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「お祖父様、お久しぶりです」

「あぁ、ヘッセニア。私の美しい花。すっかりレディになったね」


数年振りに会う祖父に向かって優雅に礼を取ると、祖父はいつもは厳しく眉間に寄せられている皺を緩めて穏やかに笑った。


「ヘッセニアもとうとう16か。ついこの間生まれたばかりだと思ったのになぁ」


普段は剣を握る大きな手が伸びて、美しく整えられたヘッセニアの頭を優しく撫でた。


「もう。お祖父様はいつまでもわたくしが子供だと思ってらっしゃるのね」


少しむくれたように頬を膨らませて見せると、祖父は更に笑みを深めてヘッセニアの手を取った。


「ヘッセニア。君はいつだって私の大切な孫だよ」


ガルメンディア王国。

大国の淵に沿うように林立するいくつかの小国のひとつであるこの国の国境は、十数年前までは周りの小国同士の衝突の絶えない不穏な地域であったが、小国の中でも力のある双璧であったガルメンディア王国とレッドメイン王国との間に起きた国境争いはその核となる諍いであった。

しかしヘッセニアが生まれる数年前に国境を接するレッドメイン王国との間に休戦協定が結ばれると、集められていた兵士たちは故郷へと戻り剣を農具へと持ち替えて戦地となった土地の復興へと尽力した。

かつては戦神と呼ばれた祖父は大将として前線に立ち、見通しの立たない泥沼と化していた消耗戦をどうにか休戦にまで持ち込み、勝ちを得られなかったからと将軍職を退くと戦地となった領土の復興にも心を砕き豊かな農地を再生させたよき領主として広く知られている。

そしてヘッセニアが物心がつく頃には、長い間戦を繰り返していた国境に接するこのガルメンディア王国のオリバレス侯爵領は、すっかり長閑で平和な田舎となっていたのだった。


「お母様も、来られれば良かったのですけど」

「仕方ないさ。レッドメインも社交シーズンの最中なのだから」


心なしかしょんぼりと告げたヘッセニアの頭を優しく撫でて、祖父は嫁いだ娘を想ったのか遠くに視線を向けた。

それは国境を越えた先、レッドメイン王国の方角。

ヘッセニアが両親と共に暮らす国だ。


仮初めとはいえ平和をもたらした休戦協定を確かなものとするため、国境を接するランドール領主の令息とオリバレス領の令嬢との国を越えての結婚が成された。

それがヘッセニアの両親の婚姻の経緯であったが、幸いなことに2人は政略だったとは思えないほど穏やかに愛を育み仲睦まじく暮らし、ヘッセニアとその下に二人の男児を授かった。


