四
南郷菜々子は、ソーニャ連邦のスパイだった。
とは言っても、積極的に情報を集めたりするのではなく、日々の日常に異変がないか報告するだけの簡単なお仕事だった。それとは別に、メイドを見つけたら抹殺する命令も受けていた。どちらかと言うと、そっちのほうが本命だった。
連邦に占領されてからすぐ、メイド狩りが盛んに行われた。メイドは一般人に比べ身体能力が優れているし頭も良いから、そう簡単に殺られることなど無かったけれど、それでも最近では街でメイド服を着たメイドを見かけることはなくなった。
ある意味裏切り者である菜々子でさえ、メイド服には憧れた。メイドになっていたらスパイなんてやってなかったのに、とか思わなくもない。けれどそれは仕方がない。
街にメイドが現れないのはとても残念ではあったけれど、結果として無駄な殺生をしなくて良いから、それはそれで嬉しかった。
そんな菜々子が、高倍率で優良企業のフィックス・スター社に新卒として入社できたのは、連邦のスパイ的なコネではあったけれど、菜々子的には、面接はかなり頑張ったと思っている。実力で入ったのだと思ってる。
戯言だけど。
それはそれとして、本物のメイドが目の前に現れたのは、今まで生きていた中で一番の出来事に違いない。メイドがメイド服で現れるなど、今の御時世では考えられない奇跡である。もちろんメイド服を着ていなければメイドと判断出来はしない。しかし目の前のメイドは、それがさも当たり前のように涼しい顔で微笑んだ。
「こんにちわ」
でも、メイドの青い目は笑っていない。髪も青く、普通のメイドではないと奈々子にも理解できた。
上司である白石は、所用で席を外していたから、必然的に菜々子が一人で応対する羽目になった。相手がメイドであっても、受付のすることは一つである。もちろん第一声は決まっていた。
「いらっしゃいませぇ」
てか、相手がメイドの場合の対応なんか、マニュアルになんか載っていない。
スパイ的使命からすれば、今この場でこのメイドを抹殺すべきだけれど、手元に武器が無かったので諦めた。素手で倒せるほどメイドという種族は弱くない。流石にシャープペンシルで戦うなんて器用さはなかった。こんなことならタクティカルペンぐらい用意しておいてもらえばよかったと後悔した。
「どちらに御用ですか?」
それで、仕方なく受付嬢としての仕事に戻り、メイドの御用を素直に聞いた。菜々子は自分を真面目な人間だと思っているが、実際にはそれしか思いつかなかった。
「社長さんをお願いできますか?」
そのメイドは美しい容姿ながら柔和な表情で語りかけてくる。
本来なら直接社長室につながない。まずは秘書室へお伺いを立てるのが筋であり、決まりである。マニュアルにもそう書かれていた。だけど、メイドの微笑みは、まるで魔法のようだった。菜々子は無条件に、その要求を飲んでいた。
「少々お待ちください」
白石が隣にいればそんなミスはしなかっただろう。けれど菜々子は迷うことなく社長室へ内線を繋いでいた。
「あ、受付ですぅ」
社長の応対から、少し苛ついているように感じられた。マニュアル無視の対応だから怒るのも無理はない。また評価が下がるに違いないが、今更である。
「お客様がお見えですけど」
社長はその相手が誰か聞いてきた。今日は予定はないはずだとも。それは受付のモニターでもわかることだった。もちろん菜々子も知っていた。
「え~と、あの~」
その時点で相手の名前を聞いていなかったことに思い当たる。聞くべきかどうか悩んだが、また失態をさらけ出すのは避けたいところだ。だから菜々子は、とりあえずごまかすことにした。
「メイドなんですぅ」
そう言ってみたけれど、メイドが受付に来ているという異常事態を社長は一体どう受け止めるのだろう。菜々子は冷静にそんなことを考えていた。案の定、社長は少しだけ混乱している様子だった。
「多分そのメイドだと思いますぅ。メイド服を着ていますからぁ。それもタイプ・ゼロみたいですぅ」
