ストロベリークリームソーダ
犬養響の両親の記憶で一番古いものは、ツンとした刺激臭と台の上いっぱいに広がる白い骨。
これが両親のお骨、と説明されても当時4歳だった彼には理解できなかった。
あとは途切れ途切れの記憶。響を抱きしめて泣く叔母。喪服を着た大勢の大人。棺。
折紙で作った「ママありがとう」のメダル。
「くーろぉ…メシいこー」
テンション低めの猿田の誘いに黒は立ち上がった。
「犬養は?今日は来ないのか?」
「…さあ?来ないんじゃない?リア充だから、奴は」
二人は屋上へ向かう。
「付き合って二週間で喧嘩か」
黒は生徒で賑やかな廊下に犬養の姿を探しながら猿田に言った。犬養は居ないようだ。
「別に…喧嘩ってほどじゃねーけど…」
猿田は歯切れ悪く答える。
二人は屋上に出た。そろそろ冬の入り口だ。もう少し経つと外で食べるには寒過ぎる季節になる。
腰を下ろしてパンの袋を開けると黒は猿田を見て言った。
「……で?」
顛末はこうだった。
部活動に熱心な犬養は、基本的に毎日、夕方まで部活動に忙しい。猿田は美術部の幽霊部員だが、ここの所、珍しくマメに部活に出て、帰りの時間を犬養に合わせていた。
しかし二人の自宅は逆方向なので、校門を出たら別れることになる。犬養は猿田を送ろうと申し出たが、周りにはバスケ部の部員達も居て、彼らの目を気にする猿田はそれを断っていた。
付き合い始めたものの、それらしいイベントがまだ何も無かったので、昨日は犬養が部活を休んで、二人でファミレスに行った。初めての、デートらしいデートだった。
「今年もやんのかな〜『加齢度すこうぷ』の年越しライブ」
ミートドリアをつつきながら猿田が問いかける。
「やるだろ。何がなんでも二枚チケットゲットしないとだな」
犬養はハンバーグ定食を食べ終えて、スマホを弄っている。
「加齢度すこうぷ」とは一部でカルト的人気を誇るバンドグループで、二人はこの共通の趣味で親しくなった。
ふと、犬養は顔を上げて猿田を見た。猿田はドリアを頬張りながら、テーブルの下で靴を脱ぐと、足を伸ばして、向かいに座る犬養の足に触った。
犬養は何食わぬ顔で手をテーブルの下に伸ばし、猿田の足を掴むと靴下の中に指を差し入れた。
猿田は顔を赤くして、くすぐったさを堪える。
「おー犬養とサルじゃん、二人?何、デート中?」
突然声をかけられて猿田はビクリと足を引っ込め、話しかけてきたクラスメイトの谷口と岩城に犬養は応えた。
「そーだよ邪魔すんな。いいとこなんだから」
谷口達はどっと笑い、辺りは俄かに騒がしくなる。
「んな冷たいこと言わないでオレらも混ぜてよ〜。いーよなあ、サル」
犬養は何かを言おうとしたが猿田は素早くそれを遮った。
「いーに決まってんじゃん!人数多い方が楽しいし!!な!いーよな犬養」
猿田は席の端に寄ると谷口の座るスペースを空けた。犬養は気が進まぬ様子で少し端に寄り、空いた僅かなスペースに岩城が強引に座る。
その後、四人は一時間程、賑やかに過ごしたが、犬養は口数が少なかった。ファミレスを出た後、彼らは別々に分かれて自宅へ帰った。
帰り道、猿田のスマホに犬養からLIMEが来た。
……………
犬『今日はデートだったよな?』
猿『しょうがないじゃん、あそこで無理に追い返したら怪しまれてたかもしれないし』
犬『別にいい。今度同じ事があったら追い返すから俺』
猿『やめろよバレたらマズい』
犬『何がマズいんだよ』
猿『からかわれるだけじゃ済まないかも。最悪クラスでハブられるし、恥ずかしい』
犬『お前にとって俺と付き合ってることは恥ずかしいことなのか?』
猿『そういうわけじゃない』『LIMEだとうまく説明できない』
犬『じゃあ話そう』
猿 (無言)
犬『なんか考えるわ』
猿 (ごめんのスタンプ)
………………
「そういうことなら、早めに犬養と直接話した方がいいな」
