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「ヘッセニア・オリバレス。そなたとの婚約は無効だ」
王太子ディオニシオの声はよく通り、天井の高いホールに響いた。
王太子と、ずっと隠され続けて初めて目にする彼の婚約者の様子を伺いながら、控えめに揺れていたざわめきが波を引くように静寂に飲まれていく。
ヘッセニアは、震えそうになる足を叱咤してもともと美しい姿勢を更にただすと、腹に力を入れてディオニシオを真っ直ぐに見つめた。
ヘッセニアの視線を正面から受け止めるディオニシオの瞳は冷たく凍てついていて、どんな理屈も受け付けないと語っている。
その頑なさに、ヘッセニアは悟られないようにそっとため息をついた。
「理由…を、お伺いしても?」
「理由?そんなものそなたが1番知っておろう。このクラリサに行った仕打ちを!」
ディオニシオはそう叫ぶと、傍らに寄り添っていた令嬢の腰に腕を回して抱き寄せた。
ヘッセニアが初めて目にする令嬢はまだ少女のあどけなさを残しているが、怯えるようにヘッセニアを見つめる淡いグリーンの大きな瞳も輝くような金の髪も美しく、やがて大輪の薔薇のごとく華開くであろうことが容易に想像できる美少女だった。
「ディオニシオ様、畏れながらわたくしは彼女を存じません。わたくしはあなたの命によって屋敷から出ることもままなりませんでしたわ。彼女に何が出来ると仰るのです?」
「そんなもの人を使えば造作あるまい。いい加減にしろ!」
興奮したのかディオニシオは声を荒げてヘッセニアに詰め寄った。
「わたくしは、彼女を陥れるようなことは、していません」
真っ直ぐにディオニシオを見つめて、ヘッセニアは言葉を続けた。
「そんな必要も、ありませんでしょう?あなたが、わたくしを奪うように拐ったのではありませんか。───婚約破棄させてまで」
「うるさい!それ以上の発言は許さん!」
ディオニシオは興奮を隠さずに声を荒げ、その迫力にヘッセニアは思わず口をつぐむ。
愛していたのに、とヘッセニアは心のなかで呟いた。
強い意志を感じさせる淡い紫色の瞳からポロリと一筋、涙が零れるのを見てディオニシオは口の端を歪めるように笑みを浮かべてそれを見つめていた。
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