三
三年前に新築した本社ビルの十五階にある応接室Aは、社長クラスの来客を迎えるための部屋である。他にはお得意様用の応接室B、一般用の応接室(無印)、まだ使われたことのない国賓関係者用の応接室Sという部屋がある。
メイド相手に応接室Aの仕様は贅沢だと思う。けれど、最低でも名代を携えているはずの相手である。麻布は誠意を見せる意味でも、応接室Aを使うことにした。
「お待たせしました」
麻布はノックしてから部屋に入った。
応接セットには淹れたての珈琲が二つ用意されているだけで、メイドの姿は見当たらない。入室したのは確認したから、部屋にいるのは間違いなかった。部屋の中を見回すと、メイドは手前ドアの壁際に、かしこまった姿勢で立っていた。
驚かせないでほしかった
「社長の麻布です。どうぞお座りください」
麻布は名前を名乗ってから、メイドに座るよう促すが、彼女は小さく首を振った。
「わたしは単なる使いですから、そのような席に座る資格などありません。社長様はどうぞお座りになってください。すぐに話を始めましょう」
彼女のバカ丁寧な口調から、説得は無理だと麻布は即座に判断した。
「そうですか、では」
ふたりとも立って話すのは間が抜けている。
麻布は仕方なくソファーに腰を下ろし、改めて目の前のメイドを観察した。
年齢は二十代なかばだろうか。女性の年齢はわからないが、少なくともそう思えた。彼女の着ているメイド服は、黒を基調とし白いラインの入ったこの国独特のワンピースで、胸元は大きく開いており、白いワイシャツが見えるようになっていた。
タイプ・ゼロと呼ばれるメイド服で間違いない。
メイドにしては優しげな表情で、髪はやや長めのサイドテール。しかも見事に青い色をしている。そして言うまでもなく美人だった。少しだけ感情に乏しい風であり、やや冷たい感じのする青い目が
印象的だった。
「本日はわざわざ――」
話を始める前にお決まりの挨拶をするべく、再び彼女に視線を移した瞬間、麻布はとんでもないものを見てしまい、またもや言葉を失った。
彼女の首元には、真っ白い「雪の結晶」を模したエンブレムがあった。
タイプ・ゼロのメイド服は、デザインこそ共通だったが、所属する家ごとに異なった模様のアクセサリーを首元に付けている。麻布はメイドに興味があって、学生時代に色々と調べたことがあったから、その違いについて他人に説明できるほど詳しかった。
しかし目の前のそれは、麻布でなくとも判別できるほどよく知られたものだった。
雪の結晶。
その形を模したブローチを着けているのは、いや、着けることが出来るのは、旧王国内に存在する全メイドの中でも選ばれた二百五十六人のみ。それは王家に仕える事を許された証であった。つまりこのメイドは、同じ柏崎家のメイドでも、隣の行政区を治めている分家の柏崎家ではなく、本家、つまり王家に仕えるメイドだということだ。
何の冗談だ。
これは夢か。
麻布は一旦思考を止める。麻布でなくともよく知られている事実がある。
この国の王家の一族は、連邦の占領時に絶滅してるはずだった。連邦が見せしめに全員殺したはずだった。メイドもすべて殺された。
それは、事実だった。
それは、史実だった。
それは、現実だった。
「柏崎家からいらしたとお聞きしましたが」
「はい」
彼女は微笑んだ。何の問題もない。そういいたげな笑顔だった。それでもその目は、全く笑っていなかった。麻布は、次に続く言葉を一度飲み込む。
「それが何か?」
メイドは、麻布が何かに気づいたことに気づいていた。分かっているがあえて言わないし、何も言う必要はないのだろう。
麻布は、また胃が痛むの感じたが、聞かない訳にはいかなかったし、確かめないわけにはいかなかった。
「失礼ですが、本家の方ですよね」
恐る恐るその言葉をひねり出す。直接聞くのは怖かったから、少しだけオブラートに包んで聞いてみた。
「ええ、まあそうですけど。どうしてそう思ったのです?」
本当に疑問であるかのように彼女は聞き返す。
麻布は恐る恐る、彼女の首元にあるアクセアリーを指差した。
「そのブローチですよ」
メイドは小さく頷いてから、首元のブローチを指で弾いた。
「随分とお詳しいのですね」
行政区のシンボルとして使われていることもあり、ブローチと貴族との関係は、多くの市民が理解している。ちなみに吉野家は桜、柏崎家は楓である。
「もちろん。とても有名ですから。それより、王家に仕えていたメイドは、王家とともに絶滅したときいておりましたが……」
王家とともに王家に仕えていたメイドは全て処分されたはずだった。皆そう信じているし、教科書にもそう載っていた。もちろん教科書が正しいとは言い切れない。
「絶滅とはひどい言われようですね。ええ、まあでも、大体あなたのおっしゃる通りですよ。私たちは一度、この世界から姿を消しました。言っててみれば、永い眠りについていたのです。けれど目覚めてしまったのですよ」
残念ながら。とメイドは言葉を繋いだ。
麻布は目の前にいるメイドをもう一度観察した。吉野家の屋敷で何度か見たことがあるメイド服ではあったけれど、目の前のメイドが着ているメイド服は、見慣れているノーマルなタイプ・ゼロのメイド服とは若干異なっている事に、麻布は気づいた。
所々がカスタマイズされているようだった。通常のものより動きやすくなっている様にも思えた。つまり戦いやすくなっているのだ。
上級貴族で使用されているメイド服、つまりタイプ・ゼロには厳格な基準があり、仕様の変更は禁止されていた。しかし何事も例外というものはある。二百五十六人の王家メイドのうち上位十六名のメイドについては、王の側近で護衛も兼務していたから、特別にカスタマイズが許可されていた。それらの十六名は礼儀作法、語学、知識はもとより各種格闘技においても国内有数の実力者であり、それ相当の権力も与えられている。
一般市民には禁止されている、銃火器の所持さえも認められていた。
それゆえのカスタマイズである。
眼の前にいるのは、それら選ばれし十六名メイドの一人であることは間違いない。どんな話を持ってきたとしても、駆け引きなどできるような相手ではなかった。頷くこと以外出来ないだろうし、逆らえば命さえ保証できない。
最悪だった。
「まずはお名前をお伺いしても?」
話の進め方としては間違ってはいないはずだ。
「私の名前などあまり意味を成しませんが、名乗らないのも失礼でしょう。榛名桜子と申します。陛下の護衛を担当しております」
陛下、つまり王の警護は、選ばれし十六名の中でも特に優れた四人が担当していた。人前に出ることはほとんどなかったけれど、圧倒的な強さを誇り、戦闘メイドとさえ呼ばれていた。物静かに話してはいるが、確かに彼女には隙がない。格闘技の上位有段者である麻布にはそれがわかった。
「それで、わたしたちに何をしろと」
「いくつかお願いがありますが。その前に」
榛名は静かに微笑んでから、扉と麻布の間に移動した。
「頭を低くして、テーブルの下に隠れていてください」
口答えできる立場でない麻布が言われたとおりにしたのを確認してから、扉に向き直ると、メイドは――榛名はその場で両腕を大きく広げた。