独居老人の会合
今日は日曜日で、会合の日だ。
俺は自分の住んでいるアパートに向かうと、下の階の広間にはすでにアパートの住人が集まっていて、思い思いにテーブルに着いてお茶を飲みながら話をしていた。
俺がいつもの席でコーヒーを飲んでいると、隣の部屋の田中が話しかけてきた。
「よう山本、最近どうだい?」
「特に変わりないな、仕事も相変わらずだし……」
「まぁ、悪い方に変わってなければそれでいいだろうよ。吸うかい?」
そう言って田中はタバコを差し出す。俺は受け取って火をつけると、言った。
「まぁ変わったと言えば、やっぱりこのアパートに住むようになったことだよなあ。それにこの会合に出るようになったこともだ」
****
6ヶ月ほど前のこと、俺は仕事を失って非正規雇用で働くことになってしまった。
その時の住居は家賃が高かったので、俺はできるだけ安い住居を探さなければと思い、引越し先を探し始めた。
そして、立地条件の割には格安の住居を見つけた。2階建てで全部で8部屋の、古くて狭いアパートだが、この条件なら大当たりと言っていいだろう。
それで下見に行ったが、ほぼ決まりかけたところで大家さんにこんなことを言われた。
「実は、このアパートについては言っておかなければいけないことがありまして……」
「え?なんですか?まさか事故物件だとか?」
「いえ、あなたの部屋は事故物件ではありません。その隣と左下の部屋は事故物件ですが」
「そ、そうなんですか……まぁ、それでも構いませんよ」
なにしろ金が無いので、背に腹は代えられない。将来起こるかもしれない霊障よりも、目の前の金のほうが大事だ。
しかしそこで、大家はさらに言った。
「実は言っておくことというのはそれではなく、ここに住む場合、一週間に2回、ここのアパートの住人の会合に出てほしいのです。水曜日と日曜日の午後に」
「え……?」
「別に他の住人と話したりしなくても構いません。ただ一瞬顔を見せるだけでもいいんです。まぁ今の住人の方々はよくお茶を飲んで話し込んだりされてますけど、それに参加しないといけないわけではありません。
用事がある日は出なくても構いませんけど、その時でも一応連絡は残しておいてほしいんです。今の人は大体ここの掲示板に「欠席」というのを書き残してますけど」
「はあ……構いませんけど、なんでそんなことしてるんですか?」
「実はですね……山本さんの入居予定の部屋ではないけど、他の二部屋が事故物件だと言いましたが、このアパートはあまり身寄りがなくて一人暮らしの方が多いんですよ。特に今は全員がそうだと思います。
で、以前その二つの部屋で入居者の方が死亡した時には、同居人がいないものですから発見が遅れて、最初の時は1週間、次の時は4週間も発見されないままで、まぁその……色々後始末が大変だったんですね。
それで、今後はそういうことがないように、定期的に顔を合わせてもらうことにしたんです。そうすれば亡くなって発見されないままなんてこともないでしょうし、それに孤独が紛れて気分が明るくなると、今の住人にもけっこう好評なんですよ」
****
俺はタバコを吸いながら田中に言った。
「最初はこんな変な会合に出ることになって面倒だなと思ったけど、意外と悪くないもんだな。むしろ孤独死を防ぐことになって、福祉になってるかもしれない」
「そうかもな。なにしろこのアパートは独居老人ばかりだから、放っとくと鬱になって病気がちになるかもしれないし。
4号室の伊藤さんと6号室の鈴木さんなんか、たまたま趣味が一緒だったみたいで、今度二人で登山に行くとか言ってたぜ」
「へーそりゃすごいな……あの歳でよく登山とか行くな」