黒は食べかすを袋にまとめ、紙パックのミルクコーヒーをずずっと啜って続けた。
「文字だけのやり取りは誤解も多くなる。そこで間をあけると、益々修復し辛くなるかも」
猿田はほとんどパンに手をつけていない。
「…俺が悪いのかなぁ……あの場合、ああするしかないだろ。バレちゃマズいじゃんか」
黒は猿田をじっと見た。
「犬養と付き合ってる事が恥ずかしいのか?」
「そういう訳じゃない……。でもクラスの奴らには知られたくない。ゲイばれしたら、何が起こるかわかんないし…犬養にヤな思いさせたくない」
「問題は犬養じゃなくてお前だろ」
「…あいつは分かってないんだよ、まわりと違うって事がどういう事か」
「いつかと同じ事を言う。お前はどうしたいんだ?そうやっていつまでも同じ所をグルグル廻ってるつもりなのか」
「………」
猿田は黒を力無く見たが、何も言わなかった。
黒は暫く猿田を見ていたが、仰向けに寝転がって空を見上げた。
放課後。
犬養はバスケの練習試合を終えてベンチに居た。体育館をザッと見渡す。何人かの生徒がもうひとチームの試合を観ていたが、猿田の姿はない。
犬養はため息を堪え、タオルを頭から被った。彼から見ると猿田の態度は歯痒くて仕方ない。もっと距離を縮めたいのに、その度に見えない壁に行手を阻まれている気がする。
…なんで、ああも人目を気にするんだろう。周りが何を言おうと関係ないと思うんだがなぁ。
「犬養」
突然、すぐ後ろから呼びかけられて振り向くと野田黒が至近距離に立っていた。思わずベンチの上で尻をずらして距離を取る。
「ビックリした。野田、珍しいじゃん」
「部活が終わった後、少し話せないか」
「話?」
「猿田の話だ」
「…!」
犬養の目が鋭くなる。黒は静かにその目を見返した。
その週の土曜日の朝。
猿田のスマホに犬養からの呼びかけが入った。
『今、お前ん家の外にいる』
驚いた猿田が部屋の窓から玄関を見下ろすと、家の前の通りで手を振る犬養の姿があった。
慌てて猿田は外に出る。
「今から行くから準備して」
「行く?って、どこに?」
「後で話す…とりあえず交通費。あと、ぬくい上着。ここで待ってるから急いで」
「そんないきなり」
犬養に家の方に追い立てられて、猿田は再度自宅に入り、スマホと財布をボディバッグに入れ、ダウンジャケットを羽織ると家を出た。
犬養は小さめのボストンバッグにセーター、ウィンドブレーカーという服装だ。
「まずは駅」
「で?どこ行くんだよ」
「電車乗ったら話すわ」
猿田は怪訝な顔をした。仕方なく犬養について行く。雲一つ無い快晴で朝は冷える。そろそろ本格的な冬の到来だ。
二人とも無言で駅まで歩くと、猿田は犬養の指示で切符を買った。この電車の終点まで乗るらしい。
「もうすぐ快速が来るから急ぐぞ」
またしても急かされるままホームに行くと、滑り込んで来た快速特急に乗り込んだ。車内は家族連れや行楽客で賑わっている。
席に座ると猿田は言った。
「もういいだろ。どこに行くつもりなんだよ」
犬養は初めてニヤリと笑った。
「海」
「うみ?」
「そう」
「海って…何しに」
「遊びに」
「この時期に海水浴?」
「さすがに水遊びは冷たいんじゃね」
「つまりこれはデートって事?」
「まーそんなような」
「何で何も言わずいきなりこんなふうに連れ出したんだよ」
「その方がスムーズかなと思って。最初から『海』っつったらゴネられるかもと思ってさ」
犬養は欠伸した。
「朝早くから準備して眠い。ちょっと寝るわ」
「は?えっ…」
犬養は目を閉じると猿田にもたれかかった。猿田は思わず動揺する。
…しばらくすると気分が落ち着いてきて、猿田は改めて周りを見渡した。
よく晴れた初冬の休日。楽しそうな家族連れ、友人同士らしい若者達、寝たりスマホを弄ったりしている私服のおじさん達。
