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「ジェセニア」


声変わりが始まったばかりの、掠れた低音と子供特有の高い声が混じりながらも落ち着いた声音が自分を呼ぶ声にジェセニアが振り返ると、そこには、鮮やかな金髪に青空のような瞳の少年が立っていた。


「ジェセニア、ここにいたのか」

「えぇ、フレドリックは剣のお稽古はもう終わり?」

「ああ。そうだ、次の地政学の授業はジェセニアも一緒に受けるだろう?」

「良いの?嬉しい!!」


王城の庭園は常に季節の花が咲くように丁寧に庭師が手を入れていて美しい。

その花園のような庭で過ごす時間がジェセニアは好きだった。

その日、フレドリックと午後のお茶の約束をしていたジェセニアは、庭園の花が見たくて早めに登城していた。

フレドリックにも会えたらと期待していなかった訳ではないが、女人禁制の剣の稽古中だと聞いて約束の時間まで庭園の花を楽しんでいたのだった。


「フレドリックが剣を振るうところ、見たかったわ」

「ジェセニアが応援してくれたら師匠も打ち負かせそうだけど、危ないからね」


にっこりと甘い笑みを浮かべて、フレドリックはそっとジェセニアの髪に触れる。


「なぁに?」

「ジェセニアの髪は、柔らかくて気持ちいい。ずっと触っていたいな」

「ふふ。私もフレドリックになら、ずっと触っていてほしいわ」


優しく髪の毛をなでる手に、うっとりと目を閉じていると、ふいに耳元にかさりと何かが挟まれた。

不思議に思ったヘッセニアがそっと目を開けると、蕩けるような優しい笑みを浮かべたフレドリックの手がヘッセニアの耳元に何かを差し込んでいた。


「フレドリック?」

「うん。これでいい」


そっと手を離したフレドリックが触れていた耳元に手をやると、そこには花の感触。


「白いバラを薄紫に染めたんだ。ジェセニアの瞳の色のバラがあったら綺麗だろうなぁって思って。薬師に聞いたら、紫の露草の汁で白いバラを染めたらどうかと言われてね。思った通りよく似合っているよ」

「…ありがとう」

「さ、そろそろ授業だ。行こう」


フレドリックは、ジェセニアの手を取ると王城の中へと向かう。

手を取られ導かれるようにフレドリックの後をついていくジェセニアは、ずっとこの手が離れることがなければいいのに、と思いながら自分よりずっと大きな手を見つめていた。


「────フレドリック…」


目を開けると、フレドリックの姿はない。

ようやく見慣れてきた天井が視界に入り、ヘッセニアはまだ眠気に沈みそうになる体を起こした。

天蓋から吊るされたカーテンからはまだ明かりは見えず、日も登らない早朝のようだ。


「フレドリック」


もう一度、小さくつぶやいた名前は薄闇の中に溶けていった。


────あんな夢を見るなんて。


まだ寝ぼけた思考は、夢に見た幼いころのふわふわとした幸福感を引きずっていた。

しかし、再び体をベッドに投げ出すように横になったものの、夢だと気付いたとたんに襲ってきた虚無感に再び眠る気にもなれずにぼんやりと天井を眺めていると、薄闇がだんだんと明るさに溶けていき、いつの間にか登った朝日が部屋を無垢な光で満たしていった。


