四
パラシュートなしで十四階から飛び降りるのは賭けだった。
それくらいで死ぬことはないだろう。魔法少女は体の丈夫さに自信がある。それに、空も飛べるはずだった。しかし箒に変わるものを持っていないことに気づき、さてどうしたものかと思案している間に地面に激突した。運良くそこが植栽だったため、軽い傷で済んだけれど、あとで上司に無茶をするなと怒れられた。
魔女と契約した魔法少女である南郷菜々子は、フィックス・スター社からお尋ね物になったため、今度はその隣の行政区で働くことになった。菜々子がメイド服を着たメイドに遭遇したという事実、しかも相手が白銀の四姉妹だったと言う情報は、上司から更に上の偉い人まで伝わったらしく、メイドが現れそうな場所に魔法少女を配置するという作戦が発動された。当然菜々子もその中の一人である。
「もうあれには会いたくないのになぁ」
正直怖かった。黒い甲冑のメイドはトラウマになるほどだった。けれど命令だから仕方がない。魔法少女は正義の味方ではなく、魔女の私兵である。命令は絶対で、命令違反は銃殺刑だ。いや、魔法少女だから火あぶりだろうか。
奈々子の次なる赴任先は、旧国立研究所だ。今は大した研究もしていないが、職員はまだ国家公務員のままである。それを利用して送り込んでおいた監視役の職員と交代という形での潜入だった。目的は研究所の監視ではなく、メイド狩りだ。状況から判断して、メイドの出現率が高いという予想だった。
「はじめまして、北野の代わりに配属になりました南郷菜々子です」
受付の職員は、初めて名前を聞いたような顔をした。
「南郷菜々子さん、ですか」
「はい」
彼女は首を傾げながら書類を探している。やがて諦め、しばらく考え込んでから、思い出したかのように何度もうなずくと、内線を何処かに繋いだ。
「お名前が届いてなかったんです。ごめんなさいね」
彼女は内線を切ってから、奈々子に向かって謝罪した。上司は何をやっていたのだ。それとも意図的に隠す必要があったのか。前職での失態による手配書が、ここまで回っているかもしれないからだろうか。だったら偽名にすればいいのにと菜々子は思った。
「では行きましょう」
菜々子は先に歩き出した受付の職員についていく。なんか暗い感じの人だった。所長室につくまで、その職員は何も話さなかったし、奈々子も黙ったままでいた。
「所長、新しい方がお見えになりました」
案内役の職員はそう言って奈々子を所長室に放り込むと間髪入れずに出ていった。無愛想で印象が悪かったが、そんなことはどうでも良かった。菜々子は所長の机まで近寄って声をかける。
「はじめましてです」
あくまでも新人のように。
あくまでも可愛らしく。
所長は顔を上げると、菜々子の品定めを始めた。何度も頷いて、最後に納得したように微笑んだ。
「所長の伊集院だ。まあ座り給え」
「はい失礼しますぅ」
勧められるまま応接セットのソファーに座った。座るべき場所は勉強済みだ。所長はその向かいに腰を下ろした。
「さて」
所長は奈々子の顔を覗き込んだ。
「君の名は?」
最初の印象は大切だ。彼女はにっこり笑ってから、自らの名を口にした。
「南郷奈々子、十九歳です。よろしくお願いします」
それからしばらくの間、菜々子の仕事は雑用がメインだった。前職の受付嬢より仕事は多岐にわたり面白く、無難に仕事をこなしていくと、そのうち仕事が出来る事に気づいた周りの職員が、前任者の仕事を中心に回してきた。その仕事内容から、北野美千留という前任者の優秀さが伺えた。彼女の後釜にされたのは、そういう意味では嬉しいけれど、この仕事量はハンパではなかった。残業に次ぐ残業で過労死しそうだ。
まさかのブラック企業である。
それでも一ヶ月が過ぎようとしたころには職場にも慣れ、余裕が出てきた。基本机に向かってする仕事である。息抜きと称して休憩所でお茶を飲む事も少なくなかった。一体何をしにこの場所にいるのか忘れそうになるほど、忙しい毎日だった。本当に、何をしているのか、菜々子はわからなくなっていた。
忘れていた。
全くもって、忘れていた。
その日も休憩室の椅子に座って、日本茶のペットボトルをすすっていた。この分なら今日は少し早く帰れそうだ。そう思ってウキウキしていると、廊下の隙間から、見てはいけないものを見た。見なければ良かったものを見てしまった。黒い服を来た女が、何この視界を横切ったのだ。
メイドである。
菜々子は飲みかけのペットボトルをゴミ箱に放り込むと、メイドが通り抜けた廊下まで素早く移動する。何気ないふりをして廊下へ出ると、メイドが研究室に入って行くのを確認した。
「まさか、また会えるとはねぇ。会いたくなかったけど」