平和な休日の車内光景。そういえば休日に犬養と出かけるのは初めてだ。先週末、犬養は試合だった。バスケ部は土日に他校との試合が入る事も多い。
こいつとは何でギクシャクしてたんだっけ。そうだ、付き合いを隠すかどうか。
…普通、学校を卒業する前は隠すもんじゃね?実際ゲイはまだまだ少数派だ。普通の男女のカップルのようにはいかない。
何でこいつは怖くないんだろう。ワクからはみ出す事が。自分は何がこんなに怖いんだろう……。
電車が進むにつれ、車内から人が減ってきた。車窓の風景も、建物の密度が減り、緑が目立つようになってきた。
やがて風景の奥に青いものがチラチラ見えてきた。海だ。
終点近くなり、犬養は目を覚ました。車内は自分達の他には数人しか居ない。
終点のホームに降り立つと犬養は思い切り伸びをした。猿田は周りを珍しそうに見回した。街とは明らかに空気が違う。
「俺、終点まで乗ったの初めてだ」
「俺も久しぶりだわ」
犬養は自販機に歩み寄ると暖かい缶コーヒーを二本買い、片方を猿田に渡した。二人はそれを飲みながら駅を出て歩いた。
鄙びた雰囲気の駅前から暫く歩くと目の前が開け、道路と駐車場、その奥に海が見える。
人は殆どいなかった。海の家も無く店も閉まっている。
道路から砂浜に入る道を見つけ、砂浜まで歩いてゆく。砂浜まで出ると視界は水平線で上下に二分される。
猿田はひとりでに笑顔になった。開放感が身体に満ちた。
「リアルで海だぁ〜。マ、この時期に来るとか。なんもねーし」
犬養は荷物を砂浜に置くと、猿田に手を差し出した。猿田は思わず辺りを見回した。
「人は居ないし、居ても俺らの事なんて気にしてねーよ」
猿田は犬養の手を握った。二人はそのまま渚に沿ってゆっくり歩いてゆく。
犬養が前方を指差した。
「ずっと向こうにさ…砂浜が途切れてテトラポットになってんだろ?あすこまで歩いてみよ」
猿田は目の上に手をかざして前方を透かし見た。暫く二人とも無言で歩く。
犬養は海を見て歩きながら言った。
「猿田はさ…自分がゲイだって周りに知られるのが嫌なのか?」
「嫌っていうか…怖い」
「うん」
「…なんで、人と違う事は怖いんだろうね」
「俺は、猿田を好きなこと、隠したくない。むしろ自慢したい。俺の彼氏、可愛いだろーって」
猿田は複雑な顔をした。
「皆が知ったら…犬養も嫌な思いするよ、絶対」
「……お前が嫌なら周りにはバレないように努力してみるけどさ」
風が犬養の上着をはためかせる。海鳥が沖を飛んでゆくのが見える。
「中学の時にさぁ…」
猿田が足元を見ながら口を開く。
「…ゲイだって自覚して、マネージャーに相談した事があるんだけど。この業界は多いよって言われて全然スルーされた。大人の世界じゃ珍しくないんだって凄く安心した覚えがある」
「まあ俺らの世界は大人からしたらミクロなんだろうな」
「時間が経てば。…大学生になれば。…大人になれば…怖くなくなるのかなぁ」
「どうかな…けど俺らが会えたのは高校生だったからじゃね。悪い事ばっかでもないんじゃん」
猿田は微笑んだ
「犬養のそういう所、好きだな…俺はつい、物事を悪い方へ考えちゃうトコあんだよね。分かってんだ」
「お前って普段は明るく見えるのに、意外と後ろ向きな部分もあんだな。発見だわ」
遠くに見えていた砂浜の終わりが近づいてきた。浜は大きな岩に遮られ、そこから崖へと繋がって、さらに先に湾曲した海岸線に沿って積まれたテトラポットが続いている。
二人は振り返った。目の前に歩いてきた砂浜が道のように続く。空は青味を増し、気温が上がってきた。潮風が冷たくも心地良い。猿田は深呼吸した。
「スゲ〜貸し切り状態。気持ちいい」
二人は砂浜を戻り始める。
「俺の親は叔父夫婦だって前に言ったよな」
唐突に犬養が話し始めた。