「おはようございます」


結局眠れずに起きだして身支度を済ませて食堂へと向かうために部屋を出ると、扉を守る騎士が礼をとる。

おはよう、と小さな声で返すと、ヘッセニアはそそくさと廊下を進み食堂へと逃げ込んだ。


「いつになっても慣れないようだね」


くすくすと響いた笑い声に振り返ると、そこにはエクトルが立っていた。

今日は非番だというエクトルは、いつのも騎士の隊服ではなく、ズボンにシャツを着ただけのラフな格好だった。


「おはよう、エクトル。あんなの、慣れるわけがないわ」


騎士から逃げるように食堂に向かう姿を見られていたらしい。

少しだけ緊張を解いてむくれるように口をとがらせたヘッセニアを、エクトルはなだめるように頭にポンと手を乗せる


「まぁあれもディオの指示だからね。命令だから仕方ないさ」

「でもこんなの軟禁じゃない」


ため息とともに漏れた呟きに、エクトルはそっとヘッセニアに顔を寄せて声を潜めた。


「…でもこれしか時間を稼ぐ方法はないんだ。ごめん。こらえてくれ」

「…。ごめんなさい。わかっているわ」


ヘッセニアも、小さな声で応えると、エクトルと並んで食堂へと入っていった。


──王太子ディオニシオの婚約のニュースは、ガルメンディア王国をあっという間に駆け抜けた。

王太子がお忍びで出かけた先で出会った令嬢に一目ぼれして求婚したというエピソードは、王国内では近年稀にみる明るいニュースとして歓迎された。

すぐにでも城へと連れて行こうとするディオニシオを、どうにか思い止まらせたのは、将軍であったヘッセニアの祖父と近衛隊長のエクトルの説得によるものだった。

ヘッセニアの腰を抱き城へと連れて帰ろうとする王太子の姿に、城に着いた途端にその純潔を散らしかねないと危惧した彼らは、王室の婚姻までは純潔を守らねばならないこと、ヘッセニアが他国の令嬢であること、すでに他国の王室との婚約が済んでいる以上、その破棄が為されないことにはこちらが不利な交渉を強いられることを理由に王城へ連れていくことをどうにか諫めた。

ディオニシオもかつての戦神を相手に無理強いはできないと思ったのだろう。


「王太子が筋を通さねば国がみだれますぞ」


かつて戦場に出た時と同じ眼光の鋭さで彼を諌めた戦神の言葉に、王都のオリバレス邸でガルメンディアの王妃教育のための修養をさせるという案にしぶしぶ頷き王城へと戻っていった。

しかしヘッセニアがオリバレス邸を出ること許さず、近衛兵を派遣して警護という名の監視を敷き、王城以外の外出を認めないと通達したのだった。


「お嬢様」


朝食を終えて部屋に戻ろうと廊下を歩くヘッセニアを、オリバレス家の執事が呼び止めた。


「なぁに?」

「大旦那様から、贈り物が届いていますよ」


大旦那、とは祖父のことだ。

レッドメインとの停戦協定の締結を見届けてから将軍を退き爵位も息子────ヘッセニアの伯父にあたる────に譲った祖父は、普段は領地にある屋敷で暮らしている。

ヘッセニアもあの屋敷を訪ねて来たというのに、ディオニシオの命によりガルメンディア王都のオリバレス家のタウンハウスに軟禁状態に置かれて既に3ヶ月を越えている。

その様子は祖父の耳にも入っているのだろう、ヘッセニアを心配した祖父は、こうして折りに触れて気が紛れるようにと何かと贈り物を届けてくれていた。


「まぁ、今日は何かしら」


先日祖父が送ってくれたのは領地で咲く珍しい花だった。

それはとても良い香りがするもので、花びらを乾燥させてサシェにしたばかりだ。

渡された小さな箱を、そっと開けると、そこには美しい薄紫の薔薇の髪飾りが納められていた。

添えられていたカードには、祖父のもとへ母親から届いた贈り物を転送する旨を記したカードと、母親の穏やかな筆致でヘッセニアを思いやるメッセージが添えられていた。

母親の懐かしく優しい文字に、沈んでいた心がほんのりと温かくなる。


「綺麗…アメジストだわ」


ヘッセニアの瞳と同じ淡い紫色をした薔薇に、今朝みた夢を思い出す。

フレドリックが贈ってくれた、薄紫の薔薇。

あの時のように、髪に飾っても似合うと微笑んでくれた彼にはもう会えない。

打ち沈む心を誤魔化すように、フレドリックを思い出してしまうものは見えないところへしまってしまおうかと髪飾りを箱に戻そうとしたその時、繊細な宝石の花を傷付けないように幾重にもそれを包んでいた薄紙の1枚がふと目についた。


汚れでも付いているのだろうか。

黒っぽい影のようなものが付いている薄紙をそっと持ち上げると、ヘッセニアは息を飲んだ。


《必ず迎えにいく》


目立たないように配慮したのだろう、ごくごく小さく書かれた文字を思わず指でなぞる。


「フレドリック…」


小さくとも、力強い筆致で書かれたその文字は、見慣れたフレドリックのものに間違いない。

ヘッセニアがガルメンディア王国の王都へと連れてこられた時点で、ディオニシオは婚約を宣言し、その知らせは非公式にレッドメインの生家や王室にも伝えられている、とエクトルは沈痛な面持ちでヘッセニアに告げていた。

一方的にフレドリックとヘッセニアの婚約も破棄を通告している、とも。

しかしヘッセニアの生家であるランドール家とレッドメイン王家ではこの件で連絡を取り合っているのだろう。

母親からの贈り物の体を取っているが、これはフレドリックからの贈り物で間違いない。


────フレドリックを、信じたい


ヘッセニアは、目尻に浮かんだ涙を拭うと、薔薇の髪飾りをそっと抱き締めた。

ご覧いただきありがとうございました。

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