この研究所が、メイドの現れそうな場所という予想は間違いなかった。主観的には二度と会いたくない相手である。しかし、仕事は仕事だ。それも奈々子が本来するべき仕事だった。研究室の事務仕事は、単なるカモフラージュだったことを思い出す。
菜々子は更衣室のロッカーから機関銃の入った鞄を取り出すと、それを抱えて研究室へと舞い戻った。
扉の前で聞き耳を立ててみるが、中から声は聞こえてこない。この扉は防音ではないはずだった。菜々子は、一応ノックしてから部屋に入った。
誰かいたら誤魔化そう。全員撃ち殺すのもいいかもしれない。
「失礼します」
部屋の中は空だった。研究室出口はここだけだ。奥に進むと、開かずの扉に突き当たった。いままで開いたことのないと言ういわくつきの扉だった。
「まさかねぇ」
その奥に、何があるのかわからない開かずの扉。この部屋から居なくなったのであればそこに入ったとしか考えられない。菜々子は機関銃の準備をしてから、扉を開けた。
階段は真っ暗だけれど、下に続いているのはわかる。微かに足音も聞こえていた。
「間違いないな」
先に降りていくメイドたちに見つからないよう、奈々子は、自分自身に音を消す魔法を掛けた。変身しなくても使える補助魔法を、奈々子は幾つか習得していた。音を消す魔法もその一つだ。
「準備万端」
私物のペンライトを片手に、先に降りていったメイドたちの後を追う。数えられないほどの階段を下った。体力的には問題ないけれど、また登ることを考えると億劫だ。
最後に辿り着いた先にもう一枚扉があった。中から微かに話し声が聞こえてくる。奈々子は間違いないと確信した。
「さ~て。パーティーの始まりだ」
機関銃を構えてから、思いっきり扉を開ける。目についた人影を標的に、奈々子は容赦なく引き金を引いた。
扉のすぐ前で会話をしていた研究員と七番のメイドが犠牲となった。研究員の名前はたしか山鼻とか言ったはずだ。入りたての時、かなりお世話になったのでちょっとばかり心が傷んだ。
ちょっとばかり。
撫子十六番を付けたメイドが、倒れかけた楓七番のメイドを盾にして難を逃れた。メイド服のエプロン部分は防弾チョッキの性質も備えている。普通の機関銃なら至近距離で撃っても貫通は出来ない。それは講義で聞いて知っていたが、実際に通常の銃弾はいとも簡単に弾かれた。
正面からでは相手にならない。
十六番のメイドはメイドだったもの盾にして菜々子へと突進してくる。至近距離まで近づいてから、十六番は持っていた七番の死体を菜々子に向かって投げつける。死体に対する敬意もなく、もはやモノ扱いである。奈々子はその所業をみて、『メイドとは人にあらず』という噂話を思い出した。都市伝説を思い出した。
飛んできたメイドであったものは余裕で避けたが、十六番のメイドが突き出したナイフが、菜々子の顔をかすめていった。
紙一重だった。
切られた奈々子の髪の毛が数本舞い落ちていく。
「ちぃ」
メイドが舌打ちをし、やり損ねたという気持ちが伝わってくる。さすがメイドだ。普通に強い。菜々子は機関銃を振り回して目の前の敵を殴りつける。腹部に直撃を食らったメイドが数歩分後ずさった。メイドとメイド服は想像以上に頑丈だ。普通の人間なら、これだけで蹲り、戦闘不能になるはずである。
メイドはすぐに体制を立て直すと、鋭いナイフとともに向かってくる。機関銃を軸にした回転力を利用して加速すると、菜々子は両足でメイドを蹴った。
会心の一撃だ。
メイドは、奈々子の攻撃をまともに受け、今度は壁際のサーバーラックの前まで飛んでいった。そして見えない壁にぶつかって床へと倒れる。頑丈であっても、ぶっ飛ばせば関係ない。しかしまだ死んではいなかった。奈々子は、倒れたメイドに駆け寄ると、機関銃を乱射して止めを刺した。大量の血が流れ出して床を染めていく。それは気持ちのいいものではない。だけど奈々子にとっては、割りと見慣れた風景だった。
「あなたメイドを何だと思っているの? 超レアなのよ。そうそう代わりは見つからないんだから、もっと大事にしてくれないと困るんだけど」
次なるメイドが前に出てきた。彼女は、メイドが殺されことではなく、人数が減ったという事を怒っていた。重要なのは頭数で、仲間意識のようなものはないらしい。
対峙したメイドは特徴のない容姿だった。セミロングの黒髪は一般的である。番号は十一番。特別上位のクラスでもない。奈々子ならば、通常の戦闘でも勝利できるレベルだった。もちろんそれが、通常のメイドであればである。目の前のメイドは、たしかに上位のランクではないが、襟元についているのは雪の結晶だ。
嫌な予感しかしなかった。
「しかないんですよ。だってお仕事ですから」