そこまで言ってから、言い過ぎたことに菜々子は気づいた。メイド服は女性のあこがれとは言っても、タイプ・ゼロだと分かるというのは、あまりにもオタクすぎる。でも、社長はそこまで気が回らなかったのか、菜々子がメイドを前に舞い上がっているとでも思ってくれたようだった。まあ、メイドが訪ねて来ているんだ、それ以外のことは大した問題じゃないと奈々子は思った。
当然のことながら、社長はメイドの所属を聞いてきた。
「すいません、お名前をお聞かせいただいても?」
遅ばせながら奈々子はメイドに名前を尋ねた。
「柏崎の使いのものです」
彼女の答えはそれだけだった。そう社長に伝えればばいいのだろうか。たぶんそう言えばわかるのだろう。だから菜々子はそのまま伝えることにした。
「え~とですねぇ。柏崎さまのお使いだそうです」
社長はそれを聞いて、さらに混乱したようだった。柏崎という名前を聞いて、菜々子も実は驚いた。けれど今度は無知な新人で通せたようだ。秘書を迎えに出すと言う指示を残して内線は切れたので、そのことをまずはお客様に伝えないとならなかった。
「おまたせしております。すぐにご案内しますので、そちらのソファーでお待ちいただけますか」
ここはマニュアルに従って、ロビーの応接セットに案内する。
「ありがとう」
彼女はそう言ったけれど、結局椅子には座らず、その横で立ったまま待っていた。
それほど時間をおかずに、秘書の宮沢がやってきた。さすがに秘書だ。メイドを見てもいつも通りである。動揺などしていない。目の前にメイドがいたら普通は驚くだろうと菜々子は思った。でも彼女は普通じゃなかった。できる女だ。
メイドと宮沢がエレベーターに乗り込むのを見送っていると、白石が戻ってきた。
「何かあったの?」
「いいえ、メイドが社長を訪ねて来ただけですよ」
「ふ~ん。メイドがねぇ」
白石は興味なさそうにつぶやいた。しかしすぐに気づいた。
「はぁ? メイド?」
らしくなく、大きな声で白石は叫んでいた。
「ええ、まあ」
「メイドって、あのメイドよね」
「多分そのメイドですよ」
デジャブである。社長とまったく同じ反応だった。いや多分、誰でもこんな反応をするのだろう。メイドとはそれだけ稀有な存在なのだ。
「まだいたんだ」
「いたんですねぇ」
メイドが絶滅危惧種であるのは、この国では共通の認識だった。いまや街なかで見かけることなど全くない。自分も見たかったと白石は呟いた。
「ところで先輩」
菜々子は姿勢を正して白石に向き合った。
「何よ改まって」
「お手洗いに行ってきます」
一瞬怪訝な表情をしてから、白石はため息をつく。
「あ~、はいはい。早くしなさいよ」
トイレに行く振りをして、菜々子はロッカールームへと向かった。誰も見ていないのを確認してからロッカー室に入ると、さらに中に人がいないの確認し、自分のロッカーを開けてギターケースのような布製のカバンを取り出した。
中に入っているのは機関銃だ。
メイド殲滅のために連邦政府から支給されている本物である。もちろん、ここに就職する以前から、内地でしっかりと教育を受けていた。メイドの戦闘力は人間離れしているから、このくらいの火器でなければ倒せないと連邦の諜報部は認識していた。それは間違っていないと思う。
残念ながら、メイドは街を闊歩したりしていなかったから、今まで使う機会はまったくなかった。
「久しぶりだなぁ」
火器を手にするワクワク感が止まらなかった。菜々子が連邦のスパイとして採用されたのは、ひとえにこの武器の取扱いに長けていたからと言っても過言ではない。メイドに出会うなんて数少ないチャンスである。今日は目一杯暴れよう。
口元がニヤけるのを無理やり押さえつけて、菜々子はロッカールームを後にした。
メイドが案内された部屋は、社内ネットワークに上がっている予定表を見れば一目瞭然である。使われている応接室は一つだけだから、そこにいるのは間違いない。
菜々子はエレベーターで十四階に向かったが、運良く誰にも会わずにすんだ。十四階のエレベーターホールにも廊下にも、誰一人いなかった。まるで人払いの結界を張ったかのようだった。
「ラッキー」
