深夜任務・前編
仕事帰りの人々が疲労困憊の表情を浮かべ帰路に着くこの頃。賑やかだったシンジュクの町はすっかり夜の顔に変わっていた。電車は終電を迎え乗り遅れた人々がホームで嘆いている。自然に囲まれた木造建築の校舎も四階と三階以外の灯りは消え、騒がしかった声は風に吹かれる草木の音へと変わっていく。
遊楽隊と書かれたルームプレートがぶら下がる四階の一室では四人の男子生徒が同じ部屋を共有していた。入学式という行事を終えて明日の初授業に臨むべく早めの就寝となった様だ。時計の針が時を刻む音だけが空間を支配する静けさの中、窓際の二段ベッドの下段で寝ていた真斗が静かに言葉を投げかけた。
「…誰か起きてたりする?」
「起きてるよぉ」
その言葉に瞬時に反応したのは廊下側の下段に寝ている琉々だ。布団から顔を出して左隣の真斗の方に視線を向ける。
「琉々流石」
「一応俺も起きてんよ」
「俺も。ってか全員起きてるじゃん。寝ろよお前ら」
続いて真斗の上からも反応があった。器用に下段を覗き込むのは玲だ。寝る様に促したのは隊長の透だが、彼も起きている為全く説得力がない。月明かりに照らされた一室では結局夜の雑談タイムに突入する。
「いや透も起きてんじゃん」
「目が冴えて眠れなかったんだよ」
「俺も!変に緊張したからかなぁ」
なるべく小さな声で喋り続ける三人と静かに聞き役に回る真斗。クラスの事や今後についてとコロコロ話題が変わっていく。すっかり起き上がって枕を抱く琉々の隣に降りたのは上で寝ていた透だ。玲はハシゴの中央に腰掛けて足をブラブラさせながら会話を進める。
「あり?真斗寝ちゃった?」
「んや、起きてる」
「全然喋んねぇから寝たかと思ったわ」
「寝てないっすよ。…それより三人、特に琉々」
唯一横になっていた彼はゆっくり体を起こすと普段より少し低めの声を発した。
「え、俺?なになに?」
「絶対騒がないって約束できる?」
普段から人一倍うるさい彼は名指しされるもすぐに答えは出ない様だ。んー…とよく考えている様子である。そして導き出した答えは…。
「内容による」
全然かっこよくないのだがキリッとした表情で言い切る琉々の姿に三人は思わず吹き出した。
「んははっ、それずるいわお前」
「そんな決め顔で言うとは思わなかった」
「なるべく声抑えるよ?一応抑えるけど…ねぇ?」
自信無さげに苦笑を浮かべた琉々にツボった様子の透と玲。少しずつヒートアップし始めた会話を元凶の琉々が収めようとしている辺り収拾がつかなくなっている。
「実は俺も見てたんすよね」
「見てたって何を?」
「逢崎のナンパ?」
「え、そんな事してたんすか?見損ねた…」
「いやしてないしてない!適当な事言うな玲!」
話し始めた真斗の話に透が疑問符を浮かべた。しかしその後話題はまたもズレていく。脱線しかけた話題をなんとか元に戻し続きを聞こうと向き直る。
「で、何見たんだ?」
「丘田の言ってた変な生物」
「…えぇ!!?」
全員の脳内が話を理解する迄にかかった時間が会話に謎の間を作る。一番最初に声を上げたのは予想通り琉々だ。素で驚いた彼の声よりも二人の反応は真斗に向いていた。
「何でそういう事早く言わねぇの!?」
「言ったらめんどい事になるかなって」
「言わなきゃダメじゃん!!」
どうやらまた真斗の悪い癖が出たらしい。玲と透は揃って声を荒らげた。琉々に至っては完全に布団に潜り込み情報をシャットアウトしている。
「あの時真斗が欠伸してたから何か見つけたのかなって思ってたんだよな…。仮に聞いたら答えてくれた?」
「答えないっすね。騒ぎになるから」
予想通りの返答に透は溜息を着く。観察眼が鋭い真斗は無意識に周囲の様子を全て脳に取り込んでしまうのだ。その為情報量が多い場合は彼の脳が過剰に働き、眠気に繋がるのである。故に彼の眠気は知らぬ振りをするサインだ。
「真斗の欠伸は魔物探知機っつう事か」
「そんな大袈裟に言うなや」
「ってかさ、もしそうならまだこの校舎内に居るって事だよな?」
神妙な顔付きで述べる透の言葉に全員の時が止まった。ゴキブリを捕え損ねた時と同じ様な心境である。謎のソレが今どこにいるか全く分からないのだ。もし部屋に入ってきたら、もし寝込みを襲われたらと悪い考えばかりが頭を過る。
「なぁ、俺らで見に行かね?」
静寂を破ったのは玲だった。流石の真斗も彼の事を二度見して明らかな動揺をみせる。
「正気かよ!?もし本当に何かだったら…」
「その可能性があるからこそだよ。女子とか隣部屋が襲われるかもしんねぇんだぞ?俺らだって寝込みに来られたら生存率はぜってぇ下がる」
いつもおちゃらけている彼からは想像も付かない程、その表情は真剣そのものだ。止めようとしていた透も玲の様子に口を噤む。そしてゆっくりと立ち上がった。
「分かった、俺ら全員で見に行こう」
「え、俺も!?」
「全員っすからね」
「部屋を守る防衛って枠は…?」
「ねぇな」
決心した透の頼もしい言葉により次の行動が決まった。なんとか部屋に残ろうとする琉々の作戦も玲によって砕け散る。世の中では今の時間帯を丑三つ時と呼ぶのだろう。遊楽隊初の深夜任務だと喜んでいたのは勿論玲だけだ。
先頭は懐中電灯を、最後尾はランプを手に薄暗い階段を忍び足で降りていく。
「うわぁ…」
「真っ暗っすね…何も見えないや」
物音一つしない空間は不気味で普段の何十倍も恐怖心を駆られるものだ。木造建築という事もあってか隙間風が更にムードを作りあげている。
「わっ!?」
「何何!?」
後ろから二番目の琉々が大声と共に一歩退いた。お陰で巻き込まれた最後尾の真斗も驚いて声を上げる。その様子に透は慌てて振り向いた。
「大丈夫か!?」
「俺は平気っす」
「ごめっ…虫だったぁ… 」
うるさい心臓を抑えて彼は深く息を吐いた。どうやら足元に居たカメムシに驚いたらしい。紛らわしい事すんなと先頭の玲に軽めのゲンコツを食らう。泣きそうな琉々を透が慰めながら問題の玄関に到着した。
「そういや真斗が見たのって丘田が教室に入ってきてからなんだろ?」
互いの顔しか見えない程の闇は差し込む月明かりによって緩和されていた。その場所で八つの目が真斗に向けられる。
「うん、そうだよ」
「なら玄関じゃなくて教室に居るんじゃね?」
「いや…まぁ、その」
教室へ向かおうとした三人を引き止める様に真斗は言葉を濁わせる。そしてキャップを少し深めに被った。
「言いたくないけどそこに居るよ」