メイド狩りは菜々子の仕事の一つである。見つけ次第処分するのは間違っていない。
いや正当な職務遂行だった。
「メイド狩りの魔法少女ってやつですか」
相手は、菜々子の正体に気づいている。まだ変身はしていないけれどバレている。
前回出会った白銀の四姉妹から情報が渡っているのだろう。そして相手も、ただのメイドではないと奈々子は気づいていた。雪の結晶と言えば王家のメイドであり、番号も十一番という上位だから、選ばれし十六人――フェアリーズの一人だろう。
フェアリーズと普通のメイドの違いは特別な能力を使うこと。
だが、それだけだ。魔法少女の敵ではないい。
「またフェアリーズですか。まぁ、当然ですよね」
そこで、菜々子はもうひとりのメイドへと視線を移した。目の前のメイドより少し背が低い。雪の結晶が王家のメイドであることを示しているが、襟章が見当たらない。参戦するでもなく、微笑みながら奈々子を見ている。その落ち着いた態度から十七番以降とは考えづらい。そして、他のメイドとは明らかに違う髪の色。
黄色だった。
「やばいなあれ」
奈々子は不満げに首を振る。
あれは戦闘メイドに違いない。だとすれば奈々子にまったく勝ち目はない。
「冗談じゃないよ」
自ら飛び込んだとは言え命は惜しい。菜々子は逃げる算段をしながら目の前の十一番に向かい合う。こいつを倒してから撤退しようと覚悟を決めた。
十一番のメイドの武器は、さっきのメイドと同じくナイフだった。けれどそれは、炎を身にまとい、長さが五倍程度に伸びている。フェアリーズの能力は原則一人一つと聞いている。このメイドの能力は火もしくは炎だろう。
振り下ろされたメイドのナイフを、菜々子は機関銃で受け止めた。ナイフの炎が威力を増した。機関銃の表面が僅かに溶けていくのがわかった。とてつもない温度である。
「ちょ、熱すぎ」
近づいただけで火傷しそうだ。奈々子はナイフをすり抜けるようにして距離を取る。このままじゃ押し込まれる。やむを得ない。どうせ相手にはバレてるんだ。
機関銃を右手に預け、菜々子は人差し指と中指だけを揃えて立てた左手を、自分の額に軽く当てた。
「マギーヤ・オトクリーティエン」
足元の魔法陣から発せられた黒く輝く光に包まれて、菜々子は研究室の白衣姿からミニのワンピース姿に変身した。右手の機関銃はそれに合わせて一回り大きく変化する。
すべてのパラメータが極限まで跳ね上がったのが感じられる。下位のフェアリーズごとき、菜々子の敵ではないはずだ。
「やっと正体を表しましたね、魔法少女さん」
相手のメイドは、嬉しそうに微笑むと、ナイフをもう一本取り出した。二刀流だ。二本になったからと言って、攻撃力が二倍になるとは限らない。それ以上になることも考えられた。注意すべき相手だというのは変わらない。
「私では役不足でしょうが、お相手願います。魔法少女さん」
燃え上がる二本のナイフを平行に構えたまま、メイドは奈々子に向かって、一直線に飛び込んでくる。けれどその動きは、変身した奈々子にはとても緩慢に思えた。動体視力がアップしているからである。機関銃を構え直すと、奈々子はメイドの襟元にあるブローチを狙った。
ブローチの破壊。
それがフェアリーズを倒す唯一の方法だと教わっている。それで彼女は活動を停止するはずだ。
本当だろうか。
菜々子は一瞬疑問を感じ躊躇したが、自動的に、彼女の指は引き金を引いていた。弾は正確にブローチへと着弾し、それを粉々に粉砕する。
「チッ」
最後に聞こえたのは舌打ちだった。メイドはブローチの後を追って砕け散った。ガラスのように粉々になり、雪のようにパラパラと降り注ぐと、床の上で消えていく。
「な、なんで」
そんな話は聞いてなかった。死体すら残らない。フェアリーズとは何なのか。それは講義でも教わらなかった。教えてはくれなかった。でも、考えて解らない事は、捨て置くのが賢いやり方だとは分かっていた。今考えても仕方がない。とりあえず勝ったことを喜ぶべきだ。
「さてと」
残りは二人。
けれど多分、あの黄色い髪のメイドは白銀の四姉妹だろう。つまりは戦闘メイドだ。
『勝てない戦は撤退すべし』
そうバッチャが言っていたの思い出す。いや、それは孤児院の院長だったか。確かに自分は孤児だったし、院長はババアだった。
「え~っと、ではそういうことで。さよなら」
懐から取り出した煙幕弾を、目の前の床に投げつける。
視界が消える。
菜々子は来た道を一目散で駆け戻った。持っててよかった煙幕弾。
この程度で、あのメイドから逃げられるはずはないだろう。だけど奈々子を追ってくる様子はなかった。前回もそうだったが、どうやらメイドからは相手にもされていないのだろう。ほっとする反面、悔しくもあった。
次回更新は 4/3 です。