本当にラッキーだ。今朝、出勤前にテレビで見た星占いのとおりだった。これでメイドを撃ち殺せれば文句はない。一緒に社長も殺してしまうだろうけど、それは仕方のないことだ。運が悪いと諦めてもらうしか無い。ここでメイドを倒しておけば、自分にとっては実績となり、この先の人生が楽になる。そう思うとワクワクした。
エレベーター前で機関銃を取り出して弾を込めた。いつでも撃てる状態にしてから、応接室Aの前まで静かに進み、菜々子は一旦立ち止まった。
扉に耳を当てると、社長とメイドの会話が聞こえてきた。どうやら菜々子には気づいていないようである。菜々子は扉から少し離れて銃を構えた。室内にある家具の配置は、ある程度頭のなかに入っている。応接室全体に扉の外から無差別に撃ち込んで、その後でとどめをさせばいい。
完璧な作戦だ。菜々子は自画自賛で小さく笑った。
菜々子は機関銃を応接室に向けて構えてから引き金を引いた。銃弾が発射される音と空薬莢が飛び散る音が廊下いっぱいに響き渡り、硝煙の匂いが立ち込める。
「か・い・か・ん」
思わず口をついて出てきたのは、いつか観た日本映画の台詞だった。
「ふぅ」
うち尽くした弾倉を取り外し、新しいものと取り替えてから、菜々子は機関銃を構え直す。耳を済ましても、室内から物音一つ聞こえてこない。
「やったか?」
メイドであればこの程度で倒れるはずはない。それくらいメイドとは特別だった。
横一直線に穴の空いた扉を蹴り抜き部屋に飛び込むと、菜々子は室内を見回した。
そこで信じられない物を菜々子は見た。
メイドは無傷で立っていた。
彼女の足元には無数の弾丸が転がっていて、室内はほとんど損害を受けていない。目の前にバリアでも張ったかのようだった。
「あれぇ」
おかしい。いくらなんでも無傷というのありえない。このメイドは明らかに普通のメイドでは無かった。絶対に特殊能力を持っている。
「も、もしかしてフェアリーズ?」
相手のメイドは口元を僅かに動かしただけで返事はしなかった。つまりそういうことなのだろう。王家に所属するメイドのうち上位十六人は、非公式ながらフェアリーズと呼ばれていた。妖精だなんてたちの悪いあだ名だけれど、彼女たちはある種の特殊能力を身に付けていたと聞く。それは菜々子が訓練を受けていた時に「メイド特論」という座学で学んだことだった。
そしてその力は……。
「なるほど。んじゃ、こっちも本気で行かないとですね」
フェアリーズが現れたとなると、王家の復活が近いのだろう。それは連邦にとっても菜々子にとっても歓迎されない事だった。いずれにしても、こいつはここで始末する必要がある。そして情報を持ち帰ろう。菜々子の使命感が、頭のなかでそうつぶやく。
面白くなってきた。
これこそ戦場だ。
「おい、南郷! お前一体」
隠れていた社長がソファー後ろから顔を出した。目の前の超レアなメイドのお陰で、社長の存在を忘れていた。社長はメイドと同じく傷一つなく元気だった。
「アラ、シャッチョサン。イキテイタンデスネ」
こんな状況であれば、ここまでやってしまえば、もうこの会社には戻れない。これを最後におさらばだ。だから社長のことはどうでもいい。本当にどうでもよかった。
「南郷!」
それでも社長は、知りたいらしい。菜々子が一体何者なのか。何をしているのか。
「ごめんね社長! 私ってば連邦のスパイだったんですよ」
だから素直に教えてあげた。
「ぐぬぬ」
二の句を告げずにいる社長を余所に、その前に立ちふさがるメイドへと視線を戻す。メイドの表情は全く読めないが、かなり余裕のようだった。菜々子の手にはまだ残弾のある機関銃が握られている。だけど、この程度の火器でフェアリーズを倒すことなど不可能だと知っていた。メイドの特殊能力に一般の武器は通用しない。それも嫌というほど教えられてきたのだから。
ならば、選択肢はひとつだけだ。
菜々子は機関銃を右手に預け、人差し指と中指だけを揃えて立てた左手を、自分の額に軽く当てる。
「マギーヤ・オトクリーティエン」
黒い大きな円状の模様が彼女の足元に現れた。それは月や星、現代では読み解くことが出来ない奇妙な文字が組み合わさって出来ていた。
