ホームルーム
キーンコーンカーンコーンと9時を知らせるチャイムが校舎内に鳴り響いた。教壇にはスーツ姿の一人の男が立っており、背後の黒板には入学おめでとうと書かれている。
「ではこれよりホームルームを始…」
「俺いっちばーん!」
彼の号令と共に始まろうとしたホームルームはけたたましい足音によって早くも中断された。玲の声と共に引戸式の戸が勢いよく開かれる。彼は遅刻した事など微塵にも気にせず、一番乗りを素直に喜んでいる様だ。
「くっそ負けた…」
「あいつ速すぎだろぉ…」
続いて真斗、琉々の順で教室に入った。着順に夢中になっていた三人はクラスメイトの視線を集めまくっている事にすら気付いていない。小心者なはずの琉々も普通に声を上げている。
「ってかさ!あそこで俺の服引っ張ったの誰!?」
「あ、それ俺っす」
「お前か!?それズルじゃん!」
「やっ…と…着い…たぁ…!!」
どうやら真斗と琉々の間に結果を左右する出来事があったらしく言い合いになるかと思われたその時、運動が大の苦手な透がようやく教室に入ってきた。かなり息を切らしていて教室の壁に寄りかかっても尚フラフラだ。
「透がビリっつう事で、今日の洗濯当番よろしくねん」
「えぇー…運動はハンデだって…!」
「ズルしたから俺が二着!」
「いやいや、ズルも作戦のうちでしょ?」
呑気に窓枠に腰かけながら手をひらひらさせて笑う玲と疲れ切っている透。真斗と琉々は着順でまだ言い合っている。一向に落ち着く気配の無い空気の中、バンッと机を叩く音が響き渡る。
「こら男子共!さっさと席に着いて。ホームルーム始まらないでしょ!」
彼らに言葉をぶつけたのは、少し焼けた肌がお似合いの強気な女子だ。紺色のセーラー服とポニーテールを揺らす彼女の名前は門麻 風香。クラスの学級委員候補である。
「ほら、四人とも席に着いて」
彼女の勢いに押され気味のスーツ姿の男は優しい声色で指示を出す。特に反発する理由もない四人は大人しく指定されている席へと腰を下ろした。
「では改めて。皆さんこんにちは。本日より担任になった淵谷 栄一郎です。二年間よろしくね」
ようやく静かになった教室でそう述べたのはスーツ姿の男だった。穏やかそうな見た目のごく普通な男性だ。
「私は副担任の嘉瀬 琴波って言います。みんなよろしくねっ!」
続いて自己紹介をしたのは、見た目がほぼ中学生と変わらない程の小柄であり童顔の女性だ。この人も服装はスーツである。女子や男子からも可愛いという声が飛び交い彼女は恥ずかしそうに頬を掻く。
「自分は火曜日と木曜日、嘉瀬先生は月曜日と金曜日に授業を教えに来るから把握しておいてね」
「はい!質問!」
皆が納得の返事をしていると一人だけ手を挙げた者がいた。まだ名前を覚えきれていない淵谷は指名さえ名簿と座席表を交互に見ながらの作業である。
「えっと…鳥尼くん。質問って何かな?」
「今水曜日だけ飛ばしとったけど学校どないするん?休みなん?」
流暢な関西弁を話す彼は鳥尼 弘也というクラスきってのムードメーカーだ。窓側から二列目の最前席に座っており、黒色のプルオーバーパーカーを身に付けている。
「水曜日は体育と自習の時間なんだよ。今ここに居ないけど教頭先生が担当してくれるからね」
「おー、そうなんや。あのバリ怖そうな先生か」
屈強な肉体に仏頂面という強面な男である教頭とは全員が入学式の時に初めて対面した。その見た目から怖そうと言う言葉がしっくりくる為、その一言で小さな笑いが巻き起こる。
「バリ怖そうって」
「否定できない…」
「まじそれな」
ずっと黙っていた女子達も笑いを堪えながらボソボソと話し始め、クラスの雰囲気が少し和やかになった。担任達ですら多少笑ってしまう。
「爆睡しとった奴ら後で怒られるで?黒野とか黒野とか山内とか」
「お前らかい!」
後ろを振り向き、窓側から一列目と二列目の最後尾に座る二人を見ながらニヤリと笑う弘也。笑いながらツッコミを入れたのは三列目の一番前に席がある柊 志羅という男っぽい女子である。茶色がかったショートの髪に半袖短パンというよく見る格好だ。
「つーか何で俺だけ名前二回呼ぶんだよ!」
「ガッツリ寝とったの黒野だけやからな。山内はたまに起きとったし」
「なっ…!?お前だけは仲間だと思っ…」
「はいはい。楽しいけど一旦お喋りは中断ねっ!ホームルームが終わったら自由時間にするから」
ヒートアップする男子の会話にドッと笑いが起き、クラス全体の緊張はすっかり解けていた。副担任である嘉瀬がパンパンと手を叩いてその場を静止させる。
「今からこれからの生活について淵谷先生から説明してもらいますね」
話を任せられた彼は咳払いをしてから書類手に教室を見渡す。
「手短に説明すると…この学校には他とは違う点が三つあります。一つ目は全寮制である事。二つ目は二年間の間、顔を合わせられるのは今ここに居る人だけという事。三つ目はテストが無い事です。まぁ入学案内に書いてあったから皆知ってるよね」
淵谷はチョークを手に同様の事を黒板に書いていく。この中で初耳なのは玲と琉々の二人だけだろう。図書室で日本人という物について学んだのだ為、得た知識と今の説明が全く違うのである。
「誰でも入れる代わりに二年間の間この学校に居なくてはならない。条件はそれだけで他はほぼ自由だよ。…でも、やってはいけない事がたった一つだけあります」
笑顔で話していた淵谷の表情が次第に曇っていく。 その異常な様子にクラス全体の空気が重くなった。廊下を走らない、サボらない等の一般的なルールとは別にこの学校には何かがある。そう思わせる様な顔付きなのだ。彼は深く息を吸いクラス全体を見てから重たい口を開く。
「この世界の物ではない何かを見ても絶対に関わってはいけない。例えば……魔物とか、ね」
シンと静まり返った室内で誰もが顔を見合せた。そして次の瞬間、一斉に笑いが巻き起こる。
「ちょ、それズルいわぁ先生。魔物なんて居るわけないやん!」
「何言うのかと思ったら魔物って…」
「幽霊とかならまだしもよねー」
弘也、透、志羅が筆頭となり生徒達は次々と言葉を投げかける。有り得るわけないと誰もが言う中、琉々は顔をひきつらせながら後ろに座る玲を見た。彼も流石に険しい顔つきになっている。すると玲は淵谷と目が合った様だ。
「なぁ、魔物ってこの学校にいんの?」
「もし見かけたらの場合、って校長先生が言ってたんだよ。ほんと馬鹿げてるって自分は思うけどね」
玲が曖昧な返事を返すとすぐに他の生徒達から淵谷に向けての質問が飛び交い、教室は一際騒がしくなる。答えるのに忙しい彼の視覚から外れた教室の隅で二人だけは複雑な気持ちに苛まれていた。
「これ終わったら聞いてみっか」
元々戦う事は好きな玲は、十日間の平和な生活に少し不満を覚え始めていた事もあり何処と無くワクワクしている様に見える。そして琉々は彼に関わる事を辞めようと心に決めたのだった。