独居老人ばかりというのは言いすぎだが、確かにこのアパートは平均年齢が高い。一番若い俺と田中でも40代だし、あとは50代60代、伊藤さんは70代だ。それがみんな一人暮らしで経済的にもあまり豊かではないのだから、放っておけば孤独死してもおかしくないのかもしれない。
「吉田さんと木下さんと山崎さんも先週映画見に行ったらしいし、むしろ地域の交流が減った現代社会の福祉になってるのかもしれないな。そうでなきゃ、孤独死して誰にも発見されないまま一ヶ月過ぎてもおかしくないぜ」
「そう言えば、田中の部屋って2件目の事故物件だったところだろ?よくそんなところに住めるよな」
「ああ、俺はそういうの気にしないからさ。昔に人が死んだところだから住めないなんて言ってたら、この世に人が住む場所なんてなくなるだろ?」
「まぁ、それもそうか……」
俺はコーヒーを飲みながら、自分が孤独死する未来を想像してみた。今なら、次の会合に出ないとなったら、田中が呼びに来て発見したりするのだろうか……
そんなことを考えていると、5号室の佐藤さんが広間に姿を見せた。佐藤さんは空いている席に座ると黙ってタバコを吸ったが、一本吸うとそのまま立ち去った。
田中が声を落として言った。
「ところでよ……あまり大きな声では言えないが、この会合もいいことばかりじゃないんだ」
「え?」
「佐藤さんさ、大体いつもタバコ一本だけ吸って帰るだろ?」
「まぁ、あの人あまり社交的じゃないしな」
「それがさ……実はあの人イジメにあってるらしいんだよ」
「イ、イジメ……?」
「そう。吉田さんらの三人グループから意図的に無視されてるらしいんだよ。廊下ですれ違っても、佐藤さんは挨拶してんのに無視されたりとかさ」
「うーん……それ偶然というか、単に聞こえなかっただけじゃないのか?」
いくらなんでも、こんな歳にもなってそんな小学生みたいなイジメをするものだろうか?しかも独居老人どうしの間で?
「まぁ確証はないけど、どうも意図的に嫌がらせしてるような感じがするんだよな。吉田さんと木下さんと山崎さんって特に仲良い者どうしで、入居年数も長いし、最近越してきて孤立しがちな佐藤さんが標的になりがちというか……
最初は佐藤さんがたまたま吉田さんの上の部屋で、騒音がうるさいからというのでクレームを入れたのがきっかけだったみたいだけど、そこから吉田さんが隣の部屋の二人を味方につけて嫌がらせをするようになったとか……しかもあの四人、その前にSNSのアカウントをお互いに教えてたんで、佐藤さんはSNS上でも嫌がらせされてるらしいぜ」
「そ、そうなんだ……」
言ったら悪いが、独居老人なんてこの世の片隅に生きてるような人々なのに、その人々の間でさえいつしか格差が生じて、より下の者は攻撃されるようになるのだろうか。地の底でさえ住人どうしの間で搾取があると某漫画の労働者の班長が言ってたのを思い出すな……
次の水曜日の会合、田中はまだ来ていなかったので俺はいつもの席で一人でコーヒーを飲んでいた。
伊藤さんと鈴木さんは向こうで今度行く予定の登山の話をしているようだ。
そこへ、佐藤さんがやってきて俺の隣のテーブルに座った。相変わらず言葉は交わさず、一人でペットボトルのお茶を飲んでいたが、タバコを吸おうとしてもう無いのに気づいたらしく、ペットボトルをそこに置いたまま出ていった。
しばらくして吉田さんとその仲間二人がやって来たが、ペットボトルが置いてあるのにも構わずそのテーブルについて何か話していた。
またしばらくして佐藤さんが帰ってきたが、自分の取っておいたテーブルに吉田さんらが座っているのを見て、何か言いかけた。
「あの、そこは私の……」
しかし吉田さんらは無視して話し続けていたので、佐藤さんは自分のペットボトルを取り上げて、そのまま去っていった。
俺は迷った。吉田さんらに「そういうのやめたほうがいいですよ」とか言うべきなのだろうか?