世間一般では魔法陣と呼ばれている。
魔法陣から発せられた黒く輝く光に包まれて、菜々子は会社の制服姿から可愛いらしいミニのワンピース姿に変身した。半袖の淡い桃色のワイシャツを身に纏い、ニーハイソックスを履いている。胸には赤い大きなリボンを付けていた。右手の機関銃も一回り大きくて複雑な形へと変化した。
「あれま、あんた魔女と契約せし乙女だったんだ」
メイドは特に驚いた様子もなく、淡々とつぶやいた。むしろ見破られた菜々子のほうが驚いた。本当のところ、菜々子は連邦のスパイなどというありふれた存在ではない。旧王国を潰したと言われる魔女と契約して、魔法を手に入れた魔法少女だ。
社長はなんか叫んでいるが、全くもって聞き取れなかった。聞く気もなかった。けれどこれなら、この武器ならフェアリーズごとき、簡単に抹殺できるはずである。
「そうだったんです。なので、覚悟してもらいますよ」
そう言えばメイドの名前を聞き忘れていた。上司への報告書に相手の名前ぐらい載せないとかっこ悪いと思い立った。
「ええと、メイドさんは何という名前ですか」
「名乗る名前なんてありますか」
メイドは全く名乗る気など無いようだ。
「まあ、いいです。聞いたところで仕方ないです」
名前を確認するのは諦めて、菜々子は巨大な機関銃を両手で構える。
「魔法少女なんだね」
メイドは、確認するかのようにつぶやいてからニヤリと笑った。
「ならば、仕方ないね」
左の手の平を菜々子に向けて突き出してから、メイドはそれをゆっくりと自らの目の前まで引き寄せた。
「ダーレ=フォルザ」
そして呪文を唱える。菜々子には聞き覚えのない言葉だった。その言葉とともに、手の平より一回り大きい円状の紋章が左手の正面に現れる。桜色の円の内側には複雑な模様が描かれていた。中央に雪の結晶があり、それを囲むように六種類の華――撫子、紫苑、水無月、楓、桜、露草のイラストが円状に描かれている。
それは、王国がまだ王国であった頃の国章だった。
菜々子も一応は元王国の国民である。教科書でその模様を見たことくらいはある。頭の片隅に焼き付くほどに印象的なデザインだった。
メイドの服は、さらに戦闘に特化したものに変わっていた。見た目、甲冑と言うべきデザインだ。真っ黒いその姿は、まるでセイバーオルタのようだった。右手には長い日本刀を持っている。王の護衛のはずなのに、全身に闇落ちオーラを纏っている。
「フェアリーズどころか、白銀の四姉妹でしたか」
十六人のメイドの中で特に戦闘に特化した四人のメイドは、公式には白銀の四姉妹と呼称されていたが、紛うことなき戦闘メイドだ。けれどその姿が、銀色ではなく真っ黒だとは思わなかった。
魔女と契約した魔法少女であったとしても、まだ新人に等しい菜々子では、魔法の種類も少ないし、力もそれほど強くない。戦闘メイドからしてみれば、全く相手にならないレベルだった。知識的にも感覚的にもそれは間違ってないと思う。菜々子はこの時点で勝ち目がないと判断した。生きて帰れない気さえしてきた。だからなんとか、逃げるすきを見つけようと身構えた。
菜々子はフェアリーズと戦ったことなどない。伝え聞いた噂だけだ。訓練で教わっただけだ。だけど変身した彼女を前にしたら、その噂話さえ真実だと理解できる。
「圧倒的じゃないか」
判断は一瞬だ。菜々子は機関銃を振り回してメイドに投げつけると、爆発的なスピードでメイドの脇をすり抜ける。ソファに隠れていた社長を踏み台にして飛び上がり、背中から窓をぶち破って外に飛び出た。
「俺を踏み台にしたぁ!」
社長がなんか叫んでいたけれ、気にはしない。
「次逢うときは、覚えてなさいよ!」
悪役のような捨て台詞を吐いてから、そのまま自由落下と洒落込んだ。変身しているから地面に激突しても大丈夫だし、その前に空を飛んで逃げればいい。それは魔法少女のお約束だ。
「逃げられてよかったぁ」
この情報を持ち帰れば、逃げ帰ったとしても悪いようにはされないだろう。
菜々子は目をつぶって、自らの身体が落ちていく快感に身を委ねた。