scene1-2:ボクとAライン
「藤原さん、質問してもいいですか」
「ん?」
答えられなかったらどうしようと、一瞬不安もあったが、分からないことはちゃんと分からないと答えて一緒に調べようと即座に思った。これも先輩のクニさんの言葉からだ。
『藤くん、私ももうちょっと勉強したいから一緒に調べよう?…ありがとう、私も勉強になったよ』クニさんがよく言う言葉でもあった。今思えば、全部知っていた上で、後輩である僕の成長を見守り助けてくれたのだと感じる。
「Aラインの波形って何が正しくて、何がやばいんです?」
単純だけれど良い質問だ。そして、このAラインを作るという作業的な内容に対して、すでにアセスメントを見据えた質問をしてくる後輩を僕は尊敬した。自分は当時、先輩いい匂ひぃ…しか思っていなかったのに。僕はAラインから採血した結果が印刷されたぺらぺらの用紙を裏返して波形を描いた。
「色々意味はあるんだけど、まず押さえておいた方が良いとこだけ話すね。ちなみに血圧って心臓の力のなかで何が大事か聞いたことある?」
「んー?どういうことです?」
明らかに困惑した顔をしている。大きな瞳が三分の一程度に細くなり眉が下がっている。自然と小首をかしげる様子は、昨日TVの動物特集で出てきたシマリスみたいだ。
「ごめん、僕の聞き方が悪かった。心拍出量を規定するものって何か聞いたことある?」
「あ!猪野さんとその話しました。1分間の心拍出量は1回分の拍出量と心拍数で決まりますよね。で、1回の拍出量は心臓の収縮力と前負荷と後負荷がめっちゃ関係してるっていう。ぶっちゃけ病棟にいたころ心不全の患者さんとかすごいいたんですけど、そんなこと考えもせずに働いてました。」
「いいんだよ、そう。それそれ」
イーノさんとは、僕の先輩で認定看護師だ。つまりは、スペシャリスト。僕に看護のことも、男として様々なイイことも悪いことも教えてくれる飲み仲間の先輩だ。イーノさんの教え方は本当にわかりやすくスタッフに好評だ。ちょっと余計な雑談も多い人だけど。僕もそうなりたいと願いつつ、うまくいかないのが現実だ。
「よく覚えてたね。その心収縮力・心拍出量が分かるんだよね」
「ここの角度が大きいほど心収縮力が強くて、ここの幅が広いほど心拍出量が多いんだよ」
「あー。これって脈拍と一緒ですもんね。脈拍…心拍か。心拍早ければここ狭くなるから、頻脈になるほど心拍出量が減るってことで合ってます?」
「正解!」
僕の答えしか言ってない残念な説明で全て理解してくれた後輩、すばらしい。方や僕の説明の下手さよ…。本当は正解を言わずに、彼女自身が正解を口にできるように説明や問いかけをしたかったのに。うまくいかないものだ。
「あとは、呼吸性変動って言って波形がこんな風に吸気に盛り上がって呼気に凹む時があるんだよね。これは胸腔内圧の変動で血管がしぼんだりするから出来ちゃう波形。脱水とか血管のなかのボリューム…水分が足りないとこうなっちゃう。」
「へー、色々分かるんですね。」
「それと波形じゃないんだけど、気をつけて欲しいのは、高さによって数値が変わっちゃうんだよね。正しい高さなら良いけど、本来の正しい高さより低くなると数値は高く出てしまうし、高くなると数値は低く出てしまうから。高さが合っているかの確認は必要。」
「高さってゼロ点とる時の位置だから右心房ですよね、胸郭の1/2って聞きました。」
「そうだね。まぁ、まだ色々あるけど追々で大丈夫」
「わかりました」
もはや、この吸収力だったらもっとレベルを上げたことを指導してもよかったかもしれない。というか、むしろ心拍出量やら収縮を語る前に、気泡があるとどういう波形になるとか…今の高さ合わせる話とか…管理方法の基本から説明すればよかった。安全な基本的な管理ができた上でのアセスメントだよな。あー・・・・・。相手に合わせた指導って難しいと感じ、僕ももっと上手に相手が理解しやすい指導ができるようになりたいと願うのだった。
「じゃ、ルート交換しますかね」
「はい」
点滴を作る薬剤室から患者さんのもとへ僕は歩き出す。シマリスはちょこちょこと僕より倍の歩数で小走りについてきた。
僕の働くICUは薬剤室から出ると、円周上に患者さん達が並んでいる。
患者さんたちは、僕たち看護師がいるスタッフステーションと呼ばれる中央にむくようにベッドが並べられている。そんな患者さんの頭側に小さい窓がある。あの窓の配置では、患者さんがベッドの上にいながら見ることはできない。そのICUの狭い窓からみえる空は青空だった。
僕はなんでこんな天気の良い日に働かなきゃならないのかという思いと、早く目の前の患者さんが、この青空の真下で元の生活に戻れないものかと思いを馳せていた。