持って来ます。それよりも、そんな薄着で立っていたら身体に良くないですから先に貴方を部屋まで送りましょう」
王妃を王は易々と抱えて歩き出す。王妃は王の頬を人差し指で突いた。
「それよりも、何か忘れていない? 言うべきことを」
王妃が悪戯っぽく笑いかけると、王も久しぶりに子どもの頃のような笑顔を見せる。そして彼女の額にキスを落とす。
「愛しい王妃、私の子どもを授かって下さってありがとうございます。とても嬉しいです。でも、それ以上に不思議な気持ちです。私と貴女の血が繋がった子がそこにいるのですね。私は、貴女が安心して過ごせるように努力します。だから、早く元気になってください」
それから、王は王妃と一緒に王宮に移り住み、執務も一人きりですることは無くなった。王妃への過保護は変わらなかったが、彼女が周りと関わることを許容した。国中から腕の良い産科医を探し、身元のしっかりした乳母の手配をした。相変わらず社交はあまりしなかったが、たまにお茶会に顔を出すようにはなった。お腹の大きくなってきた王妃も顔を見せることもある。王は彼女が絶対に転ばないように庭園の石や木の枝を全て取り除いて危険がないようにした。それでも、彼女が出歩くときはなるべく隣についてエスコートをした。王の隣にいる王妃はいつも優しい笑顔を見せていた。
一時期、全ての感情を忘れてしまったような王妃の世話をしていた口の利けない少女はそれを見てとても安心した。少女は今でもたまに王妃の部屋に呼ばれてお菓子をご馳走になったりしている。王妃とのお茶会は身に余る光栄で少し緊張したが少女は王妃が幸せそうに笑うととても嬉しかった。何も出来なかった不甲斐ない自分を責めることもあったが、これからも彼女のために出来ることがあればしていきたいと強く思った。
その後、予定よりも少し遅れてこの国の第一王子が誕生した。華奢な王妃から生まれるにはとても大きな男の子で生まれるまでに二日ほど時間がかかった。その間王は一睡もせずに王妃を待っていた。どうか王妃を天国に連れていかないでほしいを神に祈り続けた。出産を終えた王妃の顔は疲労で青くなっていたが、王の顔は心労で真っ白になっていた。
「ああ、貴女が無事でよかった。良く頑張ってくれました。これからはゆっくり休んでくださいね。私に出来ることがあれば何でも言ってください」
「陛下、また寝ていないでしょう? 今日からはまた一緒に眠りましょう。後、王子の名前は貴方がつけてくださいね?」
「はい。貴女が心配で眠れませんでした。でも、その間に王子でも王女でも良いように名前をたくさん考えておきましたので、王子の顔を良く見てからその中から選びますね」
王妃はすぐに動くと身体に障ると医師が言うのでその場で休み、その間に王は王子に会いに行った。生まれたばかりの王子は小さくて熱くて赤くてふにゃふにゃで王は戸惑ったが、その小さな手から生えた爪の形があまりにも自分に似ていたため、つい笑みをこぼした。小さな王子の髪の色は王妃と同じで、今はまだ開かない瞳の色がどちらに似るのか気になった。王は自分よりも王妃に似て欲しいと思った。でも、何よりも王妃と王子の無事を喜んだ。
数年後、王はまた王妃の部屋の扉の前で眠れない夜を過ごしていた。そこに夜中に目が覚めてしまった王子がやってきて隣に座り、話しかけた。
「お父様がいくら心配してそこで待っていてもお母様のお産とは関係ありませんよ?」
「王妃が辛く苦しい思いをしているのに自分だけ眠るなんてとてもじゃないけど出来ない。君もね、生まれてくるのにとても長くかかったんだよ。私は心配で心配で」
「お父様は相変わらずですね。僕は寝ますから妹が生まれたらすぐに教えてくださいね」
「妹かどうかは生まれてみないとわからないぞ?」
「弟なら別に知らせなくても起きてから会いに行きます」
そんな風に言ってから王子は部屋へ帰っていった。王子は王妃のことはとても慕っていて聞き分け良くしているが、王に対しては複雑な想いがあるようで少し意地悪な態度で接して来る。王も自分の執着によって王子が捻くれてしまったことを申し訳なく思いつつもどうしても王妃に関することだと譲れなかった。それが自分の子だったとしても。そんな王に王妃は呆れていたが最後は困ったような笑顔で許してくれた。
夜明けの空が白む頃、元気な産声が聞こえた。前回と同じ産科医が取り上げたのは小さな女の子だった。王は大喜びで王妃の元に向かい、彼女を労った。王妃は今回も自分よりも顔色を悪くしている王を見て笑った。
亡国の末姫がこの国に嫁いできて、離宮の妃と呼ばれていたことを知るものは今はもう少ない。王は王妃のことをとても深く愛して大切にしていたが、彼女がしたいことをなるべく叶えるように努力した。
王子が成長してくると自分に良く似た性格の彼が妹に対して深い独占欲を持っていることにどう対処すべきか日々頭を悩ませていた。
二人だけの世界で生きていきたいと夢想した王はもういない。彼は王妃だけでなく我が子やそれ以外の人間との関わりも大切にし、善政を敷いた。
彼は晩年、王妃を看取り、その後半年間離宮で過ごした。緩やかに弱って後を追うように亡くなった。王と王妃が亡くなった日は別日であったが同じように幻日環が観測された。それを見て二人はきっと一緒にいるのだろうと彼らの子どもたちは思ったのだった。
読んでくださってありがとうございます!
幻日環は輪っかになってる珍しい虹のことです。
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