「俺の産みの親が死んだ日…交通事故だったんだけど…ちょうど母の日でさ。今の親になってから毎年、その時期の土日、泊まりがけの旅行に行くんだ。
叔父さんは俺に、母の日の思い出を、楽しい記憶で上書きして欲しかったのかなーって今となっては思う。…毎年の母の日、親が死んだ事じゃなくて旅行の事を思い出せるようにってさ。
色んなとこに連れてってもらって、色んな事経験してさ。そういう楽しい思い出って、なんか…拠り所っての?心がシンドイ時に思い出すと壁を乗り越える力になるって、俺は思う。…てか、そう思えるように育てて貰った。
…で、ここにきて、親の他に大事な人が俺にもできたから…
……これからはさ、俺はお前と一緒にもっと色んなとこに行きたいし、いろんな事をやりたいし沢山話したい」
彼は微笑んで猿田を見、繋ぐ手に力を込めた。
「山にも行きたいしー。水族館とかディズニーランドとかお祭りとか行きたい。プールにも公園にも行きたい。ライブにも行きたい」
犬養は空を見上げると指を折りながら続ける。
「カラオケしたいし、買い物したいし、うまいラーメン食いにいきたい。スノボとかサイクリングとかやりたい。スキューバとかもやってみたい。あとは…えーと、猫カフェに行きたい」
「猫カフェ?…何か意外」
猿田は笑った。ふいに犬養は猿田を引っ張ると強く抱きしめた。猿田は思わずもがいたが、犬養は離さない。
「もっとお前に近づきたい。もっともっと触りたい。…エロい事もしたい」
耳元で言われて動悸が早くなる。犬養の心臓の音が聴こえる。自分に劣らず激しい。
猿田はもがくのをやめた。じっとお互いの鼓動を聴く。
「だから居なくならないでくれよ、俺の前から。約束してくれ。さっき言った事全部やるって」
犬養の腕に力が篭り、猿田の胸はぎゅっと痛くなる。
『大事な人はいつも居るとは限らない。明日いきなり居なくなるかもしれない。俺にはそれが誰よりもよく分かっているだけだよ』
言葉だけの約束に意味があるのか?俺だっていつどうなるか分からない。
———でも。
「……約束したい。……約束する。…お前と一緒に、さっき言った事を全部やる」
犬養は腕を緩めて猿田の顔を間近に見るとキスをした。長い、貪るようなキスを。
荷物の所まで歩いて戻ると、靴と靴下を脱いで座り、犬養が朝早く握ったらしい、巨大なお握りを食べた。砂を手に潜らせたり、互いの足に砂をかけあったりしながら色んな話をした。腹が苦しくなるほど笑った。何度もキスをした。
夕方が近づくと急激に気温が下がってきた。犬養が連続でクシャミをし、二人は慌てて帰りの電車に乗った。
猿田は流れ行く夕暮れの車窓を見ながら
「俺もさぁ、やりたい事言ってみていい?」
「どんどん言って」
「お前が風邪ひいたら見舞いに行きたい。ポカリとかゼリーとか買って」
「いーねえ。…他には?」
猿田は暫く考えた。
「映画、ホラーとかアクションとか観に行きたい。ライブの後、感想喋りながらハンバーガー食いたい。バドミントンとか卓球もいいな。えーと後は…」
猿田は犬養の方を向いて言った。
「でもさ、まずは金稼がないと遊べないんじゃん。犬養、バイトする暇なんてある?」
「あーそうね…まぁ…何か考える…」
犬養は早くも眠そうだ。
「寝てろよ。近くなったら起こすから」
「わりー。んじゃ宜しく……」
犬養は腕を組んだまま、直ぐに寝息を立てはじめた。猿田は密かに思った。眠っている犬養は、何だか小学生みたいに可愛い顔つきになるな。
今日は最初から夢の中にいるような一日だった。ずっとドキドキしどおしで、目眩がするほど楽しすぎて、時間が経つのを忘れた。
……俺にとってはこういうの、全部初めてだったから。
好きな人が出来て、両想いになって、その後、二人きりで遊んで。もちろんキスしたのも。
中学の時、自分の性傾向を自覚してからは、同性の友達と必要以上に近くならないよう気をつけていた。