「ヘッセニア、ここにいたのか」

「エクトル!…あ、ご無沙汰をしておりました。エクトル様はお変わりありませんようで…」

「あははは!堅苦しい挨拶は要らないよ。いつも通りで良いんだ。しかしヘッセニアもすっかり淑女だね」


ひょっこりと庭に顔を出したのは、従兄のエクトルだった。

祖父の跡を継いだ伯父の息子であり、次期侯爵でもある彼は現在は王都で騎士として出仕しており、王太子の側仕えが許された近衛として忙しくしていると聞いている。

てっきり王都に詰めているものと思っていたが、どうやら帰ってきていたらしい。

最後に会った時よりもさらに背が伸び逞しくなった彼は、その外見からは想像できないほど優雅にヘッセニアに歩み寄ると、その手を取り指先にそっと口づけを落とした。


「ヘッセニアがお祖父さまに会いに来ると聞いていたからね。休みをもぎ取ってきたよ」

「まぁ。わたしのために?それは申し訳ないわ」

「いや、普段は容赦なくこき使われているからね。こんな時くらいは無理を通しても罰は当たらないさ」


たまには休みをもらわなくては死んでしまうよ、とエクトルはからからと笑って祖父の隣へと腰を下ろした。

すかさず侍女が用意した紅茶がエクトルの前へ差し出され、それにそっと口をつけるとエクトルはうまい、と呟いた。


「これはレッドメインの茶葉かい?」

「はい。王都で今人気の茶園ですのよ」

「そうか。では心して飲まなくてはね」


冗談めかして紅茶を飲むエクトルを見つめてくすくすと笑うヘッセニアの様子に目を細めていた祖父がそっとその骨ばった手でヘッセニアの頭を撫でた。


「もう、婚約が叶う年になってしまったのだね」

「えぇ。でもガルメンディアには婚約の年齢に制限はないのでしょう?ここにいたらもっと早く婚約が決まってしまったかもしれないわ」


祖父が優しく髪をなでるのに任せて目をつぶったヘッセニアは、瞼をあげると悪戯っぽく微笑んだ。

レッドメイン王国では、婚約は16歳を待って行われる。

それは青田買いのように早いうちから家同士を縛るような婚約を抑える目的もあり、16歳に満たない者の婚約は決して王が認めることはない。

それは、王子であっても例外ではなく、現在レッドメイン王国の2人の王子たちのうち王太子は相手の令嬢が16歳を迎えるのを待って婚約、成婚し、自身が成人したばかりで想う令嬢が16歳に満たないと噂されていた弟王子も、最近になって婚約が発表されたばかりだ。

しかし、祖父が治めるオリバレス領を擁するガルメンディア王国は、貴族に婚約をするにあたって年齢は制限されていない。

もしヘッセニアがこの国で生を受けていれば、戦神とまで言われた祖父との縁を願って幼いころから婚約の申し込みが殺到したことだろう。

実際、ヘッセニアの従兄にあたるエクトルも、まだ10歳にも満たないうちに家格が釣り合う貴族家の令嬢と婚約しており、結婚式を控えた身だ。


「それでも、寂しいものだよ。離れてくらしているとはいえ、孫が嫁ぐというのは」


そうしんみりと告げる祖父の手は、相変わらずヘッセニアの柔らかな金の髪を撫でている。

ヘッセニアも庭に咲く薔薇に慈しむような視線を向けて、ポツリと呟いた。


「…嫁げば、もうこちらに伺うこともそうそう出来なくなりますのね」


この夏のはじめに16歳の誕生日を迎えたヘッセニアは、既に婚約を済ませていた。

誕生祝いの夜会は、婚約を祝う宴となりたくさんの人に祝いの言葉をもらったばかりだ。

嫁ぐとなれば、いくら血縁とはいえ国境を跨いで祖父に会いに来ることなどはもう叶わないだろう。

その為、ヘッセニアは婚約の報告と共に最後の訪れとなるだろう祖父への挨拶にやって来たのだった。


「離れていても、大事な孫であることに変わりはないよ。ヘッセニア。私の美しい花。どうか幸せにおなり」


祖父が柔らかく微笑んで頭を撫でていた手を下ろすとそっと細く小さな手を包み込む。


「はい。お祖父さま」


はにかむように微笑むヘッセニアは、名前の通り花のような華やかな美しさを纏い、その清廉な美しさに祖父もエクトルも息を飲んだ。

幼い頃から慕う人との婚姻がいよいよ現実のものとなる喜びが、幼かったヘッセニアを美しい女性へと導いているのだと、語らずとも頷けるその美しさは、世の男性を虜にしてしまうだろう。

ヘッセニアの婚約者も、幼い頃からヘッセニアと共に過ごしその婚姻を望んでいたという。

いくら婚約の成立に年齢の制限を設けようとも、予め婚約が内定されていたとなるとその制約に意味があるのかと疑問があったが、デビューした途端にその美しさに惑わされて求婚が殺到するであろうことを考えると、そんな囲いこみもヘッセニアを守る上で有効だろう。

その相手が彼女が慕っている相手だというのなら、なおのこと。


祖父がその美しさに目を細めていると、静かなはずの侯爵家を何やら使用人のざわめきが広がって来ていることに気がついた。

普段は立ち居振舞いの教育が行き届いている侯爵家で、使用人が動揺を露にするなど珍しい。

何かあったのかと、やはり異変を察知したエクトルと祖父が目配せして立ち上がったその時、ざっという足音ともに庭園に長身の影が差した。


「誰だ!」

「私だよ、エクトル」


剣の柄に手を掛けたエクトルの誰何に、低く落ち着いた声音が返る。

その声にエクトルは驚きを隠せないままその声の主に走りよった。


「殿下?!どうされたんです、こんな田舎に」

「はは、エクトル(仕事の鬼)が何がなんでもなんて言って休暇をもぎ取っていくなんて何事かと思ったら、従姉妹に会うためだなんて聞いたからさ。どんな娘かと冷やかしてやろうかと思ってな」


