scene2−3ボクと環境整備
「一緒に片付けようか。」
僕は後輩に声をかけ、改めて周囲を見回し不要なものを取り上げていく。後輩は無言で、僕も無言だ。なんとなく、気まずい雰囲気が流れているように感じた。会話…会話、話題…。何か話題…。
「なぁ、彼女・・・できたんでしょ?」
「あ、は、はい」
後輩は、ばつが悪そうに片付けながら答えた。いつものお調子者からは想像できないしょんぼりした声だった。自分で言うのも変だが、普段あまり叱れない僕が言ったことで、後輩には響いたのだろうか。この状況で突然彼女の話を振ったところで、話が弾まないことは分かりきっていた。
「うまく例えられないんだけどさ、もしだよ。もしね。ここが自分の部屋でさ、この後…彼女が初めて部屋に来るって言ったらどうする?」
「え!?そりゃ、ちょっと綺麗にしようかなって」
即答。若いな。もう僕なんか汚くてもいいかなって思っちゃうけど。
「おー。だよな。だからさっていうのも変だけど・・・そりゃさ、患者さんはしゃべったり歩いたりできないかもしれない、完璧に元通りの生活に戻るってのは、無理かもしれないけどさ。この方にも家族はいるし。これまでの人生っていうの?性格っていうの?色々あるじゃん。でも今は自分がやりたいことできないじゃん。明日、手術で家族来る時に、この方はもしかしたらそういうのが気になる人なのかもしれないじゃん?」
後輩はうなずきながら、使っていない電気毛布を片付けようとしていた。これはいつ使ったものだろう。数日間置きっ放しだったのだろうか。
「俺はそういうの気になっちゃうんだよね。カルテとかもすごい見ちゃうの。どういう経緯で手術になったのかな、とか。どういうことしてて急な入院になっちゃったのかなとか」
「あー、これまで気にしてなかったです。早く退院できればいいなとしか・・・。」
続けて彼はぐちゃぐちゃになっている点滴のコードを撒き直した。僕は物品を置くための台に乗せてある不要な包帯や弾性ストッキングという着圧靴下をたたみ直した。
「うん。俺もそうだよ。けど、普通に楽しく生活してても、ベッドで動けなかったとしても、自分のこと話せなくても、これまで過ごしてきたその人を大事にしたいわけよ。」
「深いっすね。」
なんだか、おじさんの小言みたいに聞こえてしまったかもしれない。
これは先輩のイーノさんがよく僕に語る看護の話と同じだろうか。イーノさんの話は興味深くおもしろいけれど、時に長くて、正直面倒なこともある。僕も今30代でこんな風に小言っぽくなっちゃうってことは、イーノさんみたいに40代になったら、さらに面倒になってしまうのかもしれない。それでも尊敬している先輩だ。
「まぁ、おっさんの言うことだから。俺だって、昔はそんなこと気にしてなかったし、いかに重症な状態から脱しちゃえばオッケーって思ってたし。」
「そうなんです?」
後輩は驚いたように手をとめ、こちらを見た。日頃の僕は後輩にどのように見えているのだろう。自分の大切にしていることが、日頃の働き方から見えていたらいいのだけれど。
「うん。まぁ、俺はHCUからICU来たけど。ICUの色々考えなきゃなんないところとかが、逆におもしろくなってきた頃に、患者さんを置き去りにしている自分に気づいた…とね」
「…深いっすね」
2度目の深いっすね、いただきました。自分のダメな部分やら情けない部分を話すのは、本当は嫌だが。僕の経験談で後輩が成長してくれるなら良いかと最近は思っている。
「イーノさんにね、その当時さ、聞かれたんだよ。
『藤、解離の患者さんじゃない。患者さんが大動脈解離になってしまった。この人の家は何人家族?解離はいつ発症して、何で来院した?痛みは我慢してた?そこでもう家族背景や生活の仕方に、人柄も見えるんだよ。もちろん病状により変わるけど、同じ解離でも痛かったのか・痛くなかったのか・痛い時に家族に言えたのか・言ったけど様子をみたのか・様子をみたのは自分の判断なのか・家族の判断なのか。来院する時も、自分で来たのか・救急車を呼んだのか・家族が連れてきたのか。』
ってさ。深いよな。俺、イーノさんにそれ言われるまで全くそんなことまで考えてなくて。恥ずかしくなったんだよね」
「今日イチ深いっす」
僕の話より、イーノさんが昔話していたことの方が確かに深い。
「なんか、2年目になって。慣れてきて。病態生理勉強するのとかちょっと楽しくなってきて。自分がアセスメントした通りに進んだり、急変対応できたり、急変回避できたり、処置も先生と息あってできたり。ちょっと楽になってきて。そういうことスルーしてました。」
「うん」
「去年は、もっと患者さんや家族に近い気持ちだったと思います」
「別に近いのが良い悪いは、俺はないと思うよ」
「そっすかね。…あ、せっかくだしリハビリの写真撮ったので印刷してきます」
「おー」
患者さんのベッド周囲は綺麗に片付いた。後輩は今日リハビリをした時の写真を撮影していたため、患者さんや家族が見れるように印刷をしに行く。
印刷を終えると、写真を見ながら微笑み話した。
「んー…俺、ダサいですけど誰かのためになりたくて。消防士目指してたんですけど、近所でリアル火事あって怖くなっちゃって。俺には無理だって。そしたら、近所の子が看護師は?って言ってくれて。そっから目指したんです。看護師。誰かのためになりたいの変わらないんで。藤原さんの話、すごいためになりました。」
「え、全然ださくないよ。むしろかっこいいじゃん」
「そっすか」
後輩のばつの悪そうな顔が笑顔に変わった。
「うん。あ、さっきのイーノさんの話。俺、それ言われてから、なんかすごい気になるようになって。それが俺の根底になっていって、そういうこと考えて患者さんに対応するだけで、全ての行動が違ってくるんだと思ってるよ。」
「かっこいっすね」
「…だろ?」
「うっす。ありがとうございました。じゃ、もう少ししたら、俺先にあがっちゃいますね。今日、落ち着いてるんで定時キメさせてもらいます!」
不要な物品を片付けるために、後輩は物品を運びながら去っていった。
後ろで、今日のリーダースタッフが『緊急くるよー。来てすぐ挿管だから準備してー』と割と僕に話しかけているように聞こえたが、あと2秒だけ聞こえないフリをしよう。
そしたら…2秒したら、準備をしよう。うん。そうしよう。
僕が緊急入室してきた患者さんの対応をする頃、後輩は新しくできた彼女という触れ込みである、幼馴染の看護師を勧めてくれた彼女と楽しげな時間を過ごしていたそうだ。それは、翌日僕も後輩も一緒に夜勤だったから、その時に聞いた話。