しかしそんなことを言うのも差し出がましい気がするし、でも放っておくわけにも……って、なんでこの歳にもなって、独居老人たちの間で、こんな学生時代のような葛藤をしているのだろうか。俺は言った。
「あの……そういうのやめたほうがいいですよ」
「え?何だって?」
吉田さんが言った。
「なんかその、佐藤さんのこと無視してたようだったんで……」
「あーそう見えた?いやー俺も歳だから耳が遠くってね。ついつい聞き流しちゃったけどわざとじゃないんだよ。まぁ佐藤さんが覇気がないのも原因だろうけど」
「「ハハハ」」
後の二人は笑ったが、そこには悪意が感じられた。
「しょうがないっすよ吉田さん、佐藤さんって仕事柄もあるんでしょうけど影が薄いっすからね」
「いやいや木下さん、仕事のことは言っちゃ駄目だよ。禁止カードだよ禁止カード」
「ああ、本人もSNSで仕事の愚痴言ってたよね。嫌なら辞めれば?って思うけど、あの歳であの経歴だとそれも厳しいよね」
「「ハハハ」」
「……」
なんだか本当に、嫌な意味で子供の頃を思い出すな……SNSで嫌がらせされてるというのもあながち嘘ではないかもしれない。
人間、歳を取ってもあまり本質的には変わらないものなのかもしれないな。
そこへ田中がやって来て言った。
「よう山本、今日は遅くなったよ」
「何かあったのか?」
「ああ、今日は仕事が立て込んでてな。でもこれが済んだら次の日曜日から火曜日にかけて旅行に行こうと思ってるんだ」
「へえ、お前も伊藤さんたちと登山に行くのか?」
「いや、それとは別の個人旅行だよ。だから次の日曜日の会合は欠席するけど、よろしく」
「そうか……」
伊藤さんと鈴木さんも登山で居ないから、次の日曜日は少人数の会合になりそうだ。
次の日曜日、俺は仕事で遅くなって会合に行くのが遅れた。まぁどうせ田中もいないし、吉田さんらともあまり仲良くないから顔を出すだけにして早く引き上げよう、そう思いながら広間に向かうと、何やら騒然としている。
パトカーが止まり、警官が何人も集まっていて、大家さんと話をしていた。広間にはブルーシートがかけられていて、中の様子が見えなくなっている。俺は嫌な予感がして、大家さんに言った。
「何かあったんですか?」
「ああ!山本さん、無事だったんですね。よかった」
「どうしたんですか?」
「実はその、殺人事件があったんです。会合の場で、吉田さんと木下さんと山崎さんが集まって話していたところに、佐藤さんが包丁を持ってやって来て、次々と三人を刺したんです。吉田さんと山崎さんは死亡して、木下さんは今、病院で治療を受けているところですが助かるか分かりません。佐藤さんは今身柄を拘束されています」
「えっ……」
そこで警官が話しかけてきた。
「山本さんですか、あなたもここの住人ですよね?事情を聞かせてもらいたいのですが」
「は、はあ……」
そこで俺は警官と大家さんと話をして、事件のあらましを知った。
佐藤さんは元々吉田さんらに殺意を抱いていたが、今日はたまたま伊藤さんと鈴木さんがいなくて、田中もいない日だったので、人が少ないからやりやすそうだと思って犯行に及んだらしい。ちなみに佐藤さんがSNSで嫌がらせされていたというのも本当で、吉田さんらに殺意を抱くようになったのもそれが大きな原因だったようだ。
俺と大家さんは、警官たちがブルーシートの裏で何か話しているのを漫然と眺めていたが、そこで大家さんが言った。
「私が間違っていたんでしょうか……こんな会合なんてしなければよかった。住人の反応もよかったし、孤独死を防ぐことになって良いことだと思っていたのに、結局はまた死人を出すことになってしまった。しかも今度は殺人の!」
俺は言った。
「いやまぁ……結果はともかく意図はよかったと思いますよ。伊藤さんたちは実際それで仲良くなりましたし。
でも人間の業はどんなところにも入り込んできて、それを壊してしまうものなんでしょうね」