庭に現れたのは、背中の中程まであるさらりと淡い金髪を緩く纏めて背中に流した美しい男性だった。

エクトルは彼を殿下と呼んでいた。

それは即ち王族であり、彼が仕えているのは王太子だったことに思い至ったヘッセニアは、慌てて立ち上がると膝を折り頭を下げた。

隣では祖父も片膝を付き手を胸の前に当てた騎士の礼をとり頭を下げている。


「急に押し掛けて悪かったな。ああ、将軍まで…。2人とも、顔を上げてくれ」


謝罪を口にするものの全く悪びれた様子もなく、頭を垂れる2人に気がつくと気負う様子もなく声をかけた。

どうやら随分と気さくな方らしい。

エクトルにも冗談めかして訪れるなんてサプライズを仕掛けるあたり、随分と心を許しているのだろう。

ヘッセニアはほっと息を吐いてゆるゆると顔を上げた。

隣の祖父も、既に顔を上げて年齢を感じさせない姿勢の良さでぴしりと立っていた。


「驚かせたかったからな。先触れも出さずにすまない。はじめまして、ご令嬢。私はディオニシオ…だ…」


顔を上げたヘッセニアに、王太子殿下が優しげな笑みと共に名乗るが、その声は先細るように力を失っていく。


「お初お目にかかります。(さき)に将軍職を賜りましたオリバレスが孫娘、ヘッセニアでございます」


ヘッセニアは淑女の礼をとり静かに名乗る。

ディオニシオの声がしぼむように小さくなったことが気にはなったものの、王太子自ら名乗ったたというのに礼を返さない訳にはいかない。

おそるおそる顔を上げると、頬を赤く染めたディオニシオがヘッセニアを見つめていた。

深いブルーの瞳が幾分潤んでいるように見えて、ヘッセニアは首をかしげた。


────体調が、よろしくないのかしら?


「…美しい」

「あ、あの」


大丈夫ですか、と声をかけようと口を開いたその時、目元を赤く染めたディオニシオの呟きが漏れた。


「ヘッセニア。私の女神。私だけの美しい花となってはくれないか。あなたを、私の妃に迎えたい」


ヘッセニアが声をかける間も無くディオニシオは膝をついてヘッセニアの手を取ると、慈しむようにその指先に口づけた。


「殿下!!何を…!」


時間が止まったように庭園に落ちた静寂を、最初に破ったのはエクトルだった。


「何って、求婚だ。あぁ、エクトル。ちょうど良い、お前が求婚の証人になれ」


ディオニシオは取り乱すエクトルとは対照的に全く動じた様子もない。

しかもヘッセニアの指先を離す素振りもなく優しく握ったままだった。


「なりません、殿下。ヘッセニアは、輿入れが決まっております。求婚のお言葉まで紡がせたご無礼を、どうかお赦しください」


祖父が再び膝をついて騎士の礼を取ると、更に頭を低く下げて言い募る。

その言葉に、ディオニシオの眉間にシワが寄る。


「エクトル以外に、オリバレスに類するものの婚約を認めたことはなかったはずだが?」

「ヘッセニアの生家はレッドメインです。ヘッセニアはまだ16歳になったばかりですから…」

「あぁ、レッドメインか。────それなら問題なかろう。レッドメインだろうと貴族家ならばガルメンディア家が出れば黙らせることなど造作もないだろうに。ヘッセニアは私がいただこう」

「ですから、なりません。ヘッセニアの嫁ぎ先は、レッドメイン王室です。殿下、彼の国と事を構えることにもなりかねませんぞ」

「レッドメインか。なるほど、第2王子か…。だったらなおさら急いだ方が良い。…レッドメインを出し抜けるなんて胸がすくな」


ディオニシオはニヤリと笑みを浮かべると、ヘッセニアの腰に腕を回して抱き寄せた。


「城へ戻るぞ!王太子妃が決まったと先触れを出せ!」

ご覧いただき、ありがとうございました。

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