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マリーゴールドの花を添えて  作者: 鬼多見 林檎
第一章 見知らぬ世界
9/10

名前

 彼が全員の診察を終えた頃、いつの間にかガネットが朝食を作り、皆に配っていた。


 昨日のスープをベースに雑炊を作ったみたいだ。しかし中に入っているものは米ではない。一口食べてみると一粒一粒がもちもちとした食感で意外にも食べ応えがある。昔祖父母の家で食べた押し麦みたいだ。


 黙々と朝食を食べている間、一つ気になっていたことがあった。右隣に座っているカイヤが時折こちらを見ているのだ。今も視線を感じている。何か言いたいことでもあるのかと、顔を向けると目と目がぶつかる。驚いた彼はさっと目を逸らすが、それも束の間、意を決したような表情でこちらに向き合った。


「なあ、ラズリ。俺たちのこと何も覚えていないんだよな?」

「──申し訳ない」俯いて彼の足元を見る。

「ああ、そんな顔するな。それに謝るのはこっちの方だ。よく考えたら昨日はバタバタして何一つ説明ないままだったもんな。ごめん。何も知らない俺たちに着いてきてくれてありがとう」


 勢いよく頭を下げた彼に、俺はどう返事すればいいのか分からず、ただ黙って笑みを返した。それを彼がどう受け取ったのかまでは知らない。



「俺はカイヤ。カイヤ・ロパロ・ダックブル」



 彼が右手で拳を作り顔の前に持ってくる。

 この世界で握手のようなものだろうか、とりあえず真似して右手で拳を作り顔の前に持ってきてみた。それは正解だったようで、彼は笑い拳を合わせてくる。


「改めて宜しくな。前はカイヤって呼ばれていたけれど、好きなように呼んでいいから。あとは何でも力になるから困った時は言ってくれ」

 ゴツゴツした拳を合わせて彼は言う。


 このカイヤって人物はどこに行っても一二を争う人気者になりそうだ。

 老若男女から信頼されてモテるんだろうな。バレンタインとかチョコをいっぱい貰って、その自慢が嫌味にならないことが俺にとっては嫌味になりそう。



「私は、カトマイラ・ヒエレウス・テグリーンと申します。皆さんから、カト、と呼ばれております。ラズリ様も、どうぞお好きなように」



 話を聞いていたのだろう、カイヤに続きカトも俺に向き合い名乗った。

「また、よろしくお願いしますね」

 たおやかな彼女にぴったりな小さな拳は白く柔く、力を入れると壊れてしまいそうだ。


 カトはお嬢様が通うような学校出身で、社会に出てから男性を知りそうだ。きっと陰で狙う男性は多いんだろうな。男に言い寄られたら困った笑顔で笑って、それがまた心をくすぐるんだ。

 綺麗な声だからアナウンサーにも向いてそうだ。ああ、でも。入社三年ぐらいでメチャクチャ活躍している野球選手と電撃結婚して寿退社しそうだな。

 そんなことを考えていると、カトの隣に座っていたガネットと目が合った。



「ガネット・シサヴロス・ビャクン」彼女も拳を作っている「ガネットでいい。そう、呼ばれていた」



 ガネットは中学から大学まで女子校に通いそうだ。きっとどこに行っても女子からモテて、様付けで呼ばれる。部活は運動部で、絶対他校にもファンがいるタイプ。この人が出る試合だけ観客が増えそうだ。

 そして高校生ぐらいに出会った歳下で平凡そうな男性と結婚しそうだな。


「最後は、私、ですねぇ」

 振り向くと、彼がいた。



「トイラーロフ・ヴラカス・ヘリオトシーグリアン。よろしく、ねぇ」



 拳を突き出してくるが、今朝の出来事が頭をよぎり、躊躇してしまう。

「どう、しました、かぁ?」

 近づいてきたので思わず後ずさる。

「あー、あのな」

 何かを察したのか、カイヤが割り込んできた。


「トイラーは突拍子も無く行動に移すことがあるけど、変な人でもあるけど、一応信頼できる頼れる仲間、なんだ。まあ、いきなり、信用しろって言われても、厳しいけど……」

 最後は尻窄みになっている。


「変人、で、愚か者、ですねぇ」

 楽しそうに笑いながら、コツンと拳を合わせて離れていく。やはり今朝のことが頭に残っていたのだろう、意識が彼に集中してしまい少しも動けない。


「ラズリ?」

 カイヤが肩を叩く。やっと緊張の糸が途切れ、肩で息をする。呼吸さえ忘れていた。


「……トイラー」

 低い声でカイヤが名前を呼ぶ。その声音には何も言わなくても怒っていることが伝わってくる。


「いやぁ、ごめん、ねぇ」

 反省の色はない。こんなにも軽い謝罪は初めてだ。


「トイラー様。さすがに私も少々怒っていますよ」

 カトの顔にも怒りの表情がにじむ。しかし彼女には申し訳ないが、その表情でさえ可愛らしい。コアリクイとかレッサーパンダの威嚇をみているような気分だ。

 対してガネットの視線は心が冷える。

 何も言わずトイラーを見つめているだけなのに、静かに銃口を突きつけられた気分だ。指先ひとつ、彼女のご機嫌ひとつで、問答無用に命が散ってしまう。そんな凄みを感じる。


「いやぁ、怖い、ねぇ」

 しかし彼にはどこ吹く風。全く刺さる様子がない。


「そんな、こと、よりぃ。ねぇ、ラズリ君」

 離れたところから琥珀色の双眸が突き刺さる。心臓が大きくドクンと跳ね、手足が一気に冷える。蛇に睨まれた気分だ。


「君の、ことを、教えてぇ?」

 顔が強張り、口が乾く。何か言いたいのに、何も出てこない。


「どうしていきなりそんなこと」何も知らないカイヤは呑気そうだったけれど「なあ、ラズ──」

 俺の顔を見て彼の息が止まる。

「どうした?」


 視線が一気に集中する。口から出る全ての言葉を漏らさまいと凝視している。

 これから裁判で証言をする被告人の様だ。いや、それは俺が今言おうとしていることが見せる幻覚か。



「俺は」そして、俺は

「だれ、ですか?」嘘を、つく。



 皆が息を呑む音が聞こえる。何故かトイラーまでも目を見開いている。彼にとっても想定外のことだったのだろうか。

 カトは今にも倒れそうで、ガネットが肩を支えている。


 重い沈黙。誰もが次の言葉を探せないでいる。もしくは探さないのか。


「君は」

 それをカイヤが破る。

「君の、名前は」

 掠れ、震え、今にも消え入りそうな声で。だけどこの先は、



「ラズリ・アヨスパシ・ミッドナイト」



 ゆっくりとそしてはっきりと喋った。


 名前を復唱しようとして、寂しそうな顔でカイヤがこちらを見つめていることに気がついた。

「どう、しましたか?」

「ああ、すまんな。ラズリが自分のことを俺って呼んでいたから、勝手に他人になった気がしてしまって」

「僕、でした?」

「昔はそうだったけど、いいんだ。今がそうなら」

「いえ。僕は、ラズリ・アヨスパシ・ミッドナイト。これが、僕、なんですね」


 そして俺は、ラズリになった。

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