……最初から同性同士の恋愛なんて受け入れられる筈が無いと思い込んでいたから。
自分を守るつもりの壁は、同時に自分を閉じ込める檻だったのかもしれない。
こいつがぶっ壊してくれた。
俺達はこれから色んな事をするだろう。山にも水族館にもディズニーランドにも行くんだろう。映画にも、ライブにも行って、美味いラーメンを食べに行く。……二人で。
胸が締め付けられるように苦しくなり、涙がこみ上げてきて、慌ててバッグからハンカチを出すと顔にあてる。そうか、これが嬉し涙ってヤツか、本当にあるんだな。
唇を噛んで泣き声を堪えながら、ハンカチを顔に押し当てて強く思った。
神様、こいつと出会わせてくれてありがとう。
でも、もっと、お願いします。ずっと一緒に居れますように。どこまでも一緒に行けますように。
「さみっ!寒いよ黒〜。中で食べようよー」
「お前らは中で食べればいいだろ」
上着を羽織った猿田と黒は、話をしながら屋上に足を踏み入れた。その後、犬養も出てきて、ドアを閉める。
三人は日の当たる場所に陣取ると、パンや弁当を取り出して食べ始める。
「風がないと結構、あったかくて気持ちいいじゃん」
犬養は弁当を頬張りながら、日差しを味わうように上を向いた。
「俺はインドア派なんだよーだ」
猿田は紙パックジュースを啜りながら口を尖らせる。すると足元に置いたスマホが鳴り、猿田はスマホを取り上げた。
「もしもしぃ。猿田っす。どうもお疲れ様です……はい、大丈夫です……」
猿田は話しながら立ちあがり、屋上の少し離れた場所に移動する。
犬養と黒は猿田を目で追うと向き直った。犬養が口を開いた。
「週末、猿田と会って話した。ちょっとは安心して貰えたかなと思うんだけど。俺も焦りすぎてた」
「俺はただ思う処を話しただけだ」
「俺よりお前の方が猿田との付き合いが圧倒的に長い。それは事実だから……ま、ムカつくけどよ正直」
「当事者には問題は見えにくい。猿田は自分の性的指向をまだ受容出来ていないんだろう。
お前との信頼関係と、時間が必要だ」
「……野田って人生何周目?」
猿田が電話を終えて戻ってきた。
「仕事の確認でしたぁ。あー腹減ったあ〜メシメシっ」
座り込むとカレーパンの袋を開けてかぶり付く。犬養はその様子をじっと見て
「猿田がパン食ってるトコってさ…なんかリスとかハムスターみ、あるな」
「はあ?!身長5cmしか変わんないじゃん。小動物扱いされる筋合いねーよ」
犬養を軽く蹴りつける。
「や、だから、可愛いって意味」
「嬉しくねーっつの」
黒は、俄かに辺りに滲み広がる二人の『色』を見ていた。これだけハッキリ視えるのも珍しい。
透き通った濃い赤にパールピンクの白が混じり合い、小さな沢山の光の粒が輝いている。
猿田と犬養が楽しそうに笑うと、光の粒は明滅しパチパチ弾けた。多分これは『大好き』の気持ち。
まるで輝く炭酸の泡みたいだな、と黒は思った。
ストロベリークリームソーダのグラスの中に居るような……
「おーい、黒〜。黒さーん…あー駄目だこりゃ、ほっとこ」
猿田が黒の目の前でヒラヒラと手を振った。黒の視線はあらぬ方を見ている。
「何だ?野田はどうした?」
「今はマイワールドに入ってるわ」
「は?」
「たまにこうなるんだ、黒は。…俺らには見えないものが見えてんだ。こういう時はほっとくに限る」
犬養は黒を見、猿田を見た。猿田は冗談や比喩ではなく、本気で言っているようだ。犬養は言葉を呑み込んだ。こういう時、少し疎外感を感じる。
犬養は猿田の手を取った。猿田は微笑み、ギュッと握り返してきた。
焦るな…焦るな俺。犬養は自分に言い聞かせる。焦って急げば手からこぼれ落ちる。ゆっくり行こう、時間はたっぷり有るはずだ。信じよう、彼は居なくならないと。
明日も、明後日も、ずっと先まで。
ずっと一緒に居れますように。どこまでも一緒に行けますように。